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五章 天狗様、奔る
九
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また、奇妙な声が聞こえた。色々な声で発した言葉を繋げる、呼子なりの会話法だった。
「あの鬼って……知ってるの?」
呼子はかろうじて頷き、目を逸らしながらも、言葉を繋げた。
「『あそこ』……『俺』『の』『山』……『怖い』『やつ』『来た』……『逃げた』」
「狐ちゃんたちの言っていた鬼が、君を山から追い出した怖いあやかしってこと?」
呼子はまたも頷いた。
「そうか。よその山から来たっていうアレか……しかし、だったら何故僕を”見ている”んだろう? 恨みを買うような機会があったかな」
「『あいつ』『言って』『た』……『天狗』『太郎坊』『憎い』……」
「太郎坊ってのは、この太郎のことか?」
「『愛宕』『太郎』『憎い』……『言って』『た』」
その言葉を聞いた太郎の瞳が、大きく見開いた。すべてが、一本の糸に繋がっていく。
「あの時の……藍を襲っていたあやかし……あいつが……!」
「覚えがあるのですか?」
「ああ。愛宕山にいた形も持たないあやかしだった。藍のことを襲っていたから消した……つもりだったけど、生きていたのか」
治朗も三郎も、太郎の言葉にうなり声を上げた。遅れて理解したらしい。
「そうか。それで兄者を追ってあの山に……」
「山では弱いあやかし共をたくさん喰ったんだろう。それで力をつけて、形を成して鬼に成ったか」
「そして、藍に目をつけた……!」
太郎の拳に、ぎゅっと力が籠もった。かと思うと、その手で布団を払いのけ、太郎は走り出さんばかりの勢いで立ち上がっていた。
「待て待て。まだフラフラじゃねえか」
「兄者、ここは俺が行きます」
治朗と三郎は、揃って太郎を引き留めた。だが、太郎はその手を振り払った。正確には振り払おうとして、だが力が足りなくて、振り払えずにいる。
それでも、荒い呼吸のまま、太郎は訴えた。
「僕が行かないと……あいつは僕を狙っているんだ!」
「俺たち全員、あの山に行ったことがねえだろ。ということは走るか飛ぶかしないといけない。そうなったら、こんな足下もおぼつかないお前を抱えてちゃ足手まといだろうが」
「だけど……!」
「良い覚悟だ」
この場の緊迫感に似合わない、乾いた拍手の音が響いた。それと、聞き覚えのある声が。
太郎たちはため息を噛み殺して、戸口に立つ人物を睨みつけた。
「何の用だよ、僧正坊……!」
「いやなに、優子殿の店に寄らせてもらったついでに、太郎の様子でも見ていこうと思ってね。来てみたら、なんとも面白い……いや波乱に満ちたことが起こっているじゃないか」
僧正坊は、三人分の鋭い視線などまったく意に介さず、歩み寄ってきた。顔には、何やら感心したような、偉ぶった笑みが浮かんでいる。それが、この場の空気にあまりにもそぐわず、太郎たちを苛立たせた。
「いや、そんな体で自分を付け狙う鬼のもとに行こうとしている心意気にいたく感心したのさ。あの猪娘のためというのが、理解に苦しむが」
「だったら黙ってろよ」
「三郎……久々に会ったというのに、つれない態度だ。感心したから手伝ってあげようと思っているのに」
「……なに?」
僧正坊は不敵な笑みで、遠くの山を指さした。
「私はあの山に行ったことがある。つまり、君たち全員を、神足通で連れて行ってやれると言っているんだ」
その言葉に動揺が走ったのは、太郎だけではなかった。
「行ったことがあるってのは、どうしてだ?」
「ちょっと知り合いがいてね。彼は長いこと、あそこを根城にしていた。愛宕から来た無作法者が山を荒らしているというのは聞いていたが……まさかこれほどまでに太郎に関係していたとはね」
その愉快そうな物言いに、太郎たちは噛みつきそうになった。だが、他ならぬ太郎がぐっと堪えていた。そして、振り上げそうに成った拳をぐっと押さえて、僧正坊に向けて、頭を下げた。
「頼む、僧正坊……藍の元に連れて行ってほしい」
僧正坊の顔に、勝利を確信したような笑みが浮かんだ。
「猪娘の元などは知らん。だが、あの山の中には確実に連れて行ってやる」
「お前……何を企んでいる?」
太郎と同様、拳を押さえている治朗は、代わりにそう尋ねた。だが僧正坊は、治朗の震えている拳まで含めてせせら笑った。
「企んでいるなど……この太郎に”貸しを作る”という愉悦に浸っているだけだよ」
「僕のことなんか今はどうでもいい。早く、あそこへ……藍の元へ……!」
太郎は苛立つような様子で手を差し出した。僧正坊は、その手を強く握り返した。
「あの猪娘のことなど知らないと言ったのに……」
二人が手を繋ぐと同時に、治朗も三郎も、太郎の肩を掴んだ。
四人が一塊になったかと思うと、次の瞬間には、部屋の中からその影は消え失せていた。ただの一欠片ほども、見えない。
無人の部屋に変わっていたのだった。
「あの鬼って……知ってるの?」
呼子はかろうじて頷き、目を逸らしながらも、言葉を繋げた。
「『あそこ』……『俺』『の』『山』……『怖い』『やつ』『来た』……『逃げた』」
「狐ちゃんたちの言っていた鬼が、君を山から追い出した怖いあやかしってこと?」
呼子はまたも頷いた。
「そうか。よその山から来たっていうアレか……しかし、だったら何故僕を”見ている”んだろう? 恨みを買うような機会があったかな」
「『あいつ』『言って』『た』……『天狗』『太郎坊』『憎い』……」
「太郎坊ってのは、この太郎のことか?」
「『愛宕』『太郎』『憎い』……『言って』『た』」
その言葉を聞いた太郎の瞳が、大きく見開いた。すべてが、一本の糸に繋がっていく。
「あの時の……藍を襲っていたあやかし……あいつが……!」
「覚えがあるのですか?」
「ああ。愛宕山にいた形も持たないあやかしだった。藍のことを襲っていたから消した……つもりだったけど、生きていたのか」
治朗も三郎も、太郎の言葉にうなり声を上げた。遅れて理解したらしい。
「そうか。それで兄者を追ってあの山に……」
「山では弱いあやかし共をたくさん喰ったんだろう。それで力をつけて、形を成して鬼に成ったか」
「そして、藍に目をつけた……!」
太郎の拳に、ぎゅっと力が籠もった。かと思うと、その手で布団を払いのけ、太郎は走り出さんばかりの勢いで立ち上がっていた。
「待て待て。まだフラフラじゃねえか」
「兄者、ここは俺が行きます」
治朗と三郎は、揃って太郎を引き留めた。だが、太郎はその手を振り払った。正確には振り払おうとして、だが力が足りなくて、振り払えずにいる。
それでも、荒い呼吸のまま、太郎は訴えた。
「僕が行かないと……あいつは僕を狙っているんだ!」
「俺たち全員、あの山に行ったことがねえだろ。ということは走るか飛ぶかしないといけない。そうなったら、こんな足下もおぼつかないお前を抱えてちゃ足手まといだろうが」
「だけど……!」
「良い覚悟だ」
この場の緊迫感に似合わない、乾いた拍手の音が響いた。それと、聞き覚えのある声が。
太郎たちはため息を噛み殺して、戸口に立つ人物を睨みつけた。
「何の用だよ、僧正坊……!」
「いやなに、優子殿の店に寄らせてもらったついでに、太郎の様子でも見ていこうと思ってね。来てみたら、なんとも面白い……いや波乱に満ちたことが起こっているじゃないか」
僧正坊は、三人分の鋭い視線などまったく意に介さず、歩み寄ってきた。顔には、何やら感心したような、偉ぶった笑みが浮かんでいる。それが、この場の空気にあまりにもそぐわず、太郎たちを苛立たせた。
「いや、そんな体で自分を付け狙う鬼のもとに行こうとしている心意気にいたく感心したのさ。あの猪娘のためというのが、理解に苦しむが」
「だったら黙ってろよ」
「三郎……久々に会ったというのに、つれない態度だ。感心したから手伝ってあげようと思っているのに」
「……なに?」
僧正坊は不敵な笑みで、遠くの山を指さした。
「私はあの山に行ったことがある。つまり、君たち全員を、神足通で連れて行ってやれると言っているんだ」
その言葉に動揺が走ったのは、太郎だけではなかった。
「行ったことがあるってのは、どうしてだ?」
「ちょっと知り合いがいてね。彼は長いこと、あそこを根城にしていた。愛宕から来た無作法者が山を荒らしているというのは聞いていたが……まさかこれほどまでに太郎に関係していたとはね」
その愉快そうな物言いに、太郎たちは噛みつきそうになった。だが、他ならぬ太郎がぐっと堪えていた。そして、振り上げそうに成った拳をぐっと押さえて、僧正坊に向けて、頭を下げた。
「頼む、僧正坊……藍の元に連れて行ってほしい」
僧正坊の顔に、勝利を確信したような笑みが浮かんだ。
「猪娘の元などは知らん。だが、あの山の中には確実に連れて行ってやる」
「お前……何を企んでいる?」
太郎と同様、拳を押さえている治朗は、代わりにそう尋ねた。だが僧正坊は、治朗の震えている拳まで含めてせせら笑った。
「企んでいるなど……この太郎に”貸しを作る”という愉悦に浸っているだけだよ」
「僕のことなんか今はどうでもいい。早く、あそこへ……藍の元へ……!」
太郎は苛立つような様子で手を差し出した。僧正坊は、その手を強く握り返した。
「あの猪娘のことなど知らないと言ったのに……」
二人が手を繋ぐと同時に、治朗も三郎も、太郎の肩を掴んだ。
四人が一塊になったかと思うと、次の瞬間には、部屋の中からその影は消え失せていた。ただの一欠片ほども、見えない。
無人の部屋に変わっていたのだった。
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