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第2章
ひとりで生きるということ
しおりを挟む「はぁぁぁ……」
ナイトレイ侯爵領からの帰り道、馬車の中でアイシャは深いため息をこぼす。
キースと過ごした一週間、彼に対する見方は大きく変わった。あんなにストレートに言葉をぶつけてくる人だとは、思ってもみなかった。
遠駆けへ出掛けてから今日まで、キースはアイシャに対して、『好きだ』『愛している』と数えきれない程の求愛の言葉を言い続けた。そのしつこさと言ったら、壊れたおしゃべりロボットかと思うほどだった。男性からの愛の告白なんて、前世でも今世でも経験が全くないアイシャには、ハードルが高過ぎる。
あいさつ代わりに毎日毎日、愛の言葉を言われ続ければ、嫌でもキースのことを意識してしまう。
朝食の席では、髪型が可愛いだの、洋服が素敵だの、毎日のようにほめられる。しかも、ぴったりとアイシャの隣に座ったキースに、朝食を取り分けてもらったりと、甲斐甲斐しくも、世話をされる。
邸内にある庭園を散歩すれば、さらっと合流したキースにエスコートされる。もちろん腰を抱かれながらだ。しかも、散歩の時に目に留めた花々を集めた花束を渡されたりと、女性が喜ぶポイントを、見事におさえたアプローチを展開される。
『アイシャの美しさには負けますが、この花束が貴方の癒しになりますように』
こんな手紙が添えられた花束を受け取って嬉しくない女性はいない。毎日の好き好き攻撃は、徐々にアイシャの意識を変えていった。
(キースって……、肉食系男子だったのね。恋愛初心者の私には対処しきれないわよ)
昨日も、書庫で本を読んでいたアイシャの隣に座ったキースに、あれよあれよと言う間に、膝の上へと抱かれていた。どうしたら、あんな状況になってしまうのか意味不明だ。
(私、チョロ過ぎるわよね)
キースとの濃すぎる一週間を終え、疲労困憊のアイシャを乗せた馬車はゆっくりと進む。
この一週間で、キースに対する気持ちに変化があったのかと言うと、よくわからない。苦手意識はなくなったと思う。しかし、彼と同じ熱量で好きかと問われるとそうでもない。アプローチにドキドキしていたのは慣れていないからだと思う。ただ、キースとの一週間を振り返ると心の奥底が疼くような気もする。それが何かと問われるとわからない。
去り際に言われた言葉が頭の中を巡る。
『俺との結婚を真剣に考えて欲しい。返事は急がないが、これだけは忘れないでくれ。俺は誰よりもアイシャを愛している』
私はいったいどうしたらいいのよ。
これから一緒に過ごさねばならないノア王太子とリアムの事を考えると憂鬱でしかない。
(本当、恋愛初心者の私にはきっついわぁぁぁぁぁ)
悶々と考え込むアイシャを乗せた馬車は順調に進み、数刻後にはリンベル伯爵家の門扉に到着していた。
♢
「お母さま、ただいま戻りました」
エントランスにてアイシャを出迎た母と共に、私室へと向かう。
「お、お母さま、これはいったい?」
アイシャは扉を開けるなり、目に飛び込んできた部屋いっぱいに飾られた花々を見て言葉を失う。
「今朝方、ナイトレイ侯爵家のキース様から届いたお花よ。手紙も預かっているわ」
母から受け取った手紙を開け、そこに書かれていたメッセージを読んだアイシャは、キースの抜かりなさに感心していた。
『貴方が気に入った花々を摘み花束にしました。これを見て少しでも俺のことを思い出してくれたら嬉しい』
「あら! アイシャはキース様から大層愛されているのね。キース様とは順調に進んだのかしら?」
「進んだというか、疲労困憊です。お母さま、わたくし、キース様からあんなに求められる理由が分かりません」
「ナイトレイ侯爵領で何があったかは聞きません。ですが、貴方も社交界デビューを果たした令嬢です。男女の駆け引きも学ばなければならないでしょう」
「男女の駆け引きと言いますが、私には気が重いです。今回の訪問で痛感しました。どうしても、誰かと結婚しなければならないのでしょうか?」
「そうね……、アイシャが戸惑う気持ちもわかります。わたくしもルイに出会うまでは男なんて皆同じだと思っていましたしね。公爵家という旨味を求めるハイエナか下半身のゆるいケダモノばかりだと。当時は、結婚なんて真っ平ごめんだと思っていましたわ」
「では、お母さまも結婚反対派だったのですね」
「う~ん、それも違うわね。簡単に言うと公爵令嬢としての私ではなく、ただのルイーザとして見てくれる男性が周りにいなかったと言った方がいいかしら」
双子の姉は王族へと嫁ぎ、エイデン王国に一つしかない公爵家の令嬢だった母にくる縁談は、公爵家や王族との繋がりを欲する貴族家からのものばかりだったろう。旨味ばかりを求めて、母を一人の女性として欲してくれる男性などいなかったに違いない。
そんな中、結婚に希望を持てなかった母の心を変えたのが父だった。
「お母さまは、どうしてお父さまと結婚しようと思えたのですか? お父さまだけが、お母さまを一人の女性として見てくれたからですか?」
「それも、あるわね。ただのルイーザとして接してくれたのは彼だけだった。でもね、それだけじゃないわ。あの人ね、私に全く興味がなかったの。王城の図書室で初めて出会った時も、すごく迷惑そうな顔をされたわ。私のこと嫌だったんじゃないかしら」
うそでしょ!? 今でも、あんなにラブラブなのに。
クスクスと笑いながら、楽しそうに父との馴れ初めを語る母の話は、驚きの連続だった。
当時、まだまだ一執務官だった父ルイは、お世辞にも要領が良いタイプではなかったそうだ。簡単に言うと出世には全く興味がない学者肌、上司に媚びへつらうこともせず、執務官の中では変わり者扱いだった。そんな父にとって、公爵家の令嬢と親しくなるなど、面倒なだけ。初め父は、母から逃げてばかりだったと言う。
そんな二人の関係が大きく変わる出来事が起こった。
婚約を断った高位貴族の息子と、その取り巻き集団に母が、悪様に貶されている場面に、父が居合わせた事があったそうだ。婚約を断ったことに対する腹いせか、その子息は社交の場で、あること、ないこと母の悪口を言いふらしていた。当時、変わり者令嬢と陰で揶揄されることもあった母の立場は、ますます悪くなり、精神的にも追いつめられていた。そんな母を助けたのが、父だったとか。
「あの人、自分より高位の貴族に向かって、説教したのよ。信じられる? その姿に惚れちゃったのよね。それにね、私の生き方を認めてくれた。結婚が全てじゃないって、女性だからって嫌な相手に嫁ぐ必要はないってね」
そう言って幸せそうに笑う母を見て、アイシャの心の中は荒れ狂う。
母が恋愛結婚できたのは、娘のわがままを実現できるだけの地位も権力も財力もある父を持つ公爵家の令嬢だったからだ。わがままが許される立場だった母と、ただの伯爵令嬢であるアイシャとでは、立っている土俵がそもそも違う。
「お母さまは、お父さまと言う理解者を得て、恋愛結婚をされました。でも、それは貴族社会では珍しいことではありませんか?」
「確かにね。私は、恵まれていたと思うわ。政略結婚が当たり前の貴族社会で、わがままを言えたのは私が公爵令嬢だったからだわ」
高位貴族であれば可能でも、下位貴族では不可能なこともある。高位貴族から婚約を打診されてしまえば、それを断るのは至難の技。嫌な相手であろうと嫁がねばならないのが貴族社会というものだ。
「貴族の結婚は柵ばかりです。そして、妻は夫に従い貞淑である事を求められるのが貴族社会の結婚です。自由がない結婚なんて不幸なだけですわ」
「アイシャ、貴方が言いたい事もよく分かります。しかし、貴方が考える程、結婚は不幸なものではないわ。たとえ、政略結婚でも愛を育むことは出来るのではありませんか?」
「恋愛結婚をしたお母さまには、わかりませんわ」
「確かに私は、愛した方と結婚できました。しかし、貴方の父、ルイはどうだったのでしょうか? 公爵家から娘と結婚しろと圧力をかけられたルイにとって、私との婚約は政略結婚そのものだったでしょう」
母の言葉にハッとする。
父にとって母との結婚は、公爵家からの圧力のもと行われた政略的なもの。結婚当初、父が母と同じ熱量で、母のことを愛していたとは限らない。しかし、今の二人はどうだろうか。誰が見てもラブラブな二人だ。
(結婚してから育む愛もあるのか……)
「アイシャ、夫となる人に貴方のことを理解してもらう事はとても重要です。なぜ貴方は結婚を嫌がるのですか? その理由を相手に話し、理解してもらえるのであれば、アイシャの言うところの窮屈な結婚生活にはならないのではないかしら。年をとってからの一人は辛いわ。愛する家族に囲まれて過ごす余生は、かけがえのないものよ。貴方に求婚している殿方は、アイシャのことを理解しようとしない心の狭い方達なのかしら」
母の言う言葉は正しい。
確かに女一人で生きて行くには並大抵の努力では無理だ。手に職をつける事が出来たとしても、年老いてから一人で過ごす余生は、想像するだけで寂しい。前世のように老人ホームがあるわけでもなく、誰にも看取られず、死にゆくのは悲し過ぎる。前世の最期が、どんなものだったかは分からない。しかし、悲しんでくれる家族はいた。
母に言われるまで気づかなかった。
一人で生きて行くのは、想像だにしない悲しみと、隣り合わせだと言うことを。
「少なくとも貴方に求婚している三人は、アイシャ自身を見てくださる殿方ではないかしら。誰と結ばれるかは自ずとわかるものよ。私の時みたいに、必ず心が訴えてくるから。アイシャには、婚約者を早く選ばないと社交界で悪評が広まると脅しましたが、焦らずゆっくり考えてみなさい。私達家族は、貴方が幸せになる結婚を望んでいるのだから」
出来れば愛する家族と幸せな人生をかぁ。あの三人は、私の譲れない趣味を知っても好きでいてくれるのだろうか……
母からの言葉が、アイシャの頭の中でクルクルと回る。
『誰と結ばれるかは自ずとわかるもの。心が訴えてくるから』と。
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