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始まり

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 今日はいよいよ文化祭当日。
 生徒達は朝早くから登校して準備に追われている。


 宣伝部隊である私は、分厚いチラシの束を抱え配り歩いた。
 各クラス宣伝はしているが、特に人気だったのはルゥとリオンのコンビだ。
 これならレイヴン特製の薬草茶は、瞬く間に完売となるだろう。


 フランソワのドレスショーにも注目が集まっているようで、事前予約だけで満席だそうだ。


 宣伝部隊が集う中央広場も生徒達の作品の一部である。
 風の魔法で花弁が舞い、水の魔法が女神の像を作り見る者を魅了する。


 人が行き交う賑やかな場で、手持ちのチラシを全て配り終えた私はその足で急いで体育館へ向かった。
 開演時間まではまだ余裕がある。


 体育館は既に多くの人で席は埋まっていた。 
 私は舞台の裏手に回り、身支度を整える演者達の間を抜けてグラシアの元に辿り着いた。



「クローネは宣伝部隊だそうですね。お疲れ様でした」
 王子役であるクリスは腰から剣を下げ、立派な姿が様になっている。


「いえ。文化祭の雰囲気も感じられて楽しかったです!」
「ご苦労様。後は客席から見ていて」
 グラシアは真っ黒なドレスに赤いイヤリングを身につけて、化粧は悪役らしさを出したきつめの仕上がりになっていたが、整った顔立ちによく似合っていた。


「ありがとうございます!・・・そういえば、カイン様はどんな役を演じるのですか?あまり練習に参加できてない印象がありますけど」
「カインは森の妖精Cですよ」
「森の妖精C!?」


 聞いただけで似合わないカインの妖精姿を想像して、私は吹き出しそうになった。
 だからどこにも見当たらないわけね。



 舞台の開演時間が近付き、私は会場に戻った。
 先程はちらほらと空いていた席も、いつの間にか埋まっていて満席状態だ。


 仕方なく立ち見する事にして、壁に寄りかかると 
「ごきげんよう」
 私の前で足を止めたその人は、金の髪を耳にかけて微笑んだ。


「ダチュラ様、ごきげんよう」
「凄い人ですわね。早めにきて正解でしたわ」
「予想よりも多い方達が足を運んでくれて安心しました。ダチュラ様も楽しんでいってください!」


 ダチュラは席を確保できているようで安堵した。
 きっとジャスミーナも来てほしかったはずだから。


「クローネ様はどちらの席ですの?」
「私は席取りができなくて、ここで立ち見をしようと思っていた所です!」


 その言葉を聞くと、仮面の奥のダチュラの瞳が妖しく光った。


「それならわたくしとご一緒しませんこと?実は、一緒に来る予定だったお友達が、急に来られなくなってしまいましたのよ」
「いいんですか?」
「当然ですわ。まだ席取りをしたままですので、遠慮は無用ですわ」
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて」


 一時間という長い舞台。ダチュラの厚意に有難く甘える事にした。


 案内された席は最前列のセンター、演者達の表情まではっきりと見える席だ。


「よくこんなに良い席が取れましたね」
 驚きつつ腰かけて、周りの迷惑にならないよう小声で話しかけた。


「執事に頼んで、席を取っておいてもらいましたの」


 舞台に上がっていてもこの席はよく見える。
 私を見つけたグラシアが驚く姿を想像して、自然と笑みが零れた。


 会場の照明が薄暗くなり、開演時間を告げるアナウンスが流れたその時──


「色褪せる事のない素敵な舞台の開幕ですわ。目を離してはいけませんわよ」



 雑音に紛れて確かに聞こえた声に、私は目を丸くして隣を見た。
 ダチュラは真っ直ぐ前を向き、拍手を送っている。


 言葉の真意を聞けないまま、演劇がスタートした。


 劇は滞りなく進み、練習を重ねた成果がよく出ている素晴らしい演技だった。
 妖精役のカインは全身緑の葉をつけた衣装で登場して、妖精というよりもみの虫のようで観客の笑いを誘った。


 物語は終盤に差し掛かり、王子と姫の仲を引き裂く悪役の登場だ。
 そして姫役のジャスミーナと悪女役のグラシアの二人のシーン。
 私が勘違いをして止めに入った場面だ。


 悪女にナイフで刺され倒れた姫君は、駆けつけた王子に抱きかかえられ愛の告白を受ける切なくも心打たれる一幕。



「貴女さえいなければ・・・!」
「キャーーー!!」

 鈍く光るナイフを振り上げた悪女役のグラシアを前に、姫役であるジャスミーナは甲高い悲鳴を上げて後退りした。


「さようなら」

 冷たい目をしたグラシアが躊躇いもなくナイフを振り下ろした、その瞬間。

 スッ──
 赤い鮮血が飛び散った。


 これは劇だ。当然ナイフだって偽物で、切れるはずなんてない。


 信じられない光景に、誰もが目を疑った。
 暗い会場の中だけ、時が止まったようだった。


 観客も演者も誰一人動かず絶句して、ジャスミーナの腕から流れる血だけが目の前で起こっている現実を訴えている。


 この時の私はまだ、これが始まりに過ぎないなんて知る由もなかったのだ。
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