GATEKEEPERS  四神奇譚

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第一部

第一幕 同時刻都市下護法院

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そこからはるか西方にある山麓の中腹で、月光に晒され不思議な力を持つ三人がそれぞれの特異な能力で移動を始めたのとほぼ同時刻。

巨大都市部から延長されたように放射状に街の光が広がっている。不夜の城のように人工の光は空までうっすらと照らし上げていたが、そこは空気が異なっていた。大都市の片隅にある住宅街よりも更に山際。元は丘陵とも言える地形に古い寺院にも見える建物が、立派な門構えを構えて佇んでいた。門柱には巨大な一枚板に『護法院』と刻まれているが、宗派等の文言は見えない。当然その先にある広大な敷地の中に仏像等の明らかなシンボルはなく、巨大な建物が点在し廊下で繋がっている。竹林や雑木林がある敷地の本来の広さは不明だが、その敷地の最も奥深く古めかしい家屋。未だ周囲に大型台風の影響はなく、家屋の周囲の竹林を揺らす風はない。空には月が煌々と冴え、目立つ人の気配もない。そんなひっそりと静まり返ったその家屋の奥に、異質なその部屋はあった。古めかしい日本家屋の佇まいには、酷く不釣り合いな数多くの最新のモニターが所狭しと並べられ薄暗い室内で人工的な光を落としている。
そこには一人の主の姿があった。沢山のモニターの前で少し長めの栗毛の髪を両頬に垂らし眼鏡に光を反射させ、カタカタと絶え間なく音をたててキーボードを打つ音を響かせる。薄暗がりでもわかる線の細い中性的な顔立ちにはまだ幼さが残り、一見すれば少女にすら見えるような可憐な姿。しかし、縁のないメガネのレンズ越しに見える、色素の薄いその瞳は年に似合わぬ鋭い眼光で射るようにモニターをくまなく観察しているのがわかる。それは激しい意志と強い知性をうかがわせ、彼の目は休むことなくほぼ全てのモニターを網羅し観察し続けていた。
彼の名前は香坂智美。
この古ぼけた屋敷を含むこの敷地の主であり、この異質な部屋の主でもある。そして、とある組織の当主でもある彼の目は、休む間もなくモニターを見渡す。
そのモニターの一つに彼の視線が吸い寄せられる。地図と一緒に動画の様な暗闇が浮かんでいるモニターの上で、智美の視線が止まった。動画は上空からのものなのか、微かに闇に沈む工事現場の様なモノが見て取れるが闇のためか画質も荒い。夜の闇をはっきり判別する事は到底困難なのたが、何が起きているのかは全て理解して智美は観察している。睫毛の長い黒目がちな瞳が、レンズにモニターの光を反射しながら微かに細められた。

「全く……。」

キィッと座る椅子を軋ませながら、智美は薄いキーボードとマウスに乗せた指をしなやかな動作で動かす。最後にポンとキーボードのキーを押すと、動画の画質が赤と青等の温度の分類で区切られた。カラフルなサーモグラフィーに似た画面に変換されるモニターは、智美の眼鏡のレンズに光となって移る。画面の中には、赤に縁どられた高度の熱源の存在が二つ点の様に光を放っていた。その二点の先には対照的に、零下の表示を示すような暗い色の歪な円が広がっている。二つの熱源が光を強く放つほどに、歪な円は揺れ次第に狭まって小さくなっていくのが目に見えて分かる。

「…先に到着しちゃったか、速い。」

そう呟く手元には地図を表示したタブレットがあり、その地図の中に青い点が表示されていた。智美は目を細めて、二つの地形を重ね合わせて思案する。

「こっちはまだ……十キロ手前か……間に合うどころじゃない。」

画面を眺める彼の美しく柔らかに膨らんだ唇に、ほろ苦い笑みが浮かぶ。唐突に目の前のモニター画面上、北に当たる方角からもう一つの高度の高熱源が突然出現した。そう思うと、他の二つと同じ激しい光を放つ。それに反応してか彼の目でなくとも良く分かるほど、見る間に黒円が波立ち、淵が揺れ狭まり収縮していく。



※※※



自分達を『院』と呼ぶ智美のいる組織では、あの黒円を『穴』とか『ゲート』等と呼んでいる。あれが何故生まれるのかは、長い年月の蓄積された記録でもハッキリとは分からない。あれは人間にしてみれば、黄泉の入り口のようなもので、穴からはモノが這い出してくる。得体の知れない人以外のモノの這い出してくる穴。
そして、あの黒円を閉じている彼らを古くは『方神』とか『四神』と呼んだ。最近になって『ゲート』を塞ぐ能力から『ゲートキーパー』と智美が呼んでいる。太古に『院』を生み出す基となった書物によれば、彼らは稀有な存在で意図して引き継ぐことも出来ず、神の意思で決まった人数だけ現れるとされている。そして、稀有な能力は人間とは異なる姿を持ち、隠された姿は瑞獣であると残されている。
勿論人間の中にもあの穴を見る事ができたり、塞ぐことのできる力を持つ人間もいる。ただし幽霊を見るとか言う能力と違って、ゲートは人間に障るのだ。能力を持ったまま放置された人間はモノの干渉で、急に粗暴になったり人が変わったようになってしまう事がある。モノに憑かれ突然通り魔に変わった人間もいた。誰しも「あんなことするような人じゃない」と犯人を言う言葉を聞いたことがある筈だ。院の役割の半分はその能力を持った者の保護にあると言ってもいい。



※※※



方神、故に四人。たった四人の守護者。

モニターで確認していればこの温度を見たれば、このモニターの向こうの現場では赤を通り越して白になるほどの熱を放つモノが三つ。同時に同じ場所に零下を示す黒点が存在する奇妙な世界であると言える。ところがもしこの周囲に人間がいるとしても、そこには普通の人間にはなにも見えない。モニターを見れば、見えないのはおかしいと思うほどだ。しかし、事実本当に目には見えないし、恐らく熱すらも感じない。熱源で探知するにもただのサーモグラフィでなく、もう1つの特殊なフィルターを通しているのだ。
普通なら燃え尽きてしまうような熱源を放っている三つの点が実は人間の体で、季節に関係なく零下紛いの黒円が何もない場所に存在する。そんなことが有り得ると誰が思うだろう。それでも、見えないものは本当に多くの人間の目には見えない。そうでなければ目撃者の対応に、公的な機関のお偉い方々が悪戦苦闘する羽目になってもおかしくない。そして、あの歪な黒円をそのまま放置する事で何が起きるのか知っている人間は、この社会の中にそう多くはいなかった。それにもし知ったからと言って普通の人間に対処することも出来ないあの縁からは、対処できないのに傍に居るだけで大きな実害を引き起こす得体の知れないものが沸きだしてくるし、集まってくる。それこそ害虫のように沸きだし、知らない内に地獄の様相を産み出す原因となるのだ。

つい数年前、たった一メートルに満たない歪な黒円の一つを取りこぼしたことがあった。丁度自由に活動できるゲートキーパーがおらず手が回らなかったのと、組織でもその穴を発見出来なかった。発見に時間かかった時間は半年程だ。
結果、そのゲートが開いて数ヵ月もたたない内に近くの集落ごと壊滅する事態が引き起こされた。ゲートの周囲は沸きだした人ならざるモノで溢れ帰り、院の能力が弱い者が何人か呑み込まれ生きたまま噛み砕かれた。ゲートを閉じる能力は、同時にモノを相殺できるとはされているが群れや強大なモノまでは対応しきれないのだ。甚大な災害の原因を政府は、未曾有の大雪による雪崩と山林の崩落による土砂崩れが集落を襲ったと後に発表した。
それが本当は雪でもなく土砂でもなく、人間ではない別なモノが原因だと知られたとしたら。そんな事になったら科学に頼りきった、この今の世の中がひっくり返ってしまいかねない。

ゲートキーパーに模した能力を持つ者が産まれると、いつの間にか集められ育てられることになった。それを集めて育て、更に強い力を得る方法を探るのが院という組織の生まれた理由のもう一つだ。
過去の先人達はその能力を持つ者を秘密裏に集め、能力を研究したり育てる努力を長い間政治の裏で行ってきた。しかし、先に模したと表現した通り、模したものは本物に到底及ばない。穴を探す事も穴を閉じる事も実際のゲートキーパ一たった一人に対し、2割程度の能力が院の残した記録では最も高い能力者とされている。しかも、何故か二つの能力を併せ持つ事は稀だ。そんな現実に過去の組織ではゲートキーパー当人達を確保すると、格好の研究材料としてあつかった時代がある。
それを根底から否定し覆したのが、現当主でもある彼香坂智美である。当主になってやっと組織の改革に乗り出した事を、よく思わない古参の重鎮はまだ多い。若いが博識な智美としては多くの知識等様々なデータからゲートキーパー達は特殊な条件下で生まれる一種の固有種であり、如何に研究しようと人工的な血脈への能力遺伝はないと考えている。ところが実際に先代から現在活動しているゲートキーパーに代替わりした間に、今までは起きなかった出来事が多数起きたせいで古参の重鎮は人工的なゲートキーパーを産み出す事を未だに根強く声高に叫んでいる。それがゲートキーパー達と院の間に大きな溝を作り、現在のゲートキーパー四人のうち二人の身元は院には判明していない。
古参の二人のゲートキーパーが、残りの二人の事について院に伝える気がないのだ。彼等が院が見つける前に二人の身元を確保して、院に隠していることは智美も院でも理解している。しかし、院の古参の者は何とかしてその二人を手に入れようと暗躍している。その姑息な活動が古参の白虎と玄武二人の不信の原因だと、彼らは分かっていても気にすらしていない。彼らにとって稀有な存在のゲートキーパーは、未だに自分より身分の低いペットの様なつもりなのだ。だから、まだ若く安定してそれを抑えこめられない智美は、秘密裏にゲートキーパーを支援するしかない。

全く面倒なことばかり器用に動く。

智美自身は実際には、穴をどうこうできる能力は持っていない。智美は当主として院を束ねながら、院の能力者達とは比べようもない巨大な能力を持つ四人の存在を監視する。そんな二つの役目を負うのが智美の役割だ。院では自分のような者も、随分昔から当然の如く存在してきた。智美の役目は監視者であり、他の者のようにゲートを関知したり閉じる戦うための能力は与えられない。特殊な能力はあるがけして戦力足り得ない智美のそんな役目が成り立つほど稀有な存在の者達。それこそ彼らが授かってしまった異能の所以、ゲートキーパーなる者の所以なのかもしれない。

「直径約6メートル…、閉じるまであまりかからないところを見ると、浅かったか…開いたばかりかだったか…それにしても大きいな。」

円は画面上で狭まり最後にはただ点となって、遂にはその空間は画面の上から消失した。高度の熱源三つは暫く漂うように少しその場にいたが、そのうちの二つが新たに動き出した。一方は西方へ・一方は南方へあり得ない速度で一瞬にして飛び去るように画面を横切り消え去る。その場にポツンと残った一つの熱源も五分ほどそこで瞬き輝いていたが、やがて周囲の色に一瞬で同化して消えた。
そこまでを確認して智美がポンと気だるげに再びキーを押すと、そこにはただ夜の闇に沈む工事現場があるだけだった。

「結局、御三方で封じて頂ける程度だったのだから、結果としては良いでしょう?」

背後からかけられた穏やかで優しい声音に、智美は苦笑したまま振り返り「まぁね」とだけ言って声音の主を見ると、年相応の表情を浮かべ肩をすくめた。 

「別に結果はともかく、後で玄武にこっちの手抜きだと文句を言われるのが、嫌なだけだよ。」
「仕方ありませんよ。こちらの探索班は、まだ手前で手こずっているくらいですから。」

音もなく現れ背後からかけられた穏やかな声音に振り返った智美は、薄暗がりの部屋の中に湯気の立つお茶の入った湯呑を差し出され素直に受け取った。智美より幾つか歳嵩であろうが、年には不相応に落ち着いた物腰の青年は穏やかに微笑みながら智美を見下ろしている。
友村礼慈は智美とは対照的に、艶やかな長い髪を緩く一つに束ね、切れ長の澄んだ黒曜石の瞳が目を惹く。当の本人はあまりそういう事に頓着しない性質らしいが、智美が年相応の軽装なのに礼慈は襟を正した和装をしているのも彼の性格が伺える。あまり足音を立てない優美な動きで、智美の横に辰と沢山のモニター群を見やり目を細めた。

「もう御二方は、次の場所へ?」

静かな礼慈の問う声に、智美は無言で茶をすすりながらポンポンとキーを押した。先程のモノとは違う他の二つのモニターが、其々別な場所の地図とサーモグラフィーの様な画面が室内に新しく光を投げかけた。
そこには先の場所より更に西に位置する場所を示し、既に一つの高度な熱源と零下のごとき黒円の存在がある。
もう一つは更に南の孤島に位置する場所で、零下の黒円に今まさに画面を横切る様にして熱源が飛来するように滑り込んできたところだった。モニターから目を離さず礼慈は、黒円が収縮していくのを見つめている。

「今月に入って二十か所目ですか……、今月は多いですね。」

うん、と智美が答え、最初のモニターの既に風も凪いで穏やかな月光に照らされ闇の中に薄らと見える工事現場に目を細める。

「土地開発のつけかな、それともこれからもっと大きなモノの開く前触れかも。最近は開くのも工事現場とは限らないし、自然に土砂崩れなんかでも開いてる可能性もあるだろうね。」

溜め息混じりに智美が呟きながら、モニターを遠い瞳で眺める。

「うちが封じこめたのは、その中たった二つと来てる。」

苦々しくその上呆れた様にもう一度深い溜め息をついて智美は眼鏡を指で押し上げた。もし自分に強い封じる力があったらとこんな時に、痛切に思う。彼がゲートキーパー達に見いだしたのと同じ条件が揃った自分が、ゲートキーパーに選ばれなかったのは何が違うのか。

「今日みたいに惑わされ、手出せずに投げだしたモノまで。玄武に文句を言われるのも当然だ。」
「ですが、院の者ではそれほど大きな穴は封じられませんから今回のは正解でしょう、恐らく。」

慰めるような礼慈言葉に、もう一つ智美は溜息をついて納得できないと言いたげに上目使いで眼鏡越しに彼を見上げる。そんな視線の内にある強い思いを知りながら礼慈は、モニターに目を向けたまま、同じように小さなため息をひとつついた。

「まだ彼らに負担をかけてしまいますね、智美さん。」

見る間に収縮していく円と、熱源を映しだすモニター画面を見つめながら智美は頷いた。
こうやって活動を監視されている事を、彼らは快く思っていない。他人のためにしかならないと全て放棄して穴を放置することも出来る。それなのに、宿った能力の本能なのか放棄することもできない彼らは、こうして監視されていても穴を塞ぎに飛び回らずにはいられない。人間のためにしているのだから放っておいてくれればいいのに、過去に産み出した組織と彼らの関係性のために未だに監視される不快感は智美にも理解できる。
特に現在の白虎と玄武は、智美が当主になり組織の改革に乗り出す以前からゲートキーパーになっていた。組織の者達から奇異に見られ、手ひどい研究対象つまりはモルモット扱いを受けていただろう。しかし、逆に今は快く思われていないと分かっていても、支援しかできない自分達には少しでも穴に関した情報が必要だった。
彼らの負担を少しでも軽減するためにも、新しい情報を得るしかないのだ。先陣を切って封じる事は出来ないが情報を得る事で新しいゲートの開く場所の予測を立て、少しでも彼らの負担を軽減する。智美と礼慈は其れだけを目的に、この部屋で日々動いているのである。

「うちの能力がおちたのか…はたまた何かが起こる予兆か…、良くも悪くも…ね。」

コツンと智美はモニターを叩いた。
その言葉にモニターから放たれる光の中を目の端に止めながら、礼慈は微かに眉をひそめる。

「凶兆でなければよいですね……、できる事なら。」

智美は片足を椅子に引き揚げ胸に引き付けるようにして、軽く指を噛んだ。再び眼鏡越しの色素の薄い大きな瞳を細め、一緒に活動することの多い礼慈に滅多にない硬い表情を浮かべる。薄暗い室内に響く機械音の中で、僕はねと小さくその唇が囁くように言葉を漏らした。

「どちらにせよもう何か起こり始めている気がする、礼慈。」

その言葉をこぼした瞬間、不意に一番最初のモニターに一瞬閃光の様な蒼炎が輝き、ニ人はモニターに視線を戻した。そうして、智美は静かに何気なく呟いた。

「あぁ、青龍が今着いたね。」
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