GATEKEEPERS  四神奇譚

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第二部

第七幕 都立第三高校 第一体育館

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外での異変が起こる僅かに前。

≪窮奇(きゅうき)…そう名乗っておる。≫

そう静かに告げた人外は、その場にいる者達を見渡しながら、試すようにヒタリと足を音を立てた。全裸の女性の姿は何も知らなければ赤面するほどのものなのに、その全身から放たれるおぞましい妖気でその体は死体にすら見える。緩やかにしなやかに腕を差し上げた竜胆貴理子と同じ容姿は、艶やかな血の色をした唇と黒く塗り込んだ爪が青白い肌に僅かな色を落とす。
それは不意に唇に一瞬の笑みを浮かべ、気配に寸分の迷いも無く巨躯の虎の姿は身構える。窮奇は唐突に眼を細め、暫しの逡巡の後ほんの僅かに首を廻らせる。

『?!…くそっ!』

不意に白虎が銀光のような瞳を走らせ飛び退くのに、玄武は目を見開いた。白い残像を残して飛び退いた巨大な白虎の巨体は一瞬の後に壁に爪を立てて、壁の木片を撒き散らす。咆哮を上げながら壁から一瞬で姿を消した白虎の体が、次の瞬間には朱雀の前に盾のように爪を地面に突き立てる。
次の瞬間その体にかかった強い衝撃に退く間もなく、その白銀の巨躯が宙に跳ね上げられた。突然、声もなく白虎の体が床に向かって大きな穴を抉るように叩きつけられたのを、一瞬何が起きたか判断できないままに他の三人は呆然と眼を見張った。
ただ首を微かに動かしただけにみえた窮奇は、冷淡な能面の表情を僅かも動かさず唇だけが紅く輝き光る。全ての様子を検分するかのようにそのものは闇色の瞳を細め、唇を唐突に三日月のように歪めた。

《やはり貴様が一番分かっているらしい、白虎。》

叩きつけられた激しい痛みに思わず解けてしまった変化を眼に、白虎が床から体を引き上げるようにして苦痛に眉を寄せる。異装でない元の服が衝撃に堪えきれず細かい切れ端に変わり隙間から僅かに肌が覗く、その隙間から思い出したように鮮血が滴り落ちる。

「つ…ぅ……。」
「白虎?!」

咄嗟に押さえた脇腹から滲み溢れる鮮血は、量は多くは無いものの見る間にその手を染めていく。駆け寄った青龍を横に白虎はその傷を上から押さえ表情も変えずに、そこに立つモノを凍りつく視線で見据えた。動きが他の三人に見えていない。それはそのまま目の前の窮奇の強さを示している。人間の身体を被っていたのは本当に気紛れの戯れで、相手が木崎蒼子であった故に火気で妖気を相殺されていたに違いない。

つまりは、木崎さんは隠れ蓑なのに、偶然あいつの妖気を弱くしていた。

思わず体の奥に中に冷たい物が流し込まれた気がする。同じく駆け寄った玄武の手で水気を差し伸べられながら、歪めた表情の中で忌々しげに白虎が舌打つ。

《私の動きが見えているのは、どうやら白虎だけのようだ…。》

楽しげにすら聞こえる言葉に、白虎以外の三人が息を飲むのが分かる。相手が白虎を動けなくさせたら、他の三人は小動物のようにいいように遊ばれなぶられるのが目に浮かぶ。

《さて?どうする?何か案が浮かぶか?白虎よ。》

嘲るようなその存在の放つ凶兆の証のような声音に、思わず見下ろした青龍の視線の先に僅かに癒された傷を押さえながら白虎が呻く。

「くそ……。」

幾つもの傷痕の残る白虎は、忌々しげに呻く。溺れかけて体力が削られた以上に、もう一つの枷が白虎の動きをどうしても制限する。

「くそ…、何とか…しないと……。」

その言葉に初めて青龍は先ほどまでの二人が置かれた状況と、今も何処か抑制されたかのような白虎の動きの理由に気がついた。白虎は戦闘と同時に体育館から相手を出さないよう、自分の体を盾に使ってたんだ。学校に彼が呼び出されたのは、彼の弟を迎えにいくためだと先に連絡があった。つまり、玄武が意識を失うほど追い込まれたのは、直ぐ傍に力を使えない状況を作るものがあるから。そう今更気がついた自分に、激しい怒りが沸き起こるのが分かる。

こんなに仲間を傷つけられて、僕は逃げ続ける?

自分の中の何かがざわめくのを感じた。おかしいじゃないか、自分が怖くて押さえ込んでいるのは、仲間を傷つけたくなかったからだ。でも、そうしたままの方がずっと彼も従兄も、友人も酷く傷つけられてる。

そんなの不条理だ、不公平だ。

物も知らない子供に嘲られ、成り代わるとまで言われて、こうして仲間を傷つけられる。そんな不公平なことを飲み込んで殺されるなんて許せない、そう心の底から沸き上がる怒りの感情に心が満ちていく。
記憶……
過ちを犯した記憶は鮮明だ。今の自分は何が過ちを引き起こしたのかは、ちゃんと理解している。理解しているなら自分は、けして同じことは繰り返さないように出来る筈だ。
木は地中で発芽した時から、進む事が可能な限り進み続けるものだ。たとえそこに障害物があったとしても、突き当たれば曲がってまた進む。五気の中で生命に溢れ、成長発展が望めるのは唯一木気のみ。なら、自分はあの時とは違う。不意に枷が外されたように視界が、一段と鮮明に見え始めるのが分かる。

「白虎。あれは僕が止めます。」

そう告げる青龍の瞳を真っ直ぐに見つめた白虎の視線に、青龍は小さな声で呟く。

「あなたは、先に心配事をどうにかしてください。瞬時に当て身を当てて気を失わせるなりなんなり。」

物騒な言葉だが、見られたくないと手をこまねくよりはずっとましでしょう?と囁かれて、白虎は苦く分かったと呟く。蒼い異装を纏う何時もよりも数段光を増した蒼水晶の瞳を伴う。四人の中では一番小柄で繊細にすら見える青年は今までに無い厳しい表情で、その長い裾を翻し真っ直ぐにその女性を模した姿に向かって歩みを進めていた。

自分の中の湧き上がった根源を押さえ込むことは容易い。しかし、あえて今はそうすることを拒絶する。

そう青龍は心の中で呟く。押し隠して好い人の仮面を被っても、昼間なら兎も角夜の世界では無意味だ。相手はこちらの弱味を喜んで盾にするような存在なのに、自分達だけか苦しめられるこの不条理な世界。

「青龍!」

背後から戸惑う朱雀の強い火気の気配を感じながらも、振り返りもしない。青龍は一見穏やかな瞳で、目の前にいるものを静かに眺めた。表には感情の揺れのない青龍の姿を窮奇は、同じく無表情な表で微かに訝しげに探るような気配を忍ばせた。それでも動きのない青龍を、能面のような表情が眺め続ける。足元を這うように延ばして来た木気の妖気は、同じ木気でありながら相反する。ところが余裕すら漂わせて青龍は無造作に薙ぎ払い、微かに淡い微笑を浮かべた。

《ほぉ?青龍、弱い貴様が何をする気だ?》

青龍は静かに心の中で自分が呟いたのを感じる。許せないのだと、感情を感じさせない自分の声が、静かに心の中だけで囁く。そして、この状況を真っ先に打開する方法は、一番自分得意とする部分なのだとよく分かっていた。

見るんだ、相手を。

言葉を返すこともなく不意に開放された青龍の気が、ザアッと風の波に変わって行く。全ての能力が木の根を思わせる枝葉となって、青龍の体から風を巻きながら四方に向かって放たれる。それは、目の前の窮奇の妖気を含む木気の根と鬩ぎ合い、鋭い亀裂を空気に走らせ空間を激しく振動させた。相手の妖気の枝葉が脆い場所を狙い落とすように根は分断され、風を切り裂きながら貪欲に全てに根を延ばす。容易くそれをしてのける青龍の手慣れた気の操作に、初めて窮奇は目を僅かに見開く。

「…見た目で判断するのは浅はかだ。」

静かに口を開いた青龍の瞳は更に蒼さを増して、枝葉が更に勢いをあげて闇に走る気を打ち払う。そうして、青龍の放つ木気は、陽気と拮抗するかのように激しい風圧を生み出す。微かに眼を見開いていた目の前の女性を模したものは、忌々しげに眼を細めた。
何をどうしても自分の妖気の方が勝ると窮奇は、青龍を見た時に踏んでいたのだ。つまり、比和を考えれば青龍の木気は、自分の糧にしか成らないと判断していた。それはあの時は正確な判断だった筈だ。しかし、今こうして拮抗して妖気を相殺するどころか、青龍は自分の妖気の弱い部分を比和で飲み込んでいる。青龍は別段特別ではないと涼しげな顔で、目の前に立っている事が酷く癪に障った。

《なんだ……なんで……。》

その言葉にまるで呆れ返ったように青龍は、吐き捨てるように瞳を更に輝かせる。その瞳は迷わずに窮奇の妖気の弱い枝葉から凪ぎ払い、それを埋め直そうとすると別な弱い場所を見いだしていく。まるで妖気の流れを全て目で見ているような、的確な気の動きに窮奇は微かな呻き声をあげた。それを青龍は嘲るように口を開いた。

「策を弄するものほど、策に溺れるものなんだよ?知らないのかな?」

それは窮奇に対する最大に癪に障る痛烈な皮肉の言葉だった。
こちら側に這い出しす前からジリジリと這い寄るようにして綿密に計画し手駒を集めてきたのだ。全てが計画したとおりに動くはずだったのに、一端からまるで糸が解けていくかのように全てがほどけ崩れていく。木崎蒼子を見つけた時は、余りの予定調和に笑みが溢れ落ちた。自分にはない五行の能力を体内に宿した女が、直ぐ目の前で血を流して死にかけている。それは容易く心の中を覗かせて、彼女の願いの代償に魂を差し出させる契約を結ばせた。そこからは全てが面白いように進んできたのだ。比和で呑み込んだもう一人の青龍の力を上乗せして、目の前の青龍を上乗せすれば、木崎蒼子の焔もきっと自分のものになった。それなのに何かが想定外に起こって、計画を解れされている。窮奇は沸き上がる苛立ちを感じながら、目の前の青龍の姿を睨み付けた。

《貴様…あの時から何をした。》

青龍の変容は窮奇にとって、到底容認できる範囲の誤差ではない。まるで自分がもう一人の青龍を飲み込んだ時のような変容は、人間の体を持った青龍には不可能なもののはずだ。

「分からないだろうね、僕は猫を被るのが上手いんだよ。」

賑やかに告げる言葉が酷く勘に障る。まるで青龍の言葉は自分が腹が立つのが分かっていて選ばれ、放たれているようにすら感じていた。苛立ちに平静を装う感情が漣から波紋を広げていく。それは改めてそこで始めて意地の悪い笑みを唇に強いた。

「お前が僕の中を覗いたから、僕も同時に同じことをしたまでさ。」

その瞬間何故かそれが嘘ではないことが分かって、窮奇は激しい本能的な怒りが膨れ上がったのを理解する。その怒りはまるで人間が感じるもののようで、窮奇の能面のようだった顔が怒りに歪んだ。人外が持つ感情といえるものは、どちらかと言えば人間でも原初の感情に近いものしか持たないものの方が多い。それなのに今の怒りは、酷く人間に近い感覚で窮奇を飲み込む。内側を覗かれたことも屈辱だが、それ以上に同時に行ったというそれに全く気がつかなかったことが怒りを更に膨れ上がらせた。

《お、おのれぇ!!私の何を見た!!》

覗かれたモノが何であろうと許せる事ではない、自分より小さき者に内面の姿を覗かれたのが窮奇の本性には許しがたい。足元から怒りが風に変わって、床板を引き剥がし木っ端に変えながら四方に走る。それなのに目の前の青龍は顔色も変えず、その風の先端を凪ぎ払い全てを四散させていく。怒りで風に強弱が生まれているのが分かるが、相手は更に窮奇を嘲笑うように呆れ果てた声を放つ。

「そんなに見られたくなかったのか、人外のくせに自分に自信がないとは、確かに知られたくないよね。」
《き…貴様ぁ!》

怒りの頂点で鋭く声を上げたその一瞬の気の動きを待ち構えていたように、不意に空間を覆っていた自分の妖気の壁に鋭い白銀の痛みが走った。木気を断ち切る金気の鋭利な一撃は、脆くなっていた内側の壁を貫き一瞬にして妖気を切り払う。それにハッと意識が向いた時には既に遅く、金気は容赦なく全力で気を身に纏う神獣の姿に成り代わっていた。
白虎は白銀の一閃となって妖気の壁に向かって鋭く深い亀裂を穿ち、その先に向かって矢の様な素早さで空気を裂く。そして妖気で阻止する間すら与えず、壁の向こうに踊り出している。自分の妖気の操作を怒りで揺らして、白虎がここから抜け出すための隙を作る。それか青龍の目的だったと気がついた瞬間、目の前の澄んだ青水晶の瞳は鮮やかに色を増して悪意の欠片も無く爽快に見える微笑を湛えた。

「教えたでしょう?策士策に溺れるって。」

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