GATEKEEPERS  四神奇譚

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第二部

第八幕 都立第三高校 第一体育館

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四つの光と一つの深い闇。
唐突に地脈が引きずり出され一息にゲートを抉じ開けたと同時に、四人の眼前には再びあの得体の知れない巨石が出現していた。ゲートの出現以前に既に周囲は妖気で包まれた異界になっていたことを考えれば、それに大差はないのかもしれない。しかし、その背後にあるものの存在は話が違う。
式読の情報では饕餮はあの場所にゲートを開くために、何百人という贄を使って大地に円を描いていたという。だがあれ以来、式読は同様の現象か起きていないか備に情報を調べ続けている。勿論それは過去情報も確認していて、過去何十年と同様の動きはない。唯一戦時中のゲートの出現時の情報が得られないことを上げれば、戦時中の大量な殺戮の中で同様の行為があったかもしれないと可能性については話していた。それに目の前の窮奇が竜胆貴理子と行動を共にしているとすれば、行動の範囲は実際には全国的なものだった。
だが、四人の眼前には、確かに其処にあるはずのない存在が浮かび上がっていた。地中から姿を見せたそれは以前眼にしたことのある一見すると巨大な岩の様にも見える存在。その表面は七色にも水晶の様にも輝き神秘的な気配を放っていて、それが現実のただの巨大な岩とは違うものである事が一目でわかった。それは言うなれば何か神秘の力を結晶《要》という存在。
息を呑み、その出現を見つめた四人の前で深い闇をその身から放つように笑った。

《どうして要が?という顔だな…四神。》

《人外》は嘲りを込めた声音で甲高い女性のような嘲笑を浴びせかけた。その岩を直ぐ背後にして、窮奇はしなやかな動作でその表面に手をついた。咄嗟に四人全員が神獣の姿に変容し、身構える。既に背後に回り込み手を離すには遅すぎた。

《……そんなことも知らずに地脈の守護を名乗るか?》

ニィと邪悪に笑うそのものが何をしようとしているかは目の前に見えるようなものだった。今ですらそのものの妖力の強さに苦戦しているのに、それは今にも更に身に強い力を宿そうとしている。全身の白銀の毛並みを逆立てるようにして咆哮を上げた白虎の声音を嘲笑うそのものの手の下でそれは四方に向かって鋭い亀裂を走らせて、凄まじい轟音と共に水晶の欠片のように砕け散った。

『くっ…!朱雀!!援護しろ!』

激しい声音と同時にその場から一瞬かき消したかのように見える凄まじい速度で躍りかかる白虎の気配を、窮奇は嘲笑いながら身に妖力を蓄え始めようとしている。白虎が残像すら残していないのに、窮奇は眼を細め口を歪ませて視線を滑らかに動かした。

《お前なら知っているだろ?木侮金…。》
『白虎!!』

嘲笑うような声音と殆ど同時に窮奇は、白虎ごと飲み込もうとその全身から妖気を放つ。上空からその考えを察知した青龍の体が急降下して、音を立てて白虎の体を庇うように蒼い鱗を風で引き裂かれながら抱き込んだ。

『痛ぅっ!!!』

白虎を庇うように激しい妖気の風に身を晒した青龍の何枚もの鱗が弾け、空中に四散して塵に変わるのをそのものは嘲笑と共に見やった。例えそのものが狙った木侮金……激しい木気で金気を押さえむ相侮の効果を得られなかったとしても、五行の中には比和という同じ気を重ねると良くも悪くも勢いを増す効果をも併せ持つ。そして、今その気は全て悪しきものに向かっている。

『青龍!どけ!!』
『どけ…ません!』

激しい風の勢いにかき消されそうな声音を張り上げながら、苦痛にその瞳が揺れるのを見上げ白虎の表情が苦悩に歪んだ。今の状態で白虎を木気に晒せば、白虎の方が飲み込まれてしまう。気を少しでも分散させ受け流そうと風を巻く青龍の姿に、白虎が退けろと悲痛に叫ぶ。痛みを感じる方がましな事の方があると知っている白虎の瞳の光の揺れに気がついて、青龍は微かに微笑を浮かべる。

僕らは家族みたいなものだ。だからこそ仲間を守りたいし、気持ちを大事にしたい。

白虎が自己犠牲を厭わないのは分かっているが、青龍ができる事だってある。あの時二人に守ってもらった気持ちを今守らないと、そう心の中で悲痛に呟いた瞬間、体の中の何かがまるで吸い寄せられるように惹き付けられるのを感じた。それは、青龍だけでなく周囲に散った妖気を含んだ木気を必死で燃やし続ける朱雀の身にも、そしていまや転化した地脈の妖力を激しく蓄えつつある窮奇も、まるで何かに気がついたようにその気を僅かに緩め慄く様に虚空を見やった。

『青…龍?』

その視線に気がついたように戸惑う白虎の声も耳に入らない様子で、青水晶の視線は虚空に吸い寄せられるように闇夜の中に漂う。

『朱雀?!』

僅かに離れる場所にいる玄武の戸惑う声音にもう一人の仲間ですら同じような状況に陥っている事に気がついて白虎は思わずその視線の先を振り仰ぐ。そしてその瞬間その場に溢れたのは紛れもない天上の調べに他ならないが、それは以前聞いたものとは異なる音階を奏でていた。天上の調べの音階は以前聞いたものとは異なった響きで、その場を満たしそこにある妖気を中和していく。

中和……?

滑るようなその音階が風に舞うのを聞きながら、引き寄せられた視線の先にまるで花が咲き誇るかのように溢れ出した青く澄んだ煌きを放つ鱗を揺らめかせた姿があった。引き寄せられたのは視線だけではなくその身の内にある何かだと、分かっていながらそれから眼を離す事ができないでいる自分に青龍は戸惑いを感じる。そこにいるのは確かに≪麒麟≫なのに、そうではない者だった。そして、それは酷く穏やかに音階を奏でながらその場を今までにない気で満たしていく。

≪ありえん………まさか…。≫

困惑した呻きのような声音が背後の人ならざるものの口から溢れたと思った瞬間、自分と違い呪縛されていない白銀の者はするりと体の下から滑り出し迷う事無く牙を向けていた。
鋭い悲鳴に全てが我に返るのを感じ青龍は、視線を無理やりはがすようにして窮奇に向き直った。肩口を切り裂かれたそのものは、それ以上の戸惑いを浮かべた表情で一瞬たたらを踏んで後じ去った。
宙に舞う麒麟の放つ澄んだ音に満たされたその場で窮奇は忌々しげに表情を歪ませて肩口を押さえ込んだ。その傷からは今までになかった黒い血液がドッと音を立てて溢れ出して行く。

≪馬鹿な…奴が……。≫

その闇の瞳が逃げ場を求めるように動いたのを見逃すわけもなく、青龍はその四肢から放たれた風でその体を絡め捕る様に押さえ込みながら不意に訪れた自分の内面の変化に眼を見張る。
それはまるで今までの知覚の全てにフィルターがかかっていたとでも言うかのような世界の変化だった。寸前に自分が押さえ込んでいた全てを解放した時の変化など、些細すぎて変化したとも言えなかったことが分かる。
全ての気が酷く鮮やかに色を持って視界に映る。
気の色も流れもまるで今まで見えていたものは、ほんの一部に過ぎなかったことを示すかのような心を動かすような鮮明な世界。それをもたらしたのが頭上に舞う者の存在だという事に気がついて、青龍は微かに息を呑んだ。

『青龍!』

鋭い白虎の声音に一瞬だけ自分の気を僅かに退けると白熱したような気の塊が、妖気を切り裂くのが見える。そして窮奇の体から周囲に四散する黒く淀んだ気も、ハッキリと捉えることができた。それは視界に映る以上に青龍に周囲の全てを知覚させて、頭上の者の調べを心の奥深くまで刻み込む。

あれは…炎駒じゃない…。

そこにいるのは確かに麒麟だった。
そこにいる青年の姿も何一つ間違う事はないのに、本質が別なものに変わっている。そしてはるか頭上を舞っている朱雀はそこに近すぎて、未だ囚われた心を引き剥がす事もできないでいる。戸惑うように玄武の羽衣のような蛇がが自分の傷ついた鱗に触れたのに気がついて、それが驚くほど短い時間の中に流れた思考だったことに気がついた。

『青龍っ?!朱雀の奴はどうなってる?!』
『麒麟に近すぎるんです。あれは、炎駒とは違う。』

自分の鱗を癒そうとする水気を受けながらも絡みつかせた木気を途絶えさせる事もない青龍を眺め、玄武は戸惑いにも似た表情で一瞬虚空を見上げて再び視線を目の前の『ゲート』とその前にいる窮奇、そして白虎の姿に帰る。

『一先ず、あっちが先か?青龍。』
『そうでしょうね。僕は白虎の加勢に。玄武はゲートを。』
『そうしかないな。』

微かな戸惑いを含んだ声音を押し包むようにして身構える姿を横目に青龍は、知覚の中に朱雀と麒麟の存在を見つめたままその身を夜の風を感じ始めた空間を切るようにうねらせた。

自分に向かってくる三つの力を見据えながら、闇を淵を思わせる傷口を忌々しげにそのものは押さえ微かに苦痛の呻きを上げる。あり得ない筈の事が起こり、ありえない存在がこの場に舞い戻ってきた事に、その感情は怒りにも似た震えを帯びながら身を満たした。

ここにあの存在は現れない筈だった。

哀れな存在を身に纏っているうちに、それを偶然見つけたのはほんの数日前だ。あの存在は本来の姿の一部しか形を成していなかったし、自分を見定めようとした行為に相剋の妖気でしこたま傷つけて弱らせておいたというのに。思考の中で廻る呪詛のようなその思いの向こうで、自分を切りつける金気と自分を押さえ込み散った妖気を浄化していく木気・そしてせっかく妖気を使って開いた穴を閉じようとする水気を感じ取る。窮奇にとって最早形勢は不利。このままでは頭上にいるそのものに自分の存在自体を浄化されかねない。

≪忌々しい!四神どもが!≫

鋭い空を裂くような悲鳴にも似た咆哮を上げて窮奇は身を捩ったかと思うと、今まで身につけていた女性の形をかなぐり捨てた。一度に容積を増した体は四つ足のものに変化し、その体表は黒い針金のような毛に覆われていく。前足の付け根から双翼を生やした体は虎を模して、真一文字に口を開け放つ。顔に開いた笑っているかのように、半円に歪んだその口元から臭気を放つ姿は例えるものがない異様さだ。

『それが貴様の本性か?!』

放たれた白銀の弧線を一時凄まじい放電を伴う激しい風であしらいながら、そのものは虎のように身を低く落とした。そしてその気の動きに一早く反応して動作を見せたのは、やはり同じ気を持つ存在だった事に窮奇は人じみた憤りの感情を覚える。

あいつめ、狙いはそこか。

風を切り裂く窮奇の妖気は、金気の攻撃のせいで確実に弱まっている。折角溜め込んだ妖気を片っ端から浄化され、しかもあの音階のせいで上手く気が取り込めない。窮奇への攻撃の手は連携が取れ過ぎていて全く緩まず、ゲートを閉じる速度も手練れのように素早い。必死で金気の攻撃の隙をつこうとすれば、青龍の追撃で妖気が削られるのだ。こうなると残されているのは一つしかないと窮奇は、攻撃の隙間をすり抜ける。

『白虎!逃げる気です!!!』
『そうはさせない!』

鋭い弧線の描く軌跡の先をその感覚ですり抜けながら、そのものは今まで作っていた自分の妖気の世界を放棄して身を捩った。それは今まで戦ってきた人外とは全く異なった行動だ。今まで四神が接触した人外には、逃げることを優先した人外は存在しない。全てを放棄しても逃げる事に全力を注ぐ窮奇の姿に
困惑に似た感情を生じたのは一瞬だ。だが、囲む者に隙を生んだのを待ち受けていたかのように、窮奇はその合間に身を躍らせていた。

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