上 下
17 / 37

大魔導師と図書館

しおりを挟む
「ぐへぇ」
 と、マツリは机に突っ伏した。


 その拍子に机上に置いてあったインク瓶が倒れてしまった。黒々としたインクが机上に広がってゆく。インク瓶を立て直す気にはならなかった。


(いっそのこと、全部黒く染まれば良い)
 とさえ思った。


 そんなマツリの心を知ってか知らずか、赤髪の大司書と呼ばれるサルヴィアがインク瓶を立て直した。


「お疲れですか。大魔導師さま」


「当たり前よ。疲れてるわよ。疲れ切ってるわ」


 人前では、わざと老獪な言葉を使うようにしているが、プライベートでは着飾らない語調である。


「しかし、大魔導師さまにはガンバってもらわなくてはなりません。あなたはこの世を統べる大魔導師さまであり、ヒトマル族の血を引いているのですから」


「べつに世界を統べた覚えはないわ」


 図書館のおこりは、ヒトマル族と呼ばれる一族をキッカケとする。


 一族はルーン文字と呼ばれる発音できぬ文字を自在にあやつり、魔法書を生産して暮らしていた。やがてヒトマル族はこの地に根付き、この地に城を築いた。それが図書館のはじまりである。


 図書館は戦のための城ではなく、書籍を溜めこむための城なのである。


「実際、この図書館は世界を統べているようなものです。ふたたび5大国との戦争になっても、今度は勝てるとオレは見込んでおりますよ」


 マツリは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
 この図書館ゆいいつの窓である。
 緑の広がる平原を見渡すことが出来る。


 ヒトマル族の魔法のチカラを前にして、周辺の5大国はおそれおののき、そして結託した。『ヒトマル族VS5大国』という争いが100年もつづいた。100年もつづけば両者ともに、さすがに疲弊した。疲弊のすえに、ある条約を交わすことになった。


「ヒトマル族は、周辺諸国ならび他国に一切の干渉をしないこと。またヒトマル族の住むこの図書館にも、他国は一切の干渉をしないこと。その条約を忘れたわけではないでしょう」


 要するに。
 お互いに、一切かかわるのをやめようという決まりだ。


 同じ大陸に住んでいるのに、互いに見て見ぬフリをして過ごそうと決めたのだ。それが100年もつづいた戦争の落としどころであった。


「そんな昔の条約など、もう誰も覚えてはいませんよ。実際に、その条約は廃れてしまっているではありませんか」


「私たちが衰退したからよ」


 ヒトマル族は魔法を使うことが出来たが、人口がすくなかったのだ。戦争によって数が減ってしまったという面もある。


 そこでヒトマル族は周辺諸国に魔法を売ることで、安全を保つことにした。


 魔法を必要とする依頼があれば、すぐに魔術師が駆けつける仕組みが出来てある。代わりに人材不足を補うため、入館試験という形で、よそから図書館へと招くことにした。


 それが――。
 現在の図書館の構図だ。


「勝てるわけないでしょう」
 と、マツリはつづけた。


「この図書館には、他国の者たちの協力によって支えられてるのよ。間諜だって多い。もし今、戦になればこの図書館は一瞬にして陥落するわ」


 ふん、とサルヴィアはその言葉を待っていたとでも言うかのように肩をすくめた。


「でしたら、仕事を放棄なさらないことです」


「はぁ」
 机の上に山積みになっている所感を見ると、げんなりする。


「魔法を必要とする者に、魔法を提供する。そうやってこの図書館は、5大国との微妙な均衡の上に成り立っているのです」


「私に説教するのはやめなさい」


「申し訳ありません」
 と、サルヴィアは頭を下げた。


 諸州諸侯からの書簡は、200通にも及ぶ。


 川の氾濫で橋が崩れたから直して欲しい。大雨で土砂崩れが起こったから、山をもとに戻して欲しい。どこの国が戦争を仕掛けてきたから、あそこの村を焼いて欲しい。どこぞの領主がクーデターを企てているので、暗殺してもらいたい……。


 もちろん、すべてに了承するわけではない。
 図書館は便利屋ではないのだ。


 必要な物だけを選別して、図書館にたいして充分な報酬があるものを選択する。
 書簡のなかにはフザケたものも混じっている。お見合いはいかがだとか、婚約がどうだとか……そういったものだ。


(アホォが)
 と思うのだが、相手は本気も本気である。


 そういった書簡は決まって、それなりの立場の人物から送られてくるので、無下に断るわけにもいかないのだ。丁重にお断りする必要がある。


 魂胆は見え透いている。この図書館のチカラを5大国は虎視眈々と狙っているのである。ありとあらゆる手を尽くして、自陣に引きこもうと画策している。


 とはいえ――。
 お互いに干渉しないこと、という条約は暗黙のうちに生きている。そのために5大国はどこも表だっては手を出して来ない。


 結果。
 間諜を送りつけてきたり、こういう結婚話になるのであった。


「書簡のほうは後回しじゃ。それより、受験生たちの様子はどうなっておるか?」


「御心配なさらず。大魔導師さまの試験は、従来のおのより高難易度です。あの1次試験を通過するためには、それ相応の時間がかかりましょう。これほど早く通過してくる者はおりますまい」
 と、サルヴィアはなぜか得意気な表情でそう言った。


「はぁ」
 と、マツリは、またしてもため息を吐き落とした。


 べつに意地悪で試験をむずかしくしているわけではない。優秀な新人が入ってくれることを期待しているのだ。その期待が、やや過度であることはわかっている。


 それでも――。
(この男は気に食わない)
 と、マツリはサルヴィアの顔を盗み見た。


 赤い髪を真ん中分けにして長く伸ばしている。顔立ちは整っているし、目元には聡明さもはらんでいた。けれど、その紅の瞳の奥には、不純な光が宿されている。上手に隠しているつもりなのだろうが、マツリはちゃんと見抜いていた。見抜いた上で、素知らぬフリをつづけている。


 次期、大魔導師の座をねらっているのだろう。


(野心か?)


 野心を秘めた者は大成する。だからこうして、魔術師のなかでもっとも優秀である者の座を、サルヴィアは勝ち取っているのだ。
 サルヴィアが、次期大魔導師の座を狙うのは、理解できなくもない。


 それだけではない気もする。


 サルヴィアがマツリに向けてくる視線は、どこか粘り気を帯びている。


「サルヴィアも、ヒトマル族の血を引いてたんだったわね」


「はい。しかし大魔導師さまとは違って、オレは混血ですよ。ヒトマル族の血は母親から継いだものです」


「純血だの混血だのという言い方はやめなさい」


「申し訳ありません」
 と、サルヴィアはまた頭を下げた。


 ルーン文字への優れた読解力は、そのヒトマル族の血によるものか……。


 優秀であることに違いはないのだが、マツリはサルヴィアが気にくわない。この男よりも優れた人材が入って来てくれることを願って、試験の難易度を上げているのだった。


 大司書の枠はふたつある。そのうちひとつは空席だ。サルヴィアに匹敵するほどの者がいないのだ。


 サルヴィアより優秀な人材が入ってくれたならば、経験を積ませたのちに、その空席をあてがうつもりだった。
 いずれはサルヴィアよりも、そのもうひとりの大司書を重用しようとかんがえていた。


 しかし。
(期待しすぎたか)
 そう落胆したときだった。


「報告ッ」
 と、司書のひとりが跳びこんできた。


「何事じゃ?」
 と、マツリは口調をあらためた。


「1次試験の通過者が現われました。それも6人も!」


「ほお!」
 と、マツリは思わず歓喜の声をあげた。


 わずか2日目にして、あの1次試験を突破する者が6人もいたことは、前例のないことだった。


「どうやら今年の受験生は、優秀なようじゃな。サルヴィアよ」
 と、マツリはそう笑いを殺しきれずにそう言った。


「はい」
 と、応えるサルヴィアは、どことなく不服そうだった。
しおりを挟む

処理中です...