GATEKEEPERS  四神奇譚

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第二部

第四幕 護法院日本庭園

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それより数時間前の事。
夕闇の帳の落ちる庭園に微かにともり始めた人工灯をそれとない仕草で眺めながら友村礼慈は微かに眉をひそめ立ち止った。普段は感じない微かな違和感の気配が、その敏感な神経に棘のように刺さり勘に障る。礼慈の視線は何処かに感じる違和感の原因を探るかのように無言のまま庭園を見つめている。やがて彼は優雅な仕草で廊下から音を立てて庭園の玉砂利に足をおろすと、事もなげに庭園の中を散策し始めた。

「星読様?!」

通りががった作務衣の青年が驚いた様にその姿に声をかけるのを、無言で手で制して彼はサクサクと軽快な音を立てて庭園の薄闇の中を歩いていく。夕闇の中、明かりもなしに庭園を歩く艶やかな黒髪が鈍く光を反射して歩く動きと同化してサラリと揺れるのを、廊下にいる作務衣の青年は戸惑うかの様に眺めている。それを知りながらも礼慈は、ふっと黒曜石の瞳を流れるように動かした。庭園の奥に続くその違和感の帯のような根元を追う視線が、次第に黒曜石の光を放ち始める。水音が微かに響く庭園の中には、人の気配もなく冷たい空気が漂う。

人の気配もないのに……

違和感として感じるその気配に、礼慈は訝しげに眉を潜める。その違和感という表現が、自分自身でも腑に落ちないのだ。まるで残り香の様に漂う微かな気の気配に、礼慈はまるで残り香の様に漂う微かな気の気配に、礼慈は目を細め視界を巡らせる。それをどう表現したらいいのかは分からないが、何かその場所は周囲とは違うひやりとした気配を微かに残していた。からないが、何かその場所は周囲とは違うひやりとした気配を微かに残していた。日本庭園の中には全く人の気配がないまま、更に奥へとサクサクと音をたてて歩き進めていく。

あの辺りか……?違和感があるのは…。

視線の先に続く帯のような気の気配。その根元を見つけた瞬間、彼はそこに感じた違和感の正体に気がついて更に眉を潜ませる。

彼…がいた訳ですね。

庭園に配置された大岩に一直線に日本刀で切りつけられたような鋭利な刃跡。硬い岩石を日本刀で切りつける事など有り得ないし、どんなに切れ味が良い日本刀でも岩石だけを三分の一も切り裂く事は出来ない。だが、鉱石をその一部に含む金気であれば、その気であればこの程度の跡を残すことは容易い。だが、同時に礼慈がよく知る二人の金気の能力者は、こんな周囲に対して金気を振るう事はなかった。第一に整えられた庭園を事もなく破壊するような力の使い方を、四神は誰もしようとしない。

何で……?こんな無意味な力の使い方を……

それはまるで力を得たばかりの子供の戯れにも見えるが、同時に何かに憤って八つ当たりをしているようにも感じられる。もしくは、発散しないと落ち着かないか。そんな風に思案にくれる礼慈の背後から、不意にサクリと玉砂利を踏む音を感じて礼慈は弾かれた様に振り返った。
そこには自分を不思議そうに眺める青年の姿がある。その青年はやはり空虚でありながら、微かに金気の気配をその体に漂わせていた。そして、躊躇う様に礼慈の瞳を覗き込んだ。

「あ…あの……。」

戸惑う様に開いた口から零れる言葉は酷く頼りない。目の前の彼が金気を宿していると知らなければ、この行為をしたものを探し出さねばならないのだが目の前の彼は除外しかねない程頼りない。

「あなたがこれを?雲英さん。」
「す、すみません、多分そうです。気がついたら、もうこうなってて、悪気はないんです。」

戸惑いながら告げる頼りなげな言葉に、礼慈は相手をどう見たらいいのかが判らずにいる。見た目通りだと考えていいのか、この印象は偽りの姿なのか。本来の歳は恐らく礼慈と同じくらいだと思われるはずの青年は、歳以上に幼く見える仕草で戸惑う様に言い淀む。その姿にふっと微かに微笑みを浮かべた礼慈は、それでも注意深く瞳の奥で彼の気配を探りながら見つめた。

「それで……どうしました?雲英さん。」
「あ、あの…変な話だと思うんですが……、何かが起きてる気がして……。」

躊躇いがちなその言葉に彼は眉をひそめながら、その言葉の先を無言で促す。

「おかしいと思うんですけど、自分の中にもう一人自分がいるみたいな感じで……。」

表現の仕方が分からないという様に辿々しい言葉に、不意に礼慈の脳裏には同じ気の持ち主である清廉な気配を漂わせた青年の姿がよぎる。まるでそれに気がついたかのように目の前にいた雲英は夕闇に浮かび上がるかのような瞳を細めた。

「…貴方達は知ってるんですね?……俺と同じような人が何処かに居るんでしょう?」

見透かすような瞳の色に微かにたじろぎながら、礼慈はその青年の姿を眺める。同じと言ってしまっていいのか、正直に礼慈は彼を見つめて考えこむ。彼ら四人は特殊な存在だが、四神として何処か完結しているのだと心が呟く。彼ら四神は普通の人間とは異なる存在として出来上がって存在していると、おかしな表現ではあるが、礼慈の目には見えているのだ。たが、目の前の青年はそれとは違い、何処か歪な気がする。その歪さの根源が、礼慈の言葉では表現できないのだ。これを智美が直に見れるとしたら、彼ならきっと適切な表現をするだろうと思う。
青年は夕闇の中に微かにそよぐ風に少し癖のある栗毛の髪を揺らしながら、不意に虚空を眺める様な瞳で宙を仰いだ。

「時々何かに……呼ばれる気がするんです………。何か凄く強い……モノに…。」

そう呟くと青年はその先を礼慈が問い返す前に視線をおろし、不意に漂っていた金気の気配が四散する。そこには再び虚無だけが残って彼は一瞬黙りこんだ。その一瞬の変化に目を見開いた礼慈の前で雲英と呼ばれた青年は、もうその後何を問いかけても要として答えらしい答えを導き出せない。何も知らない青年はただ困惑するだけだった。



※※※



「で?礼慈、今それはどうなった?」

暮明に押し殺すような声音に黒曜石の瞳は微かにその視線を震わせて、目の前のその姿を見つめる。目の前の彼が問いかけているのが、二人目の金気の青年の事なのは分かりきっていた。
四神はそれぞれ司るものが有るためか、無意味に力を振るうことはない。対人は勿論、対物でも意図して被害を出す事を避ける傾向がある。白虎にそれについて問いかけた事があるが、彼らは本能的に破壊を避ける面があってそこが力の片寄る人間としてのバランスなのではないかと言っていた。力を発散したくなることはないのかと問うと、五情や五志のバランスのせいか無駄に力を示したいとは感じないと苦笑いする。つまりは四神として活動する時以外は、その力を誇示したい欲求はないのだと言う。
しかし、彼らの預かる金気はどうなのだろう。院の敷地の中には自分以外の多くの人間が動き回っている。庭園の中とは言え金気の力を放つ姿を、誰も知らないとは思えない。まるで力があることを、あえて誇示しているように見えてしまうのだ。それでは現状の院の人間が持ちうる白虎の認識とイメージから、新しい金気が院の中にいるのなら彼らを排除する等と考えかねない人間が遅かれ速かれ現れそうな気がする。しかも、既に金気の二人目の話が耳に入っているだろうあの爺の動きが無いのも、智美も礼慈も奇妙としか思えない。既に統括する研究所の存在が消滅したから、動けないような人間だとは考えられないのだ。

「一瞬でした、その後は直ぐに闇に溶けてしまって分からないんです。」
「そうか……。」

彼の苛立ちがまるで自分に非があるかのような表情で見つめる礼慈の様子に智美は微かに視線を緩め、気にするなと優しい声音で囁きゆったりした動作でモニターの前へと戻っていく。しかし、その視線は険しい色を残したままモニターの全てを眺め回し微かに苦悩の色を浮かべた。

あのくそ爺、何か企んでいるわけじゃないだろうな。

数々のモニターには新しく開いた地脈の穴はなく、今夜にも四神が動くであろう穴が数ヵ所のみ。それ以外は、まるで平穏な様子しか見られない。なのに、不快感が拭えないのは、不穏すぎる存在がちらつくからだ。
玄武から人伝ではあるが、白虎と自分の身元を探り回っている人間がいると連絡があったのは少し前のこと。他の伝から調べようにも何故か全てが途中で途切れ、その探り回っているらしい存在がはっきりしない。それは、こちらの伝としてはまともには考えがたい状況なのだ。

何しろこっちは公的機関フル活用だってのに、相手の動向さえ読み取れない。

不快な上に懐の中にも寝首を欠こうとする人間が、いることは分かっている。院という組織自体をよく思わない人間もいる筈で、同時に表沙汰になれば四神の存在はまともなものではない。それが分かっていて当然の院の中に、逆手にとって利権を得ようとする人間が蠢いている。

人間の方が質が悪い……。

苦くそう考える智美は改めて、自分に見る力があればいいのにと溜め息をつきたくなってしまう。礼慈の感じたものが嘘であればいいと思うが、それがありえないことも彼自身よく分かっていた。分かっているからこそ、自分の目で見ることができたらとも思うのだ。
智美はもう一度深い溜め息をついて、モニターを眺める。こんな時になると大人に比べて、智美の友人達の思考は凄くシンプルで分かりやすいと考える。嫌なものは嫌で排斥しようとするし、友人はお互いに信頼しあって利害もなく相手を気遣う。何故と問えば、可能な限りの答えを自分の中で模索もする。

「全く、こうなるとあいつらの方がよっぽど信頼できる。」
「あいつら?」

思わず口にした言葉に智美が苦笑いで、こっちの話と礼慈に向かって呟く。

「いらいらしても仕方がない、また何かあったら教えてくれるか、礼慈。」
「分かりました。」

一旦思考をリセットしてくると立ち上がった智美が、硬く強張る様な杖の音を立てて歩み去っていく。その青年の後ろ姿に、実際は智充以上の戸惑いと苦悩を秘めた黒曜石の瞳をした青年はその場に立ち尽くしたままだった。


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