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7日目 初体験は痛みを伴う!?

15ー2

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 牛丼屋に入った二人はカウンター席に座った。

 小太りな男性店員が怠そうに肩を叩きながらグラスに水を注ぎ、トレーを片手に歩いてくる。

「お決まりですかー?」と、グラスを置いた店員は覇気はきがない声で言った。


「牛丼二つで!」

「かしこまりましたー」


 美愛はさっさと注文をして、自分の顔と同じくらい小さな鞄からスマホを取り出しゲームを始めた。


 女性と二人きりで出掛けた経験が片手で足りる程しかない翔は、もっとお洒落な店の方がよかったのではないかと落ち着かず、珍しくもない造りの店内をあちこち見て気を紛らわせた。


 ボックス席は学生や親子連れで埋まっていて、カウンター席はまちまちだった。

「お待たせしましたー」

 湯気が立つ牛丼は良い匂いがして食欲をそそり、翔は両手を合わせた。

「いただきます!」


 一口頬張ると空腹は最高のスパイスとなって、今まで食べた牛丼の中で一番美味く思えた。

 甘めのタレで煮込んだ牛肉と玉ねぎはしっかり味が染み込んでいて、ほんのり香る生姜がアクセントになっている。


 男ばかりの店内で美愛は居心地悪く感じていないかと心配になり横目で見ると、片手でスマホゲームをしながら器用に食事もしていた。


「その、次はもっと良い店探すから」

「あー、うん」

「何か食べたいものとか、好きなものはあるのかな?」

「うーん、考えとく」


 ゲームに夢中で気のない返事しか返ってこない。

 翔は仕方ないと諦めて空になった器を端に寄せて、美愛が食べ終わるのを待った。


「もうムリ~」

 マイペースに食事をしていた美愛は、半分近く食べると苦しそうに腹をさすりさっさと立ち上がってレジに向かった。


「ありがとう、姫。ごちそうさま」

 周りの客に聞こえないよう翔は背後から耳元で囁いて伝えたが、美愛は無言のまま会計を済ませるとさっさと店を出て行ってしまった。


 外に出ても二人の距離は遠い。

 カツカツとヒールを鳴らして歩く美愛の後ろを小走りで追いかけた。

 まるで、捨てられた女にすがるかわいそうな男のようだ。

 自分から同伴しようと言った美愛だが気が変わったのもしれないと思い直し、嬉しい反面切なさもあった。

 
 夜の街である繁華街を真っ直ぐに進み、今日も華やかな男達の写真が並びネオンに照らされて一際目立つ看板が見えると、くるりと振り返った美愛が手招きをした。


 翔は不思議に思ったが、姫の言う事は絶対だと言い聞かせて近付いた。 


「遅い!早く早く!」

 片方の頬を膨らませてむくれている美愛は翔にピタリと密着して、牛丼屋に入った時と同じようにグイグイと腕を引っ張り店に入っていった。


「「「いらっしゃいませー!」」」


 既に営業が始まっている店内は賑わっていて、どこからかシャンパンコールも聞こえる。


 美愛と一緒に店に入った翔を見て、ホスト達はギョッとした顔をしたが、一番驚いているのは翔だった。


 なんと、この日初同伴・初指名をもらったからだ。


 翔と腕を組んだままフロアを歩く美愛は堂々としたもので、レイの卓の横を通る時も余裕の笑みを浮かべていた。


 席に案内するとドカッと腰を下ろした美愛の隣に翔も腰掛けて、ドリンクメニューを広げた。


 美愛は翔にもたれ掛かりメニューを眺め、ボトルを一本指差してそっと耳打ちをする。

「今日は持ち合わせが少ないから、これ。今度はシャンパン入れるからね」


 今まで一度も指名がなかった翔にとって、指名されるというだけで天にも昇る気持ちだった。


 貴史から衝撃告白を受けた事などすっかり忘れて、翔はホストとして最高の時間を過ごした。



「じゃあ、また連絡するね!」

 美愛はきっちり一時間で帰って行った。

 夜の世界で輝く人達を見て、自分もこんな風になりたいと飛び込んだ世界。

 けれど現実は厳しく、売れっ子ホストの為に酒を飲んで潰れる毎日に、これでいいのかと自問自答していた。


 今日初めて指名を受けた翔は、これから自分の未来は大きく変わると夢見てこの日はハイペースで酒をあおった。


 本日の営業が終了して店を出たが、ロッカーに自宅の鍵を忘れた事に気付いた。


 Uターンして店に戻り、酔い潰れてるホストの横を通ってバックヤードに向かうと、中から話し声が聞こえる。

 特に気にも留めずに入ろうとした時、その声がレイだと分かり翔は硬直した。


「今月はそこそこいい成績が出そう」

「さすがレイさんッスねー!リスペクトしまくりッス!」

「お前だって、まだまだ伸びるよ」

「あざッス!それより、今日レイさんの客盗られてたッスよね。あれ何なんスか?」

「別にいいんじゃない?」

「レイさん心広すぎじゃないッスか?マジで激推しリスペクトしてるッス!」

「最近美愛、アフター増やせとか卓についてる時間が短いとかうるさくてさ。面倒になってきてたんだよね。これで美愛があのおっさんに乗り換えてくれるなら俺も助かるし、崖っぷちのおっさん的にもいいんじゃない?」

「すごすぎるッス、レイさん!ヨッ!男の中の男!」


 翔の中に得体の知れないドロドロとした感情が湧き上がってきた。

 強く握り締めた拳は震え、手のひらに爪が食い込み血が流れる。


 ドンッ──

「「うわッ!?」」

 翔が思いきり壁を殴ると、二人はビクッと飛び上がって驚いた。

 バックヤードの中に入った翔は、二人には目もくれず自分のロッカーに向かう。


「いや、その……これは城ヶ崎さんの話じゃなくて。ね、ねぇ?レイさん?」

 キョロキョロと視線を泳がせてしどろもどろな男とは対照的に、レイは翔に近付いて深く頭を下げた。


「すみません、城ヶ崎さん。コイツ、今日は飲みすぎたみたいで酔っ払ってて。後で俺からキツく言っておきます」

「レイさん!?」


 ロッカーから鍵を取りポケットに押し込んで、レイを横目でチラリと見た翔は吐き捨てるように言った。

「根性腐ってるな」


 そのまま店を出た翔は、賑やかな繁華街をとぼとぼと歩いた。

 煌びやかに輝くネオンが眩しい眠らない街。

 それが、今は何とも薄汚れて見えた。


 自分が追い求めていたものがぐちゃぐちゃに塗りつぶされて黒く染まっていく。


 ふと、夜空を見上げた翔はハッと鼻で笑った。

「偽物の光が眩しくて、ここじゃ星空すら見えないのか」

 翔はポケットからスマホを取り出すと淀んだ空に向けて構え、一枚写真を撮った。


 そして、颯から届いていたメッセージを開く。

 〝明日は祭り行くぞ!浴衣で18時に近くの神社集合。絶対来いよ!来ないと俺が死ぬ〟


「死ぬってなんだよ」

 眉をしかめて呟くと、フッと笑いが込み上げる。

(そうだ。これが俺の日常だった)

 両腕を広げてゆっくりと深呼吸をした。


 熱のこもった空気を吸ってむせ込みそうになるが、ぐっと息を止めてこらえる。


 前を見据えた瞳は力強く、晴れ晴れとした顔の翔にもう迷いはなかった。


「最高で最低だったぜ」

 そう言って片手を上げて、夜の街に別れを告げた。

 煌びやかな街からまた一人、夢破れた男が消え去っていった。
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