GATEKEEPERS  四神奇譚

文字の大きさ
上 下
180 / 206
第三部

第七幕 沿岸部研究施設内

しおりを挟む
僅かに感じていた得たいの知れないものの気配が全て地下に潜ったのに気がついて、多賀亜希子は一瞬ホッとしたものの気遣わしげに地下に降りていった和希の気配を手繰りながら建物からやっと脱出していた。空気はじっとりと湿り気を帯びていて微かな潮の臭いが漂ってくるのに、海辺にいるのだと気がつく。黒く濁った雲が空を隠して、低く重く垂れ込め今にも地上まで覆い隠してしまいそうに見える。

「……ここは……。」

連れて出てきた親子を振り返るが、彼らもここが何処なのかは知らないようすなのに気がつく。先程の看護師は既に先に逃がしてしまったし、一先ずこの人達をここから離してから先を考えようと亜希子は辺りを見渡して周囲の気配を見渡す。ところが予想外に視線の先に人の気配を感じ取って、亜希子は目を丸くした。
建物の入り口に向かってくるのは、背後の高校生位に見える。

「智美?!」

思わず声をあげた背後の高校生に両親が慌てるのがわかるが、やって来た二人も驚いたように目を丸くしている。ただ亜希子の連れていた高校生の方は相手がいることに驚いてはいるが、相手の方は可能性は頭にあったようすなのがわかった。

「まさか、本気で孝まで……確保してるなんて…………。」
「どういうことだ?」

杖をつき歩み寄った青年は色素の薄い茶色の瞳で、亜希子を含めた四人を見渡す。一先ずここで話していると、地下から何がが上がってきますと亜希子が口にすると改めて亜希子の事をみた杖をつく青年の背後にいた人物が目を細めた。

「もう、こうなってくると驚く方が面倒ですね…………。」
「礼慈?」
「あなたが何者かだけ聞いても?」

どうやら目の前の黒髪の人物の目は自分の事を見抜いているのだと、亜希子は目を細めて見つめ返す。どうやらここに集められた人間は大なり小なり、自分のように変わった人間だったらしい。つまりは親子に見える彼らも、人間離れした何かを持ち合わせているのかもしれないということになる。亜希子は仕方がないと言いたげに、一つ溜め息をついていた。



※※※



「うげぇ!不味ぅ!ほに不味っ!」

ゲフッと生臭いゲップを一つ吐いたふったちは限界と言いたげに、通路に項垂れて踞る。北側の部屋から西側に向かって『ロキ』とふったちが移動しているのは、西側にある別な部屋に何かがいて不定形生物達が集まりつつあったからだ。
助け出した悌順は、その場で別れて気配の消えた二人の方に向かった。
本来なら引き留めるべきだとは思うが、仲間の気配の消失に引き留める方法が考え付くはずもない。しかもその片割れが自分の唯一の従弟と言われたら、ふったちが西側の事は自分が確認して何とかすると前に出たのだ。
なんで?
そう問いかけた相手に、ふったちはなんでか決意に燃える声で

血筋は大事なんだぁ、親戚ば困ってらば助けでけんのがあだりまえなのす。

と珍しくお国言葉で熱弁した。そういえばふったちの生まれの地方では、元々地域的に親戚関係の結び付きが強い。しかも山野が多い土地のせいで集落で生活を営む形態が残っていて、未だに部落という表現を使う高齢者がいるような場所なのだ。普段の人間のふったちは最近の若者なのでそうは見えないが、今のふったちはそういう意味では土着の別モノなのだと思い出した。と言うわけで任されてここまで食い続けて来たが、流石に量が多くて気持ちが悪いらしい。

「はー、のどあんべぇわりぃ……ゆるぐねぇ……ケーキ食いてぇ……。」
「終わったら好きなだけ食べな。まだ倒れないでよ?せめて、建物からは出て倒れて。」
「むじぇ……ぺぁっこやさしくしてけでもいがべぇよぉ……。」

こんな地下から担いでいけないわよと言い捨てられて、ゲブゥともう一つ無作法な音をたててふったちは目を閉じたまま立ち上がる。あー気持ち悪いと呟きながら歩き出した彼の頭をポンポンと撫でながら、『ロキ』がこれが終わったら好きな食材採算度外視で好きなだけ使わせてあげるわと苦笑いしながら言う。そう言いながら辿り着いた扉に、ふったちが奇妙な様子で眉を潜めた。

「なんだろ?変な感じ。」

歪んだ鋼鉄製の扉についた人の手らしい跡。どうやら扉自体が歪んでしまったのを無理矢理抉じ開けたようにも見えるが、扉の血の跡を見てもどう考えてマトモな状況ではない。血が出る程の力だったら開けられるかといわれると、それはかなりありえなさそうな材質だし、もし本当に抉じ開けたとしても手の方が駄目になりそうだ。兎も角そういう意味ではこの状態のふったちがいて何よりで、ふったちはそうは見えない両手を扉にかけるとミチミチと音を立てながら扉の隙間を更に抉じ開けていく。

「んぐぐっ!きっつぅ!!」

引き戸じゃなかったら蹴るのにとブチブチ言うふったちが、何とか普通に入れる程の隙間をこじ開けた瞬間突然中から足裏が飛んできたのにふったちは悲鳴をあげながら仰け反る。完全に顔面を狙った高さの足を器用に仰け反って避けたふったちは、全くと言いたげにバク転で体勢を立て直す。床に屈むようにして上目遣いに睨みながら、ふったちが低く呻く。

「なんだ、お前。」

部屋の中から顔を覗かせた金髪の青年が、俊敏な動きに舌打ちしながらそう口にする。どうやら扉の血の跡は目の前の青年のものらしく、その無惨な右手は奇妙にブランブランと肩から力なく垂れて揺れて、ふったちがそれ痛そうと呟く。思わぬ相手に出くわしたと言わんばかりに、互いの顔をマジマジと眺め回すが彼らは友人でもなければ顔見知りと言うわけでもない。だが、ここで出会うのは全て敵と言わんばかりの青年の様子も分からなくはない状況だ。

「あんたも、閉じ込められてたの?三浦和希。」

間に割ってはいった『ロキ』に、三浦和希は驚いたように目を丸くして俺を知ってるのと答えた。

「知ってるわよ。」
「……俺は覚えてない。」
「安心して、直接話したことはないから。それにしても、その腕酷いわね。」

余りにも普通に話しかけられ気勢が削がれたのか、和希は溜め息混じりに後ろから追っかけてきてるのが近くなったからと呟く。どうやら不定形に追いかけられて逃げ込んだと言うところかと思ったが、そうではない様子で和希は『ロキ』をチラッと見る。

「ここまでこれるんなら、スライムとか平気なわけだよね?あんたら。」
「平気と言うか、喰うだけ。」

意図は掴めない様子だが、流石に傷が障るのか和希は喋るのも億劫そうに呟く。

「じゃ、あいつら助けてくんない?」

そう言いながら部屋の中に招き入れられ、二人は思わず顔を見合わせる。少なくとも名前で持っていたイメージとは異なり、今の三浦和希は人とのコミュニケーションも可能で、しかも誰かを助けてほしいと言うのだ。あの傷で逃げ出せなかったわけではなく部屋の中の誰かを守るためにここにいたのだと気がついて、『ロキ』は音をたてないように気を付けながらふったちと二人で室内に足を踏み入れる。室内には静寂が広がっていて奇妙に花の匂いが充満していて、ふったちがヒクヒクと空気を嗅ぐ。

「菜の花…………の匂い、ぽい。」
「菜の花?」
「ああ、そっか、菜の花か。」

ふったちの言葉に他の二人がそれぞれに反応する。
近代的な建物にはまるで似合わない、強い菜の花の香り。だが見たところ室内には無機質なものばかりで、その匂いの素になるような花の姿は何処にもない。それにしても、このひしゃげて歪んだ空間はどう言うことと考えながら足を踏み込んだ『ロキ』とふったちは、奥にいた和希が助けて欲しがっている人間の姿に思わず声をあげていた。

「ハムちゃんとミニハムくんじゃん!?」
「やだ!なんで?ここにいるの?!」

そこに花の香りを漂わせて眠っているのは、ここからは大分離れた都市下にいる筈の宮井麻希子と宇野衛の二人。知り合いなのと和希に目を丸くされたが、『ロキ』もふったちも二人の事はよく知っている間柄だ。何しろ『ロキ』にとっては姪・志賀早紀の同級生、ふったちにとっては勤め先の常連客でもある。

「嘘だろ?!なんでこんな危ないとこに!怪我してないの?!」

和希が辿り着いた時にはボンヤリと光を放っていて、誰もここにはいなかったし二人は怪我をしてないとは言うが触れても揺らしても起きないのだと言う。二人を抱えて逃げるには腕は駄目にしてしまったし周囲も完全に囲まれ過ぎていて、途方にくれていたというのが正直なところだった。

「確かに起きないわね……昏睡ってとこね。」
「外に亜希子がいるんだ……、亜希子は看護師だからもう少しハッキリわかると思う。」

和希の言葉に成る程と言ったふったちが、事も無げに二人を担ぎ上げさっさと逃げようと口にする。頭を揺らさないとか何とかいっている場合ではないし、確かに今ならふったちが食い散らかしたお陰で逃げ道も出来ている。あっという間に駆け出したふったちを眺めながら、動こうとしない和希に『ロキ』は振り返りながら行くわよと声をかけた。

「何やってんの?早く。」
「俺、忠志を探さないと。」

『ロキ』はその言葉に、三浦和希が何のためにここを徘徊していたか気がついた。恐らく何処からか槙山忠志が行方不明になったのを知った和希は、助けるためにここに来ていたのだ。何人も人を殺して逃亡中の男が、幼馴染みを助けるためにここに来るなんて『ロキ』の知っている三浦和希のイメージとは違いすぎる。

「槙山忠志なら部屋からは逃がしたわ。」
「本当?先に逃げたってこと?」
「違うわ、奥で戦ってる。」

そう表現するしかできない。奥がこの世界でないのと、今も戦っているのかどうかすら分からないが、自分達にどうこうできる範疇の世界ではない。ふったちですら自分の地元の霧の中を通ることは出来ない。霧の向こうは『経立』や物語でしか聞いたことのないモノ達の世界だ。生き物では越えられない線がそこにはある。

「…………一緒に外で待ちましょ、じゃないと逆に邪魔になるわ。」

彼女の言葉に和希は暫し迷うような様子を浮かべたが、おとなしく従うように動き出す。一先ず何とか地下からは抜け出さないと、ここで建物に傷がつくような事態に巻き込まれたらふったちが抱える二人も含めて一貫の終わりだ。

そんなことになったら彼氏が発狂するわね。

麻希子達が行方不明になったと言う話は全く耳に入っていなかった。今は宇野智雪も外崎宏太も連携して鳥飼信哉達を探しているから情報が入らないのは考えられないが、それにしてもここまで拉致してきたなら動きが察知できた筈だ。しかもこの二人は澤江仁という青年と一緒にいる筈だったのに、あの部屋には花の匂いだけで姿はなかった。

まさか他の場所に隔離とか言わないでよ、地下の施設には熱源はもうないんだから。

もうこれ以上地下で彷徨くには事態が緊迫している。と言うのも『ロキ』自身がシステムハックしておいて何だが、彼女にもシステムでハックできなかったものが一つだけあった。元々システムが何故か別に組み上げられていて、本体システムに何かあるとそれが自動で作動するように密かに設定されていたのだ。

恐らくは東条自身が何らかの事態の時には、ここを密閉してしまうつもりだった

上層の建物は問題がないが、槙山忠志を初めとする数人はそれに巻き込まれれば恐らく死ぬに違いない。しかもそれは他にも人を巻き込む可能性があって、もし地上施設への扉が閉鎖される事態だったらもっと深刻だった。
空調システムが自動でシャットダウンされる設定になっていて、実は既に空調は止まり地下はたった一つの通路の開閉でしか空気を得られなくなっている。施設内が広大だから気がつかないが、地下部分では次第に酸素は減っている筈だ。勿論侵入して直ぐそれには気がついて端末から解除しようとはしているが、手元端末だけでは能力が足りなすぎた。地下への扉を完全封鎖させなかったのは不幸中の幸いだが、それでもたかが数分でどれだけ補いきれるか。可能なら解放のままにしておきたいところだが、下の通路を歩いているものが上にさ迷い出ても困るからそうできない。
勿論それに関しては悌順には、別れる前に説明してあった。

仲間を見つけたら早々に地上に出ること。
他の人間は自分とふったちが、何とか外に追い出すから、最悪施設を倒壊させてでも外に出ること。
維持でも東条の鼻っ柱を折ってやるんだから、生きて戻ること。

『ロキ』の言葉に苦笑いしながら、悌順はわかったと言い残して中心に向かっていったのだ。








しおりを挟む

処理中です...