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心からの笑顔
しおりを挟む丘を下りると、ルゥは大木の前で立ち止まっていた。
風に靡く紺色のマントは汚れ一つない。とても大切なものだから。
そんな状況についていけず、問いかけるように私を見つめるカインの瞳は困惑しているようだった。
それもそうか。護衛だと聞かされて来てみれば、出てきたのは自分よりも大きなカンガルーだ。まだ子供なんだから泣いて逃げ出してもおかしくないのに、ここまで着いてきた。勇敢なのか、それほどグラシアが好きなのか、それともただの好奇心なのか・・・。
そんな事を考えていると、突然ドンッと大きな音が響き、驚きの光景に目を見開いた。
「なッ・・・!」
カインも同じようで短く声を発したきりだ。
先程までルゥの前に立っていた大木が、たった一発の蹴りで真っ二つに折れているのだから当然である。
ゆっくりと振り返り、どこか誇らしげな表情を浮かべるルゥに、私は大きな拍手を送った。
「さすがです、師匠!!さぁ、カイン様。ここが見せどころです!お嬢様が認めた護衛騎士を倒したとなれば、好感度はグッと上がるはず!!」
「グラシアが俺を認める・・・?」
そう言ってカインは真っ直ぐに前を見据え、一歩踏み出し両者向かい合うと緊張感が漂う。
そう、行くのよカイン。その勇姿はしっかりとお嬢様に伝えます!
心の中で送ったエールが伝わったのか、カインは両腕を前に出した。
なかなか珍しい構えだ。
「・・・手、手を・・・。手を合わせて、みんなで強くなろう!」
何を言ってるんだ、この人は。
「俺は最初から戦うつもりで来たわけじゃない。そうだよな。なぁ?」
ヒィッ!般若のような顔でこっちを見てる!?
こんなの私に言えるのはこれしかないじゃない!
「その通りでございます」
もう、意味が分からない・・・。
では、脳内データで振り返ってみましょう!
ロクサーヌ選手、大きく一歩踏み出して相手と向き合う。いいよいいよ、ここまではとてもいい!
暫しの沈黙、ここでしっかり気持ちを作って。
おおっと、フェイントで振り返りました!振り返ったその顔は・・・般若だ~~!
しかしロクサーヌ!権力にものを言わせてイエローカードを切らせない!!
なんという外道!スポーツマンシップの欠片もない男です。
さぁ、ロクサーヌ。再び前を向くこの一瞬でどれだけ作り込めるのか。
今センターです!センターポジションでのその表情は・・・笑顔だ~~~!!!
決まりました!逆転掌返し成功です!!
こうしてあっさり敗北した私は、ルゥとカインの間を取り持つ事となった。
それなのに、この男ときたら・・・。
「カイン様、休んでいる暇はありませんよ!次は人力馬車です!」
「・・・お前、俺をなんだと思ってるんだ」
強くなりたいと言うから、私とルゥが毎朝やっているメニューを教えただけである。腹筋・背筋・腕立て伏せ・走り込みなんてウォーミングアップだよね?
これしきで根を上げるなんて。
息を切らして座り込んでいるカインに、どうしたものかと肩を竦め溜息が出てしまう。
そんな時だった──
「どうかしましたか?」
金色の髪は糸のように細く艶やかで、愛らしい笑みに美しい翡翠の瞳。
間違いない。第二王子、クリス・シュリンクだ。
(どうしてここに・・・)
王子の後ろにはお嬢様と、あの白髪に白髭は──カインの使用人か!!
姿が見えないからお嬢様に助けを求めたのだろう。
この状況は非常にまずい。
「クリス・シュリンクの名において、これより第一回緊急集会を始めます」
「聞いて下さい、殿下!あの娘がカイン坊ちゃんに酷い仕打ちをしたのです」
「ほぅ。使用人が貴族を尻に敷いたという事ですね?」
「誤解です!確かに私はただの使用人ですが、尻に敷くだなんてとんでもない!これでも尽くすタイプです!!」
「両者の言い分は分かりました。それでは判決を下します。使用人クローネ、貴族を貶めようとした罪で尻叩き百回とする!」
「そんな!?」
・・・と、私が悪役になる展開だってありえるのだ。
どう説明すれば語弊なく伝わるだろう。汗ばむ手を強く握りしめて考えていると、先に口を開いたのはクリスだった。
「面白そうですね。私も御一緒させていただいても?」
思いもよらぬ展開だ。バッドエンド一直線の可能性もあったのに、首の皮一枚繋がったのかな・・・?
「殿下・・・」
「大丈夫ですよ、グラシア嬢。婚約者の前です。少しは良い所を見せたいですから」
「待てッ!俺だってまだやれる!」
カインも復活し、新たにクリスを加えた四人で基礎体力向上メニューをする事になった・・・人力馬車までやると命を脅かされそうだったから、そこは自重した。
全てが終わったのは、すっかり日が暮れて辺りが暗くなった頃だった。
疲れ知らずなルゥを除き、私達は息を切らして地面に倒れ込んだ。
心配そうに見つめるグラシアにクリスは笑いかけ
「こんな無茶苦茶をしたのは初めてです。見てください。情けない事に、満足に拳も握れません」
そう言って、力の入らない手を上げてみせた。
「本当に情けないな。優秀だと言われてる第二王子がこの程度か」
「坊ちゃま!!」
・・・仕える主があれじゃ苦労するだろう。
「構いませんよ。それに、そういう彼も相当疲れているようですから」
「何だと!!俺はまだやれる!」
「ストーーーップ!!!」
今にも飛びかかりそうなカインと、涼しい顔で返しているクリスの間に割って入った私の心臓は飛び出しそうだ・・・。
使用人である私が入り込んだのだ、何を言われるのかと身構えていたが、二人は何も言わなかった。いや、それよりも衝撃な事態に何も言えなかったのだ。
目を丸くしている二人の視線の先を追いかけ、私も言葉を失った。
「・・・フッ。ごめんなさい。だって、フフフ・・・」
目の前には、口元を手で隠して愛らしく笑うグラシアがいたから。
「三人とも、すごい顔をしているわ」
顔を見合わせた私達は、それは酷いものだった。
髪は乱れ、汗を拭った顔には土や葉がついている。
笑われるのは当然だ。
だけど、グラシアにとってはそうじゃない。
こうして声を出して笑うグラシアを、私は初めて見た。
この反応はきっと二人も同じだろう。
心臓に悪い長い一日だったけど、まぁ悪くない一日だったな。
言うまでもなく、この日の出来事は私にとって忘れられない思い出となった。
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