ターニング・ポイント

眠兎

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岐路

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中学時代の木下晴彦は、幼少期からの小児喘息から、どうやら解放
されたせいもあって、ようやく快活な様子を示すようになっていた。
上背はなく、まだまだ少年の痩せっぽちで、色白な美少年でも
あったので、不良グループからは、女子にモテるという妬みから、
いつもイジメのようなものを受けており。屈辱ながら、舎弟という
立場にされてしまったこともあった。

晴彦の両親は、これはなかなかに善良の皮を被ったネグレストたちで、
子供などは食事を与えて放置していれば勝手に育つという、能天気な
教育方針のもとに、自由という名の放任を続けた。よって晴彦には、
学習という本来性質的に興味を持つであろう必然性について、何の
素養も、希望的観測も与える者がなく、油断してるうちに学力が追い
つかなくなって、いつしか落ちぶれてしまった。特に数字などは、
基礎的理屈の積み重ねで構築していくような科目であり、一旦分から
なくなると、どうにも何が分からないのかも分からなくなるという
悪循環で、そのうち自他共に認める、
非理数系に配列されてしまった。

晴彦は夢を見ているとわかっていた。
青白く薄暗い時間に、近くの大きな川と田園を隔てる堤防を
兼ねた小道で、必死に雑木林の隅に向かって何かを足蹴にしていた。
それが人間の死体であることは明らかだった。
早く隠して隠蔽しなければ、この世界の法律によって、自分が罪人に
されてしまう。身勝手な焦燥感のままに、足掻くように
死体を小川の方に蹴転がそうとしていた。

晴彦の中学校は体育館と校舎に四方を囲まれた中庭に、小ぢんまり
とした溜池まであって、まるで少年少女の性的衝動を閉じ込め
ているかのような佇まいだった。四角く切り取られた
空間にわだかまったリビドーが、空に向かってのみ放出される。
校舎の一番後ろは工作室や美術室が同居した木造の老朽化した
建物で、これがまだ中学の歴史と威風を讃えていた。

晴彦の性善説的精神が、完全に性悪質に入れ替わったのは、
ある事件を境にしてのことだった。それまでは晴彦は、粗暴な
同級生や先輩たち、不良グループに絡まれたとしても、せいぜい
想像力の中で、音速の大蛇のように相手の体に巻き付いて、当時
流行っていたプロレス技の、コブラツイストで内臓を絞り出してやる
という、漫画でもありえない妄想で、どうにか勘弁してやっていた。

その日晴彦は、不良グループ2人に呼び出されて、中学校校舎の
全階にあるトイレに、両脇を固められるような形で連れ込まれた。
そしてそこにいた10人以上の不良から、3、4発ずつ全力で殴られ続け、
口の中が切れて出血した。当時もう老人だった町医者の外科で
縫合してもらい、帰宅するまでほとんど何も覚えていなかった。
ただ漠然とわきあがる感情に武者震いのような随喜を感じていた。

人間には一切の愛など要らないんだ。要するにこれは動物の食物連鎖と
何も違うところがなくて、つまり障害となる輩は排除して
いかなければ、こちらが滅ぼされる。簡単な理屈なのだ、奴らは
捕食者のつもりなのだが、ただ法的に人道的というまやかしの
上に、相手が反旗を翻すことを想定していない。つまりただの
下等生物なのだ。

あるいつかの日、田んぼの真ん中に寝そべって、恐ろしく早く流れて
いく雲と、広大な水色の宇宙に魅了されて、それでも人類の平和を
願っていた、あの無知で純粋な気持ちが、いつか隣人と手を繋いで、
虹の架け橋を渡っていけると信じていた幻想が、ことごとく滝に
打たれたみたいに崩れ去っていく瞬間だった。
そう結論に辿り着いて、疲れた微睡に落ちていった。
次の週の月曜日、部活の卓球に出ていた晴彦は、体育館の裏手に
ある、地下水の水道のあたりから、女子たちの悲鳴を聞いた。
体育館にいた全員が、何事かと外に出て、水道場に向かうと、
不良グループの1人の川田淳太が仰向けに倒れていた。すでに
絶命してるのは明らかだった。彼の缶コーヒーとタバコ臭い口の
すぐ下の喉元が切られていて、おびただしいドス黒いものが、地面
一体に塗装されていた。
間も無く教師たちが手配した警察が、パトカーの喧騒と共に
やってきて、事件現場を包囲して回ったが、体育館で1人になった
晴彦は、無心の表情で、ラケットを素振りしていた。

季節は春の日の、桜の花びらが舞い落ちる、
素敵な好日の中で起こった。
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