GATEKEEPERS  四神奇譚

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外伝 思緋の色

第三幕 居場所

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最近めっきり鳥飼家にたむろしていたが、久々の氷室優輝の部屋は解く閑散としていた。必要最低限のものしかない色味が少なく彼の部屋には書籍の類の白とファイルの黒だけがあるものの、生活臭さがない。二十九歳の成人男性の部屋にしても、音のでる類のものがテレビしかないというのも珍しいものだ。それでも一人で生活をして高卒の単位もとり、通信制の大学で勉強しながら仕事まで始めた優輝は以前よりはるかに人間臭くなった。

「それにしても相変わらず、女気ないなぁ。」

悪かったなとワザと冷ややかに言いながら、片手に缶ビールを持った優輝が姿を見せる。書籍は難しいものばかりで大学に通った筈の武にですら、理解がききそうなものではないものが多い。優輝の表立った顔が一応は歴史研究関連に向きつつあるのだから仕方がないことだろう。そういう自分は今二十三歳にしてしがないフリーター。つい先日も澪に仕事をしなさいと説教されてしまったあたりが情けない。

「しかし、どうしたものかな……。」

音を立ててプルタブを開きながら思案気に優輝が呟く。
彼らがこうして顔を突き合わせているのは、もう一人の仲間である青龍の存在がいまだ出現していない事にある。現実として星読の存在がないことは好機だが、当の青龍が既に四年近くも空席なのも事実だ。
四神の能力に遺伝性はないというのは通説だったし、規則性も法則もない。あるとすれば、そのもう力を宿す時にその能力者の周囲の血縁者が全て死ぬという事くらいのものだ。ふと、無言に堪えきれなくなったのか武がテレビをつけた瞬間、二人の動きが止まった。

『この大惨事は………空港発………。』

そのアナウンサーの大きな声の背後に無残な姿をさらす航空機の姿が遠めに見えて、思わず二人は顔を見合わせる。それは酷く無残な事故であったが、それ以上に余りにもタイミングのいい事故のような気がして二人は何も言えないままに顔を見合わせていたのだった。航空機墜落の惨事はその日だけでなく暫く報道を賑わせることにはなるだろうが、それよりも武達の気持ちを動かしたのは起こったという事実と自分達の身の上に起きた過去を重ねたからだった。
武自身の炎の中・紅の世界の記憶。
そして優輝の、澪の過去の経験。全てを思い返せば自ずと答えは傍にあるような気がした。武が朱雀の能力を宿したのは火災事故の最中だったのだ。その日二人は、暫しの無言の後何も言う事もなく分かれたが、心の何処かでそれが起こるのを予期していたような罪悪感を感じたのは言うまでもない。それから数時間後、まるでその予測が正しかったかのように夜の闇の中でどこか分からない場所で何かが目覚める音を武は聞いたような気がして眼を覚ます。

やっぱり……あの事故の関係者なのか……。

どこかまでは分からないが、慟哭と共に産声を上げる存在を武自身は初めて感じた。澪は実際は彼よりずっと以前から能力を宿していたので、この感覚を感じた事は初めてだったのだが、それでも哀しい光の産み落とされる感覚は酷く心を揺らす。
自分達がそうであったように、恐らく新しい青龍も苦悩の中で力を宿したに違いない。それを思うと、何だかやりきれない思いがして武はふとその双眸を紅玉に輝かせながら自分が一滴の涙を落としたのに気がついた。



※※※



結局守ろうと足掻いたが強力な能力をもった上に、まだ1歳にしかならないだろうと言われた新しい『星読』が先に現れたことで二人の計画は残念ながら頓挫した。分別のつかない幼い子供がアッサリと自分達が探しだけないでいた青龍の居所を掴んだ上に、政府の捜索網を掛け合わされてはこちらの方が部が悪かったのだ。
それでも薄暗い室内を辿々しい足取りで星読が白虎に歩み寄って行くのを不思議な思いで朱雀は見つめた。
星読が見つかったことを知らされた夜、話の後直ぐに澪はその幼い子供の様子を見にこの屋敷の中にこっそりと忍び込んだと言っていた。それから数日、通いつめているらしい彼女は幼いその子供の名前が『友村礼慈』という事を何処からか見つけている。
恐らくこの場にいたら誰も知ることのない名前。
事実、朱雀となってからずっと見ていた古老の二人の本当の名前も知らない事に、今更ながらに気がついたくらいなのだ。自分達がこの場では四神としての名でしか呼ばれないのと同様に、実はこのいけ好かない爺達も本当はどこか孤独なのかもしれないと彼自身そこで初めて感じた。
キラキラした黒曜石の瞳をもつ幼い子供の頭を優しく撫でる白虎である白い衣をまとう彼女の姿を眺めている自分を不意に隣の暗い闇に同化する様な玄武の肘がつつく。見ると玄武の視線がわずかに上座を示したのがわかって、そちらを見ずとも残った年老いた式読がこちらを伺っている事が分かる。幼い新しい星読は酷く強い能力の持ち主ですぐさま新しい仲間となったものの居場所を示してしまったのは事実だ。だが、その幼さは歳を経ていけば変わるもので、親の記憶すらおぼつかない幼子がどう見ても白虎に懐いているのは確かだった。それを見てあの式読が何をどう判断するのかは、彼らにも計り知れないものがある。

「式読様。星読様。おいででございます。」

廊下からの言葉の後に室内に通されたのは、予想以上に幼く見える線の細い青年だった。少年といってもいいほどの幼さで、朱雀の自分よりも遥かに幼く見える。十代後半になるかならないかに見えるその姿に、三人はそれぞれに目を細めた。
入り際には微かに緊張した面持ちの彼は、しかし直ぐに周囲の三人の姿を不思議に青く光る水晶のような瞳で見回し心底不思議そうな表情で自分達を順繰りに見つめている。流石に内在する木気の能力のせいなのか既に気を感じる能力が自分達よりも長けていることに気がついて、隣にいる玄武が感心したように微かに身動ぎするのを朱雀は感じ取った。当の朱雀はと言えばが白虎の時の様に急に攻撃を仕掛けるわけでもなく、黙ったままその姿を見つめている。それはその姿が自分よりはるかに幼かったせいでもない。
彼の瞳の青水晶のような輝きは、どこか自分が放つ紅玉の光の瞳と似通っている気がした。そしてそれは、彼が能力を得たと思われるあの世の慟哭に重なり、思わず朱雀の自分としてではなく、五代武の過去を揺り動かす。あの紅に染まった世界の中で自分が放った慟哭に酷く似た、あの夜の叫びが今も耳に残っているかのような気がして彼は思わず目を伏せた。

新しい四神の一人となった青龍は、十七歳の青年で『長月想』という。そして思ったとおり、先日の航空事故で唯一の肉親をなくし天涯孤独の身なのだと告げられて、三人は思わず深く溜息をついたのだった。



※※※



一人暮らしの長月 想の家を訪れたのは、彼が仲間となって三日目のことだった。彼の家に向かおうとしている途中、偶然街中で高校の制服姿の想とちょうど出くわした武の姿に彼は不思議そうに目を細める。まだ着慣れていない真新しい制服姿に、本当は違う都市で生活していたが『院』に半分無理やり促されて引っ越してきたのだろう事はなんとなく分かる気がした。過去の自分が促されるままにこの都市の中に住居を構えたのと同じ事がまた起きたのだ。それを何とか避けたいと思ったのだが出来なかったのが少し物悲しい表情になって武の顔に浮かんだのだろう、それを見てとめた彼は穏やかに微笑んだ。

「大丈夫です、自分で選んできましたから。それにまだ学校には通える。」
「そっか……、俺はもう高校は出てたからな…。」

自分よりよほどしっかりしている様な気がして思わず感心する武に、彼は微かに表情を曇らせる。並んで歩けば、やはりまだ幼さの残るその表所を見やりながら武は、自分達がしようとしてできなかった事を小さく謝罪の言葉に変えて溢すと彼は「いいんです。」と囁くように答えながら視線を足元に落とした。

「昔から……勘が鋭い子供だったんですよ、僕。」

ふと彼がポツリとこぼす。
その言葉の響きに武は、その先の言葉が分かるような気がして小さく「うん」とだけ呟いた。その言葉の先に滲むのは深く濃く心に染み付いた後悔という言葉。それが、どうして・何故と自分を責める後悔の言葉だと武は知っている。それは優輝も澪も過去に、そして今も感じている筈の強い感情だ。

どうして、何故、あの時引き止めなかったんだろう。

そう思わない日はない。
昔も、そしてこれからも永遠にその問いは後悔となって心に漂い続ける。そしてそれ自体をまるで栄養にしたかのように異能を産み、もうひとつの生命のような力はまるでその心の色のままに大輪の花を咲かせているのだ。いつかその花が赤い椿のように不意に散るその時まで。

「……皆、同じなんですね。僕ら。」
「うん……、そうだな、みんな同じように思ってる。どうして、何でって何時も思ってる。」

微かに震えたその返事に気がついたかのように想は穏やかに微笑み、その表情に内面に隠された強さを感じながら武も微笑む。

「そうだ、今日はさ、澪んちに誘いに来たんだ。」
「澪さん……ってあの綺麗な人ですよね。」

不思議そうに首をかしげる彼の姿に「まぁな」とにんまり笑って武は、頭を抱えるように腕を組むと少し背の低い彼を見下ろす。微かに青年から感じる『木気』の気は相生の関係にある『火気』の彼にとってはなかなか心地よいもので、思わずからかい混じりにちょっかいを出したくなるような気がする。信哉とはまた違うが弟のようなもんだなと内心呟いてにっと笑う彼の様子に想はなおも不思議そうに彼を見つめなおす。

「お前、子供好き?」

何気ない質問の意味が分からない長月想は着替えをした後、半ば強引に引きずられるようにして無理やり鳥飼家に連行されていた。
初めて会う人物に丁寧なご挨拶をすると言う武の教えはキチンを守られて、褒められて得意そうに笑う利発そうな少年の姿に想がつられて思わず丁寧な自己紹介をする。その二人の奇妙なやり取りを見ながら方や大笑いの武とその様子を穏やかに見守る優輝の姿がリビングに当てられた室内にはあった。今日の来訪を予期していたような家主の澪は当たり前のような様子でそれに耳を傾けながらキッチンに立って食事の支度をしている。
まるで普通の友人の家に集まったような当たり前のようなオレンジ色にも感じる暖かい空気。
それが永遠ではない事は頭の昔に理解していた、それでもその時が少しでも長く続くように自分がふと渇望しているのに武は気がつく。
穏やかで暖かい時間。
守りたい人と守りたい場所。
その存在の余りにも眼のくらむかのような眩しさに眼を細め、彼は穏やかにその空気を感じながらその場を見つめていた。
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