鵺の哭く刻

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以前と違ってというか殆んど酒は飲まないのだが、相手に合わせてレモンサワーをチビチビと呑みながらアキコはリュウヘイの近況を聞き出す。この街に戻って暮らし始めてからもまだ一年にはならないが、看護師をしながら少しずつ人探しを続けるアキコは、以前のように友人関係を構築する人間が極端に少ない。元々人との交流が苦手な上に目的があってここにいるから、それほど積極的に誰かと交流しようとしていないせいもある。その中でリュウヘイは何故かアキコと親密といって間違いがない程の関係だし、二人でいても年頃も遜色もない。

「めくらの兄さんに上手いことやられててよ…………、まぁこれがまた面倒になるくらい頭が良くてな。」
「あら、リュウヘイが認めるなんて、その人凄いわね?」
「嫌味かよ、困ってんだぞ?可哀想にとか言えよ、おたくも。」

そんな風に言うけれど顔は困っている風には見えないのは、内心ではリュウヘイがその相手とのやり取りを面白がっているからだ。おかしな話だがリュウヘイが堅気の仕事でもないし違法なことばかりしているのは当にアキコにも分かっているのだが、何処かこの男とアキコは気が合うのだ。
以前ネット上でしか付き合いのなかったトノと呼ばれる相手のことを何故かアキコに思い起こさせるリュウヘイは、記録上は高卒なのだと彼は言うけれど頭が切れて機転も効く。そしてその身の上は更に奇妙過ぎて、死にたくても死ねない男と身体は三度も自殺未遂を繰り返し死ねなかった女。同じような場所からやって来た、謂わばあの湿った土の臭いのする土蔵からアキコのようにやっとの事で這い出してきた、そんな同類の臭いがするのだ。

「何とかしなさい、男でしょ。」
「それが母親のいうことかよ。」

そう、目下アキコは看護師としての腕を買われてリュウヘイから仕事を依頼され、その結果何故かほぼ年の変わらない目の前のリュウヘイが義理の息子になってしまったのはなかなか奇妙なことだ。

年上の息子なんてどうなのかしらねぇ

そう実は今のアキコはタガアキコではなく、契約結婚でクラハシアキコに一時的にとは言え苗字が変わっている。両親には話せていないがもし話したら何をやっているんだとアツシなら激怒するに違いないのは分かっているのだけれど、リュウヘイからの頼みをアキコは断れなかった。
実はリュウヘイの父・クラハシシュンジはもう何年も植物状態で人工呼吸器で生かされているだけの存在で、それでもリュウヘイはあと少し生き長らえさせたくて二十四時間看護をさせるつもりでアキコを雇い傍におかせたのだ。

そうじゃない、人工呼吸器を操作して糞親父を弱らせて殺すんだ。

一応リュウヘイはそういう建前を常にアキコにはいっているのだが、人の本音を見抜くのが上手いアキコに嘘が通じる筈もない。というのもカルテや経過を確認すれば、クラハシシュンジには十分な看護は提供されていて身体の管理はキチンと整えられている。それなのにワザワザ外部の人間…………リュウヘイが信用出来る人間を捩じ込んで迄傍に置きたかった理由。 
アキコは有能だから、シュンジに何が起きているのか位は簡単に判断できる。だからリュウヘイは密かに手を回して都立病院の院長でもある祖父・クラハシケンゴに承知させて父・シュンジとアキコを契約結婚させたのだ。
何故リュウヘイがアキコを父親の傍に置きたかったかの理由はカルテを見れば明白だった。けれど、リュウヘイは、それを指摘してまだ出来ることがあるかもと言ったアキコにもう何もしなくていい、見守れとだけしか言わなかった。リュウヘイがして欲しかったのは既に手の施しようのない命の延命を優先したのではなくて、その真実を見つけるアキコの目の方がなおのこと必要だったのだ。
それでも結婚して半年もすると元々弱っていたシュンジは心不全で逝去し、クラハシシュンジも既に故人となっている。何もしなくていいとは言われたけれど、我慢のならなかったアキコは分厚いカルテを読みきって穏やかな顔で義理の父親になったクラハシケンゴに突きつけてもいた。

…………ずっとシュンジさんを殺したかったのは、……お義父さんの方ですよね?

産婦人科医師で総合病院の院長。だがその息子のシュンジは調べれば調べるほどロクデナシ。交通事故から殺人まで前科をもっていて、しかも孫のリュウヘイは息子が看護師をレイプして出来たと来ている。それでも可愛い息子だからと医師の力で延命してきたが、三十年以上もそのまま生きてしまうとは思ってなかったのだろう。自分が年を取り今後を考え始めた時クラハシ院長には真っ暗な未来しか見えなかったのも分かるし、我が子を介護し続ける不安に親が絶望するのも分かる。

それは…………

植物状態の息子をジワジワと機械の設定で弱らせて肺や心臓に負荷をかけてきた。そんな世にも残酷な方法で実の子を殺そうとしたのは医師である実の父親で、父親以上にロクデナシに育った孫は密かにそれに気がついていた。ただそこから再び延命にむけるには既に遅くシュンジの体はボロボロで、アキコに出来たのは知り得た真実を証拠とともにリュウヘイに教えるくらいだけだ。
そんなわけでリュウヘイからの依頼も終わったことだから、そろそろアキコもタガに戻ろうかと考え始めている最中なのだけれど、もう少し待ってくれとリュウヘイに止められている。

「もう少ししたら頼みがあるんだ、アキコ。」
「…………私、バツ二で止めときたいんだけど?」 
「安心しろ、再婚してくれって話じゃねぇよ。俺のガキの世話。おたく位しか出来ないんだ、俺譲りのロクデナシだからな。」

なにそれ?父親の世話の次は、孫の世話?と笑うアキコがリュウヘイを拒絶しないのは、結局はアキコ自身がこれを面白がっている一面もあるからに違いない。仕方無いわねと苦笑いしながら話していたそんな矢先店の奥で掠れた絶叫が店内に響き渡り、それぞれに歓談していた客達が訝しげな視線を辺りに漂わせた。

「なんだ?喧嘩か?」

リュウヘイが呆れ顔を向けながら呟くのに、アキコは店の奥を見つめて目を細める。

「先に出ましょ、あんまりいい感じがしないわ。」

アキコの向けた視界には店の奥からは人の目には映らない濁った闇が、靄か霧のように音もなく溢れだしていた。過去に々見た山瀬の霧のように完璧な境界線を持った壁をつくっているが、白ではなく黒い。店舗の奥から深くて濃い闇が、店内にいるアキコ達に向かってにじり寄ってくる。その靄が何なのか一目で分かるアキコは、深い溜め息を溢して眉を潜めていた。

哭きたいわね……、あれに触られたくないわ………………

シュンイチにビッチリと纏わりついていた闇は、目の前のリュウヘイのものとは違う。同じ闇なのにリュウヘイの闇は何処か純粋で故郷の夜の闇を思わせる自然さなのに、シュンイチの垂れ流す闇は汚泥のような腐臭を放っている。まるで何か過ちを手繰り寄せて固めたような、人工的な神経に触る闇なのだ。
何か起きたか何かが見えたか、シュンイチが入っていった先であの闇は溢れだしたらしい。目で見えるような人間はそんなに世の中には多くはないし見えたとしてもアキコほど靄には見えない筈だが、不快感や異臭は感じる様で異臭を訴える客がチラホラいる。お陰で店員の何人が困惑に右往左往していく。

「なんか見えてんのか?おたくには。」
「そうね、…………関わりたくないかな。」

そうアキコが口にするとリュウヘイはそうかと当然のように口にして店員にをよび、サッサと代金以上の金額を手渡して釣りはいらないと立ち上がる。後から付いて歩きだしながら憮然とした顔を見せてアキコが背の高いリュウヘイを横から見上げて、その姿は何処か遥か昔に元夫を見上げていたアキコを思わせる姿だ。ただ違うのはあの時と違ってアキコの表情は生き生きとしていて、笑顔もあるし自分からその相手の袖を掴んで自分に引き寄せることもすること。

「ちょっと、半分払うわよ、幾ら?リュウヘイ。」
「見てないからわからん。」

そんな気はしたが元々アキコに折半させる気がなくて金額を見もしていない義理の息子の行動に、アキコは不本意だともぉと頬を膨らませてみせる。今度は驕られないわよと何故か張り合うように宣言しながら歩きだすアキコの様子は、四十過ぎていると年齢を聞いたらきっと驚くに違いないほど若々しい。
既に四十二になったアキコは何故かここに以前暮らしていた時よりも若々しく見えていて、恐らくコバヤカワ達がアキコだと気がつくこともない筈だ。その証拠にアキコがリュウヘイとともに、横を通り過ぎて行くのに彼らは気がつくこともなかったのだから。



※※※



気が付くと独りアパートのベットの中で丸くなって震えている自分がいる。
あの店のトイレで悲鳴をあげた後、何がどうなって、今ここに戻ってきたのかを何一つ順序立てて説明ができないのだ。それでも何とか自分の暮らす範疇に戻れて安堵出来ると思ったのに、もう一度試しに鏡を見ることも出来ないままでいる。

でも、いつまでもこうしてて………………

真っ暗闇の中で頭を抱えて震えている自分は怯えたように、恐る恐る室内を見渡すが室内の状況は今朝から何も変わってはいないような気がする。震えながら射干玉の闇の中で録に見えもしない手をかざして、闇の中に試しにヒラヒラと動かす。闇の中でボンヤリ白く見える手は何時ものシュンイチの指に見えていて、皺はそれほどなく、長くしなやかな何時もの指がそこにはある。

なんとも…………ない?

指を目に近付けて一本ずつ睨み付けながら確認するが、目の前の指は老人のものではない。それでも未だに怯えながらスマホのライトで照らしつつ姿見を眺めると、そこには何時もの自分の顔があるのに唖然とした。

一体何が起こってんだ?何なんだ?

自分に何が起こっているのか検討もつかない上に、顔が少しの間とは言え別人に見える理由なんて検討もつかない。しかもハルカワ達が自分を判別できなかったのは、自分だけでなく彼らもあの時シュンイチの顔が老人に見えていたのではないだろうか。
それが何かの事の始まりのような気がした。
この自分にもたらされた坂道を転がり落ちるような人生の原因はあの女だが、異変の原因は別なものの気もして不安感が増してくる。このままでは自分はあの草臥れて枯れ果てた老人のようになって、誰からも相手にされなくなるのではないかと不安になるのだ。

嫌、そんな筈はない

不安になるのを認めて自分の身の回りに起きているのが、常識では説明がつかないものだと認めてしまうより、もっと簡単に現実的な理由があるだろうと嗄れた声が頭に指摘する。その声自体がおかしなものだとは気がつかないままにシュンイチは、現実的な理由というものに飛び付いていた。

そうだ…………アイツら、俺を嵌めたんだ。

そう、自分の顔が老人の顔に変わったと考えるより、自分を彼奴らが結託して嵌めたのだと考えた方がずっと納得しやすい。当然自分が鏡を見て叫んだことはなかったことにして、ただ昔の友人だった彼奴らが自分を嵌めて腹を抱えて笑っているのだと考えてしまえばいい。それなのなそう考える自分はおかしくなっているんだと、自分の中の声がいうのが聞こえてもいるのだ。

そうして最悪の転落が再び始まった。
今まで経験したこと以上に酷いこと。
そんなものがあって、それがこんなに立て続けに起こるなんてと思うしかないようなことばかりが次々と振りかかり避けることも出来ない。正直に言えばシュンイチだって自分のこの先にこんなに最悪な出来事があると知ってたら、絶対にそれを避ける方法を考える。もし時を遡れたら幾つかは是非とも回避したい。命がけでも回避したいと思うが、それが出来ない事だというのもわかっていた。

何でだ…………

女子高生の二号奴隷を失ってからというものの、シュンイチのアパートの部屋には次々と不可解なことが起こり出していた。勿論シュンイチのこの性格で誰かに頭を下げるなんてこともないし親も弟も助けてくれはしないから部屋が少しばかり荒れていたのは…………いや、正直に言えば荒れていたなんてものではすまなくて、シュンイチの部屋は所謂完全なるゴミ屋敷だった。二号が部屋に来た前のアパートの部屋はまだましだったが、転居と共に完全に二号も来ないから完全な汚部屋というしかない。しかもオンボロアパートで下にも横にも住人がいないから、余計に汚部屋は輪をかけて酷くなったのだ。だがその異変は忍び寄っていて、その汚部屋に侵入している者の存在を感じ始めた。

眠っている間に誰かが部屋に忍び込んでいる。

しかもそれは密かに頻度を上げてジリジリとやって来て、自分がここにいるとアピールし始めていてシュンイチは表立っては平静を保っていたが内面では怯えてもいた。酒を飲んでいるわけでもないし薬を使ってもいないのに、その侵入者に気がついたことがない。同時に奇妙な時間短縮という近道の現象も続いていて、その上認めてはいないけれど先日は一時とはいえ自分の顔が別人に変わるという不可思議な現象まで起こってしまった。

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