となりの天狗様

真鳥カノ

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弐章 比良山の若天狗

十四

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 放課後、藍はいつもの道を、いつもの通りに歩いていた。バス通りを抜け、商店街を抜け、住宅街に差し掛かり、人通りが極端に少なくなると、いつも通りではなくなった。
ーー……おい
 いつもは聞こえない声が、すぐそばから聞こえてくる。すぐ傍と言うよりも、頭の中に直接、語りかけていた。
ーーおい、聞こえているだろう。おい!
 もちろん聞こえていたが、藍は聞こえない風を装って、歩き続けた。声は、次第に苛立ちを隠さなくなっていった。
「返事をしないか! 生意気な女め!」
 しびれを切らした声の主は、行く手を遮るように、藍の目の前に突然現れた。せっかく他の人には聞こえないように神通力で話しかけていたというのに、台無しだ。
 一方の藍は、少しも怯む様子を見せず、道をふさがれて眉をひそめていただけだった。
「どいてくれます?」
「何を言っている。こっちはお前の家に向かう道ではないだろう。何の理由で寄り道をしている」
 そんなことを話す必要はない、と言ってしまいたかったが、そうもいかない。治朗はしぶしぶとはいえ藍の護衛のためにこうして一日の時間を費やしてくれている。その相手を無言で振り回すことは気が引けたのだった。
「……神社にお参りです」
 藍は進行方向を指差した。住宅街の奥、路地の向こうにかすかに鳥居が見えた。
「確かに、そのようなものは見えるが……何のために?」
「……病気平癒、商売繁盛、学業成就、あとそれから……」
「あの神社からはそんな力は感じないぞ。どれだけ欲深いんだ」
「悪かったですね。じゃあ幸運をお願いするだけでいいです」
「幸運? 必要なのか?」
「ええ、必要です。とても」
 治朗は首をかしげている。自分のことを言っているとは、理解できないだろうと藍もわかっていた。
「いいですよ、ついて来なくて。先に帰っててください」
「馬鹿を言え。俺は兄者からお前の身を守るように言われているんだぞ」
「あの神社は小さい頃から何回も一人で行ってたから大丈夫です」
「そういう油断が身を滅ぼすんだぞ」
「だから……危ない目に遭ったことなんて一回も……」
 そこまで言いかけた瞬間、別の声にかき消された。
「うわあぁぁぁ!!」
 声の主は一人じゃなかった。3人ほどの、藍と同じ年頃の男の子たちが悲鳴をあげながら這う這うの体で神社から走って来る。
「あ、同じクラスの人だ」
「なに?」
 ちらりと振り返るなり、治朗は走って来た男の子の腕を掴んで引き留めた。一人だけ逃げ遅れた男の子は、涙目で治朗をねめつけた。
「何すんだよ、放せよ!」
「神社から走って来たな。あのような態度をとっては、いくら何でもあそこにおわすご祭神に無礼だろうが」
「は? 知らねーし」
 不遜な態度にぴくりと眉をしかめた治朗が、掴んだ腕にぎゅっと力を込めた。
「痛い痛い痛い! やめてくれ、折れる!」
「ならば謝罪しろ。そして何があったか説明しろ」
 男の子は泣きながら謝罪の言葉を叫び、ようやく解放された。ほんの少し掴んだだけで、あんな悲鳴をあげるとは、男の子の鍛え方が足りないのか、治朗が剛力なのか……後者なんだろうなと、藍はため息をついた。
 男の子は、涙目で腕をさすりながら話し始めた。
「別に俺らは何もしてねーよ。あの神社、あんまり人来ないから時々集まってだべってんだ」
 藍が行こうとしていた神社は敷地も狭く、社務所もない無人の神社だった。住宅地の中にあるとはいえ、参拝者は少なく、子供が秘密基地を作っていることもあった。まさかこんな大きな子供まで遊び場にしているとは、藍は思っていなかったが。
「話し込んでいるだけか? 何かよからぬ企みでもあるんじゃないのか?」
「しねーよ、そんなこと! ただ愚痴とかテレビの話とか適当に話してただけだよ。そしたら……」
「そうしたら?」
 男の子は、生唾を飲み込んで、治朗を見上げた。
「聞こえたんだよ……めちゃくちゃ大きな笑い声が」
 幽霊を見たような顔で、男の子はそう言った。だが藍は首をかしげていた。笑い声だけで、こんなに怯えるだろうか。
「笑い声か……」
「自分たちの声……じゃないよね?」
「俺たちがびっくりして話すのを止めた後もずーっと笑ってんだ。おかしいだろ」
「つまり、どこからかひとりでに笑い声がするということか」
「そうだよ、それにもっと変なのは……」
「へ、変なのは?」
 思わず治朗ではなく、藍が身を乗り出した。そのためか、男の子は藍の顔に近づき、囁くように答えた。
「その笑い声……俺らの笑い声そっくりだったんだ」  
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