Flower

文字の大きさ
上 下
219 / 591
11月

閑話41.香坂智美

しおりを挟む
文化祭直前の1週間から、学校に行けない状況に智美は陥っていた。正直なところ体調が悪い訳ではなく、行けない程忙しいと言うのが1番状況に適した表現だ。それが智美にしか出来ない事でありやむを得ない理由とは言え、一人座ってモニターを眺めている自分が苛立っているのが内心感じられる。しかも、数日前に起きた同級生の行方不明の件も少なからずその苛立ちの一部であることに、自分自身驚かずにはいられない。普段より僅かに強いキーボードを叩く音と普段より早いマウスのクリックの音に、彼の後見人の友村礼慈がお茶を差し出し目を細める。

「気になりますか?」

穏やかだが静かな礼慈の声に勿論と即答しそうになる自分に気づいて、智美は思わず苦い笑いを微かに浮かべた。目の前に並ぶ大量のモニターには全てが異なる様々な情報が表示され続け、その内の1つが表示している場所にふと目を止める。自分達が住む場所より東側に当たる都市の中心部に程近い場所。

早紀達と一緒に遊びに行った。麻希子の親戚の子もいたし。

心の中の声がその場所に、今まで地図として認識していたのとは違う記憶を引き起こす。この席に座っていて必要とされる知識ではない、自分が年相応の人間として扱われてその年代相応の楽しみを謳歌した記憶。智美自身ですらそんな日が、こんな風に自分に来るとは思わなかった。今まで幼い時から隔離され本でしか読んだことのない、小説の中の同世代が送る明るい鮮やかな日々。鳥飼澪の小説が気に入ったのは、凄く共感できる感性を持つ主人公が普通の高校生だったりするからだ。あの物語を書いた人物は、きっと孝や早紀みたいな生活をして友達と接しているのだろう。だけど、それを経験していない智美とも共感できる感性なのだ。礼慈が是非智美を学校に通わせたいと押しきった理由が、今では良くわかる。普通の生活をして、それを楽しいと感じる事の出来る自分。特殊な状況下に生きていても、普通の人間としての感性が自分には必要なのだ。知らなければ、やがて守る事がおざなりになっていく。だから、昔の者達は彼らを手酷く扱う事に慣れてしまった。

「ああ早くどうにかして、けりをつけたい。」

思わず心の声がそのまま口から溢れると、礼慈は微かに穏やかな微笑みを浮かべて頷いた。



※※※


初めにその頼み事を聞いた時、智美は相手がそんな事をわざわざ智美に頼みに来るとはつゆほども思っていなかった。数日前の大事故の事後処理のために今日は何時になく屋敷の方々が騒がしく、礼慈もそれを収束させるために忙しなく屋敷内を動き回っている。智美とてここで遊んでいる訳ではなく、自分にしかできない仕事を黙々とこなしていたところだ。
そんな矢先普段と同じく、その彼は誰にも見つかることなく宵闇に紛れて密かにこの部屋を訪問した。何時もと同じで何一つ騒ぐこともなく淡々と必要な報告だけをして去っていく。そう思っていたのに、彼は最後に頼みがあると口を開いたのだ。実は暫く前に他の頼み事をしに来たのもかなり珍しかったのに、今回の頼み事は更に上を行く珍妙な頼み事だった。智美は彼の頼みを承諾したものの、その頼み事は普段の彼らしくない行動なのだ。

「……で、そのまま、預かるとこ?」

思わず智美が椅子を回して、真正面から薄暗がりに佇むしなやかなその姿を眺める。もし今ここに礼慈がいたら、礼慈も彼の頼み事にはきっと唖然とするに違いない。智美の問いかけに、彼は薄く微笑みを浮かべて口を開く。

「まあ、そうなる。」

はぁとモニターを背に感心したように呟きながら、思わず智美は皮肉めいた笑みを浮かべ彼を眺める。

「あいつは知ってるの?」

その言葉に珍しく目の前の彼は、意外にすら感じる人間味に溢れた苦笑を浮かべた。あいつは智美が実は彼と知り合いだとは知らない。もしあいつが知ったとしたら、目の色を変えて何故何処でと詰め寄られるに違いないだろう。

「ああ、もう一騒動やられた。何でかウマがあわんらしい。」

何でかってそりゃ分かりきってるだろうと思わず智美の顔にも年相応の笑顔が浮かぶのに、暗がりの彼は少し驚いた様子だった。やがて彼は溜め息混じりに、頼むと言い残して音もなく姿を消す。それを見送りながら智美は少しずつ変わり始めた色々な事を考える。彼ら4人との関係も自分達が変わる事で、少しずつ変化し始めていると今の智美は考えたかった。

「まあ、今すぐに全部払拭とはいかないだろうけどね。」

そう囁きながら智美は楽しげにクルリと椅子を回して、明日の事を考える。さっさと残務を整理して明日に備えないとと一人智美は微笑みながら心の中で呟く。なにしろ明日は文化祭なのだから。



※※※


文化祭というものがこんなものだとは思わなかった。そう、智美はクラスメイトと並んでベランダから、校庭の真ん中の篝火を眺めながら考える。最初に出し物に優劣をつけると聞かされた時は、子供のお遊びで何を言ってるんだろうと心の何処かで考えたものだ。ところが皆で必死になって計画をしたり準備をしたり、それは思ったよりも楽しかった。

こういうのが楽しいんだろうな。

たった2日の為だけに必死で1ヶ月もかけて準備をしたのに、当日はあっという間に過ぎ去って後は壊してしまう。それでもそれが楽しいのは今しか出来ない事だから。後夜祭の放送を聞きながら、校庭の真ん中で篝火に各自のクラスが準備して不要になった木材を持ち出して燃やしている。それを皆でベランダに馬鹿みたいに並んで眺めている。何だか色々な事が準備の時に起きたけど、何とか無事終了出来て良かったなぁって皆が呑気に話していて少しだけ物悲しい。隣で麻希子がクリクリの丸い瞳で自分の事を覗きこむ。

「文化祭、面白かった?」
「うん、楽しかった。初めてこんなのやったよ。」

文字通り初めての経験だと言ったら麻希子はどう感じるだろう。結局麻希子は実験台であんなに泣きそうに震えながら悲鳴をあげたのに、噂の麻希子の思い人とやらともう一度お化け屋敷にチャレンジした。しかも、こっそり仲間内で入り口の籤引きを全部《極小》にしておいたのはここだけの秘密だ。難易度強の脱出ゲームに麻希子はパニックだったから、両思いだと言う彼氏はさぞかし抱きつかれて楽しかっただろう。そんなことを考えながら皆で篝火を眺めていると、終わりかけている文化祭の事を考えて少し感傷的になる。自分ですらそうなのだから、麻希子達は篝火を眺めながら皆で泣き出した。

「何泣いてんの?」
「そう言う香苗も泣いてるじゃん~。」

何でか皆で泣いてるのに楽しそうに見える女子を眺めて、若瀬と一緒に呆れたように笑う。こういう経験が来年も出来ればいい、心の中でそう呟きながら。



※※※



文化祭の楽しさが何処かまだ残っていそうな11月4日。あの文化祭の団結力が奇妙な友情を形成しつつある。3年ではインフルエンザが流行り始めたとも噂が流れているが、中間テストが不意討ちで実施された辺り。教師の方も手を変え品を変えといったところだ。

「香坂。」

テストが終わって若瀬が、凄い神妙な顔で智美に歩み寄ってきた。パソコンでゲームを作っていると話す若瀬は、文化祭の設計図を作ってみせた手腕とアンバランスな分野の知識が智美には新鮮だ。時にこのアニメを見ろ!とLINEが来るのだが、見て感想を言うまで見ろとメッセージをしてくる。

「編入試験満点で通った奴がいるらしいって聞いた?」
「へぇ。」

編入試験の話は実は当に承知していたが、満点とは想定外だったなと考えた。その横で妙な反応を浮かべたのは隣の二人で、麻希子は偶然出会ったのだろうし、孝の方は先に一度やりあったと聞いている。しかし、まあ今の孝の顔!やりあったとは聞いたけどお前既に犬猿の仲か。どんだけ兄貴を崇めてんだ、お前はと心の中で突っ込んでやりたくなる。
早紀はまだ澤江の事は知らないみたいで、孝の仏頂面に凄く不思議そうな顔をして眺めているが、麻希子は完全に呆れ顔だ。

「孝君、顔に出てる。」
「何が。」
「鳥飼さんちに。」

そこまで言っただけで、孝の顔色がサッと一気に変わる。最近のお前は感情の起伏が全く隠せないんだなと思った途端、以前の鉄仮面だった頃のことと合間ってツボにはいった。麻希子が視線で笑っちゃダメーっ!って顔で見ているのがこれまた可笑しい。笑うなって方が無理だ。

「何で知ってる?」
「だって会ったもん。」

智美の笑いを他所に孝が声を潜めて聞いてるが、麻希子は声を潜めている意味があるのと言いたげだ。まあ近々転校してくれば、隠しようもないからここで声を潜めようが無駄だ。

「会った?」
「うん、お家で会っ…。」

あーあ、麻希子がしまったと言う顔をしたが、時既に遅しだ。しかしまあ、なんたってそんなに兄を慕ってるんだか。以前少しだけ鳥飼信哉に聞いたが一緒に住んだのはほんの1ヶ月位で、それ以降はそれほど付き合いもなかったらしい。

「宮井、なんで家?」

凄い冷ややかーな声で詰め寄られ問いかけるが、もう麻希子が何と説明しても、孝は絶対納得しないって顔だ。散々問い詰められた麻希子が最終的にノーコメントを繰り返し始めた時に、須藤まで孝の追求欲求に更に火をつけた。須藤は孝と彼の関係を何処まで知ってるかどうかは知らないが、孝の詰め寄り方は若干ひく。

「もー、そんなに気になるんだったらさぁ自分で直に聞きなよぉ!」
「そういう問題じゃない!」
「あーもう、早紀こんなのと良く付き合えるよぉ!」

うん、孝の彼への思慕に関しては、須藤の意見に激しく同意する。幾ら何でも彼女がいる男の態度としてはどうなんだろうな、まあ早紀だからそこも含めてとか言い出しそうだ。

「孝君、信哉さん大好きだから。」
「いや、早紀ちゃん、あれは一回はっきりさせといた方がいいよ?」
「そうだよ、まともな好きと違うじゃん。」

麻希子と香苗にブーブー言われて孝は不機嫌そうだが、智美としてはやっぱりな早紀ならそう言うだろうと思った・だ。麻希子と須藤は唖然としているが、何の事はない早紀は慣れてるだけだと思う。こいつの思慕感情は筋金入りなのは、正直なところ随分前から気がついてる。早紀は慣れてるんだと須藤が智美と同じく納得した辺りで、もう限界だった。智美はこの呑気としか思えないクラスメイトの掛け合いに再び吹き出し笑いだす。

「智美君、そんなに笑ったら可哀想だよ。」
「お前が言うな、宮井。」
「何でそんなに好きなの?」

須藤のそういう直球な質問は、他の人間には到底真似できそうにない。まあ、答えを濁すかなと考えたのに孝の答えは智美の予想とは違って、直球の質問に本気で答える。

「あの人は天才なんだよ、合気道の。出来たら道場に来て直接指南をして欲しいと思ってる。」
「へぇ、合気道の天才かぁ。」

思わず当人の姿を頭に思い浮かべる。何時も涼しげな顔で淡々としている彼にこの話をしたら、どんな顔をするだろう。正直なところ、今度やって来たら試してみたくてたまらない。孝の返答に須藤は素直に納得するし、麻希子も若瀬まで感心した様子だ。しかも、それに孝が真顔で天才たる由縁を語るもんだから、智美は彼がやって来たら絶対話してやると心に誓う。それが実はやっと芽生えた年相応の悪戯心というものだとは、智美自身もまだ自覚していないのだった。
しおりを挟む

処理中です...