【完結:R15】蒼色の一振り

雪村こはる

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神室歩澄の正室【28】

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ーー

 伊吹は夜の城下町を見下ろしながら、ほうっと一つ息をついた。夜も更けてかなり経つというのに、統主の婚礼を祝う民達の宴があちらこちらで行われているのだ。
 統主のためにと用意された宿は、高い高いところに部屋があり、城下町の店の明かりが一望できた。蝋燭の火だけで明かりを灯す翠穣郷とは違い、どういうわけだか辺り一面煌々と光が灯っていた。これも異国の文化かと感心する他ない。
 城下の景色も異世界のようだが、更に驚いたのは宿である。外観から見たことのない建物の作りであり、中はきらびやかな光りに包まれていた。
 階段も家具も見たことのない作りばかりである。用意されていた寝具は城で使っている褥とは違い、説明を受けるまで寝方もわからなかった。

「潤銘郷に赴く度に潤銘城で世話になっていたから気付かなかったが、本当にここは異世界のようだな……」

 取った一室に大和を招き入れていた伊吹は、視線を窓の外に移したまま言った。

「は、はい……。私も驚いております。城下を散策したこともありませんでしたので、まさかここまで発展した郷だったとは……」

「ああ。俺は、異文化がこの国に入ってくるのが気に入らなかったが、時代は進んでいるのだな……。我等だけがいつまでも立ち止まっているようだ」

「……翠穣郷は良い郷です」

「もちろんだ。翠穣郷よりも潤銘郷が優れているなどというつもりはない。ただ……見ろ。あんなにも高価な召し物に身を包んだ民が庶民だそうだ」

「……え?」

 大和は伊吹の隣に駆け寄り、同じように窓の外を見つめた。そこには、綺麗な身なりをしている民達が笑顔を振り撒いている。

「おかしなものだな……同じように統治している筈が、郷全体がこんなにも潤っている。宿も歩澄の計らいで金銭はかからぬが、一泊の料金は翠穣郷の民の月収分程だそうだ」

「えぇ!?」

「……そこを含めて全てを統治するとなると……王というのはやはり大役だな」

「……伊吹様、本当に王位をお諦めになるおつもりですか?」

「迷ったさ。澪のあんなにも美しい姿を目にしたらな……邪な考えも横切った」

 大和は眉を下げて己の方を向こうとしない伊吹を横目に、伊吹の言わんとしていることを悟った。
 己が王となり、澪を正室に迎えるという選択である。顔合わせでは歩澄に協力をする意向を提示したが、それを覆すことも不可能ではない。
 民からの信頼が厚い伊吹であれば、王となるのも夢ではない。しかし、伊吹の言い方はどうにも王を目指しているとは思えなかった。

「どうしてですか……それが政としてあるのであれば、悪いことでありません。それで伊吹様のお心が満たされるのであれば……」

「俺の心は満たされるが、澪の心はどうなる? 俺の正室となった澪が、歩澄率いる潤銘郷をどんな思いで見ていくと思う」

「それは……」

「結局俺は、そこまでの悪者にもなれんのだ。全ての郷を管理し、隣国との貿易も把握するなど……結局私は王の器ではないのだろうな」

「そのようなことはありません!」

 大和はばっと伊吹の方を向き、声を荒げた。今まで伊吹を尊敬し、ついてきたのだ。後にも先にも己の主は伊吹だけであり、立派な翠穣郷統主である。その伊吹が王に向いていないはずがないと目をつり上げた。

「はは。そんな顔をするな。統主としては今後も精進していくつもりだ。ただ……澪は俺のためには力を発揮してはくれぬだろうな。笑顔を失った人形のような澪を無理矢理娶るくらいなら、歩澄の隣で伸び伸びと正室として活躍する姿を見ていたいのも事実なのだ」

「……伊吹様」

「澪が統主の正室となり、いよいよ歩澄が王の道へ進む時が近付いてきている。……これだけの郷を何年も維持し、発展させてきた男だ。悔しいが、この先楽しみでもあるのだ」

 眉を下げたまま笑みを浮かべる伊吹に、大和はぐっと胸が苦しくなるのを感じた。己の力の限界を悟り、悔しいながらも他郷統主に王位を譲る決心をしたこと。それは偉大な伊吹だからこそできた覚悟であると大和はさらなる敬意を払う。

 この先誰が王になろうとも、一生涯伊吹にだけついていこうと決心する大和であった。
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