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豊潤な郷【6】
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澪がうっすら目を開けると、体が揺られているのに気が付いた。はっとして体を起こそうとするが、ひどい眩暈と吐き気に襲われた。
「気が付かれましたか。落ちると困ります故、暴れないで下さい」
落ち着いた静かな声が聞こえた。しかし、澪には聞き覚えのない声であった。その言葉を認識できる頃には、己が馬に乗せられており、後ろから体を抱えられているようだということも把握できた。
(頭がぼーっとする。先程の粉は眠り薬か何かだったのか……)
毒にしては体の痺れも、息苦しさもない。ただ強い眠気と吐き気と倦怠感。恐らく強い薬なのだろうとまだ朦朧とする意識の中で考えた。
「……何処へ向かっているの?」
「翠穣郷です」
「すい……」
「手荒な真似をして申し訳ありません。しかし、おとなしくしていただければ、これ以上の危害は加えません」
「どうして……」
「貴女には翠穣城に来ていただきます」
「翠穣城……貴方は城の人?」
「ええ。貴女は宗方澪様。匠閃郷統主の一人娘であり、神室歩澄様の女」
その言葉に澪は、己が人質として拐われたのだと察した。澪を囮にして歩澄を討つつもりかと油断したことを後悔したが、再び襲いかかる眠気に意識を手放した。
再度目覚めると、そこは褥の上だった。
「ん……」
馬の上にいた時よりは幾分か気分が落ち着いていた。倦怠感は残るものの、吐き気はない。ゆっくりと体を起こせば霞んでいた視界が晴れた。
徐に瞬きをする。しっかりと眼を開ければ、目の前にはがたいのいい男がいた。書物に目を通していた男は、そっとそれを畳の上に置き、顔を上げた。
「気が付いたか。気分はどうだ」
「先程よりは……ここは翠穣城ですか」
「ああ。家臣が手荒な真似をしてすまなかった」
「家臣……? では、貴方が翠穣郷統主の……」
「落伊吹という。そなたを拐う気はなかった。神室歩澄の寵愛を受けた姫だと聞いて弱味を握ろうとでも思ったのだろう。家来が勝手にした事とはいえ、怖い思いをさせて申し訳ない」
伊吹はそう言って頭を下げた。澪はその様子に目を見開いた。
(翠穣郷統主は争い事を好まないと聞いてはいたが、ここまで腰が低いとは……。家来が勝手にか……どこにでもいるんだな。主のために勝手に動く家来が)
澪は徳昂のしたり顔を思い出していた。
「顔を上げて下さい。少々驚きましたが、私は大丈夫です」
「そうか……。腹は減っていないか?」
「いえ……」
「そうか……。丸一日以上眠っていたからな。腹が減っているかと思って食事を用意させたのだが……」
「丸一日!?」
澪は食事のことよりも、己が丸一日眠っていたことに驚きを隠せなかった。体感としては一刻程度だと思っていたのだ。
「ああ。少々強い眠り薬を使った故、効きすぎてしまったようだ。目を覚まさなかったらどうしようかと思ったが……そなたが目覚めてくれてよかった」
伊吹は心底安心したようにそう頬を緩めた。
「眠り薬を使われたのは初めてでしたので……」
「ああ。本当にすまない。家来にはきつく叱っておいた」
「いえ……。手違いでしたら、私は潤銘郷に戻ります」
澪は褥から出ようと、体を浮かす。しかし、すぐにふらっと体が傾き、重心が崩れた。
「わっ……」
澪が褥に手を付こうと伸ばすと、咄嗟に脇腹を伊吹に支えられた。伊吹の腕の中に倒れる体を慌てて起こし、「す、すみません!」と謝りながら体を離した。
「い、いや……こちらこそすまない」
伊吹は耳まで真っ赤にさせ、顔の下半分を手で覆い隠すように澪に背を向けた。
翠穣郷では男女関係なく農作業が行われ、若い女が城までくることもある。しかし、このように女人と距離を詰めることなど殆んどなかった。故に、伊吹は女人に触れることに慣れていないのだ。
「気が付かれましたか。落ちると困ります故、暴れないで下さい」
落ち着いた静かな声が聞こえた。しかし、澪には聞き覚えのない声であった。その言葉を認識できる頃には、己が馬に乗せられており、後ろから体を抱えられているようだということも把握できた。
(頭がぼーっとする。先程の粉は眠り薬か何かだったのか……)
毒にしては体の痺れも、息苦しさもない。ただ強い眠気と吐き気と倦怠感。恐らく強い薬なのだろうとまだ朦朧とする意識の中で考えた。
「……何処へ向かっているの?」
「翠穣郷です」
「すい……」
「手荒な真似をして申し訳ありません。しかし、おとなしくしていただければ、これ以上の危害は加えません」
「どうして……」
「貴女には翠穣城に来ていただきます」
「翠穣城……貴方は城の人?」
「ええ。貴女は宗方澪様。匠閃郷統主の一人娘であり、神室歩澄様の女」
その言葉に澪は、己が人質として拐われたのだと察した。澪を囮にして歩澄を討つつもりかと油断したことを後悔したが、再び襲いかかる眠気に意識を手放した。
再度目覚めると、そこは褥の上だった。
「ん……」
馬の上にいた時よりは幾分か気分が落ち着いていた。倦怠感は残るものの、吐き気はない。ゆっくりと体を起こせば霞んでいた視界が晴れた。
徐に瞬きをする。しっかりと眼を開ければ、目の前にはがたいのいい男がいた。書物に目を通していた男は、そっとそれを畳の上に置き、顔を上げた。
「気が付いたか。気分はどうだ」
「先程よりは……ここは翠穣城ですか」
「ああ。家臣が手荒な真似をしてすまなかった」
「家臣……? では、貴方が翠穣郷統主の……」
「落伊吹という。そなたを拐う気はなかった。神室歩澄の寵愛を受けた姫だと聞いて弱味を握ろうとでも思ったのだろう。家来が勝手にした事とはいえ、怖い思いをさせて申し訳ない」
伊吹はそう言って頭を下げた。澪はその様子に目を見開いた。
(翠穣郷統主は争い事を好まないと聞いてはいたが、ここまで腰が低いとは……。家来が勝手にか……どこにでもいるんだな。主のために勝手に動く家来が)
澪は徳昂のしたり顔を思い出していた。
「顔を上げて下さい。少々驚きましたが、私は大丈夫です」
「そうか……。腹は減っていないか?」
「いえ……」
「そうか……。丸一日以上眠っていたからな。腹が減っているかと思って食事を用意させたのだが……」
「丸一日!?」
澪は食事のことよりも、己が丸一日眠っていたことに驚きを隠せなかった。体感としては一刻程度だと思っていたのだ。
「ああ。少々強い眠り薬を使った故、効きすぎてしまったようだ。目を覚まさなかったらどうしようかと思ったが……そなたが目覚めてくれてよかった」
伊吹は心底安心したようにそう頬を緩めた。
「眠り薬を使われたのは初めてでしたので……」
「ああ。本当にすまない。家来にはきつく叱っておいた」
「いえ……。手違いでしたら、私は潤銘郷に戻ります」
澪は褥から出ようと、体を浮かす。しかし、すぐにふらっと体が傾き、重心が崩れた。
「わっ……」
澪が褥に手を付こうと伸ばすと、咄嗟に脇腹を伊吹に支えられた。伊吹の腕の中に倒れる体を慌てて起こし、「す、すみません!」と謝りながら体を離した。
「い、いや……こちらこそすまない」
伊吹は耳まで真っ赤にさせ、顔の下半分を手で覆い隠すように澪に背を向けた。
翠穣郷では男女関係なく農作業が行われ、若い女が城までくることもある。しかし、このように女人と距離を詰めることなど殆んどなかった。故に、伊吹は女人に触れることに慣れていないのだ。
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