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予期せぬ出来事
しおりを挟む「浅沼が好きだ」
大学は三流私大だったし、成績もそこそこ止まり。就活も第二志望まで落ちて、辛うじて拾ってくれた今の会社に何とか就職出来た、という有様。
人付き合いは得意だが、彼女も高校以来もうずっといない。合コンに行っても周りの空気を読むのに尽力し過ぎて、結果いつもいい人止まりで終了と、このところ全く以て色恋沙汰から縁遠いクリーンな私生活。
…そんな俺に起きたミラクルが、まさかのコレ?
「や、あの。…俺、男ですよ?」
世の中そりゃ色んな人がいて、好みも人それぞれである。痩せた子が好きな奴もいれば、太った子がタイプだという奴もいる。
かく言う俺も、ぺちゃパイよりは巨乳が好きだ。大きなオッパイに顔を埋めたい。ゆっさゆっさと揺れる様に鼻の下を伸ばし、2つの柔らかな双丘の狭間に男のロマンを感じるタイプだ。
ついでに言えば太っているよりは痩せた子が好きだし、髪もショートよりロングがいい。昼間は大人しく貞淑な子が、夜になると豹変してどエロくなるとかもうサイコー!なのだが、それはあくまで女子限定だ。
「でも、好きだ」
今目の前で頬を染めながらそう迫るこの人は、どっからどう見ても立派な男で、しかも…俺の直属の上司。
「野崎さんっ!?ちょ、ちょっと落ち着いて!」
その上司に突然抱きつかれ押し倒されて、馬乗りになり胸ぐらを掴まれながら告白を受けている。
この状況で怯まない奴がいるなら教えて欲しい。
「好きだ……浅沼っ」
「わっ… ふぐっ!」
噛み付くように口を塞がれ、アルコールの匂いのする舌を差し込まれた。
誰か助けてっ!
俺の貞操が今まさにピンチですっ!
何でこんな事になってるのか。ぬるぬると口の中を動き回る上司の舌から、必死で逃げ回りながら考える。
今夜はこの上司と一緒に、取引先の接待に出かけた。
女好きな先様の担当課長の為にスナック、キャバクラと梯子をし、ようやくお開きになったまでは良かった。
隣で涼しい顔した野崎主任に、さぁ帰りましょうかと声を掛けた途端、主任の身体がガクンと傾げた。しこたま酒を飲まされていたのは知っていたが、受け答えもしっかりしてたし、ケロッとしていたから気付かなかった。相当泥酔していたらしい。
まさか酔い潰れた上司を路上に捨てて行く訳にもいかず、かと言ってこの人の家も知らない。自ずと選択肢はなく、ベロンベロンの上司を担ぎ自宅マンションまで連れ帰った。
マンションとはいうが1DKの狭い我が家だ。大の男が二人で寛げるスペースなど無い。仕方無しにベッドに上司を転がして、シワになるといけないと思いスーツの上着を脱がせ、ネクタイに手をかけた時、酔って起きないと思ってた野崎主任が目を開けた。
「…浅沼?」
「あ、気が付きました? 野崎さん、相当泥酔してたから、俺んち連れ込んじゃいました」
普段キリッとして無駄口など叩かない真面目な上司が、部下に変な気を遣わないようにと、わざとおちゃらけて言った。
「もー、全然顔に出ないから気付きませんでしたよ。疲れてたんじゃないんですか?」
何度か一緒に接待に出たが、こんなに酔っ払う上司を見るのは初めてだった。
このところ忙しくしてたから、疲れのせいで普段より酔が回ったんだろうと、部下として気を遣ったつもりだった。
「…優しいんだな」
「へ? いやいや、そんな事ないっすよー。それより、シワになる前にズボンも脱いじゃいます?」
酔っ払い上司のスーツの上下をハンガーに吊るし、自分も背を向け着替えようと上着を脱いだ。
明日は土曜で会社は休みだし、朝帰ればいいですからね、と告げて振り返ったところで冒頭に戻る。
もうこれ、セクハラ案件じゃねーの!?
いや…部屋に連れ込んだの俺か?
でもだってまさかっ
ワイシャツにパンイチの男の上司に馬乗りでキスをされ、泣いたらいいのか殴ったらいいのか、若干アルコールの残る頭でグルグル考えた。
「…うっ …ぐ」
ようやく口が離れた。
……と思ったら、今度は馬乗り上司の顔色が悪い。
ま さ か……
「ちょ、ちょっと……、野崎さん?」
「…き、きもちわるぃ」
「待って、…待ってっ!! だめだってっ、ちょっと我慢しろよっ」
「む、り …おぇ…」
んぎゃーーーーーーーーっ!!
何なんだよっ!コイツッ!
もーっ!こんな事になるなら捨ててこれば良かった!
吐くもの吐いてスッキリしたのか、野崎主任はそのまま寝落ちした。
俺はといえば、真夜中まで他人のゲロの後始末だ。いったい何の罰ゲームなんだろう。
風呂に入りさっぱりしたところで、汚されたワイシャツと掃除に使ったタオルをゴミ袋に叩き入れる。腹いせに俺のベッドを占領してるキス魔の尻をペシンと一発叩いてやった。
眠くて堪らなかったが、いつまた起き出して馬乗りにされるかわからないから、朝まで台所の隅っこで座ったままじっとしていた。
ぉぃ… …さぬま
んー…
うるさいなぁ… 何だよ
「浅沼っ!」
「はいっ!すんましぇんっ」
ハッと気付くと、目の前に真っ白い顔の上司が俺の顔を覗き込んでた。
「あ、あれ? 野崎主任? おはようございます」
「おはよう。…その、昨夜は迷惑をかけたようだが…」
はたっと昨夜の記憶が蘇ってきた。
「ヒィッ!」
逃げ場のない台所の隅っこで、これでもかというくらい壁に引っ付いて逃れようとした。伸ばされた野崎主任の手が止まる。
「…すまない。その、昨夜の記憶が殆ど無くて。いったい私は、君に何を…」
覚えてない?あの惨劇と惨状を?
回らない頭で考えた。
上司、部下、男、仕事、会社…。
この人は俺の上司で、男で…、でも俺を好きだと襲ってきて、訴えたら絶対俺に勝算はあるが、連れ込んだ非もある。
それに今、とやかく騒げば首にはならずとも、会社に居辛くなるのは目に見えている。
せっかく拾って貰って早3年。ようやく一人前に仕事もこなせる様になったのに、それを失うのは嫌だ。
………うん。
無かった事にしよう!
「や!…何もっ! 何も無かったですっ」
ブンブン首を横に振った。
よく考えたら俺の方がはるかに体格はいい。その気になればこんな細っこい男の一人や二人、跳ね除けようと思えばいつでも出来る。
元柔道部の投げ技を披露してやればいいのだ。
「…本当か?」
「はいっ! それより主任。その格好、寒くないっすか?」
起きてすぐ俺を探したのか、昨夜寝た時と同じくワイシャツにパンイチ姿だった。
「っ!わ、私のスーツはどこだ」
「…? あぁ、部屋に吊るして置きましたけど」
ようやく気づいたのか、パンツを隠す様にシャツの裾を引っ張っている。
よく見ると男のクセに脛毛もない。生白くて細い、形のいい足がシャツから覗いている。
それに…
「主任て、前髪下ろすと随分印象が違うんですね」
なんて言うか…
「…童顔だって言いたいのか?」
「いや、かわいいなぁ、って」
ハッ!
おいおいっ、かわいいは無いだろっ
仮にも上司だぞっ!男だぞっ!
「ばっ、馬鹿言うな!」
「すす、すいませんっ!」
怒鳴られてつい、いつもの癖で謝ったが、よくよく目の前の上司を見ると、頬を染めて眉を下げている。
忙しなく瞬き繰り返し視線を落とすその姿は、どう見ても照れているようにしか見えない。
そーいや俺、昨夜この人に好きだって迫られたんだよな?
あれがこの人の本音だったら…
「…素の野崎さんてかわいんですね」
酔っ払って好きな相手に馬乗りになるなんて、普段どんだけ我慢してるんだ?
そう考えたら何となく、悪い気がしないでもない。むしろちょっとドキドキする。
いやいやいやっ!
何を考えてるんだ俺はっ。
昨夜はあんなに狼狽えてちょっぴり半ベソかいたくせに、変に絆されてどーするんだよっ!
だいたいこの人、普段はすげぇおっかない鬼上司だぞ?打ち込みミスのひとつも見逃さない眼力オバケだぞ?
眉間にシワを寄せ、カチカチ、カチカチとボールペンを鳴らしながら、資料をチェックするあの鋭い眼光に、誰もが怯え震えてるじゃないかっ!
「…浅沼。お前眼科行ってこいっ!」
ですよねっ!
「はいっ!しし、失礼な事を申し上げ、すいませんっした!」
フンッと鼻を鳴らしながら踵を返すその後ろ姿を、恐る恐る見上げた。
生足がやけにエロく見える。シャツの裾が絶妙な丈で、パンツが見えそうで見えない。
それにしてもいい足してんなぁ…。
そういや、男同士って確かケツ使うんだよな?野崎さんもした事あんのかな?
巨乳も好きだけど、綺麗な足はもっと好きだ。頬擦りして舐め回したい。
不埒な想像をしたら、下半身に身に覚えのある感覚が芽生える。
やべ… ちょっと勃っちった。
ここんとこバタンキューだったからなぁ。
好みのマナ足を、目の前にぶら下げられたらそりゃこうなる。馬にニンジンみたいなもんだ。
それが男の上司ってのが問題なだけで性欲に罪は無い。
開き直ると肝が据わる。
まぁ、アチラは覚えて無いって言ってるんだし、俺も無かった事にしたんだから、キレイさっぱり忘れるのが一番だろう。
立ち上がり身体を伸ばす。流石に一晩中座っていたせいかあちこち痛い。
腰を捻ってストレッチをしていたら、件の上司がネクタイまでビシッと締めた姿で現れた。
「あれ、お帰りですか?」
「ああ。世話になった」
スタスタと狭い部屋を突っ切り、玄関に向かって歩いて行く。
後から着いて行き見送る。
昨夜脱がせた靴はきちんと揃えておいた。
野崎さんはそれを暫くジッと見ていた。
「あ、あのぉ… 」
「浅沼。…昨夜、本当に私はその、何もしてないんだな?」
うわぁ… 蒸し返してきたよ…。
「はい。何も無かったですよ? どうしてですか?」
靴から視線を外さなかった野崎さんは、一瞬だけこちらを振り返る素振りをしたが、最後まで俺を見る事は無かった。
「いや。それならいい。また月曜に」
そう言って颯爽と帰って行った。
バタンとドアが閉まった途端、一気に気が抜けヘナヘナとその場にしゃがみ込んだ。
本当は抱き付いて押し倒して来ましたよ。
胸ぐら掴みながら俺を好きだと言ってましたよ。
ベロちゅうかまして、挙げ句ゲロ吐いて寝落ちでした。
なーんて言われたら、あの人どんな顔したのかな?
「あー、もぉ。…疲れた」
やめたやめた。考えるのやーめた。
さぁて、もうひと眠りしますか。
昨夜上司に占領されていたベッドに入る。
枕からいつもはしない甘い香りがした。
寝不足だったのに、なかなか寝付けなくて困った。
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