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ヤンデレ男の娘の取り扱い方2~デタラメブッキングデート~

36.歯みがき

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 階下に下りて、洗面所で身支度を整える。
 ひとまず外に出ても恥ずかしくない身形になった。

 顔も洗って最後に歯磨きをする。
 いつの間にやら買い替えられていた新しい自分の歯ブラシを取る。
 新品だったが、青は僕で赤は結城と決まっているから間違えようもない。

 ペースト状の歯磨き粉を先端から捻り出してブラシに乗せる。
 残量がかなり減ってきている。
 尻尾の方を親指で押し出さねばならない。
 頭でっかちで痩せっぽちの蛇のような体型になった。
 こちらもそろそろ買い替え時のようだ。

 体が軽い……いや、気持ちが軽い。
 こじれていたと悩んでいた結城との関係は、どうやら懸念だったようだ。
 このまま元の親友で幼馴染の間柄へと還元できるかも。

「…………」

 洗面台の鏡に映る姿。
 僕の背後に結城が立っていた。

 無表情で、どろっとした瞳でこちらを見つめていた。
 冷たい何かが脊椎を走り抜ける。

「ぶはっ……!」

 びっくりして、思わず歯磨き粉を噴き出す。

「なにやってんのよ、あーちゃん」

 振り返って直視すると、眉を八の字に呆れた彼の顔がある。

「ゆ……結城……」

「ボクの可愛い顔を愛で慈しみこそすれ、笑うなんて……。傷つくなぁ」

 自分の頬に手を当てる彼。

 手にシーツの入った洗濯籠を持っている。
 僕の自室から洗うべき布類を回収し終えたらしい。

 一瞬垣間見えた闇の塊のような表情はきのせいだったらしい。
 ……などとは到底楽観できない。

 49日前のあの日、彼の心中に内包する底知れない暗さと深さを目の当たりにしたばかりなのだから。

「わ……笑った訳じゃ、ないよ」

「ふぅん……ならいいけど」

 結城は僕の後ろを通り過ぎて、洗濯機に籠の中身をあける。
 おそらくは洗濯槽内の僕が着ていた寝間着を確認し、満足そうに頷く。

「うんうん、ちゃんと洗濯機に入れてくれたんだね。偉い偉い」

「……子供じゃないんだ」

 結城が洗濯機に洗剤と柔軟剤を入れつつ、呆れたように小首を傾げた。

「そういうことは、たまにでも服を脱ぎ散らかさない人が言うものだよ。子供っていうよりはズボラな関白亭主みたい」

 起動ボタンが押されて洗濯機が踊り始める。
 常時設定の標準モード、すすぎ長め。
 ゴウンゴウン……。

「…………」

 返す言葉もない。
 たまに、どうしても夢中なものが出来た時、それは楽しみにしていたテレビ番組だったり買ったばかりの新しいゲームソフトだったり。
 帰宅後に着替えてすぐ、衣類をほっぽり出してしまうことがある。

 無論、後で片付ける気でいるのだが、それを待たずして結城が拾って回収してしまう方が早い。
 稀であっても事実だった。

 それを言い訳しても恰好悪いし、しなくても恰好悪い。
 どうせ格好悪いのなら黙ってても同じこと。

「ま、いいけど。大した手間じゃないもの。あーちゃんのお世話をするなら苦じゃないし」

「あ……はは、有難いと思ってるよ。結城はよく掃除してくれるけど、綺麗な方が好き?」

 どうも洗濯機の立ち位置が悪いらしく、結城はゴトゴトと本体の場所を動かして調整している。
 大切に使っているがこの洗濯機も10年選手。
 駆動音もうるさいし、数十回に1回は調子が悪くなるらしい。

「綺麗好き……というよりは汚いのが嫌いって感じ。綺麗なのも好きだけれど」

「そっか」

「それに、汚いと色々悪いものが溜まってくるんだって。掃除して穢れを外に出して邪を払うんだよ。うちの地域の祭事でもそんなこと言ってたでしょう」

「……そうだっけ?」

 言っていた……ような気もする。
 覚えていない。

 玄関を清潔にすると運気が上がる、そんな風水に近しい考え方なのだろうか。

「まぁ、一番は埃やゴミがあると気分悪いってだけ。ダニやカビが沸くと病気の元になっちゃうからね」

「頭が下がります」

「そう感服至るなら、物置の危険物を玄関に出しておいてくれない? あれ、重くってヤになっちゃう。夕方収集に来るらしいのに」

 ようやく洗濯機を安定させたらしく、結城がポンと閉じ蓋を叩く。
 その上に洗濯籠を乗せ、洗面所を去ろうとする。

「か弱い女の子じゃないだろう」

「か弱いもーん。じゃ、よろしくね♪」

 いまだ、49日前に対する答えを出せないでいた。
 お互いの想いを明確にする為に延長した恋のロスタイム。

 しかし考えれば考えるほど、自分がどうしたいのかが分からなくなっていく。
 夏休みを利用して読み漁った恋愛ハウツーや軟派雑誌、果ては恋愛漫画や小説など。
 そのいずれにも、僕が求める解答がない。

 どれも他人の意見に思えた。
 総体を見通して似た状況や関係を類型の中に当てはめることはできる。

 だが細部あるいは深部で追究すると、他人事のように薄ぺっらくなる。
 自分固有の思想で表せなくなる。
 建前だけ取り繕った、路上ナンパの口説き文句より安い、叩き売りの愛と成り果てる。

 そんな想いを伝えたところで、きっと以前の二の舞になるだろう。
 焦燥感が僕を足先から、ジワジワと追いつめてくるのだ。
 時間の経過に伴って、より。

 だから自室で、関係が修復されていたのではと内心喜んだ。
 答えなど出さなくても済むのではないかと。

 自分の卑怯さ臆病さが、自分で嫌になる。
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