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第三話 明日に懸けた作戦

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 百武の部屋に異星人が侵入したその日の夜、安堂會事務所のソファに二人の異星人が深く腰を下ろしていた。人型のカラスのような姿をした大男は、「しかしまあ、マトリとかいう捜査機関に気づかず薬物を渡しちまったのは明確なポカだよなあ。ヤクザってのはこの星の犯罪のプロだと聞いていたんだが、買いかぶりだったか?」と煙草を吹かしながら言う。
 組長とその舎弟と思われる数人の構成員が「すんませんでした」と頭を下げるのを見ながら、「ぜっかく安堂會を嗅ぎまわる連中を何人か殺してやったってのに、とんだ無駄骨になったじゃねえか」と吐き捨てた。
 それに対して「あなたも随分と短絡的なことをしたと思いますがねえ、ディストルダ」と横から口を出したのは黒い体とバネのように伸びた首が特徴的な異星人だった。
 「いくら自殺にしか見えないとはいえ、同じ部署の捜査官が立て続けに死んだとあっては怪しまれても仕方ないと思いますよ」とむき出しの歯茎から声を漏らすと、《ディストルダ》と呼ばれた男は《黙れ》と言わんばかりに睨みつけた。
 「──とにかく、こうなった以上どうにか捜査から逃れる必要がある。ブラセバンは始末したが、聯合に入れ知恵された地球人に嗅ぎ回られるのは鬱陶しいことこの上ない」
 「そもそも、聯合に出向する地球人に接触するなどワタシにはタダのリスクとしか思えないと最初に申し上げたはずですよ。これでは向こうに異星人ワタシたちが関わっていることを伝えただけとしか言いようがありません」
 「あの馬鹿が取っ捕まってさえなけりゃあ今頃ブラセバンはあの地球人を連れ帰ってきてたはずなんだ」
 「仮にあの百武琉信という男をこちら側に引き入れたところで聯合がそんなことに気づかないとは思えませんがねえ。──まあ過ぎたことをいつまでも言っても仕方がありません。とりあえず今やるべきことは向こうの出方を伺うこと、もしくは──」とぎょろりとした一つ目を構成員たちに向けてから「あなた方を全員トカゲの尻尾にしてしまうこと、ですかね」と言い放つ。
 その言葉を聞いて固まる男たちから目を背けてから続けた。「冗談ですよ、今のところは。ワタシたちも異星人に協力的な組織を簡単に見つけ出せる訳ではありませんのでね。できるならば今の関係を長く続けていきたいのです」
 ディストルダは安堂會の構成員たちを指差しながら言う。「とにかく、警察の動きが活発になってきたらすぐに教えろ。VICTはこの星の捜査活動に口は出せないはずだが、百武って野郎は元々警察庁組対部の人間だ。自分から出張ってくることはないだろうが、そいつを通じて警察を動かす可能性はあるからな」
 「ええ。そして何よりも優先すべきはあなた方が捕まらないことですね。もし下手を打てば命の保証はできませんので、くれぐれもお気を付けください」
 その言葉を最後に、二人の異星人はソファから立ち上がると、煙のように消えた。
 
 翌日の午後二時三十八分、安堂會事務所のインターホンが鳴った。一人の構成員がモニターを覗き込むと、そこには皺ひとつないスーツに身を包んだ長身の男が経っていた。明らかに同業者ではないその来客者に「どなた?」とスピーカーから声を掛けると、《こういう者です》と言いながらカメラに警察手帳を近づけてきた。
 そこに記されていた名前が目に入った瞬間、戦慄が走った。昨日異星人の話の中で出た《百武琉信》とあったのだ。
 《少しお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?》
 「今・・・・・・ですか?」
 その声が明らかに動揺した人間のそれであることを百武は瞬時に感じ取っていた。
 その時、「おい、どうした」と奥から組長の横峯が玄関に向かってきた。
 「百武です」スピーカーに声が入らないよう囁くように言うと、「百武」と目を見開いた。
 その間にも《あの、どうしました?》と来客者がしらっと呼びかけてくるのを聞きながら、「入れろ。追い返したら逆に怪しまれる」と横峯は指示する。
 「いいんですか」と困惑する部下に「早くしろ」とだけ言って横峯は再び奥へ戻っていった。

  玄関の扉が開き、中に入っていく百武の姿を離れた所から黒いミニバンの中で伺っているのが同じVICT捜査員のレクセルとベネットであった。
 「百武さん、大丈夫ですかね」窓の外を見ながらベネットが言う。
 「まあ安堂會とやらも早まった真似するとは思えねえが、あの人も随分な無茶をするもんだ。一応分析官ってことになってるはずなんだが」
 「せめて中の様子だけでも分かればいいんですけどね・・・・・・」
 百武が今こうして敵陣に乗り込んでいる目的は二つあった。その一つが安堂會と異星人の関係をはっきりとさせることである。来訪者犯罪捜査班、すなわちVICTは地球で犯罪を行う異星人を取り締まる捜査部隊であり、その活動内において非常に強い権限を有している。しかしその一方で異星人との関与が見られない事件については一切の職権を持たず、それを裏付ける根拠がなければその星の現星人類を調査することが禁じられているのだ。
 そして、現時点ではその異星人との関係を裏付ける証拠がなかった。五人の捜査員の死も単なる偶然と片づけることは十分に可能であったし、地球外の物質が検出されたという薬物も、来訪者によってもたらされた麻薬が多く流通している現在の地球においては異星人との直接的な関わりがあるかどうかは客観的には《疑わしい》という言葉で留まるのみであった。さらに、唯一の希望であると思われていた二人の異星人も取り調べの最中または直前に死亡したことで、その手がかりをほとんど失ってしまっていた。
 しかし、異星人と現星人が協力しての犯罪行為を捜査するため、疑惑を確信に近づけるための手段も用意されていた。それこそがこの星で言うところの出向である。これならばあくまで《現星人》として他の現星人に接触することができ、その手段が適法でさえあれば、そこで得た情報を証拠として用いることが可能となるのである。百武がこのような大胆な行動に出たのもそのためであり、自分の身元を明かした際の相手の反応はグレーを黒に限りなく近づけるには十分だった。
 「そういえば、昨日捕らえたブラセバンが持っていた封筒、その中に《心聴阻害機》が入ってました。恐らくこれを百武さんに付けさせて諜報活動を行わせるつもりだったんでしょうね」
 「・・・・・・ってことはやっぱりただのチンピラ共の仕業じゃねえってことだな」
 「はい。心聴阻害機なんて一般人が簡単に手に入れられるようなものじゃないですし、それを用意したということはVICTにネゴシスがいるということも知られているということになります」
 「そう考えると、奴が百武さんのことを知っていたことにも合点がいく。ハレーさんの話では、今回の出向の件を知っていたのは聯合の関係者と警察庁の幹部数人だけだ。それに、ハッキングによる情報漏洩を防ぐために口頭や文書でのやりとりを徹底したらしい」
 「ということは、あまり考えたくはありませんが・・・・・・」
 レクセルは「ああ」と答えてから、呟くように言った。「聯合か警察の中に、連中に通じている奴がいるかもしれねえってことだ」

 「それで、お聞きしたいこととは?」横峯は眼鏡越しに目の前の男の顔を、その意図を探るように注視した。百武の座るソファの後ろには、血の気の多い若い構成員たちがその来客者の背中を睨みつけていた。
 百武はその敵意を意に介さず、背広の内ポケットから一枚の写真を取り出す。そこには一人のどう見ても堅気ではない若い男が写っていた。「この男に見覚えは?」
 「いいや、ありませんね。誰なんです?」
 「二日前に何者かに襲撃されたと思われる浅田組の構成員です。本人は階段から転んだだけだと主張しているようですが」
 この傷害事件は安堂會と接触する理由のために予め調べておいたものだった。
 「おたくはうちがこの男に暴行を加えたと思っているのですか?」
 「いえ、今のところ犯人に目星はついていません。なので浅田組に因縁のある組を中心に調べているんです」
 「残念ですがお力になれそうにはありませんね。確かに浅田組とは前にちょっと揉めましたが、今更どうこうしようとなんて思ってませんよ。というか本人が転んだだけと言ってるなら調べる必要もないのでは?」
 「傷害は親告罪ではありませんので」
 「とはいえヤクザの喧嘩一つ調べるのに一人でこんな所来るなんて、組対部ってのはそんなに暇なんですか」
 百武はその言葉を聞いてから数刻黙り込むと、「失礼ですが、以前にどこかでお会いしたことがあったでしょうか」と口にした。
 「は?」
 「私、組対部の人間だと名乗ったでしょうか。傷害事件ならば刑事部の人間だという可能性もあると思いますが」
 「いやしかし、こんな所に来る警察関係者なんて自ずと限られていますのでね」口を滑らせたことに気づいた横峯は内心焦りながらも何とか平静を装っていた。
 「だから組対部の人間だと断定した、ということですか?」
 「別に断定したつもりはありませんが」
 「そうですか、それは失礼しました」
 横峯は目の前の男の危険性をひしひしと感じていた。本来捜査とは無縁のキャリアという立場であるにも関わらずヤクザの事務所に単独で乗り込む胆力、言動から漏れ出た綻びを全て記憶しようとしているような鋭い視線、そして真の目的を形だけ隠して近づいてくるその白々しさが混在した百武琉信と言う男は、現在自分たちの生殺与奪を握っている異星人たちとはまた異質であり、恐怖心を現在進行形で煽っていた。
 「ここの関係者は今いる方で全てですか?」
 「いえ、出払っているのもいますが」
 「いつ頃戻ってくるかお分かりになりますか?」
 「なぜそんなことを教えなければいけないんです」
 「一応その方たちにも事件の心当たりが無いかを確認する必要がありまして。──それとも、何か都合の悪いことでも?」
 「逆にお聞きしますが、かわいい部下が疑われていい気分になる人間がいると思ってるんですか?」
 「本当に部下の事を思うのなら、協力して疑いを晴らすというのが賢い選択だと思いますが」
 「何をお調べになってるのかは分かりませんがね、長生きしたければ裏社会このせかいの事なんてあまり詮索しないことをお勧めしますよ」横峯のその言葉は最早虚勢と言ってよかった。
 「それは脅迫と受け取ってよろしいですか?」
 「いえ、ただの忠告ですよ」
 「ならば私からも忠告を。──このままでは長生きできないのは他でもないあなた方だと思います」
 その言葉に横峯が一瞬固まったのを百武は見逃さなかった。「どういう意味ですか」
 「それはご自身が一番よくお分かりだと思いますが」と言ってから「では、そろそろ帰ります。ご協力ありがとうございました」と百武は立ち上がった。
 「また伺うかもしれません」とだけ言い残してその場を後にする百武の背中を横峯は呆然と見つめることしか出来なかった。

 「それにしても百武さん、あなたは分析官なんですからあんまり危険な真似はしないでくださいよ」自身が運転する車の中でレクセルは言う。
 それに対する「以後、気をつけます」という百武の返答を聞いてから助手席に座るベネットの方をちらっと見ると、こちらを見ながら苦笑いをしていた。つまり、《そう思っていない》ということなのだろう。
 「まあ現星人の方に体張ってもらわなきゃまともな捜査一つできない聯合こっちの体制に問題があることは百も承知なんですがね」と自虐とも上層部への嫌味とも取れる言葉を吐いてから「それで、向こうが乗ってくる確率はどれくらいなんですか」と本題に入った。
 「暴力団に自首とほぼ同義の行動をさせるなど本来ならば期待できるわけもないですが、彼ら自身命の危機を感じている可能性は高いので、望み薄ではないかと」
 「なんにせよ、明日を待つしかないですね・・・・・・」と今度はベネットが口を開いた。
 「ええ」と百武は頷く。「これが突破口になることを願ってます」
 
 その頃横峯は百武が浅野組のチンピラだという男の写真を置き忘れているのを発見していた。何気なくそれを手に取ってみると、裏面に何か書いてあることに気が付き、それを読んで目を丸くした。
 《明日また伺います。全てを話す覚悟がある時のみ中に入れてください。我々はあなた方を助けることができます。 百武》
 ──百武の第二の目的、それは他でもないこのメッセージを伝えることであった。




登場異星人 ※《》内は種族名
①ディストルダ《ブラメッド》
五人の捜査員を自殺に見せかけて殺害した張本人。人型のカラスのような見た目をしている。
安堂會に地球外の薬物を売らせている。
②ズンジー《ヒドゥーラ》
ディストルダの仲間。長い首と赤く光る一つ目が特徴的。
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