となりの天狗様

真鳥カノ

文字の大きさ
上 下
24 / 99
弐章 比良山の若天狗

しおりを挟む
 太郎お手製のお弁当は完成してしまった。
 12時頃、藍たちの午前最後の授業が終わる少し前。今から出発すれば、ちょうど昼休みに入った頃に、藍の手元に届けられるという算段だ。
 確か詰めていたのは弁当箱一つだったはずなのだが、渡されたのは何段か積み重なった包みだった。いつの間に増えたのか、首をかしげながら、治朗は学校までの道のりを歩いていた。これほどの重さ、治朗にとっては何の苦もない。これを藍に渡すことについては、気が重いが。
 おそらく持って行っただけで嫌な顔をするだろう。それに怒らずにいる自信がない。渡して蓋を開けたら、また嫌な顔をするだろう。それにも怒らずにいる自信がない。さらに口をつけるといったいどんな文句を言い出すか知れない。絶対に怒らずにいられる自信など、全くない。
「……よし。渡すだけ渡して、あとはさっさと離れよう」
 治朗は、藍への接触を最低限に留めることに決めた。決めたら、行動は早い。
 神通力・神足通を用いて、瞬時に学校まで移動した。昨日は太郎の気を探って保健室まで直行したが、今日は藍の気を探った。人間とは思えないほど強い気を秘めているので、すぐにわかった。
 日中は教室に集まって勉強していると聞いていたが、今はどうも外にいるらしい。見つからないように敷地内を歩いていると、何やら賑やかな声が聞こえてきた。昨日も校内で見かけたような年頃の生徒たちが、開けた場所に集まって体を動かしている。
(そうか、人間の子供にも鍛錬の時間があったか)
 体育と呼ばれる授業のことを、治朗は知らなかった。だが、まだ講義中であることはわかったらしく、治朗は身を潜めて様子を伺った。
 集まっている生徒たちの中には藍の姿もある。解散して一人になったところで近づけばいい。
 そう思い、しばらく様子を見ていたが、治朗にとっては何とも奇妙な時間が過ぎていった。動く者がいたり動かない者がいたり、一人年長者がいるようだが特に何か指導するでもない。ただ、生徒たちが並んで順番に走っているだけだった。
(学校とは、俺たち天狗でいう修業機関だと聞いていたが、今のこれはいったい何をしているのか……)
 単純に短距離走の授業なのだが、当然そんなことは全く知らない治朗だった。ただ、藍の順番が回って来たことだけは、わかった。
 知っている顔が開始位置についたからか、治朗はほんのわずかに身を乗り出した。太郎に気に入られた藍と言う人間が、いったいどれほどのものか、気になっていたのだ。
 パン、と乾いた音が響くと同時に藍は駆けだした。素早く上体を起こし、ぐんぐん進んでいく。1秒と経たずに、並走していたクラスメイトをぐんと引き離してしまった。
 その走り姿に、治朗は釘付けになった。
 呼吸、腕の振り方、足運び、それらを支える筋肉、どれも他の生徒たちからは群を抜いていた。
(これは……人間にしてはなかなか、いやかなり……)
 治朗は気付けば感心してしまっていた。あの”生意気な小娘”とばかり思っていた藍が、まさかこれほど鍛えていたとは想像もしていなかったのだ。
 風を切り、ただまっすぐに前に向かって走る姿は、美しいとさえ思っていた。
(な、何を馬鹿な……!)
 治朗は慌てて可笑しな発想を振り払った。
 だが同時に、気付いた。視界の端に奇妙なモノが見えたのだ。
 その奇妙なモノは真っ黒な靄のようなもので、他の者には見えていないようだ。そして藍の進行方向、直線状にいる。
「マズい……!」
しおりを挟む

処理中です...