GATEKEEPERS  四神奇譚

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第三部

第三幕 鳥飼邸

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またこの夢…………。

夢の中でそうひそりと呟く。
深い深い水面の底。頭上には揺らめく銀光の光が射し込む水面が音もなくユラユラと震えている。そうして見渡せば自分の周囲だけが薄く月明かりに照らされていて、それ以外はただ深い闇の中。暑くも寒くもないその水面の底で、ボンヤリと月明かりを見上げていた自分の手を何気なく見つめる。年頃は信哉より若そうな手なのに、随分マメや皹が目立つ肉体労働をしているような手。分かってはいたが鳥飼信哉の手ではないし、この夢は一体何の意図があるのだろう。見れば水面の底には鎧兜を纏う黒い人のような影が底に沈んでいて、足元には一振りの日本刀の刃が光る。

幾つも幾つも戦が起きたんだ……

そう自分と同じ声が不意に傍で呟く。振り返るが勿論周囲には誰もいないのは、分かっている。何しろ前回の夢でこの声が、自分の口から溢れ落ちているのには気がついているのだ。戦……そして水面の底、それに鎧兜に日本刀、自分の手や服装。どう判断しても随分古く、近代的な物が何一つない。

戦で父も母も、兄弟も失った……気がつけば……たった一人だったんだ……

その声は水面の底で呟く。恐らく近代日本より遥かに前、まだ公家なんかが支配階層で、自分が声を貸しているこの男は少なくとも身分の高い類いの人間ではない。武具がほんの少しつけられた手足、恐らくは雑兵程度の立場で戦に巻き込まれたか。

気がつけば……たった一人になって、海辺までなんとか辿り着いたら。

水面の底なのに、男が見た情景が闇に浮かび上がる。
海の上に並ぶ船が激しく燃え、まるで血の海のように水面が赤く目映く光っていた。燃える船上で鉄扇を舞わせて白炎の獣の牙と爪を艶やかな着物から覗かせる身分の高い麗人。それに青い鱗を虹色に輝かせる蛇のようなもの四肢から放ち鹿の角を生やした立派な鎧兜を身に纏う青年が宙を舞い刀を振るっていた。

『あれは…………人外か……?』

そう分かったのはその二つの存在が、激しく強い金気と木気を放っていたから。船上の麗人の方が金気、そして水面を舞う鎧武者の方が木気。だが、本来なら部が悪い筈の木気が優勢なのは、金気の周囲を囲む激しい焔を風が巻き上げ金気の能力を削いでいる。
  
『人外……どうしが…………戦う……?』

人を餌にする人外のモノが牙を向くのは人間だけだと思っていた。ところが目の前の人外は互いに紅蓮の焔の中で互いの体を削ぎ、噛みつきあい、喰らいあう。それを水面の底のこの男は見ていたのだ。

あれは……恐ろしい……一門の中にそれぞれ……人成らざる妖異がいたなんて……

そうか、あれはそれぞれ違う派閥の中に潜んで、権力を得てと何故か納得する。二つの大きな勢力の中に身を潜めていた大きな人外のモノ同士が、まるで人間が己の利権を奪うために争うのと同じように争っていた。それ程までこの人外は知恵を育てて潜んできたのは、この世界にはまだ光が少なく、人間自体も弱く少ないく、そして何より四神がいない。
水面の底のこの男は、恐ろしくも絵巻のような光景に呑まれて立ち尽くしていた。逃げなければと思ったが、自分の周りにも同じく呑まれた落ち延びた公家やら野武士が凍ったように立ち尽くす。時にその激しい戦いで放たれた鋭い金気と木気が矢のように一直線に飛んできて、辺りの人間の体を貫き辺りどころの悪い人間の頭が隣で水風船のように弾けとんだ。逃げなくては、と男は思っていた。その瞬間鋭い痛みが走って、腹をみると白銀の棘か深々と突き刺さっている。

なんてことだ……

抜こうとした。手で棘を握り、力一杯。でも、それは見る間に体に根をはって、自分はもう手遅れなのだと気がついた。当たりどころが悪かなかっただけで、頭が弾けた者と何も変わらない。そう思った瞬間二本目の棘が肩を貫く。次々当たりの人間にもそれぞれに棘が飛んできて、痛みに我に帰って逃げ出した者もいる。それでも自分が逃げられなかったのは、痛みと同時に諦めてしまったからだ。恐らく逃げ出せた奴等には、誰か帰りを待つ人間がいる。何でかって?誰かの名前を叫び、死にたくないと這いずってでも逃げて行くんだ。自分にはそんな存在は誰一人いなくて棘が刺さった瞬間に、ここで自分は妖異に殺されると生きることを諦めた。妖異の棘は何十と言う人間に突き刺さり、大勢が死んだ。

それなのに……俺は死ななかった……。

死ななかった。棘は何本も刺さり激しく痛んでいたが皮膚に根を張ってしまって抜き取れないまま、最後まで戦う妖異を見つめていたのだ。そうして白銀の妖異が力尽き水面に落ち、まるで花が散るように棘が一瞬で砕け落ちた。青い妖異が勝ちどきの咆哮を上げて東の空に翔び去るのを、男はボンヤリと見つめていたのだ。

そうして…………さ迷い歩いていたら、…………落ちていた…………

水面に向かってあるいたのか、そうではないのか記憶にはない。ただ気がついたらここにいて、水面の底から上を眺めていたのだ。闇は深くどうやってここから這い出したらいいのかも分からないが、水面の底だとしたら自分は気がつかないうちに棘に貫かれ死んだに違いない。

だから……水面の底でも苦しくないのか……

納得したが、極楽にも行けずにこんな場所で一人きり。未来永劫生まれ変わることもなくここにいるのかとボンヤリと考えるのは、本当は恐ろしかった。その時だ、激しく煌めく五色の光が墜ちてきたのは。音もなくそれでも凄い勢いで水面を突き破って、姿を見せたのは光を放つ神々しい獣だった。背丈はゆうに五メートル、鹿のような体が煌めく鱗に覆われ、背は五色の鬣が靡いている。

『麒麟…………。』

思わず白虎が呟くと、声を貸している男が麒麟?と呟く。それに目の前で光を放つ神獣は目を細めて、龍の顔を男に近づけ何かを話し始めたのだ。麒麟の言葉は白虎には聞き取れない、男にしかききとれていない。やがて男は戸惑いながら麒麟を見上げると、オズオズと問いかける。

そうしたら…………どうなる?

何かを話されて男は選択しようとしている。妖異が人の世界の中で権力を持ち、人間に紛れて暮らし続けていたことを知った。しかもあの妖異は世を二分する一族の中枢に紛れ込んでいたのだ。となれば他にも同じように出自をはぐらかして、紛れ込んでいるものは山のようにいるに違いない。何せ世の噂では平民だった美女を娘と偽り側室に差し出したモノがいるとか、知らないうちに財宝を得て成り上がった一族もある。そして戦を起こして人が死んでいくし、自分のような何もかも失う者は掃いて捨てる程いるのだ。

そうしたら、戦はなくなるのか?

それは分からないと麒麟は首を振って答える。この目の前の神獣は年老いていて既に死期を感じているが、人間のすることに迄は関与しないという。それでも妖異に殺められのは、引き留められるというのだ。そうか……それで男は選択したのかと、白虎はヒソリと粒やく。

……そうしたら……誰も哭かないか?

何度も身内を亡くし声を上げて哭いてきた男は、そう麒麟に問いかける。少なくとも妖異に無惨に食い殺されるものだけでも減らせるなら、そう男は言う。麒麟はその言葉に静かに頷き、背後のものに道を譲った。そこには先程水面に沈んだ麗人と同じ、白銀に輝く獣がいる。

白虎…………。

男がそう呟くのを確かに白虎は聞いた。
そうして暗い闇の中で男は白虎を受け入れる。既に魂の中に突き刺さった金気の棘が、体と同化していて受け入れるのには問題もなかったのだ。あの棘が何本も刺さっても死ななかった、その時点で既にそうなる運命だったのかもしれない。同時にあの時一本の棘で逃げた人間は、そのまま金気や木気を宿したまま生き延びたろうかと頭の中でボンヤリと考える。
目の前の麒麟は金色から白銀に鱗を煌めかせ、また何かを話し出すのが分かる



※※※



何度も同じ問いを繰り返し、何度も同じ答えを見たような気がする。古い記憶の中で闇に漂う様な意識がふと表層に浮かび上がった時、一番先に気がついたのはそこが自分の部屋だという事だった。持ち上げようとした途端鈍い痛みが左腕に走り、その熱を持ったような痛みに呻きが漏れる。信哉はゆっくりと身を起こして遮光の厚手のカーテンの隙間から差し込む陰りを既に見せ始めた光を見やりながら、僅かに眉を寄せた。長い夢……だが、既に薄れ始めているが、恐らくあれは白虎が産まれ落ちたときのこと。あの時の麒麟は既に死にかけていた……そして、
ボンヤリした頭が纏まらないが、魂と同化した金気や木気の棘を持った人間は、生き残ったんだろうか。それが子をなしたら、その子供は自分のように母から金気を受けとりはしないだろうか。遺伝はしないといわれていたが、本当にそうか?もし、魂が生まれ変わるなら、遺伝はしなくても金気や木気を持った魂は生まれ変わるんじゃないか?それに、金気や木気があんな風に棘となって人に刺さるなら、他の二つも同じことはあり得ないか?そんなことを考えると、今までの常識がドンドン崩れ落ちていく音か聞こえる。

どこから間違い始めたのか分からないが、根本的に自分達の考えが間違ってるんだとしたら

魂に欠片を含んだ人間が選ばれているだけなら、四神の遺伝なんてあり得ない。しかも、世の中には同じ条件を持つ存在は山ほどいるのだとしたら。では、同時に二人現れなかったのは何でだ。そして今それが現れたのは?と腕を見下ろしながら考え込む。

俺が邪魔だと言った…あれは…あいつは何が狙いだ…?

気だるい体を引きずる様にしてベットから足を下ろそうとすると、リビングの中で僅かにに人の気配がして、その音が嫌に耳につき自分がまだ異能を開放したままだった事に気がつく。微かな物音の気配はドアに歩み寄り扉を開くと見慣れた筈の顔になって彼を見やり、微かに驚いたように息を飲んだ。

「………信哉?」

驚いた様な声にハッとしたように信哉は目を瞬かせる。普段はこんな風に虹彩が変わることのない信哉の発光した瞳は、ドアを開けた忠志は初めて見たに違いない。他の三人と違い白銀に光る瞳は仲間内でも少し異彩だし、恐らく忠志なんかは信哉は白だから目の色は変わらないと思っていたに違いない。普段の交際に戻れば世界が元の色に帰る。そうしてみればまだ世の中は闇の中に落ちていて、先程感じた陽光と思ったものが実は仄かな夜のネオンか月明かりだったのだと気がつく。まだ夜が明けていないのに、自分がどれくらい気を失っていたのかは判断できないものに変わった。

「……………悌…、忠志…。」
「何が起きた?信哉。」

低い問いかける声に信哉は、悌順と義人が帰途についていた筈の信哉が途中で立ち止まり、もう一つの金気とやりあい始めたのに気がついている。だからこそ二人は驚いてあの場まで駆けつけたのだ。

「あの窪地に……違和感を感じて行ったんだ……。」
「それで何だった?」
「血の臭いがした。だが、調べようとしたら雲英が邪魔をした。」

そうとしか考えられなかった。あすこに何か血の臭いの元があった筈だが、調べようとしたら雲英がわざと雪を崩し更に雪中に埋めてしまった何か。あれが地表まで出る頃には何度も溶けた雪融け水で現れて、血の臭いなんか消えるに違いない。

「雪崩がおきた。」

ピクリと信哉の表情が変わる。その可能性をあの振動に感じたのは確かだったが、雲英はそれを考慮すらしなかった。自分より弱いとはいえ金気が与えた振動の余波が伝わり、山岳で緩んでいた雪を崩したのだ。

「三人死んだ。朱雀が何とか二人は助けたが、埋まったのは間に合わなかった。」

硬く強張る悌順の声に、あの時同時に起きた雪崩を忠志の方がそれを先に見つけて人命救助を優先したのに気がつく。そして同時に目の前で起こされた事を、雪崩の可能性を分かっていて止めなかった信哉は俯いた。金気を相殺して地表に走る振動を殺すことは、普段の信哉なら迷わず出来たのだ。出来なかったのは相手が人間で、そんなことをする筈がないと勝手に思い込み気を抜いていたからに他ならない。

「……すまない……、あいつの動きを止めるのが先だった……。」

呟く様なその声につかつかと歩み寄った悌順はジッとその顔を真正面から見下ろしたかと思うと、パンと音を立てて容赦ない平手で頬を殴りつけた。人間相手だからが言い訳でしかないのを、悌順はちゃんと見抜いている。

「悌っ!?」

突然の行為に声を上げた忠志を振りかえりもしないままに、呆然としたままの信哉を見下ろしたまま悌順が重い口を開く。

「何やってんだよ?お前は。」
「ヤス……。」

その憤りが何に向けられているのか、そんなことは分かりきっていた。自然災害でもなく人外でもなく、人を殺すような事態を起こした雲英を止められたのに止めなかった。悌順はフイッと視線をそらすと、それ以上の言葉もなく踵を返す。横をすり抜けてそのままやがて玄関の扉が開く音を聞きながら、困惑した表情の忠志はベットの上の信哉を見つめる。

「…………悌が一番心配してたと思う…、俺達も心配したけど……。」

それ以上の言葉を探しだせないでいると、やっと信哉は僅かに普段の表情を取り戻した様に微かに苦笑を浮かべて、分かってるとだけ呟きながら少し切れたらしい口元に手をのばして眉をしかめていた。
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