鵺の哭く刻

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潜伏期

31.★

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何が、そこまで自分を惹きつけるのだろう。
夜の煌びやかなネオンがさざめく街で、横を歩く男の姿をアキコは見上げた。確かに見た目は良い方だろう、しかし時間にルーズだし、何より自分以外の女がいるであろう男。それにこれだけの時間と金と労力をつぎ込んでいる理由はなんだろう。ここまでして何を求めるのだろうと考えているのに、それを何故か職場でする普段のようには言葉には出せない。理知的で客観性に長けている筈のアキコは、一体何処に閉じ込められているのだろう。
男は無言のままのアキコの気持ちをとりなすように優しい声で話しかけている。
確かに声と言葉は好きだった。
最初は高すぎると思った声も今は心地いいと思うこともある。
言葉も、私が好む種類の言葉を使う。
それに見た目も、嫌いなほうではない。

何だか情緒不安定になってる。

アキコは小さく重い溜め息をついた。その溜め息をどう取ったのだろう、彼は優しい仕草でアキコの腰に手を回す。不意に起こったその行動にアキコは一瞬驚きながら、その自分と異なる体温を見つめた。男は少し背を丸めるようにして、アキコに顔を寄せる。

「ごめんね、気分悪い思いさせちゃって。今度はしないから、会ってる最中に仕事の話なんてさ。」

そう微笑む男の表情につられてアキコも微かに微笑む。
惹かれたのはこの優しさなのだろうか。
ふとアキコはそんな風に思う。
でも優しさとはなんだろう。
そのまま観覧車のように煌びやかな光で飾り付けられた街を歩きながら、そのままホテルに入り込むのだと考えていたのに腰の手がイヤらしく動くのに気がつく。視線をあげれば欲望にギラギラした瞳が見下ろしていて、男の中に影が潜んでいるのに気がつく。

罰が欲しいだろ?

これはゲームのようなものだとアキコはその目を見て思う。恋愛ゲームと同じで、相手が望むようにしないとご褒美は手に入らない。しかもそのご褒美は罰でもあり、快楽でもあるのだ。奇妙な矛盾を感じながら押されるままに、ブティックホテルの入り口をくぐり手馴れた様子で部屋を選ぶのを見つめる。アキコは、その横顔を見つめながら思った。

やっぱり、これはゲームのような恋愛ごっこなんだ……。

どちらかが諦めるか、もしくはがどちらかが全てを与えてごっこではない本当の恋愛の形を作るか。その過程を楽しむような、恋愛ゲーム。
そう考えてしまえば、何も違和感はない。部屋を選択して当たり前のようにアキコの財布からお金を引き出し、払いながら考える。
アキコの手札は、心だけでなく彼より多い財力。
男の全ては彼の心。
札を切るにもどこまで手札を返すかでゲームの流れが変わる。
自分のしていることは恋愛ゲームとアキコが心で囁いたのが呪文にでもなったかのように、まさに体を重ね合わせようという真っ最中に酷く場違いなラブソングを声高に携帯電話が奏でた。それは、携帯電話の着信音だということは食事の時で分かっていた。しかし、シュンイチの微かな狼狽した表情に気分が一気に萎えるのが分かり、溜め息をついてその体を突き放す。

「出れば?彼女なんでしょう?」

背中を向けた背後にイソイソと電話を受けるシュンイチの気配がしてうんざりする。

こんな男に体まで投げ出して一体何になるの?
何がそんなにこの男に惹かれたのかしら。

背中の向こうで何かヒソヒソと男が話す声がする。聞き取る気になれば全て聞き取れるが内容を理解するのが嫌になってアキコは、リエとフィが交わした言葉を思い返していた。何がいったい自分をここまでさせたのだろうと考えてしまう。

《……君は独りなの?》
《そう、もう18から一人暮らし。》
《そっか、じゃあ殆ど俺と同じだね。》

別に自分も彼も家族と仲が悪いわけではないのだろうけど何故か一線をおいている感じが自分と同じだった。

《独りの家って寂しくない?》
《寂しいね、俺なんかついネット繋ぐしね》
《私も。》
《リエがいると思うから今はマメにここに来るしね。》
《私も。フィに会いたくて通ってるかな。》
《嬉しいこというね、リエは。》

同じように独りの家での虚しさや寂しさを知ってると言う言葉。誰かに傍にいて欲しいと思った、お互いにそう思っているとフィが言ったから彼との会話は続いたのだ。
だけど、実際はどうだろう。

私は無言で起き上がると、光沢のあるシーツから滑りでて男を見向きもせずにバスルームに足を向けた。アキコの不意の行動に背後で微かな動揺を示したシュンイチのことはどうでもいいと思う。覚めた頭で彼は他に相手がいるのだし、罰を貰えるのももうこれで終わりにして、自分の世界に戻ればいいだけのことなのだと考える。

私は、私の生活に戻ればいいだけのこと。

無言のままシャワーを浴びて、黒髪をすいてドライヤーをかける。微かに向こうの部屋で電話で言い合う声がしている気がしたが、それもどうでもいい事のような気がした。アキコは髪が乾くと何も言わずベットだけが強調された部屋に戻り、さっさと衣類をつけ始め身支度を始める。

「アキ?」

いつの間にか電話を終えた様子のシュンイチが困惑した声をかけるのを、冷ややかにアキコは見つめた。電話のせいなのか私の行動のせいなのか、微かに頬を上気させたその表情は困惑に満ちて、微かにアキコの心の中の溜飲を下げるような気がする。アキコは、にっこりと業務的な微笑の仮面をつけて男を見つめた。

「ごっこは終わりにしましょ。彼女が居るんなら、彼女とこういうとこに着たら?」

その言葉は痛烈な皮肉となって目の前の男に向かって放たれ、一瞬の空白が訪れる。
ところがその表情が、微かに変わったのにアキコは気がついた。
困惑とそして怒り。
様々な感情が綯い交ぜになったような表情がそこにあって、アキコは微かな恐怖を感じていた。怒りを感じるべきなのはアキコの方なのに、何故目の前の男は怒りを放っているのか分からない。そしてそのどす黒い怒りの中には確かに真っ黒な影が巣くっていて、ドロリと瞳を怒りに染め濁らせていく。
終わりにしようとした決心が恐怖で揺らぐ。
揺らいではいけないと思っているのに、分かっているのに、その視線に全てが挫けてしまう。
唐突に腕か伸びてきて、肩を突き飛ばされベットに撥ね飛ばされていた。固いところには何もぶつかっていない筈なのに、余りにも強く突き飛ばされたのに一瞬眩暈がする。そしてそのまま腰を爪が立つほどに乱暴に捕まれて、スカートは捲り上げられ下着は脱がされもせずに股だけを曝すように横に押し退けられた。

「ひああっ!!」

グリッと突然肉棒が捩じ込まれ、痛みが弾ける。濡れてもいない膣に捩じ込まれる怒張は前回とは比べ物にもならない大きさで、中を乱暴に犯し始めていた。服はあっという間に裂けてボタンが弾けたりしていて、さらけ出された乳首や陰核という突起はギリギリ爪を立てて捻り上げられ、あっという間に血を滲ませて赤く晴れ上がる。そんな行為が世の中に本当に存在することが、アキコには信じられなかった。

「い、いたいっ!やめてぇ!いたいぃ!」
「痛いのが好きだろう?!マンコはもうグチョグチョになってるぞ!淫乱!」

元々こうするために持ち込んでいたのだろう。布地が引き裂かれ布切れだけが僅かに体に絡み付き、いつの間にか手足を冷たい手錠で拘束されていた。手首と足首を繋がれて天井を見あげるように転がされると、身動きもできず男は怒張を上から突き落とすようにして腰を打ち付ける。

「ひぎっ!いいぃい!いたいっ!いたいぃ!」

感じて濡れているも言うより痛みと恐怖で漏らしているような感覚だった。痛め付けられなぶられ快感はなく男の逸物を根本まで咥えこみ悲鳴をあげているのに、男は余計に興奮して腰を振る。乳首をつねって木製の洗濯バサミで挟みつけて、陰核を剥き出すとギリギリと指で挟み乱暴に引きちぎろうとするのだ。

「ち、ちぎれるぅ!いたいっ!やあっやめてぇえ!」
「はは!ガチガチに固くして、腰を降って嫌だなんてよく言えるな!アキ。」

違うと叫びたくても、四肢を固定され陰核を引かれたら痛みを緩和するために腰を動かすしかない。しかも終わりにしてけりをつけようという決心が一度揺らいでしまったら、心の陥落はひどく早いものだった。痛みが罰だと声を張り上げられた瞬間に、頭の中であの渇望が体を支配するのがわかる。

これは自分じゃない

そう思いたいのに何もかもが流されて闇に飲まれてしまう。飲まれてしまえば体に埋め込まれた影の片鱗は淫靡な快楽を示し始めていて、突き込まれる怒張には感じないのに痛め付けられている体が快感に戦く。

「はは、そんなにチンポに向かって腰を擦り付けて、淫乱め!」

お前が悪い。
お前が誘うから。

薄暗い明かりの中で自分を見下ろす影が嗤うのが見えて、見られているぞと囁く声が聞こえる。その途端まるでブワッと毛穴が開くように全身が上気し、木製の洗濯バサミの痛みが、陰核をつねる痛みが快感に変えられてしまう。

犯されているのを見られている

手足を拘束され無様に陰核で腰を操られ、洗濯バサミで飾られた乳を揺らしながら男に犯される姿を影が嗤いながら見ている。目を向ければ股の間で犯す男ですら照明の影になっていて、アキコは既に影に犯されていたのに気がつく。

これは調教でもない、ただの強姦だ

それは本来なら屈辱に値する、なのに闇に落ちて既に陥落してしまった心が全てを受け入れてしまうのだ。自分の中で渦巻く感情と理性の矛盾に気がつきながらも、アキコは全てを受け入れるしかなかった。
グルリと体をひっくり返され突き刺すような挿入を四つん這いで、背後から怒張を受け入れて男が満足するような声を出す。激しく音をあげながら後ろから揺さぶられ、恥じらいもなくあられのない声をあげて尻をぶたれて腰を突き上げる。
痛みという罰に酩酊するような、それでいて心の何処かは酷く冷静にその自分を嘲笑っていた。

馬鹿な女。都合のいいダッチワイフになる馬鹿な女。

そう理性が囁く。何時ものように完全に快感に酩酊してくれたらよかったのに、何故か冷静なアキコも頭の中に今は冷ややかに存在して自分を嘲笑う。男が痛みを与えるより怒張を擦る事に夢中になり始めたら、それはより顕著になっていった。
アキコは行為に感じているかのように眼を閉じて、無理やり理性を感情の向こうへと押しやると甘えるように強請る。
そこには氷のような計算高い蛇のような闇があるのに、男は気がつかない。
手錠を外して後背位から体位を変え正常位から突き入れられる感触を味わいながら、自分より体温の高い別な人間という存在の背に腹いせの様に爪を立て赤い筋を残す。

「ああ!あーっ!すごい!気持ちいい!すごいぃ!」
「おおっ!いいぞ!もっと、足を絡めろ!」

興奮して腰を突きこむ男にたいして、怒張では感じない闇はその痕が何時かどんな結果を生むかを想像しながら満足げに口の端を上げる。一夜の内に何度も何度もしがみつく様にして自分との秘め事を証明する爪を立てて女は歓喜で笑うのだと、抱いている男は微塵も疑うことはない。
うつらうつらとした霞む記憶の影に電話をする男の姿をアキコはベットの中から見つめている。男は自分に背に幾つもの赤い爪痕を残しながら、こっそりと携帯電話と語り合っていた。アキコが眠っていると油断している男は、微かな猫なで声にも聞こえる声に時折言い訳がましい声が重なる。

邪魔をしようか?今一声上げれば良いだけ。

そう考えながらアキコは止めた。そうしても構わないが、今はその時ではないだろうと、耳元にやって来た影がヒソリと言うのだ。次第に影が傍にいる時間が延びてきているけれど、それもどうでもいいような気がしてきた。影は罰を快感に変えるだけでそれほど害がない気さえしているのだ。
彼らの関係と自分と彼の関係に結論を出すのは、結局はシュンイチだ。
自分が選ばれないのなら諦めて、自分の人生に戻ればいいだけに過ぎないのだと半分眠った理性が囁くと影も同意してくる。

必要な罰を与えてくれる間は気にすることもない。

必要な罰という言葉にアキコは思わず微かにクスリと笑い声を溢し、男は驚いたように振り返りアキコを見るがその時にはアキコは目を閉じていた。男は暫くアキコの様子を伺っていたが、再び電話に猫なで声をかけ始める。

…………その背中の傷は治るのにだいぶかかりそうよ?

アキコは声に出さないままにそう心の中で呟き、男が電話の相手に切ると言うのを聞きながら微かに苦笑した。

一時でも心の空白を渇望を男が埋めたのは事実だから。
だから、それで十分。
後はあなたが決めて、好きにしてくれればいい事。
アキコは自分が、そう夢うつつに心の中で呟いたような気がする。
そんな風に考えながらアキコは短く深い眠りに落ちた。



※※※



次の日前回とは違って男は、彼の帰る路線とは別の私鉄の改札に入るアキコを見送ると言った。実際に言った通り改札の入り口で、人目をはばかるように軽く私を一瞬抱きしめて恥ずかしそうに離す。こんな事は余りした事が無いと言いながら照れたように笑い、男はまるで昨日の電話の事など無かったかのように駅の構内の喧騒の中で三十センチも身長の差のあるアキコのことを見おろした。
ただ一度のハグ。
それでも、聞きたい事は沢山あるけどそれは男自身が話すまで聞かない事にしよう、ふとそんな事を思いながらアキコは彼の顔を見上げた。

「また…………逢いに来てくれる?アキ。」

そう問いかける子供のような彼の表情の方が、逆に冷静で理知的な筈の方のアキコの心を惹きつける。誰かに自分を理解して欲しいというような、何かを訴えているような表情。その表情がそんな感情を持っているような気がアキコにはするのだ。そんな共鳴するような感情がどこかに存在している気がするから、彼に惹かれてしまうのかもしれない。そう思いながら、アキコはふと呟くように答えていた。

「あなたがそうして欲しいなら、……来る。」
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