都市街下奇譚

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三十七夜目『感情』

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これは、友人から聞いた話なんですがね、そうマスターの久保田は、グラスを磨きながら何気ない気配で口を開く。客足は奇妙なほど途絶えて、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。


※※※



昔から自分が思ったことを隠しておけない性格であることを、鈴木貴寛はよく知っている。思うとそれは直ぐ口をついて出てしまったり、顔にも直ぐ様出てしまう。幼い頃からこうだったので、親にも何度も言われたのだ。幾ら嫌だからといって、それを顔に余りにも出しすぎるのは問題だと。それでも上手く治らず、今までそれで失敗した事は数知れない。一寸でも嫌いとか嫌だとか思えば直ぐ思ったままのことが言葉に変わるし、感情も隠しようが無い。そのせいで喧嘩になったりすることもあって、友達も数人しか出来ないのは貴寛自身のせいだ。

「どうして、直ぐ口に出るんだろうなぁ、俺。」
「まあ、そこが貴寛のいいところでもあるんじゃないか?」

そんな風に貴寛に言ってくれるのは、親友の柿崎晴臣くらいなものだ。そう言う人間だと知っていても大概の人間とは喧嘩になるので、友達だと言えるのはほんの数人くらいなのだ。何度もそれを何とかしようと気をつけてみたものの、ひと時気をつけてもふとした瞬間にそれはまた表面出でてしまう。しかし、この性格のせいで貴寛は恐らく賭け事も出来ないし、人をだます事もできない。ある意味では凄く善良な人間といえなくも無い。だが、隠しておきたい事は生きていれば、誰しも一つくらい存在するものなのだ。

「なぁ、鈴木。お前一組の宮井が好きなんだろ?」
「そ、そんなこと無い!」

高校一年の時に宮井麻希子を始めてみたのは、駅前で小さな子供の手を引いて歩いていた姿だった。優しい笑顔で手を繋いだ子供に話しかける姿は、天使か妖精みたいにキラキラしていて眩い。そんな風に小さい子に優しくしている彼女が実は同じ高校で、誰にもあのクリクリした瞳で微笑んでいるのを直ぐに知った。それからというものの時折部活動でキャンバスに向かっている姿を覗いたり、教室で友達と楽しそうに笑っているのを覗きに行ったりしている。でも、誰かとそれをしに行った訳ではなく、どれも単独行動。貴寛は今回ばかりは、誰にも気づかれていないと自信があったのだ。

「お前さぁ、隠すの下手すぎなんだよ。」
「えっ。」

だって、お前態々宮井が居るとこ覗きにいってるじゃん、あからさますぎなんだよと級友が呆れたように言う。しかも、自分は他のクラスメイトに宮井が話しかけているのを見ると、とんでもなく不機嫌になるのだという。そんな馬鹿なと思いながらも、試しに親友の晴臣に問いかけたらアッサリと

「知ってるよ?だって、貴寛の行動は隠しようないし。」

ガックリ落胆したがそこまでバレているということは、宮井にも不振人物として見られているのではないかと気がついた。宮井にとって不振人物として捉えられているのだけは、なんとか誤解だと伝えた方がいい。そう思った貴寛はこの際だから、キチンと彼女に告白することに決めた。一年間も不振人物として捉えられていないのなら、もしかして宮井の方も自分の事を少しは気にしてくれているかもしれない。そんな都合のいい事は起きないかもしれないが、可能性があるならこの際駄目元だ。貴寛は必死に考えてラブレターを書いた。月曜日の夜に、好きだ、週末の金曜日の昼に屋上に来てほしいと書きあげた。ところがマゴマゴしているうちに日にちは過ぎて、宮井の下駄箱にやっと手紙を入れたのは木曜日。何とかギリギリ金曜日に間に合ったと安堵したものの、今度は彼女が手紙をちゃんと読んでくれるかが不安でしかたがない。結果的に宮井の後をつけるようにウロウロしていた貴寛を止めたのは晴臣だった。

「貴寛、流石に目立つから止めなよ。」

そう言われて自分の挙動不審さに貴寛はハッとする。これが皆からあからさま過ぎると言われた行動なのだが、今まで何度こうしていたか自分でも分からない。少なくとも貴寛は宮井の家は知らないので、自分が宮井の家まで付け回していないことだけは安堵してしまった。宮井の家は宮井と仲良くなれたら、招待して貰うのが正解なのだろう。

翌日緊張しながら昼のチャイムと共に、屋上に駆け上がる。空は青く澄んで気持ちのいい風に、何だか上手く行きそうな気すらしていた。やがて一人では恥ずかしかったのか宮井は、同じクラスの志賀早紀と須藤香苗というチグハグな三人で現れた。志賀早紀は近郊でも有名な白の君なんて呼ばれている位の旧家のお嬢様。方や須藤香苗は最近学年で噂の素行の悪い遊び人。それと一緒に小動物みたいに小さくて可愛い栗毛の宮井麻希子はかなりのミスマッチだ。緊張しているのか志賀の背に半分隠れている宮井は、真ん丸の瞳で自分の事を不思議そうに見ている。でも、不振人物として見ている気配ではなくて、貴寛は安堵しながら自己紹介に口を開いた。

「宮井さん、7組の鈴木貴寛と言います!」

一組の宮井とは何も接点がないから、少しでも間を狭めたい。手紙を受け取ってここに来てくれたんだから、自分の事を少しは気にかけてくれていたのだと信じたい。

「俺、1年の時から君の事見てて!もしよかったらお付き合いして欲しくて!」

必死に告げると感情の隠せない自分の顔が、真っ赤に変わるのが分かった。それでも宮井はまだ志賀の背後から顔を覗かせ、貴寛の事を不思議そうに見つめている。

「君が小さい子と手を繋いで歩いてるのを見て、凄く優しいし可愛いなって思って、その後もずっと見てたんです。」

その言葉に宮井が何かを思い浮かべるような表情をしたから、貴寛はきっと彼女は見つめていた自分の姿を思い浮かべたに違いないと感じた。良かった、ヤッパリ気がついていて、気にかけてくれていたんだと確信する。後は彼女の気持ちを聞いて、仲良くなれたら

「ごめんなさい、私、好きな人いるんです。」

か細い声で申し訳なさそうに答えが聞こえた。緊張ではなく怯えだったのかと、今さら気がつく。彼女が一人で来なかったのは、自分を不振人物だと認識していたからなのかと今さらながらに思った。訂正したいと心の中に呟く声がする。だけど、ここで更に食い下がるのは男として、情けなさすぎると流石に心の何処かが貴寛に呟く。貴寛にできたのは直ぐ様感情が浮かぶ顔を見せないよう、礼儀正しく頭を下げる事だった。
その直後に彼女の横をすり抜けて階段を駆け下りた。そのまま教室に戻った貴寛を、晴臣が終わった?と言いたげな顔で待っている。

「駄目だったよ、晴臣。」
「そりゃそうだよ。」

情け容赦ない晴臣の言葉に目を丸くすると、晴臣は分かりきっている理由を教えてくれた。宮井は最近同じクラスの優等生の真見塚孝や転校生の香坂智美を筆頭にした、学年トップクラスと陰で呼ばれるメンツと仲がいいのだ。文武両道の真見塚や学年トップの香坂は顔もいい。そんな彼らが基準では、貴寛なんて目に入る訳がないだろうと言われた。

「それを早く言えよ!」
「言ったけど、聞かなかったんだろ。」

アッサリと晴臣に返されて絶句する。聞いた気はしないが聞かない気もしないところが、貴寛の残念なところだ。自分はそれほどルックスも悪くない、でもこの感情を隠せない部分は最大の弱点だとおもう。世渡りだってこのままじゃ上手くいきそうも無い。そう思うと前途すら暗いような気がして落ち込む事も暫しだった。



※※※



失恋に落ち込んでいたそんな時、晴臣ではなく塾の友人からその話を聞かされたのだ。それは信憑性の怪しい、一つの都市伝説みたいな話だった。

『願い事が一つだけ叶う。』

正直馬鹿馬鹿しいと思ったのが直ぐに顔に出て、その友人に嫌な顔をされてしまう。しかし、その友人の話を聞いているうちに、1つだけ叶うならと心の何処かで思ってしまった。そうして、そう思った事もその場で友人に看破されてしまった訳だが、結局その願い事を叶える祈願に頼ってみる事にした。
やり方は簡単、某所に安置されている仮面を自分の顔に当て、願い事を三度唱えるだけ。注意事項は夜行くことと、願い事は具体的であること。随分眉唾な注意事項だが、本当にこれで一つ願いが叶うなら儲けものだ。でも、旨い話にはリスクがあるものだと考えると少なからず不安だった。


決行したのはその話を聞いて、案外と簡単に実行できそうだと思ったからだ。場所は学校からもほど遠くない、元は不動産関係の人間が住んでいたらしい豪邸。夜逃げでもしたのか数年前からは空き家になっていて、手入れのされなくなった庭は既に廃墟の気配だ。広い敷地に以前は、お洒落なデザインの邸宅だったのだろう平屋のお屋敷がある。噂では一人息子が殺人鬼になって人を殺して歩いて、夜な夜なこの屋敷に血塗れの長男が戻ってくるとか、殺された相手が徘徊しているとか言うのもある。別な噂では屋敷の中に日本刀や日本人形等の収集部屋があって、その中に呪われた物があって家族がおかしくなったとかいうのもあるらしい。兎も角この屋敷の何処かに桐箱に入った能面があって、それが貴寛の目的だった。
潜り込んだ貴寛の視界には、雑木林に変わりつつある庭が広がった。その屋敷の敷地内には乾いた靴あとが幾つもあって、同じ願掛けをした人間が何人もいるのが分かる。誰かも貴寛と同じように、一つの願い事を叶えるために不法侵入をしているのだろう。夜とはいえ住宅街の中で他人の家に不法侵入しているのだから、外に向かって光が入らないよう細心の注意を払いながら桐箱を探す。随分長い間家の中をウロウロして、流石に桐箱の時点からガセだったのかと思い始めた頃、不意に壁だと思い込んでいた場所が実は開き戸だと気がついた。気の開き戸だったので夜の闇では、取っ手が見つからなかったのだ。思いきって取っ手に手を駆けて、ソロソロと引き開ける。軋むように擦れる音をたてて扉が開かれると、かび臭い空気が流れてきて貴寛は袖で口を怒った。
何人も土足で歩いたのだろう、畳に着いた足跡。
貴寛と同じことをした人間も最終的にここに入ってきたのを示す痕跡が、古びた畳の上に泥や土の欠片を擦り付けて足跡を幾つものこしていた。そして、床の間には日本刀や年代物の鎧兜が飾り付けられ、掛け軸が壁に何枚か黄ばんだまま残されている。反対の壁には水彩の絵、床の間の横の棚には壺や茶碗。どうやら、持ち主が収集家だったのは本当の話だったらしく、どれも保存状況さえ良かったら良い値段になりそうだ。

何で、このままなんだろう。

夜逃げにしてもこれは売れば幾らかにはなるだろうし、残された家具も売ればかなりの額だ。夜逃げの理由は金銭ではないのかも知れないと考えた途端、殺人鬼の方が頭に浮かんで青ざめる。さっさとやりたいことを済ませて買えるべきだと、貴寛は畳の上に足を乗せた。他は床だったから感じながったが、畳は異様に柔らかく足が沈むような感触を足の裏に伝える。まるで水を吸って腐っているような柔らかさで、まるで足の下で畳が別の生き物みたいだ。緊張しながら室内に進むと、床の間に不釣り合いな薄い桐箱が一つ置かれている。柔らかい踏み心地の畳が気味悪いし、歩く度に足が沈み混んでいくみたいだ。気持ち悪い感触に震え上がりながら、奥に向かっていくとその桐箱は思ったよりも綺麗な箱だった。周りの黴臭く湿った空気とは正反対で、乾いて軽く清潔にすら見える。恐る恐る手を伸ばして蓋を開けると、中には真っ白な表の能面が入っていた。

うわ、やだなぁ。

ただでさえ薄気味悪い部屋の中で、どんなに綺麗に見えても誰が着けたか分からない仮面を顔につけるのは恐ろしい。でも、やらないとここに来た意味がないのだ。ソロソロと手を伸ばして仮面を持ち上げると、何故かそれはヒンヤリと冷たく肌を指すように感じた。本当にこの仮面なのかと考えるが、同じようなものはこの部屋には見当たらない。ここに来るまでも何処にも、仮面に類するものは見当たらなかった筈だ。たかが能面をつけて願い事を三度唱えるだけ。そう心の中で踏ん切りをつけた貴寛は、勢い良く能面を裏返し顔を押し込むと願い事を三度繰り返した。



※※※



「貴寛どうしたの?ないてんの?」

え?と顔を上げると、手の前で晴臣が心配そうな様子で貴寛を見下ろしている。貴寛は不思議そうに彼を眺めるが、晴臣の方が今度は不思議そうに首を傾げた。

「ああ、ごめん、俯いてたらなんか泣いてる顔みたいに見えてさ。見間違いだったみたいだよ。」

そういう晴臣の目は実は確かなのだろう。そう貴寛は考えるが、訂正する方法が貴寛にはなかった。貴寛は実際に今更と思いながら、自分のした事をつくづく後悔している。

願い事の仕方が悪かった。

そして仮面のご加護は強すぎるほどだったのだ。貴寛に完全な恩恵を与え、そしてそれがたった一生に一度の恩恵であった事が最悪の災いとなった。貴寛は浅はかにもこう願ったのだ。

『感情が表に出なくなりますように。』

そんな願い事の仕方だったから、貴寛は全ての感情を顔に出すことを失ってしまった。今の貴寛は能面のような顔を微かに向きを傾けて、それぞれの感情表現をするしか出来なくなってしまった。下を向けば泣き顔、正面だと笑い顔、上を向くと怒り顔という風にまるでの能面の様な方法でしか感情を示すことが出来ない。そして、この願い事が一生のものだとしたら、貴寛はこれからずっとこの顔で生きていかないとならないのだ。



※※※



能面の置いてある家に忍び込むことの方がずっと怖いですよ。

自分が苦笑しながら言うと久保田がそうですねぇと言いながら笑う。子供の頃は廃屋なんかに忍び込んだ経験はあるけれど、それは子供の肝試しのようなもので何かを願うためではなかった。話の彼のように、また他にも何人も忍び込んで同じことをしていると言われても、正直薄気味悪い話だ。

それにしても願い事が一つ叶うですか。

何を祈りますかと聞かれ自分は暫く考え込んだが、やはり苦笑しながら久保田の事を見返した。

上手く願えない気がするんで、多分しに行かないでしょうね。





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