GATEKEEPERS  四神奇譚

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第一部

第三幕 都市下

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あの悪夢のような一夜から既に数日。
世の中は都市の辺境で起こった山火事の事など、すっかり忘れてしまったかのようだ。一度に何十人もの人間が巻き込まれ行方不明者がいたことすら管理問題だの過剰勤務だのと、互いに責任のなすり合いを数日激しくした。その後世間のデータが上書きされ、過去の事は忘れ去ってしまったかのようだ。三日もすると新しい交通事故ニュースや世界情勢に飛びつき、まるで何事もなかったかのように表舞台から山林火災は消え去った。まるで消え去った人などいないかのように仮初めの平穏を装い時間だけが過ぎ、人が消えたことは多くの人から忘れられる。骨すら残らず焼けてしまったのだと、それは諦めにもにた対応で済まされていく。やがて、事故現場は再度整備を再開し、新しい工事現場が更に生まれ出すのだ。

パタパタと音を立てて降る幾分強めの雨の中。片手にブルーの傘を差し、もう片手にスーパーのビニール袋をさげて忠志は歩きながら物思いに耽っていた。
槙山忠志はゲートキーパーになって二年と少し。
実は今まで一度も他の仲間にお互いの家族に関して問いかけた事はない。他の仲間の家族がどうしたかなんて彼には最初から聞く気もなかったし、正直聞きたいとも思っていない。何故なら聞こうと自分がしなければ、彼自身がそれに触れられなくてすむ。嫌な思い出を自分が思い出さなくてすむからだ。そんな事なんて考えず能天気に笑っている方が、ずっと心が楽でいられるし苦しまなくてすむ。


※※※


そう、あの夜もこの間の夜と同じ月のない夜だった。
闇の中で一階から入り口を囲うように、炎は音もなく住居を飲み込んだ。三階建ての一階は駐車スペースと水回りで、二階と三階が住居スペースの槙山家。それを飲み込んだ炎はガソリンだか灯油だか知らないが、着火の助けになる何かが巻かれていたのだけは確かだ。油の臭いをさせた炎は勢いが強く、忠志が炎に気がついた時には一階への逃げ道は既に無かった。しかも、万全な筈の消火器が家の中から消え去っていた。こうなったら窓から飛び降りるしかないと考えた瞬間、窓ガラスを破って来たのは更なる炎だったのだ。
炎が全てを飲み込んでいく。
他人か意図的に起こした火のせいで、自分の大事なモノが全て燃やし尽くされる。家だけでなく、自分の幼い時からの思い出の詰まった全て。炎は無惨に彼の全てを奪っていった。
その時偶然にも槙山家に集まっていた祖父母、伯父伯母、従兄弟、そして両親。炎の中を必死に歩き回り見つけた誰もが、既に時遅く四肢を曲げて強ばらせ黒く縮こまっていた。
忠志自身も手足が熱さに強ばるのが感じられ、自分自身の燃える臭いを嗅ぎながら必死に妹の姿を探して再び階段を上がる。三階からでも上手くすれば飛び降りられるかもと僅かに祈るように、扉を開け放つ自分を包んだのはバックドラフトの灼熱の焔だった。部屋の中は既に妹ごと燃え尽きていたのに絶望の呻き声を上げる。そこでやっと、忠志は違和感に気がついた。

なぜ、自分はこの炎の中を何時までも動き続けているのだろう?

父も母も妹も焼け焦げた炭のようになってしまったのに、自分は何故三階の自分の部屋から二階の客間を往復したのか。忠志は我に返ったように紅蓮の焔の中で、無意識に自分の手を宙に掲げる。
全てを炎に奪い去られたその場所で、一際激しく燃え上がっているのは自分の体だった。指先から激しく吹き出す焔が、目の前に横たわっていた双子の妹の体を舐め、骨すらも残さず燃やし尽くす。一体何が起きているのか分からないのに、自分の体が更に熱量を増して周囲の壁が溶け始める。足元まで飴のように熱で溶け、虚空に浮かんだままの自分を中心に延焼が広がっていく。
炎は誰か別の者が放ったものだ。
でも、全てを骨すらも残さない高温で焼き付くしたのは他ならない自分なのだ。自分の体が無意識に朱雀を宿し放った深紅の火炎が塵すらも残さず焼き尽くしたのだという残酷な真実。
自分の家を包んだ炎の中で彼は、本当は両親と親戚と妹とともに焼け死ぬはずだった。激しい劫火の中で地獄のような世界で彼は燃えていく自分の家族を見つめ、そして炎によってもたらされたこの能力が自身を大きく変えた事を知った。
彼は燃え尽きる事もなく自分自身が炎の一部と化して、激しい怒りに身を震わせて自分の体が炎の中で巨大な鳥に変化したのを今でも覚えている。

翌日、炎にもたらされたのか酷く冷たい雨の中。忠志は雨に濡れながら、心まで冷え切って凍りつく気持ちを今でも忘れられない。呆然と自分の家であった焼け跡の前に一人で長い間佇んだ。その後、暫くして彼に知らされたのは、それが放火だった事と犯人がまだ捕まらないというだけの警察官と消防隊員の無情にも響く言葉だけだった。

犯人がもし見つかったら、自分は我を忘れて火を放つのだろうか。

家を形作る柱の形すら殆ど残らない焼け跡で、忠志は自分の中にある力を自覚しながらそう考える。体を打つ雨の冷たさが痺れるようなのに、心の中は何時までも焔が燃えているようだった。忠志には今感じているのが悲しみなのか怒りなのか分からない。下手をすればそのどちらでもないのかもしれないと思う。ジリジリと身の内を焦がすような、体内を時間をかけて炙られるような不快感が次第に近づいている。
これを誰かに告げるべきなのか、それすらも間違いなのか分からずに長い間忠志はその場に立ち尽くしたままだった。それは傍目には事故の深い悲しみにくれる一人の青年に見えたのかもしれない。



※※※



忠志にしては珍しく寂しげに悲しく瞳が揺れ、ふっとその歩みが往来で止まった。
自分だけが辛いとか苦しいとかなんて思っているわけではないが、自分だけがあの劫火の中で能力を得た対価として生き残ってしまった事が今も心に棘の様に突き刺さる。一人でも助けられなかっただろうかと、何度も心の棘が自分の傷をえぐり続けていいるのだ。
もともと雨は寂しい気分になるので嫌いだったが、自分が朱雀になってから格段に苦手になった。それでも彼は苦手な雨粒に顔が濡れるのも構わず、ついと傘をあげ硬い毛質の金色に近い髪を跳ね上げながら空を見上げる。

香坂智美と友村礼慈に依頼した件は、依然として一向に進展はないようだった。因みに後日熱の下がった信哉から、先走った上に彼を連れて行ってしまった悌順と一緒にノコノコ院まで行ってしまった忠志が、容赦のない鋭い刃の様な言葉で説教という雷を落とされた事は言うまでもない。
そして、何処かへと消え去った≪饕餮・トウテツ≫の動向もようとしてつかめないままだった。その上、まるで示し合わせたかのように、その後ゲートは規模を小さく戻し開く個数も以前に戻ったようだ。ありがたい事に四人の実質活動しているのは三人なのだが、活動はかなり負担を減らしていた。信哉の肩の傷も玄武の能力のおかげで殆ど治癒しつつある。しかし、片手では何かと不便だろうと勝手な理由をつけて忠志は、毎日こうやって見舞いと称して顔を見に行っているのだ。物思いにボンヤリして暫く雨に濡れていた自分に、忠志はハッとした様に気がついた。彼はブルブルと顔を振り水滴を弾き飛ばす。

らしくねェ。

自分がまだ未熟で巧く力が使いこなせていなかった為に起きたことなら、自分が強くなればいいだけの話だ。俺は俺らしくやるしかねェんだからと心の中で自分に言い聞かせる。忠志は気を取り直した様に再び元気に、ビニール袋の中身も気にせずに大きく振りながら歩き出した。
少し小降りになって来た雨の中を、歩き続けていた忠志の足が突然止まる。既に視界には目的のマンションが映っているが、彼が見ているのはそれではなく直ぐ目の前だった。自分の視線が何を見ているのか分からず、そのままそれを見つめたまま暫し固まる。まじまじとその視線の先を見つめていたが、やがて理解が訪れ忠志は目を丸くした。
傘が落ちそうになるのを無意識に握りなおし駆け寄り、バシャリと音を立てて片膝をつくと手を伸ばし触れてみる。触れてみるとその手の中で冷たい冷え切った体の芯の方で、微かな温もりがあった。

「おい!!」

思わずその体を揺さぶり声をかける。
それは建物の陰で壁にもたれる様にして雨に濡れそぼった、まだ少年に見える幼い姿だった。声をかけながら揺さぶっても気を失っているのかピクリともしないその姿を忠志は無意識に見回す。見たところ大きな外傷や痣等はなさそうだが、全身擦り傷や切り傷だらけで、ところどころは泥にまみれている。

この場所だと車に撥ねられた訳じゃァないだろうが、喧嘩か何かか?

今頃のここらのガキそんな根性あったっけと内心高校時代を思い出して昔のヤンチャ坊主が囁く。が、それよりも医学的な知識のない彼には、看護師の宇佐川義人と違って気を失っている状態を大丈夫とは言い難い。その体が少しでも濡れないようにと気をつけながら傘を差しかけて、ハッと救急車と気がついた彼は慌ててスマホを取りだしボタンを押し始めた。突然、その腕を掴まれ忠志は目を丸くする。

「!?……気ィついたのか?どうしたんだ?お前。」

腕を掴む手の意外な力強さに戸惑いながら、忠志はその姿を見下ろす。
その頭が目の前で分からないという様にフルフルと横に振られるのが見える。
目を覚ました姿を見れば、おおよそ17か8位だろうか。ふと伏せていた顔が、真正面から忠志を見上げた。雨に濡れているとはいえ癖のありそうな髪の毛をした少年らしい顔立ちで、その大きな瞳が異彩を放っている。大きな黒目がちの瞳はどこか子供の様にも見え、雨粒を光のようにキラキラと反射しているかのような輝きを持ってる。その瞳が何処か不思議な気配を放っている様に見えた忠志は微かにたじろぐ。

「ひ、一先ず病院に。」
「駄目だ。」

初めて聞くその声は驚くほど澄んでいて、幼いようでありながら有無を言わせない力を備えたものだった。


※※※


「……それで、俺の家に連れてきたのか?」

スラリとしたモデルの様な姿で冷やかに見下ろしている信哉が、その頭にベシッと乾いたタオルを投げつける。呆れた言葉に気まり悪そうに忠志が上目使いで、結局ずぶ濡れになってしまった体に張りつくシャツを脱ぎながら彼を見上げる。
そこは言うまでもなく信哉のマンションである。
その部屋の主は毎日の来訪者が連れ込んだ少年が一人で動けるのを確認してから、まず泥だらけの少年をシャワーに追い立てたのだ。そしてフローリングのリビングで次に風呂に入れるために、忠志にソコに居るよう厳しく言い放ったわけだが。

「マジですぐそこだったんだよ、家に戻るよかさァ。」

本心から申し訳なさそうに言う忠志にそこではない・馬鹿者と言い放ってから、信哉は腕を組んだままで浴室に響くシャワーの音に耳を澄ます。集中して聞けば壁一枚くらいどうという事がないというその過敏な聴覚は、本来彼自身は好んで使う訳ではない白虎の鋭敏な知覚の一つでもある。音を聞いている分には、動作に問題がありそうな音もしない。この動きの様子では確かに交通事故ではなさそうだし、忠志の言う様に喧嘩か転びでもしたのかという風でもある。彼は一つ溜め息をついて、目の前の忠志に意識を戻した。

「…しかし、子猫や仔犬を拾うのとは訳が違うぞ、忠志。」
「それくらい、分かってるよ、流石に俺だってさァ。」

信哉の言葉に忠志自身が、タオルをかぶりながら僅かに不思議そうに首をかしげる。まるで、自分でもその理由が分からないという表情は、流石に今まで一度も見た事のないものだったから信哉は思わず顔色を変えていた。
先ほど青年を背負ってやってきた忠志の姿を思い出した信哉も少し訝しげに眼を細める。確かに連れられてきた青年は、今までに感じた事のない不思議な気配を持っていた。何だか有無を言わせない、そんな力を持っているかのような感じを受ける気配なのだ。

人外ではないだろうが……。

ふと背後で扉の開く音がして、青年が部屋の主の借り物の服を袖まくりして姿を見せる。
信哉の異母弟とほとんど変わらない年に見えるその青年を横に、信哉は忠志にもシャワーを浴びてこいと浴室に追い立てる。雫に濡れた床を溜息をついて軽く拭いてから、気がついた様に立ちすくんだままの青年に座るように促した。
驚くほど素直にその言葉に従ってストンとソファに腰を下ろしたその不思議な気配を放つ青年を、キッチンのカウンター越しにまじまじと見定める様に見つめながら、湯の沸くのを待つ。

「君、名前は?」

普段とは少し違う穏やかな声音に、青年は振り返り信哉を眩しそうに見つめる。その彼の視線に気がついた信哉は少し不思議そうにその視線を見返して、微かに首を傾げながらマグカップにコーヒーを注ぐとそれを手にリビングの青年に歩み寄った。

「澤江………澤江 仁……。」

先ほどの問いに素直に答えた青年を、真正面から見つめる様にして湯気の立つマグカップを気をつけてと声をかけて渡す。信哉の視線にかはたまた何か別なモノにか眩しそうに目を細めた青年は、戸惑う様な表情を見せつつおずおずと受け取ったマグカップに口をつけた。
暫く無言のまま信哉は鋭敏な白虎の能力を使い、耳を澄まして聞きとる呼吸も心拍も普通の人間と遜色ないものの様に聞こえる。

人外じゃないか……、しかし何者だ……?

≪聴くこと≫を止めた信哉は、未だ見定めたままの目を細めていた。目の前の幼く見えるそのマグカップをおずおずと口に運ぶ仕草に、再び異母弟を思い出している事に気がついてふと苦笑した。その美しい表情が目の前で浮かべた苦笑に気がついて、仁は不思議そうな何か問たげな視線を信哉に向ける。彼のその視線に気がついて微かに自嘲めいた微笑みを浮かべると、信哉は言葉を繋いだ。

「何で、倒れていたか覚えているか?」

実際には青年は知らない事だが、彼にしては酷く優し口調で穏やかに問いかける。ここに忠志がいたら、聞いた声に「差別!!」と叫び出すこと請け合いだ。
その青年はマグカップを口から離し、揺れるコーヒーの波紋をじっと見つめがら問いに暫く考え込んだ。暫くそうしていたが、視線をあげると信哉の顔を見つめながら困ったように小さく首を横に振った。まるで、それは例えれば迷子の仔犬のような感を受ける。

「え……?」
「分からない…、覚えてない…。」

その言葉に信哉は眉を潜め、彼を見つめなおす。
その後、浴室から出てきた忠志も加え、どれだけの質問を問いかけてもソファの上で小さくなってしまったような彼はどれ一つとして答える事が出来なかった。
何故なら彼の中ちは、自分の名前以外何一つ記憶がなかったのである。信哉と忠志の2人はそれに気がついて思わず顔を見合せて、目を見張っていた。
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