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9月

閑話26.須藤香苗

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澄んだ青空。残暑はまだ厳しいけど風は少し涼しくなって、空は高く青く秋の気配だ。そんな陽気なのに何時もはニコニコ元気に話しかけてくる麻希子がボンヤリと空を見上げて考え込んでいる。普段が普段なので、少し心配しながら香苗は早紀と顔を見合わせた。案外早紀は全く趣味も好みも違うのに、香苗と波長が合うのか話が合う事に最近気がつかされたところだ。

「なんかあった?あれ?」
「どうなのかしら、朝からあんな調子なのよね。」

お弁当を膝に空を見上げながらボーッとしている麻希子の顔を早紀と香苗が心配そうに覗きこむ。今日は香坂は休みだし、真見塚も生徒会の話し合いでお昼には屋上にこない。二年になったばかりの頃は、まさかこの面子で弁当を囲むようになるなんて思っても見なかった。

「どうしたの?麻希子。ぼーっとして。」
「食欲ないの?麻希ちゃん。」

二人からそれぞれに心配されて麻希子は少し慌てたように、二人の事を眺めた。考え込んでいるのも嫌になってきてしまった様子で、珍しく麻希子は自分の恋愛の話をし始めた。

「最初にね、智美君を見て凄くドキドキして格好いいなぁって思ったんだ。で、多分これが恋なんだなって思ったんだけど。」

麻希子はあんまりこういうことで、思い悩んだ経験がないんだと思う。ってことは初恋ってことなのかなって内心香苗は考えながら、ちょっと待って香坂の前に従兄は?と心の中で呟く。

「でも、おんなじように雪ちゃん見ると違う感じでドキドキするし、雪ちゃんは本当は格好いいしもてて当然だし、でも、ポヤヤンで暢気で。危なっかしいとこもあって、大事にしたいなって思ってて。」

麻希子は自分で気がついていないみたいだけど、香坂の話をするのと従兄の話をするのでは熱が違う。香坂の話の熱の3倍か4倍くらい従兄の話の方が、必死に色々思い詰めてるのが分かる。

「智美君の事好きなはずなのに、雪ちゃんの事も好きで大事にしたいのって、どっちが好きなのか答えられないし。どっちが彼氏になって欲しいかなんて考えてるわけでもないし。」

思い悩みながらお弁当をつついている麻希子を、香苗はほほえましい気持ちで眺めた。なんか、こう子供だった麻希子が、大人になってるんだなーっていうのを見つけたって気分?真っ直ぐ人を見てるわりに、自分の中の変化には疎かったんだって思うと麻希子らしいなって思う。

「そんなこと考えてたら、恋ってなんなの?ってなってきちゃったの。」

哲学みたいな事を言い出した麻希子に、思わず香苗と早紀は顔を見合わせる。確かに恋って何って聞かれると、香苗も返答につまってしまう。

「恋ってなにかぁ、麻希子、難しいこと考えてんだ?」
「何って言われると、そうねぇ。」

麻希子の質問に早紀も直ぐには答えられないみたいに、考え込んでしまった。今こうして考えてみると、好きとか恋とかって何なんだろうって確かに香苗も考えてしまう。矢根尾との恋愛は何処が間違いだったのかも正直上手く説明しようとしても、今の香苗には出来ないに違いない。

「恋ねえ、何なんだろうなぁ、私も分かんないかも。」
「何かって聞かれても、確かに答えにくいわね。」

えええ?と麻希子の目が2人して好きな人いるじゃんと目が言ってる。香苗は屋上のコンクリートの上で足をだらしなく伸ばして、空を仰ぎ延び上がるようにして見上げる。

「矢根尾の時もさ、好きだと思ってだけど。あの好きは今とは違うんだよね、正直。」
「違うの?」
「んー、何て言うか好きの質が違う?」

質とか熱とか、何かが矢根尾の時と今では確かに違うのだ。それを一言で表現するには、香苗には上手い言葉が見つからない。矢根尾との恋愛は必死に何かを得るために足掻いていたようにも感じるが、その何かがなんだったのか分からないのだ。

「前はさ、あたしが好きなんだから何がなんでも相手にも好きでいてもらわなきゃって必死だったんだよね、あたし。」

そう口にして見ると確かに以前の香苗は、他の事は全部どうでもよくて矢根尾にだけ好かれていたかったような気がする。でも、それを改めて自分で考えてみると、最初にお互いを好きで付き合ったはずなのに、何時までも香苗は矢根尾に好きになってもらおうと必死になっていた気がするのは何故だろう。そう考えると答えは簡単なような気がした。最初から香苗を好きになっていなかったのだ、矢根尾は。だから、香苗は矢根尾に何とか好きになってもらおうと足掻き続けたのだろう。つまりは、香苗は片思いのまま、矢根尾に好きになってもらおうと付き合ったのかもしれない。今が違うのは、好きになってもらおうとではなく、好きな自分だけを認めていると言うことなのだろうか。

「相手に好かれてなくても、自分は好きだからいいかなって今は思う。それに、もっと他の色々なこと知らないと相手に好きって言えないなって。」
「うん、私も分かる、その気持ち。香苗ちゃん。」

早紀が同意を示したのに、香苗が恥ずかしそうに照れ笑いする。真見塚孝にずっと片思いしている早紀は、今の香苗の気持ちが理解できるのだろう。でも、2人の間の麻希子には、まだ少し理解できない様子でムーッと唸っている。

「難しい。」

麻希子の呟きに香苗はおかしくなって笑いだす。早紀もつられて笑いだしたのに、麻希子が頬を膨らませて不貞腐れる顔をする。麻希子はまだ恋を自覚し始めたばかりだし、大体にして相手から好かれてるのにも気がついていない。あの時血相を変えて助けにきた従兄の視線は、道路に転がってる私なんか一目も見ずに麻希子だけを見ていた。

ああいうのって、溺愛っていうんじゃないのかね。

小さい頃からあんな風に思われてたんじゃ、きっとそれが普通だって育っちゃうから気がつかないんじゃないのかなぁ。と、香苗は染々思う。早紀もどうやら同じように考えたみたいだ。

「充分麻希ちゃんは分かりやすいと思うけど。」

呟いた早紀に香苗は思わず同意する。でも、何が何処が?っててんで理解出来ないでいる麻希子に呆れたように呟く。従兄と一回今までの従兄っていう目じゃなく、男として見てみたらいいのに。

「一回キスでもしてみれば良いのに。」

香苗が唐突にそんなことを言い出したせいか、麻希子が思わずむせこんだ。ところが、むせた後の麻希子の顔は何時もの麻希子と違う、何処か何かを思い出して頬を赤らめる。それは、何か見たものを頭で再現して、夢見る乙女みたいな少し潤んだ瞳で香苗は目を丸くした。

「あれって、キスした?」
「あ、そうなの?」

自分が言っていてなんだけど、麻希子の突然のボンヤリの理由がわかった気がする。早紀にコソコソと呟くと、早紀も驚いた様子で声を潜めた。麻希子が慌てたように香苗達に向かって声をあげる。

「してなくはないけど、あれってどう考えたら良いのか分かんないんだもん。前の時みたいに寝ぼけてるわけでも、熱があるわけでもないし。雪ちゃん頭打ってたから、そのせいなのかもしれないし」

ブチブチ言う麻希子の言葉に、なんだ初めてじゃないんだと呆れる。しかし、初めてじゃないのに、ことごとく麻希子には伝わってないところが従兄さんに労いの言葉を駆けたくなってしまう。麻希子、全くつたわってませんよって。呆れかえりながら香苗は、麻希子の顔を眺めてわざとらしい大きな溜め息をつく。

「頭ぶつけてとちくるってキスする訳ないじゃん。」

そうそうと早紀も頷いてるのに、麻希子は余計頬を膨らませる。何で2人してとブチブチしている麻希子を眺めながら、お弁当を再開しようとした途端。

「でもさぁ、雪ちゃんが私の事どう思ってるかって、今まで考えた事ないんだよね。」

それを言った途端早紀と香苗は、驚いたように目を丸くする。従兄さん、残念どころじゃなかった、チラッとも自分の事を好きなんて考えてもいないなんて。そりゃ、キスしたのに頭打ってとちくるったなんて言われるはずだよね、と思わず従兄さんが可哀想になってくる。

「雪ちゃん、凄い難物相手にしてるなぁ」
「まあ、そこが麻希ちゃんらしいところよね。」

思わずそう呟いた香苗と早紀に、麻希子は意味がわからないように首を傾げていた。


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