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五章 天狗様、奔る
七
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ーーなんだか、草の匂いがする。
藍の脳裏に真っ先に浮かんだことだ。舗装された道や、そこに植えられた街路樹からは感じない独特の香りに鼻孔をくすぐられ、藍は、はたと目を開けた。
「本当に草だらけ……」
それが、目を開けた後の第一声だった。目の前に広がっているのは、見たことのない風景だった。一面木々に囲まれていて、地面は舗装されていないどころか馴らされてもいない土。登山道ですらなさそうだ。
「もしかして、どこかの山……?」
「そうだ」
まさか返事が返ってくるとは思っていなかった藍は、驚いて辺りを見回した。するとすぐに、視界に男の姿が入ってきた。
さっき会った、夢の中で話しかけてきた、あの男だ。
「なんでここに?」
「お前が引きずり込まれたから、連れ戻そうとしたら、俺も一緒に……」
「私のせい?」
「そうとも言う」
憮然とした物言いは怒っているように聞こえるが、表情はそうは見えなかった。男は、それよりも焦っているように見えた。そわそわしながら、ちらちらと周囲を気にかけている。
「ち、ちなみにどこの山かご存じですか?」
「ご存じも何も……お前の家からも見えるあの山だろうが」
「家から見える……兜山? えぇ! あんな遠くに!?」
確かに、藍の家からは兜山という山が見える。標高三〇〇mほどの山で、近隣の小学生たちが遠足に行くような山だった。藍も、数年前に上ったことがある。だが一度きりだ。
電車を二度乗り継いで来ないと山道に着かないため、藍でも少々遠いと敬遠していた。遠足でもない限り、藍は興味関心を持っていなかったような場所だ。
そんな山に、何故、いきなり来たのか。
「だから、引きずり込まれたんだ。いつの間にか”抜け道”を作られていたか……」
「だ、誰に?」
「それは、あの……」
その時、何かを言いかけた男の言葉を、より大きな声が遮った。
空から降ってきて、地面を抉るような響きを持つ、大きな大きな雄叫びだ。
「な、何今の……!?」
「ちっ、来やがったな」
男はそう言うなり、いきなり立ち上がった。
「行くぞ。見つかる」
「だから、誰に?」
「今のデカい声の奴だよ」
男は急かすように、無理矢理藍の手を引っ張った。立ち上がらせると、そのままぐいぐい引っ張って走り出した。
「ち、ちょっと待って。遠くに見えてたあの山に来てるってことは……さっきの猪くんには逃げられたってこと?」
「は?」
「くっそぅ……太郎さんのこと、訊きたかったのに……!」
藍に言われて立ち止まった男は、もどかしいと言うような、そして理解しがたいといったような、もやもやした表情を見せていた。
「いったい何を訊きたいんだよ?」
「あの猪くんが、太郎さんが目を覚まさない理由を知ってるかもしれないじゃない。聞き出さないと」
「そんなもの知らない」
「そんなの、聞いてみないとわからないでしょ」
「……うん?」
「うん?」
二人揃って、互いに首をかしげ合った。その様がまるで鏡のようで、しばし静かな時が流れてしまった。その沈黙を、男がおずおずと破った。
「あの猪は……俺だけど……」
「……へ!?」
藍の脳裏に真っ先に浮かんだことだ。舗装された道や、そこに植えられた街路樹からは感じない独特の香りに鼻孔をくすぐられ、藍は、はたと目を開けた。
「本当に草だらけ……」
それが、目を開けた後の第一声だった。目の前に広がっているのは、見たことのない風景だった。一面木々に囲まれていて、地面は舗装されていないどころか馴らされてもいない土。登山道ですらなさそうだ。
「もしかして、どこかの山……?」
「そうだ」
まさか返事が返ってくるとは思っていなかった藍は、驚いて辺りを見回した。するとすぐに、視界に男の姿が入ってきた。
さっき会った、夢の中で話しかけてきた、あの男だ。
「なんでここに?」
「お前が引きずり込まれたから、連れ戻そうとしたら、俺も一緒に……」
「私のせい?」
「そうとも言う」
憮然とした物言いは怒っているように聞こえるが、表情はそうは見えなかった。男は、それよりも焦っているように見えた。そわそわしながら、ちらちらと周囲を気にかけている。
「ち、ちなみにどこの山かご存じですか?」
「ご存じも何も……お前の家からも見えるあの山だろうが」
「家から見える……兜山? えぇ! あんな遠くに!?」
確かに、藍の家からは兜山という山が見える。標高三〇〇mほどの山で、近隣の小学生たちが遠足に行くような山だった。藍も、数年前に上ったことがある。だが一度きりだ。
電車を二度乗り継いで来ないと山道に着かないため、藍でも少々遠いと敬遠していた。遠足でもない限り、藍は興味関心を持っていなかったような場所だ。
そんな山に、何故、いきなり来たのか。
「だから、引きずり込まれたんだ。いつの間にか”抜け道”を作られていたか……」
「だ、誰に?」
「それは、あの……」
その時、何かを言いかけた男の言葉を、より大きな声が遮った。
空から降ってきて、地面を抉るような響きを持つ、大きな大きな雄叫びだ。
「な、何今の……!?」
「ちっ、来やがったな」
男はそう言うなり、いきなり立ち上がった。
「行くぞ。見つかる」
「だから、誰に?」
「今のデカい声の奴だよ」
男は急かすように、無理矢理藍の手を引っ張った。立ち上がらせると、そのままぐいぐい引っ張って走り出した。
「ち、ちょっと待って。遠くに見えてたあの山に来てるってことは……さっきの猪くんには逃げられたってこと?」
「は?」
「くっそぅ……太郎さんのこと、訊きたかったのに……!」
藍に言われて立ち止まった男は、もどかしいと言うような、そして理解しがたいといったような、もやもやした表情を見せていた。
「いったい何を訊きたいんだよ?」
「あの猪くんが、太郎さんが目を覚まさない理由を知ってるかもしれないじゃない。聞き出さないと」
「そんなもの知らない」
「そんなの、聞いてみないとわからないでしょ」
「……うん?」
「うん?」
二人揃って、互いに首をかしげ合った。その様がまるで鏡のようで、しばし静かな時が流れてしまった。その沈黙を、男がおずおずと破った。
「あの猪は……俺だけど……」
「……へ!?」
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