GATEKEEPERS  四神奇譚

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外伝 はじまりの光

第四幕 鳥飼澪三十四歳 黒影

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幼い礼慈の眼に映った黒い影。それは年を重ねていくうちに見えなくなる類いのものとは違っていて、何時までも礼慈の瞳にはそれが映っている。しかもその影は、澪だけに現れたものではなかった。濃さには人それぞれ違いがあるようだと気がついて、礼慈はより濃いのが誰なのかを探し始めている。黒い影の意味を知るには、それがもっとも手っ取り早い。薄いのはきっとまだ遠いから、だからきっと濃いものは近くにいるのだと考えたのだ。
その数日後に何時ものあの薄暗い部屋の中で礼慈は、彼の横にいる老人にも同じような影が近づいているのに気がつく事になる。その影は澪のものと同じくらい、彼の傍に近づいているように見えた。それを見ると礼慈は意味も分からず不安になった。
まだ遠いが、それでも一日一日と日を追う毎に影は近づいてくる。
それをどう表現していいのかも分からないが、何だか不安に駆られるものだった。

彼らは毎日毎日人間としても≪四神≫としても必死に生きている。

それが僅かに成長しながら彼の感じたことだ。
澪は院の上層部と喧嘩越しに掛け合い、礼慈が小学校へ行くことを渋々承諾させた。でなければ、礼慈はは完全に隔離された院の幾つかの畳の中の世界だけで育ったことだろう。

「守らねばならないものの意味も知らずに育って、人間が人間を知らずにどうやって守るものを判断するというの!!あなた達だって小学校くらいは通ったでしょう!?その基準を学ぶ機会すら、仲間になる若い世代から奪おうだなんて!封建的にも程があるわよ!!馬鹿なの?!呆けてるの?!あなた達!」

星読として学校なぞは必要ないと言い張る古参の者達を一喝して、言い負かした澪は拍手を送りたくなるほど凛々しく格好よかった。実際澪のその行為に隣の式読が、思っていたほどあまり反対しなかったのもあるが。お陰で礼慈の見る世界は少し広がったが、その変化で彼が発揮する力が失われるわけではなかった。逆にそれは他の人と触れ合う機会を増やした故に、余計にその黒い影の存在を感じさせるようになる。
その黒い影は大概の人間について回っていて、陽射しの中の影法師と何ら変わりがない。ただ濃淡が違うだけで見ているうちに、礼慈には幾らか見分けることができた。薄いのは子供や年が若いものに多いし、濃いものは大概年寄りに多い。勿論その中でも濃さには個人差があって、淡い黒さというにはまだ早いだけのものもいる。
異様に黒い影が濃い者が、院の人間の中にいるのにある時気がついたのだ。その影は今迄見た中で最も闇の暗さに近く、その者の顔を覆い隠してしまうように人相が判別できない。それほどまでに暗く濃い影に頭を飲み込まれているのに、その者は影に気かつかずにいる。全く影を気にする風でもなく普通に歩き、普通に他者と会話をしているのだ。そして、その者は数日の内に姿を消した。
次第に年を重ねていくうちに、礼慈はそれが何なのか薄々理解できるようになっていく。あの黒い影に包まれた者は、役目を果たす最中に事故で命を落としていた。役目で命を落としたのではなく、目的地を探し山野を歩き廻る内に山際から足を滑らせ谷に滑落したのだ。
黒い影は生と対になる、人の死の影なのだと礼慈は理解した。そしてそれは間近に居る古老に、強く纏わり始めているかのような気がした。



※※※



「儂も、そろそろ後継者を探さねばならんな。」

ゲートを封じるために四神を送り出した矢先、急に静けさを迎え薄暗さを増した様にも感じていた。そんな部屋で、急に酷く年老いたように見えた古老がポツリと呟く。
礼慈は星読の黒曜石の瞳で、不思議そうに彼を見上げる。剃髪なのか既に生えないのか皺の刻まれた頭皮を撫で古老は温和に呟く。ふと横の幼い星読を見つめ、何時にない声音で囁いた。

「お前も不憫な子だ…、幼くして能力があったがゆえ、院にこうしてつながれた。」

四神の前ではけして見せない穏やかな表情で、不意に古老は幼い子供の頭を撫でる。その手は酷く暖かく大きいが、乾いた滑らかな感触だった。そんな話を今まで式読は一度もしたことがないのに、何処かその姿は何時もより人間らしい。

「式読様には、お母さんとかはいないのですか?」

思わず問いかけた言葉に、古老は苦い微笑を浮かべ遠くを見るかのように溜め息をつく。
古老の姿は何時もの威圧感をひそめ、普通の老僧のように何かを悟ったかのような瞳で幼い子供を見つめる。彼が今まで一度も自分の身の上のことを話した事がなかったことに礼慈は気がついた。実際にはその古老の本当の名前すら知らないことに気がつきながら礼慈は彼の顔をまじまじと見つめる。

「儂はな、お前よりずっと大人になってからこの役目に着いたのだよ、星読。」

その言葉は酷く悲しげな響きを含んでいるかのようにも聴こえた。大人になってから院に入る事になったのなら、他の能力者とあまり変わりがない。普通に生活していて能力が表に出てしまうと、普通に生活がしにくくなると身の回りの世話をしてくれる事の多い者は教えてくれた。だが、式読の能力は他の院の能力とは違うから、そのままの生活を続けられそうな気がする。

「どうして院にいらっしゃったんですか?」
「お前には想像も出来ないだろうな、この国でも戦争があった時代があるのだよ?都市は焼き付くされ、人が大勢死んだのだよ。」

小学校の社会科の勉強でそれは少し知っていたが、目の前の老人は直にそれを見てきたのかもしれない。その頃を思い出したのか、お前よりはずっと年嵩だったなと彼は呟く。

「ほんの十間ほどの場所の差でな、儂の目の前にあれは地獄を生み出したのだよ。」

その時に焼き付いた記憶は、今も鮮明に老人の中に残された。何故か目の前には薄い膜が自分と中の人間を隔てて行き来も出来ない。それが異界の入り口なのだと知ったのは、ここに式読として入ってからの事だ。その時は敵の作った新しい武器なのだと、思いながらその地獄を周りの家が炎で焼ける臭いを嗅ぎながら見つめていたという。
それから戦争が終わり数年の内に彼は普通に結婚して、普通に生活していたのだという。それに終止符をうったのは院の者が彼の元を訪れて、彼に式読になるための能力があることを確認したからなのだ。

「儂は結婚もしていたし子供もいた。それらはな、結婚して孫もいるのだよ。」

自分は一度も孫の顔すら見たことはないのだがなと、古老は自嘲気味に微笑んだ。ここに来るしかなかった者と違い、能力があったからここに連れてこられる人間がいるとは礼慈は驚きに目を見張る。自分も言い方を変えればそれと同じなのだが、自分は孤児として預けられていた。預けられていた施設で奇妙なものを見る光る目を始終見せつけ、職員を怖がらせ避けられていた自分はここに来るべくして来たとも言える。
親を知らないままここに居る自分、親である自分を知られないままここに居る彼。
それはどちらの立場だとしても酷く辛いことだと、幼い礼慈にも感じ取れた。夜に様子を見に来てくれる澪が、繰り返し言っていた言葉が脳裏をかすめる。

それでも、私もあなたも、みんな同じ人間なのよ?

それはこの人にも言えることなのだろう。
この閉鎖的な組織がけして正しいとは思っていないけれど、それを変えるにはもう遅すぎると分かっている。だから彼は自分に出来る唯一の威圧的な態度で、周囲や四神との間に壁を作っている。それは彼なりに全てを奪われた、院に対する拒絶の表現なのだろう。

「後継者はな、恐らくその子供か孫になるだろうな。忌々しい力なのだよ、儂の力もな。」

そう呟く彼の視線は何時になく皮肉めいて、人間味に溢れている。しかし、子供か孫だろうと断言した彼に、礼慈は驚きを隠せない。何故なら孤児の自分が先代の星読と全く関係がなかった事からも、お役と呼ばれる自分や彼の役目も四神と同じように引き継がれるものではないと考えていたのだ。それに気がついた様子で式読は、声を潜め呟く。

「式だけはな、殆どが香坂に産まれるのだよ、礼慈。」

初めて名前で呼ばれ、彼が自分の名前を知っていたことにも驚く。院の中で四神達以外に自分の名前を知っている人間が居るとは思わなかったし、ここで彼に呼ばれるとも思わなかった。

「香坂智充…。」
「こうさか…ともみつ?」
「儂の本当の名前だ…もう誰も呼ばんが、お前には教えておくとしよう。」

では、次にここに来るのも香坂という名前の人間なのかと不思議な気分で彼の事を見上げる。同じ苗字の者に産まれると分かっていれば、確かに式読として彼の元に院の人間が迎えに着たのも納得できる気がした。断りたくてもそれを許されなかった彼は、ここに来るしかなかった自分や能力で社会で生きられなくなった者達よりずっと悲しい。同時にそれは四神とも似ていると礼慈は感じる。

「儂が死んだらな、礼慈。お前と新しい式とあやつらのやりたいようにするといい。儂には出来んことをな。」

呟くように告げた言葉に、彼には今の方法をする事しか出来なかったのだということが今の礼慈には理解できる気がした。しかし、時間はゆっくりと過ぎていく、何かの結末を迎えようとするかのように確実に過ぎていくのだ。



※※※



信哉が高校受験を無事終えて都立第三高校に通い始め、院の礼慈が八歳になった五月の頃。既に目に見えて老衰の激しい式読に後継者が見つかったという言葉が四神に伝わった。しかし、それは酷く残酷な情報で彼等は思わず目を合わせる。

「式読の血縁者ぁ?まさか、あの爺子供がいたのかよォ?!」

既に今年二十九歳になる五代武は、その話に呆れたように口を開いた。礼慈からこっそりと情報を得ている澪も何と言ったらいいのかが分からない様子で声を潜めるよう周囲を見回す。何しろそこは澪の自宅ではなく、院の奥にある一室なのだ。
それに問題は新しい式読が古老の血縁者だっただけではなく、それ以外の理由も大きく関与していた。

新しい式読の後継者になるとされたのは弱冠五歳の子供なのだという。それは院内部でもかなり異例な事態だった。古参の者達が大挙して古老に直談判を続けているというが、式読の宣託がそうそう覆されないのは皆よく知っている事だ。それに今の星読である弱冠八歳の少年の能力は、今までになく秀でもている。それでも、現在の式読ですら役目に着いたのは二十代の事だったというから、五歳の子供にそれを継がせるというのは異例過ぎる。勿論こうなると式読が幼児なら自分の利益のために、自陣に取り込もうとする人間も出て来かねない。星読の友村礼慈がそういう動きに曝されなかったのは、ある意味式読の無言の牽制があったからなのだろう。

ここ数年の異例続きは、院にとっても彼等にとっても奇妙といえる事態だった。
『白虎』の光を持つ者の出現の後、一時期その動向の不明。
異例である女性の四神の出現。命を繋ぐ事の出来かった筈の四神の独りが産み育てる子供の存在。
今までにいなかったあまりにも幼すぎ、それでいて秀でた能力を持つ『星読』の出現。
そして、幼すぎる新しい『式読』。
偶然も重なると必然であるかのような気すらしてしまう。それは、何かを示しているかのような気がして彼ら四人は奇妙な沈黙の中でそれぞれに思いを巡らせる。
自分達に何かが起こるのか、それともそうではないのか。
そんな考えにとらわれながら薄闇の中で立ちすくんだ彼等の間で、不意にざわめく様な悪感がそれぞれに走った。
弾かれる様に四人は同じ方向を振り返る。
急激に大きなゲートが、自分達からはるか北に一気に口を開くのが分かった。
それは、酷く奇異な感覚。まるで無理やりこじ開けられたような感覚に、思わず優輝が微かな苦悩の呻きを発した。

「優輝さん?」

その様子を訝しげに見上げる想の声に、優輝の表情は見る間に重く沈んだ。優輝の表情は他の三人が今までに見た事のないほど酷く暗く重く光を失ってしまったかのように見える。その時、不意に四人の居る薄暗い室内に駆け込む様に幼い星読が、御付の様に後を付いてくる僧衣の男を振り切る様にして飛び込んだ。

「北で、北で穴が開かれました。その傍に何か得体のしれないものが…っ!!」

幼い言葉の後を継ぐように玄武として、静かに一番年嵩で長い月日を四神として過ごしてきた青年は、呟くように言葉をこぼした。

「人外だ。奴らがゲートを抉じ開けて這い出した。」

玄武の言葉は彼等に驚きをもたらしたが、氷水でもかぶせられたかのように酷く冷やかに他の者の背筋を凍りつかせる。それぞれに感じ取った悪寒は、十分過ぎるほどの威力を秘めていた。
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