フォークロア・ゲート

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追憶の妖精の街

34.ロウ・フォード

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パブにいたバオアーがフェーリとリーベスの父親、レーベン・バオアーと同一人物だと言うことにロウは思わず頭に手を当てる。緑の王が風の丘の町でロウに告げた事が、鋭く頭を過っていく。

思い違いどころじゃない。

扉を潜ったと思っているのはロウ自身のみで、そう認識しているのはロウだけかもしれないとあの時確かに考えた。異界の者と接触した時点から既に異界なのではと可能性を検討もして、ヴァイゼと接触した時点から異界に紛れ込んでいる可能性があると思ってはいたのだ。しかし、こうなってくると、ロウは最初から大きな考え違いをしていた可能性の方が高い。

あのパブが、既に異界なのか?

だとすればフェーリの娘が訪れなかったのは、あの異界に入れなかったか、入っていてもロウには見えないかのどちらかだ。そして、もしかしてあのパブにいた全員が、死んでいる者なのだとしたら。

『ロウ?』

目の前のフェーリが訝しげな視線でロウの事を見つめているのに、ロウは頭を掻きながら溜め息混じりで何でもないと呟く。死んだ時期が一緒と言うわけでもないだろうが、と頭の中を整理しながらロウは口を開く。

「あんたの親父さんが死んだのは何時の事だ?」

問いかけにフェーリは微かに驚いたように目を細めて、躊躇いがちな声で答えた。

『嵐の晩の少し前。春の嵐の前の菜の花が咲いた辺りのことよ。飼い犬を探して崖から落ちてしまったの。』

それにしてもそ春の嵐の前後に、随分この島は一度に大騒動に巻き込まれたものだ。最初にバオアーが死に、嵐の晩にリーベスが死に、他に二人が死んで、一人が行方不明になった。そして、誰かに子供達二人が拐われ、ロニが殺され、リリアだけが戻ってくる。

「嵐の晩に死んだのは誰なんだ?リーベスは知っているが。他の二人は?行方不明になったのは?」

矢継ぎ早な問いかけに、フェーリは躊躇いを隠しもせずに視線を落とした。

『死んだのはヴェヒターとシュミートよ。二人は教会のの補強が終わってから、リーベスがいないのに気がついて探しに出たの。』

その頃には雨も風も酷くなって恐らく前が見えないくらいだったと思うわと、悲しげな声でフェーリが答える。そして、昔を思うように溜め息をつきながら、フェーリは静かな声で話を続けた。

『行方不明は恐らく私の事だと思うわ。』
「あんたも死んでいるのか?」
『説明は難しいのよ。』

彼女は苦痛でも感じているような表情でそう呟く。半透明のピクシー達は彼女を心配するように、辺りを舞いながら心配気に顔を覗き混んでいる。しかし、彼女は思い出したように視線をあげた。

『そうだわ、何故リリアが島に戻っているの?』
「こっちもヴァイゼに追えと言われているんだ、追えば依頼人に会えそうだとふんでるんだがね。」
『依頼はリリアが送ったの?』

分からんと答えたロウにフェーリが戸惑いに満ちた表情でいるのに、ロウは溜め息混じりに内ポケットの奥から手紙を取り出す。依頼には守秘義務があるが、こうなってくるとロウにも情報が欲しい。差し出された手紙を見下ろして、フェーリは目を丸くした。

『一体何処でこれを?』
「送られて来たものだから、誰かが持っていたんだろうが。」
『宛名と差出人は後から付け足したものよ、ロウ。』

フェーリの言葉にロウは驚いたようにその手紙を受け取り見直した。そう言われると、確かにインクの色がほんの僅かにだけ異なるような気がする。しかし、言われなければ絶対に気づきそうにもない。それを一目で告げたフェーリは、深い溜め息をつきながら手紙を見つめる。

『それは私の母、ヘクセ・ロアッソが神父様に書いた手紙よ。母は私が妖精に取り替えられた子だから、本当のフェーリを取り戻して欲しいと神父様に訴えたの。』



※※※



幼いフェーリはどうして母が自分を嫌うのか分からなかった。同じ顔の双子のリーベスは白パンを与えられるのに、フェーリには古くて硬い黒パンを与える母。リーベスが気にして半分にしようとすると、母は金切り声で怒りだす。

「何でかなぁ?ヘンキー。」

フェーリは友達のヘンキーに声をかけると、ヘンキーも一緒になってしゃがみこむと首を傾げた。

『何でか、ヘンキーも分からない。』
「うん、そうだよね、ごめんね。」

フェーリがこの世界に夜になると来れると気がついたのは、もっと小さくて幼い頃のことだった。夜中にお腹が減ってどうしようもななくなった、フェーリがクローゼットの扉から漏れる明るい光に気がついたのだ。こちらの世界では皆フェーリに親切で、とっても優しい友達ばかり。農園の主に会えば林檎を貰えるし、シルキーの家に行けば美味しいサンドイッチやお茶をご馳走になれる。フェノゼリーのところに行けば彼が育てた果物のジャムでスコーンを食べさせてもらえるのだ。でも、ここに来れば来るほどフェーリの事を見る母の視線が、鋭く化け物でも見ているように冷たくなっていく。

『フェーリ、元気ない、踊る?』
「うーん、今日はいい。」

そっかとヘンキーが帰っていくのに、フェーリも一旦家に戻ることにする。空腹は満たされたし、あまりこっちにいると帰ることを忘れてしまいそうになるのだ。クローゼットから戻ったフェーリは、子供部屋の扉が薄く開いているのに気がついた。今の方から誰かと母が話している声がするのに、フェーリは足音を潜めて近づいていく。

「…さま。」
「この手紙はどう言うことかね?ヘクセ。お前さんの可愛い子達はちゃんと居るだろう?」
「いいえ!」

声は母と教会の神父様だと分かった。きっと父がパブでエールを飲んでいる時間を見計らって、母が神父様を呼んだに違いない。でも、手紙に子供が関係することが書かれていると聞いて、フェーリは嫌な予感がしていた。

「あの子は違うんです、神父様。フェーリは私の子ではないのです!」
「なんて事を、双子は何処から見ても瓜二つじゃないか、ヘクセ。」
「ええ!姿はそうでしょうとも、でも、フェーリは人間じゃない。」

暗がりの中でフェーリは母の声に凍りついたまま、恐ろしい言葉を放つ母の言葉を聞き続ける。神父様が宥め始めたのに、母は懺悔でもするように更に信じられない事を話し始めたのだ。

あれはお腹の中に赤ちゃんが出来て直ぐの事、月があまりにも美しく青く輝く夜のことです。レーベンがパブでエールを飲んでいる当たり、私も不意に夜風に当たりたくなったのです。だから、私は明るい月明かりの下で散歩に出掛けました。ところが、気がついたら見たこともない花畑に紛れ込んでいるのに気がつきました。月明かりの下だったはずなのに、そこは真昼のように明るくて花が咲き乱れて。本当に美しい花園のような道を通って、見事な林檎の木を見て林檎を口にしたり、川縁の水車小屋を見たりしたのです。暫く歩き続けましたが、一向に元の夜道に戻れないのに私は心配になり始めました。

ここから帰られなくなったらどうしよう。

不安に押し潰されそうになった私に、それでも助けてくれる人はどこにもいませんでした。私は恐ろしくなって震えながら、道をどんどん先に進み探し歩きました。森に紛れ込んでしまってからも、人らしき者はどこにも見当たらないのに私は疲れきって木の根に腰を下ろしました。

あんた、どうしたね?

何処からか姿を表した老婆に、私は悲鳴をあげてしまいました。腰の曲がった物語の魔女のような老婆は、鉤爪のような端くれだった細い指で私の事を指差すのです。

おや、あんた、妊婦じゃないか?

お腹もまだ全く目立たないのに何故分かるのか、背筋が冷たくなるのを感じました。老婆は片方しか此方からは見えない目を三日月のように細めて、酷く恐ろしい声で笑いだしました。

あんた、迷いこんだんだね?

何故そんなことが分かるのかと震える声で言うと、老婆は血のように真っ赤な口を歪ませ濁った黄色の目を見開く。森が騒いでいるのさと老婆は低く告げ、まるで物語の魔女のように私に歩み寄ってくる。逃げ出したいのに腰が抜けたように立ち上がる事すらできない私の腹に、老婆の指が触れた。

おや、あんた、ここに来て何か口にしたね?

何故見てもいないのに、老婆は私がさっき林檎の木から林檎を採って口にしたのを知っているのでしょう。震えながら指の先を見つめると、老婆はニヤニヤと笑って囁いたのです。

口にしたものが腹に宿ってるよ?

意味がわからずにいる私に老婆は、酷く意地悪に笑いながらお告げてもするみたいに額にしわがれた指を押し当てました。

可哀想にねぇ、妖精の子を身籠ったあんたには魔女が来るよ?ああ、可愛そうに。

私はその言葉のあまりの恐ろしさに気を失ってしまいました。気がつくと私は家のカウチの上で眠っていて、なんて恐ろしい夢を見たのだろうと思いました。その後お腹の中の子供が双子と分かっても、すっかり夢の事は忘れ去っていたのです。ところが双子が生まれて直ぐ、片方の娘がベビーベットから忽然と姿を消したのです。私もレーベンも血眼になって家中を探し回り、覚えておいででしょう?島中を半狂乱になって探し回ったのに、あの子は知らぬ間にベビーベットの中に戻っていたのです。最初はどちらが消えているのか分からなかったけれど、やがて片方だけ、しかも姉のフェーリだけが消えているのが分かりました。ある時なぞ、フェーリはあの時私が過ちで食べてしまった林檎を抱きかかえて眠っていました。真冬の最中で林檎など何処にもなかったのですから、この子があの魔女の話した妖精の子供なのだと思いました。最初から双子だったかも分かりませんが、もしそうなら片方の子供を奪われて妖精の子供に変えられてしまったのです。あの子はどんなにドアを塞いで、鍵をかけてもいなくなりますし。食べ物だって殆ど食べていない筈なのに、妹のリーベスよりも艶々とした髪をしている。私は恐ろしくてしがたがないのです、あの子が居たままでは魔女が来ると告げられているのですから。

その話をフェーリは暗闇の中で聞いていた。母が何故自分を嫌悪してきたかか分かって、同時に自分のせいではないことでここまで傷つけられてきたのかと呆然とする。そう考えると悲しくなり泣き出したくなるが、泣いても何も変わらないのかもしれない。そっとクローゼットに戻って、泣いても構わない場所に駆け込むとフェーリは声をあげて泣き出した。

ママは私を妖精の子だと思ってるから、私の事が気持ち悪いんだ。

妹のリーベスも連れてきてあげたけど、その後フェーリだけがお尻を叩かれて怒られたのはそのせいだったのだと踞って泣き続ける。フェーリに美味しいものを食べさせてくれないのは、フェーリがお姉さんだからではなくママが嫌いだからなんだ。泣き続けるフェーリを、辺りの様々なものが心配そうに伺っている。



※※※



「あんたは、生まれつきこっちに来れる人間だったってことか。」
『ええ、不幸なことにね。』

フェーリは静かな声で告げ、溜め息混じりに手紙を眺めるとユックリ裏を返す。裏にはもう一つの手紙が書き込まれていて、筆跡は宛名と同じようにも見てとれる。

『囚われている……?』

その言葉にこの手紙を作り出したのが、彼女ではないことが見てわかった。そこまで考えてからロウは気がついたように、視線をあげ眼鏡の奥から鋭い視線を投げる。

「あんたと稀人は違うものなのか?」
『厳密に言うと違うわ。私は殆どこっちの人間になったけど、稀人は向こうの人間なのよ。』

向こうの人間という言葉に思わず目を細めると、彼女は静かに辺りを見渡しながら空気に耳をすます。

「稀人を導いている探求者がいるらしいが。」

探求者という名にフェーリは戸惑いに似た視線を浮かばせていた。

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