フォークロア・ゲート

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追憶の妖精の街

30.ロウ・フォード

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軽やかな音楽にロウはふっと眠りの淵から目を覚ました。ヴァイゼとの会話のあとロウは小屋に戻り一旦休憩と横になったが大分寝てしまったようだ。マダムから受け取った修道女と一緒に写った五歳位の少女の写真を、もう横になったまま一度眺める。

ハッグのフェーリ・ロアッソの娘のリリア・ロアッソ。

横になったまま考えてロウは、自分の目で確かめたことを思い出す。墓地にはフリン一家はあっても、ロアッソという名前は一つも見えなかった。ハッグと呼ばれるフェーリ・ロアッソは生きている可能性があるから墓がないかもしれないが、もう一つ疑問が浮かぶ。子供がいるなら父親は何処にいる?何故ロアッソの名前の墓石は一つもないのか、相手の家族はこの島の人間ではないのか。

他で子供を作って戻ってきたのか?

他で子供を作って親元に戻った可能性は確かにあるが、そうなると今度はロアッソの両親はどこにいるのだろう。その両親は墓はどこにあるのだろう。それに父親のいない子供を育てるには、島は些か閉鎖的で貧しすぎはしないだろうか。女が一人で子供を育てるのは、今の世の中もう少し仕事を得られる場所を選びそうなものだ。眼鏡越しの天井は薄暗く仄かな白い光が差し込んでいて、どうやら月の明かりが射し込んでいるようだと気がつく。埃を舞い上げながら古びたベットの上に起き上がると、くすんだ硝子から外を眺めた。輪郭のボケた教会の尖塔の下に揺れる炎のようなものが見え、ロウは眼鏡の真ん中を指で押し上げ目を凝らした。

教会には誰が夜な夜な訪れるんだ?

そして目を覚ました時に聞こえていた軽やかな音楽の存在を、ロウは確認するように耳を澄ます。相変わらず古ぼけたジュークボックスからの、軽やかな音楽は陽気なのに何処か古ぼけている。
何気なくポケットから既に草臥れ始めたタバコを取り出そうとして空なのに気がつく。そんなに吸った気もないのにと苦く笑いながら、小屋を出てコートに両手を突っ込んだロウは視線を空へと向ける。雲の切れ目には何時もと変わらず、微かな青い光が漏れているようだ。

本当にフェーリ・ロアッソはハッグなのか?

思案にくれながら店の入り口を潜ると店に客は女がたった一人。カウンターの中は相変わらず、銀髪の男が古めかしいパイプを燻らせている。ヴェヒターは何時ものようにパイプを斜めに口を開く。

「いらっしゃい、旦那。ヴェヒター・カナッハのパブは、クルラホーンも満足の品揃えさ。」
「やあ、ヴェヒター。」
「良かった、旦那。今夜は客足が悪くてね。菜の花畑にハッグが出たかな?」

菜の花畑にハッグが出るとは、始めて聞く言葉に目を細める。店内にはバオアーもシュミートもいないのを確かめ窓辺の髪の長い女を見ると、細いシャンパングラスでユックリと発泡酒を飲んでいる。

「菜の花畑にハッグが出るとは初耳だな。」
「初めてハッグを見た奴が、そう言ったのさ。」

ヴェヒターはニヤリと意味深に微笑んで肩をすくめる。その笑みの意図するものが掴めず、ロウは眼鏡の奥で目を細めた。

「初めてハッグが出たのは何時のことなんだね?」
「あれは、そうさね、ロニ・フリンが死ぬちょっと前の嵐の晩さ。旦那。」

予想外の言葉に、ロウは眼鏡の奥の瞳を光らせた。ロニ・フリンを殺したからハッグと呼ばれたのなら分かるが、ハッグが島に姿を現したのはそれより早い事になる。つまり、ハッグはロニ・フリンが死んだ時には既に誰かを殺した後だと言うことだ。だとしたら殺されたのは誰なのか?フェーリがハッグだとしたら、他に誰を殺したのだろう。

「ハッグは子供を拐って殺した以外に誰を殺したんだ?ヴェヒター。」
「さあ?そいつは俺は知らないが、あの嵐の夜は何人かが死んだのさ。旦那。」
「何人か?」

ヴェヒターは微かに微笑みながら冷えたエールの瓶を二本取り出すと、栓を開けて片方をカウンターに置く。奢りだよと笑うヴェヒターに、遠慮なくエールを喉に流し込む。

「そんなにひどい嵐だったのか?」
「ああ、今世紀では最大だね、島の人間全員教会に避難したからね、旦那。」

何気なく教会を思い浮かべたロウは、何気なく独り言のように呟く。

「それほど大きい教会には見えないがな。」
「そうさね、島の全員と言ったってたかが十七人ぽっちだからね、旦那。」

十七人とは予想以上に人数が少ない。しかも、その内少なくとも二人は子供で、後二人はシュミートとその妻、目の前のヴェヒター、後は恐らくバオアーは島にいただろう。勿論、マダムもいた筈の一人だ。つまりは、既に七人程は予想の出来る範囲にいることになる。閉鎖的とは考えたが、もしかするともっと状況は顕著だったかもしれない。

「その中の何人が死んだんだ?」
「俺が知ってるのは三人かね、一人は行方不明さ。」

ヴェヒターは肩を竦め、僅かに曖昧さを残した答えを返す。知っているのは三人、その内の一人はシュミートの妻ということになる。残りの二人のどちらかが、ハッグに殺された人間ということだろうか。その時不意にロウは内ポケットの中が熱を持った気がして、思わずポケットに手を突っ込みあの絵本を取り出した。唐突にカウンターに投げ出された本に、窓際の女が驚いたように視線をあげる。

「それは…。」

ロウの目の前で窓際の女が声をあげたのに、ロウは更に眼鏡の奥で目を細めて女の様子を伺った。どうやらこの女は、この絵本を知っているようだ。

「あんた、この本の持ち主を知ってるのかい?ミス・リーベス。」
「ミセスよ。」

そう言うと悲しげな顔をした女は初めて席を立ち上がって、カウンターに歩み寄り懐かしそうに目を細めた。丸テーブルの奥には、年代物のジュークボックスがいつもと同じく置かれ音楽が流れ落ちる。カウンターの上の本をリーベスは、震える手で撫でああと溜め息混じりの声を溢す。

「一体何処でこれを?ミスター。」
「説明が難しいんだがね、ちょっとした旅先の空き家で拾ったんだ。」

ロウが説明の言葉を濁すと、濃いブルーの瞳で彼女はロウの顔を見透かすように見つめ微かに涙の滲む気配を漂わせた。

「そう、ちょっとした旅先…ヘンキーとは踊ったの?」

ロウは初めて目を丸くして、その様子に彼女は穏やかな微笑みを浮かべて本を手に取る。中を開いてもいないのに、彼女は本の中身を知っているのは一目で分かった。しかし、彼女の口ぶりはそれだけではないように、ロウの目には見える。初めて隣に来てカウンターの光の下に照らされた彼女は、アッシュブロンドの美しい女性だった。

「読んだことがあるのか、ミセス。」
「正確には読んだこともあるし、幼い頃あなたと同じ旅先を道案内をして貰ったことがあるわ、ミスター。」
「あんたも?一体誰に?」

驚きに上がったロウの声に、リーベスは本を撫でながら静かな声で囁くように話す。

「フェーリよ。」

予想外の答えだ。てっきりロウはヴァイゼの名前が出て来るのかと思ったのに、ここでフェーリ・ロアッソの名前が出てくるとは。しかし、そうなると幼いフェーリ・ロアッソは自由にあの世界を訪れていた事になる。

「子供の頃からあんたもフェーリもこの島に?」 
「ええ、一緒に育ったわ。」

学校に通った以外一度も私達は島を離れたことはないわと、彼女は寂しげな視線を本に落としながら呟く。ロウは彼女の様子を油断ない瞳で伺いながら、リーベスの悲しげな横顔を見下ろす。

「フェーリは、よくその旅に出たのかい?」
「分からないわ、私を連れていってくれたのは幼い頃の事ですもの。でも、何度か行っているんでしょうね。」

呟くように言うリーベスに、新しいグラスか差し出される。今夜のヴェヒターは気前よく酒を奢ることに決めたらしく、グラスを差し出した後テーブルを片付けに二人から離れた。

「何故、何度も行っていると?」
「フェーリがよく話していたのよ、もっと深い場所に友達がいるんだって。私は連れていけない奥深くに。」

友達が出来る程通っているということでしょう?とリーベスが視線を上げて、ロウの事を真っ直ぐに見つめる。確かにその話が本当ならフェーリ・ロアッソはロウが本を見つけた場所に行けただろうし、もっと先に行ける事になる。

「フェーリの子供の父親は誰なんだね?ミセス。」
「知らないわ。いつの間にか彼女は妊娠して、何度か聞いたけど、誰の子供かは教えてはくれなかったの。」

細い指でグラスを持ち上げながらリーベスが呟く。

「昔からフェーリは母親と仲が良くなかったけれど、それで完全に仲違いしてしまったの。」
 
また彼女が今まで知らなかった事を告げるのに、ロウは目を細めて先を待つ。リーベスは溜め息のような吐息を溢して、グラスを傾けながら本を見下ろした。

「母親はフェーリを嫌っていたわ、フェーリは自分の娘じゃないと言ってた。」
「その母親はこの島に?」

その質問に呆れたように視線を上げて、当然でしょと言いたげな顔でロウの事を見上げる。

「勿論いるわ、親ですもの。」
「何故、母親はフェーリが自分の娘じゃないと?」
「誰かに取り替えられたと何時も言っていたわ、そんなはずないのに。」

新しく浮かび上がるフェーリの母親の存在に、自分に届けられた手紙の子供を探してほしいと訴えかける文面が浮かぶ。しかし、リーベスの言葉は何処か心に引っ掛かる気がした。

「そんなはずないと何故わかる?」
「簡単よ、妹がいるの。母親は瓜二つの妹の事は、自分の子だと言うのよ。」

その言葉にロウは目を丸くした。フェーリに瓜二つの妹がいるから、一目で彼女らが姉妹と分かるし母親の言葉が可笑しいことも分かる。では、瓜二つの人間がいるのにフェーリがハッグだと言えるのだろうか?その妹がハッグだとは言えないのか?

「嵐の時もあんたはここに?」
「ええ。酷い嵐だったわ、最初に風が酷くなって教会に避難しようとしたの。昔から何かあるとこの島では皆で教会に逃げ込んだのよ。」

確かに古くからある石造りの教会には、昔からそんな役割があっただろう。リーベスは当時の夜の事を思い出したのか、僅かに細い肩を震わせる。

「フェーリも妹も一緒に?」
「フェーリは風で家の窓が割れた後始末をしていて、来るのが遅れたの。妹の方が子供達を先に連れて教会に来たわ。でも、事情があって戻ったのよ。」

事情とは?と問いかけると、彼女は躊躇いがちに手に視線を落として囁く。

「落とし物をしたの。」

その話に何処か聞き覚えがあったのに、ロウは目を細めて先を促す。リーベスは深い悲しみに、溜め息のような吐息を溢しながら話を続ける。

「子供を連れてくる時に雨が振りだして、手が滑った拍子に指輪が抜けたのに気がつかなかったのよ。教会の明かりの下で気がついて、雨の中戻ったの。」
「シュミートの妻がフェーリの妹か?」

そう、と短く答えた彼女を、ロウは思案深げに眺めた。ロニ・フリンとリリア・ロアッソは血縁関係にある事になる。あの菜の花畑の二人がよく似ていたのも、瓜二つの姉妹の子供なら納得出来る気がした。シュミートにもう一度話を聞きたいと考えたが、どうも今夜はシュミートはパブには来なさそうだ。

「落とした場所は分かるから菜の花畑の小道の方へ戻って。それでそのまま戻れなかったの。」
「その時フェーリは?」
「分からないわ、フェーリは教会に来なかったから。」

その言葉にロウは頭の中で、教会に残された子供達の事を考える。心に枷のように絡み付いた記憶を語ったせいか、リーベスは深く溜め息をついた。

「また、この本に出会えるとは思わなかったわ。」
「良かったら持っていくといい、あんたに渡した方がよさそうだ。」

呟きに言葉少なく返すと、リーベスは疲れた微笑みを浮かべて腰をあげた。空いたグラスの中を悲しげに見下ろしたリーベスは、本を片手にありがとうと囁く。リーベスがそれじゃと声をあげ、ヴェヒターとロウは店の入り口に向かった背中を見送る。ふっと扉の辺りでリーベスが思い出したように振り返る。

「あなた、フリン一家の祖母を知りたがってたわね。」

その言葉にロウが眼鏡を光らせたのに、リーベスは穏やかな顔で薄暗い戸口に立ったまま口を開いた。

「ヘクセ・ロアッソよ。」

彼女は踵を返すと歩き出し次第に闇に消えながら、囁くように言葉を続ける。

「若い頃から子供が取り替えられたなんて嘘ばかり言うから、島の人間は嘘つきという意味でリューグナーと呼んでいたわ。」

ロウがその名前を呟いている内に、リーベスは潮風の吹く夜の闇に向かって扉から姿を消す。ロウは弾かれたように視線をあげたが、既に彼女の姿は闇に消え去ってしまっていた。
マダム・リューグナーはヘクセ・ロアッソ、フェーリ・ロアッソの実の母親。彼女は何故それを隠したのか、しかも、ロニ・フリンの母親がフェーリの妹と言うことは、二人の子供は彼女の孫にあたる。それも彼女はロウに話そうとしなかった。今になって島を訪れたリリア・ロアッソはそれを知っているのだろうか。
そこまで考えてロウは、リーベスにロニ・フリンの母の話を聞きそびれた事に気がつく。仕方がないまた明日聞くことにしようと、ロウは残ったエールを飲み干した。試しにヴェヒターにフェーリの妹の話を向けたが、今夜は店じまいするつもりの様子のヴェヒターは気もそぞろで会話はこれといって実りもない。まだ少し冷たい瓶をカウンターに置き、ロウはヴェヒターに片手を上げてカウンターに背を向ける。

「よい夜を、旦那。ハッグに夜道で会わないことを祈ってるよ。」

扉から漏れる光に背を向け手を上げてふり夜の風の中に踏み出し、外気の思ったより冷たい潮風にロウはコートに両手を突っ込んだ。視線の先には静かな集落の建物が、月明かりの下に青白く静まり返っている。歩き出そうとしてロウは、目の前にだった見慣れた黒い人影に目を細めた。

『お待ちしてました、ミスター・フォード。』

くぐもった声は再び歩み寄るロウに向けて放たれ、ロウはずり下がった眼鏡の真ん中を指で押し上げた。ほんの数歩前に立つヴァイゼは、体の前で白い手袋を嵌めた手を黒檀のステッキに添えている。

「今夜は?」
『今夜は教会に参りましょう、ミスター。』

不意に背後でヴェヒターのパブからの音楽が止まる。やはり今夜は早じまいするつもりだったらしいが、ロウも振り返りはしなかった。

『では、参りましょう。ミスター。』

ヴァイゼが黒檀の杖をつきながら歩き始めるのに、ロウは大人しく従って歩き出す。集落を背に教会は蝋燭も消え静まり、闇の中に黒々とそびえ立つように見える。道を突き当たり鉄柵の扉を押し開き、ヴェヒターは先導するように歩き続け枯れた草をサクサクと踏みしめた。
ロアッソ親子とフリン一家の繋がりは見えたが、相変わらずロニ・フリンに何が起きたのかは分からないままだ。起きた事件を解決するには、やはり先を急ぎ稀人と呼ばれるハッグの娘を捕まえないといけない。

『ミスター、疑問の答えは全てこの先にございます。』

ヴァイゼは恭しくお辞儀をするように頭を下げると、有無を言わさず白手袋の手で教会の扉を指し示した。感情の見えない仮面の虚のような瞳はそれでも真っ直ぐに、ロウの事を見つめたままピクリとも動かない。

『お進みください、ミスター。話はまた後で。』

再び急き立てられるようにヴァイゼに言われ、ロウは諦めてたとでも言いたげに渋々という風を見せつけるようにしてノブを回して扉を開いた。
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