笑顔満開ハナマルズ!

雨宮ロミ

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第一章:「ビビっと来たんだ!」

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 僕が来たのは「すいか大橋」の下の河川敷。
夕陽がきらきらと川に反射していて、ざあざあと川の音がこだましていた。さっき走っていた僕の荒い息もかき消されてしまうくらいに大きい音。
 きょろきょろと辺りを確認する。人は通っていない。遠くに微かに商店街のざわめきが聞こえる気がしたけれど、気のせい。川の音と、橋の上を通る車の音しか聞こえない。
 ずっと歌を歌うことが怖かった。あの日から、ずっと。
 今も怖さも不安もあるけれど、それよりも、歌いたい、という気持ちの方が大きい。
ここなら、失敗しても、きっと、誰にも何にも言われない。
僕は、すう、と息を吸い込んで、あの歌をもう一度歌った。

「たのしい すいか しょうてんがい
おにくに おさかな わがしに とこや
がっきも いっぱい そろってる
はるでも あきでも ふゆでも すいか
にこにこ えがおの すいかだよ」

 久しぶりに歌を歌った。スピーカーから聞こえてきた声を頭に思い浮かべて、それに重ねて再生するようにして。

「はぁっ……はぁっ……」

たった数フレーズなのに、息が乱れている。
ずっと歌っていなかったから、それだけで身体が消耗している。
毎日のように、何曲も何曲も歌っていた時とは全然違う。

あの日からずっと、歌うことはなかった。歌おう、としても、恐怖と、不安に押しつぶされそうになって、吐きそうになるくらいに。
恐怖も、不安も、全ては消えていない。でも、楽しい、がじわじわと心の中に広がっていく。

 もう一回、歌いたい……!
 
その欲求に任せて、僕はもう一度、喉を震わせて声を出そうとする。

「ビビっとって……! そういうことだったんだ……!」

「っ……!?」

聞こえてきたのは、僕が出した声ではない声。驚いてびくりと大きく身体が震えた。

声の方向に視線を向ける。歌っていたから気がつかなかったけれど、いつの間にか僕の1メートルくらい側に制服姿の男の子が立っていた。ワイシャツ一枚だけだから、学年は分からないけれど、僕と同じ、黒色のズボンを履いているから、すいか高校の生徒。
つり目で、短めの髪の毛。小さい頃に観ていたアニメの主人公のような、活発そうな感じの子。

 その子は、僕が気づくとほぼ同時に、僕の方に駆け寄ってきた。

「ビビっと来たんだ!」
「え……?」 

きらきらした目で僕の方を見る彼。175の僕よりもちょっと背が高い。少しだけ見下ろされる。それが、昔、隣にいたイクのことを想起させて、ぞわと、恐怖と緊張に似た気持ちが走った。目の前の彼は初対面で、イクとは顔も似てないし、全く関係がないのに。

「あ、ご、ごめん! いきなり話し掛けて! オレ、野堀大龍(のぼりたいりゅう)! すいか高校の一年生! よろしくね!」
「あ、あの……、宇都見……、玲、です……。そ、それで……僕に、一体……何の、用……でしょうか……?」

 緊張して、敬語になってしまう。
 彼――野堀くんは最初の印象に違わず元気いっぱいに僕に自己紹介してくれた。僕は、さっきの感覚を抱きながら、彼に対して自己紹介をする。

「宇都見くんっていうんだ! よろしくね! あの!キミの歌にビビッと来たんだ! ほんっとうにすごかったんだ! 君の歌、すっごくかっこよくて、いい声で!」

 まるで、芸能人に会ったようなテンションで僕のことを褒めてくれる野堀くん。僕のことをきらきらとした目で見つめながら勢いよくしゃべる。
 褒められているのはわかる。でも、僕の歌が、彼に聞かれていた。その事実が、僕にとてつもない恐怖感を与える。

「もし、よかったら、オレが入ってるバンドのボーカルをやって欲しいんだ!」

――俺と一緒に、バンドやらないか?

野堀くんの言葉と、出会った日のイクの言葉が頭の中で結びつく。瞬間、ぞわ、と鳥肌が立った。

 そこから、まるで走馬灯のように記憶が流れてくる。
 
 二人でたくさん歌った日々。
 変わってしまったイク。
 失敗しちゃいけない。
 体育館のステージの、ぎらぎらとしたスポットライト。
 マイクのハウリング音。
戸惑いでざわつく会場。
イクの強い言葉と、にらみ付けるような、それでいて悲しそうな瞳。

大勢の前でもない。スポットライトも何もない。イクだって、いない。

でも、あの日の記憶が脳内を埋め尽くす。
僕のせいで、ライブが失敗した。あの日の感情が生々しく身体に走る。

「っ……ぐ、」

胃の中身がせり上がって来るような感覚を覚えて、思わず口を押さえてしまった。

「だ、大丈夫?」
「っ……」

 荒くなる呼吸をなんとかしてしずめる。
 ここはすいか町の河川敷。学校じゃない。目の前の彼は野堀大龍くん。イクじゃない。
違う。大丈夫。怖くない。

 頭の中で必死に言い聞かせて、なんとか平静を取り戻す。

 ゆっくりと深呼吸をして、態勢を整える。バンドのボーカル、なんて、無理に決まっている。さっきまで楽しさいっぱいだった身体が、恐怖で震えている。

「ごめんなさい……無理……」
「え?」
「僕には、ボーカルなんて、無理……! 下手だから、失敗するから、ボーカルなんて、できない……!」

 僕は逃げるようにして、無我夢中で家までの道のりを走った。息が苦しい。それが、恐怖から来るのか、全速力で走っているからなのか、別な理由なのか、分からなかった。
 さっきの、楽しいって感情は、あの日の失敗の記憶と恐怖に覆い尽くされてしまっていた。
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