【完結:R15】蒼色の一振り

雪村こはる

文字の大きさ
172 / 275

豊潤な郷【20】

しおりを挟む
 伊吹は、先程家来に言われた「伊吹様の奥方様にはあのような方が来て下さると良いですね」という言葉を思い出していたのだ。
 まるで初々しい新婚のようなやり取りに、胸がざわめき鼓動は高鳴る。歩澄の女であることなど忘れて、澪に興味が沸いている自分に気付いた時には、もっと澪のことが知りたいと思うようになっていた。

 食事が終わると、伊吹は澪を自室に呼んだ。二人で少し話をしたかったのだ。何の話でもよかった。澪のことを知りたかった。匠閃郷の事も、潤銘郷を初めて見て驚いた事も、伊吹は興味深そうに聞いた。
 澪が嬉しそうに話すと伊吹も嬉しくなり、時に切なそうな顔をすると、守ってやりたい気持ちになった。

 すっかり遅くなってしまい、伊吹は申し訳ないと澪に謝ったが、内心はとても心満たされていた。久々に上気する程の楽しい一時を得られたのだ。
 伊吹自ら澪を客室へと送っていく。自室までの廊下を歩きながら、歩澄の迎えなど来なければいいのにと思っていた。

 書状さえ書かなければ、わからなかった。一日だけ様子を見て、そのまま翠穣城に留まらせてしまえばよかった。そんな邪な考えが一瞬巡り、伊吹は慌てて首を左右に振った。

「いかん……澪は歩澄の女だ」

 自分を正すかのように深呼吸をする。しかし、褥に横になっても思い出すのは澪の笑顔ばかりだった。明日も共に農作業をしてくれるのだろうか。そう考えると、嬉しさが込み上げ、とても眠れそうになかった。

 中々寝付けないまま、鳥の鳴き声で朝の知らせを受ける。頭をがしがしと掻き、一晩中澪の事を考えていた自分に苦笑した。
 仕方なく支度を整え畑に行けば、澪の姿はなかった。

(昨日は遅くまで付き合わせてしまったからな……)

 まだ寝ているならそれでもいいと笑みを溢し、先に水汲みでもしていようと樽置き場に目を向けた。しかし、そこには樽も荷台もない。あの大量の水汲みは伊吹くらいにしか到底こなせない。

「まさか……」 

 思い当たるのは、伊吹と対等に水汲みをしていた澪のこと。走って井戸まで行くと、思った通り、澪が空の樽を持ち上げているところだった。

「何を……しているのだ」

「あ! 落様! おはようございます! 先に一人でもできることをしておこうかと思いまして」

 そう言って澪は笑顔を見せた。まだ誰もいない早朝に、一人で水汲みにやってきていた澪。非力で全てにおいて守ってやらねばならぬ女人とは違い、強く逞しく、一生懸命な澪の姿に改めて感心した。

「俺がくるのを待っていれば……」

 伊吹は、言いかけてやめた。澪の様子がいつもと違ったのだ。というよりも、姿に違和感があった。それもすぐに何かと気付く。

「そなた、髪が……」

 不思議な光景であった。ようやく出てきた日の光に照されて、澪の髪はところどころ鮮やかな赤に変色していたのだ。その部分がきらきらと輝き、あまりの美しさについ見とれた。

「ああ……先程髪紐が解けてしまいまして、水を汲んでいる最中でしたので濡らしてしまいました」

「いや、そうではなく……何故色が……」

「髪が濡れるとこのように色が変わって見えるのです。幼い頃よりそうでした。後は、月明かりの下でも光の加減によってこう見えます」

「何とも不思議な話だな……。昨日はまったく気付かなかった」

「昨日は湯浴みの後、しっかりと水気をとり乾かしてから食事に行きました故、当然です」

 そう言って澪が笑えば、美しい髪も相まって一際美しい姫に見えた。その刹那、伊吹の鼓動は激しく音を立て、きゅっと痛む。言い訳できない程、澪に惹かれ始めていた。

「美しい……な」

「そうでしょうか? ふふ、嬉しいです。歩澄様もとても褒めてくださるのですよ」

 澪が嬉しそうに顔を緩める。しかし、その顔は伊吹に向けられたものではなく、歩澄を思い出しての事。それに気付いた伊吹は、胸の中をざわざわとした複雑な感情が渦巻いた。
 歩澄とは恋仲である澪。当然、歩澄はこの美しい髪に触れ、肌に触れ、夜を独占するのだろう。そう考えたら、沸々と込み上げるのは嫉妬以外の何物でもなかった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...