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1月

閑話60.須藤香苗

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最近ふと気がついたことがある。香苗が気がつくと、何気ない風を装って親友の宮井麻希子をじっと見つめている視線。眼鏡越しの色素の薄い瞳は、見ていないようなふりをして必ず視線の端で麻希子の姿をとらえている。香苗が麻希子の直ぐ隣にいることが多いから気がついたのだろうけど、それにしたってこの視線はいつから始まっていたのかは分からない。
何気ないふりで麻希子の姿をじっと目で追い続けているその友人は、最初は親友の宮井麻希子が面白くて眺めているのかと思っていた。何しろ麻希子は最近有名な超天然の巻き込まれ体質の持ち主で、気がつくと様々騒動に巻き込まれている。勿論命に関わるような事って訳じゃなくて、小競り合いて始まった合気道試合とか早紀と孝の恋愛とか。まさに何で、巻き込まれたの?と、聞きたくなることばかり巻き込まれるのが宮井麻希子だ。最近一番の巻き込まれは恐らく源川先輩騒動じゃないかと思うのだが。まあ、そんなわけで麻希子を見ているのは巻き込まれてるのが面白くて観察しているのかと、香苗も素直に考えていた。だけど、あれ?彼の視線は、面白がっているのとは違うんじゃないかなと気がつく。
それは今年の正月のこと。
新年の初詣に友人同士で繰り出すことにした香苗は、正月らしからぬ姿で待ち合わせ場所に姿を見せる。

「明けましておめでとうー!」

駆け寄った麻希子は完全無欠のお正月モード。香苗がセーターにホットパンツにニーハイブーツとコートなんていう正月らしからぬ姿なのに、麻希子は見事なお振り袖だ。着るのも着せるのも大変そう等と思った香苗は、恐らく成人式位しか着物を着る機会はなさそう。

「ひゃー、お振り袖!」

緑に桃色と薄紫の藤の花が散っている柄のお着物に帯は赤と黒。何時もの麻希子に比べると少し大人っぽい感じ。半襟っていう襟元には色半襟のちりめんで薄い緑。帯あげの布も萌葱色なのが洒落ている。流石麻希子ママ、細かいところまできちんと色を合わせていて、普通萌葱は春先に使いそうだけど濃いめの緑の着物だからあえて合わせてるんだろう。

「似合うなぁ、麻希子。ママさんが着付けたの?」
「うん、着せてもらったー。香苗もかっこかわいい。」
「あはは、お世辞ー。」

麻希子がニコニコしながら褒めてくれるのに、笑いながら話していたら薄桃色から朱色に鮮やかな花の模様の振り袖の早紀と、何と!着物姿の真見塚。

「明けましておめでとー!孝君凄い!!着物だ!」
「明けましておめでとう、麻希ちゃん、香苗ちゃん。」

男でお正月お着物って珍しいって麻希子とワイワイしたら、真見塚の家では着物は別に珍しくないんだって。そう言えば文化祭の時に色々と借りに行った時、両親ともに和服だった。そうだよね、あのお家だもんなぁって染々思うけど、あの家に嫁に行くんだろう早紀は着物はもう着れるらしい。

「あと誰来るの?」
「えーと、仁が来る。」
「あ、あとね、智美君来るよ!」

麻希子の言葉に他の面々が目を丸くする。先月の事件以降一時音沙汰がなくなった香坂智美からメンタル調整中っていうとんでもないLINEが届いてから大分経っていた。その後連絡しても返答なしだったと真見塚が不貞腐れた顔を浮かべる。その後仁が姿を見せて、先輩達と偶々遭遇して坂本先輩から今年最初で恐らく最も衝撃のニュースを聞いた後。
最近妙に麻希子の事を気に入っている様子の源川先輩が賑やかに笑いながら麻希子の肩をポンと叩く。新年の挨拶をして麻希子の事を眺める源川先輩に、麻希子の意志が向いているところに背後に聞きなれた杖の音がした。

「…あれ、誰?」
「源川仁聖先輩、最近麻希子の事可愛がってる先輩。」
「ふぅん、随分馴れ馴れしいんだな。」

香坂の訝しげな不機嫌を隠さない声に、香苗は驚いて目を丸くする。こんな風に怪訝な口をきく香坂は、実は初めて見たかもしれない。振り返って改めて見たその時の視線が、今までとは少し違っているような気が香苗にはしたのだ。

 

※※※



3学期が始まって、その変化は一度気がついてしまうと顕著過ぎて疑いようもない。本人はこれでも変わりなくしているつもたりだろうけど、正直横で見ていたら疑いようもない程あからさまだ。香苗は溜め息混じりに、再び学校に通い始めた香坂を眺める。

あのさぁ、麻希子の恋愛の状況知ってたよね?それで今そんな風に眺めてるって、ちょっと切ないかも。

そんなことを考えながら、最近仲良くなった国語教師の冬里の職員室の机の横で冬里を相手に呟く。実は冬里には会社員の彼氏が居るらしいが、相手は広告代理店勤務・自分は教師で擦れ違うことが多いらしい。宇佐川義人の同級生ということもあってか随分間は近く、会話はまるで世間話をする友人のようだ。

「ねぇ、冬ちゃんセンセ、相手が他に好きな人がいるって知ってて、それでも好きになるって切ないよねぇ。」

冬里はその言葉に国語教師らしい反応で、香苗の事を眺めた。古文にはどうしても色恋沙汰が絡んでくるのは、最近家庭教師宇佐川の噺で聞いたところ。

「悲恋の恋愛小説の基本みたいな設定ねぇ。」
「だよねぇ、麻希子に貸してもらった鳥飼澪って人の本みたい。」
「あら、渋いところ読んでるのね、夢見草?」

流石国語教師と言うと冬里は、土志田先生程じゃないわよと笑う。そうだよね、誰にも言ってないけど、体育教師があんなに本読んでるとは正直驚く。冬里だって割りと本を読む方だけど、土志田以外の体育教師がこの話が通じるとは思えない。鳥飼澪という人の本は以前、麻希子への意地悪で汚してしまった事があって謝ったら何故か読んで見てと貸されてしまった。でも、読んでみたら意外と面白い。難しそうって思ってた表現された場所や物が、何となく今住んでるここら辺を思わせるし登場人物が凄く目に浮かぶ。等身大っていうのか、同じものをみてる感じなのだ。その中で夢見草という物語は最初から相手には思う人がいると知っていて、その人の傍にいる内に恋をしてしまった男の人の話。

「手に入らないのにその人を一途に愛してるなんて、切ないもいいとこだよね。」
「物語ならいいけど、自分だったら嫌よねぇ、実際。」
「わかるぅ、私も最後はハッピーエンドがいいもん。」

最初から手に入らないと知っていて、その人を好きになってしまった。そんな切ない恋をどうしたらいいのかわからない主人公は、色々と悩み苦しんでやがてその恋を忘れようともがく。初めから手に入らないのを知っているのならこんな恋捨ててしまいたいのに、それでも好きなことは捨てられない。苦しみながら足掻く姿は、まるで今の自分みたいだ。
高校の教師と生徒の関係は、どうしたって変えられない。自分が生徒を辞めたとすれば変わるかもしれないけど、相手との接点を断ち切るようなことはしたくない。手に入らないとわかって、それでもずっと見つめてしまう恋。でもまだ土志田には恋愛の話が見えないだけましだ。何しろ麻希子は絶賛恋愛中の従兄の雪ちゃんさんがいる。自分達よりはるかに年上で大人の余裕すらある青年と、麻希子は両思いでラブラブなのだ。

しかも、2人の両思いはお弁当タイムのお陰で香坂は知ってるし

天然の巻き込まれ体質で巻き込み体質の麻希子には、本人も意図してない不思議な魅力があるのだ。だから智美があんな風に見つめているのも分からないでもない。麻希子の恋を知っていても、目が話せないのも恋なんだろうと思う。だから、今までと違って香坂が歩いて帰ると言い出したのも、それとなく麻希子の事を名前で呼ぶようになったことも、偶然のように麻希子の傍にいるのも見ないふりをしておく。それくらいは武士の情けってものじゃないかな。



※※※



「麻希子。」

不意に呼び掛ける声に麻希子が視線をあげると、少し緊張気味の香坂が立っている。3学期に入ってからの香坂は密かに個人的な目的があるせいか、今のところは無休の皆勤賞だ。まあ、香苗の方も土志田観察のために皆勤賞なのだから、人の事は言えないし言うつもりもない。香坂は麻希子に少し躊躇うように口を開く。

「麻希子って美術部なんだよな?」
「うん、香苗もだよ。」
「そっか、今から仮入部できる?」

香苗はその言葉に目を丸くする。一緒にいた麻希子も早紀も驚いたみたいだけど、3人とも一様に驚いたのに香坂が出来ないの?って首を傾げた。いや、入部出来ない訳じゃない、訳じゃないが香坂、部活動入るの?それってまさかとは思うけど無意識でじゃないよね?意図的だよね?って考えている事が顔に出たらしくて、入りたくなったら悪いか?と少し香坂が不貞腐れたような顔をする。

いや、悪くないの、悪くないけど驚いた。

何しろ香坂は今まで何を言われても帰宅部だった。自分は忙しいし、足のせいで送り迎えがあるからって、頑なにお断りし続けてた。若瀬のパソコン部の勧誘も断ってたし、囲碁将棋部から勧誘もあった筈だ。何せ囲碁将棋部の1人が廊下でぼやいていたから、事実のはずだ。地質研究部の真見塚も誘って、断られたと言っていた。それなのに、勧誘なしで美術部って驚かされるにも程がある。せめて勧誘されたんなら兎も角自分からって、目的まるわかりなんですけど。こういう面ではどちらかというと鈍い方の麻希子と早紀が、勧誘を蹴っていたのを知っているのを馬鹿正直にいうものだから香坂の表情が険しくなる。

「何で、……誘われたの……そこまで知ってるんだよ?」

偶々聞こえちゃっただけでして。偶々だからね、偶々と麻希子が必死に誤魔化す。一先ずは香苗も誤魔化そうと笑顔を浮かべる。

「え?噂だよ?誘われたみたいっていう噂。ね、早紀。」
「そ、そうね、一寸した噂話よね。」
「新しい部長は香苗だし、智美君がいいならいいよね?香苗。」

まあ、部員が短期的でも増える分には部費交渉的には歓迎だし、香坂がいるなら来年の女子の新入部員も増えそう。打算的ではあるけど、こちらとしては喜んでだ。

「よかった、駄目なのかと思った。」

安堵の言葉に思わず良かったねと香苗が目を細めてニヤリと笑うのに、香坂は何か思うところがあるみたいで少し眉を潜める。あと1年だけど智美君がやりたいことがあるならいいよねって麻希子が呑気に笑うと、早紀も素直に同意してくれている。残念なのは麻希子が天然級の恋愛音痴で、自分に向けられる好意に鈍感な事くらいだ。多分あの従兄さんからの好意が通常過ぎて、それが基準なんだと香苗は思う。小さい頃からあの好意がベースじゃ、同級生の仄かな行為なんて気がつきようがない。

「で、何?」

香苗の視線に気がついていた様子の香坂に連れられて、何故か生徒指導室(仮)に行くと珍しく部屋の主が体育なのか不在。不在なのを勝手に入り込んで使うってのもどうなんだろうかとは思うけど、まあ香坂が人気のないところで香苗に追及したいのは分かる。

「何って?」
「さっきの意味深な笑い。」

なんだ笑顔に意図があるのには気がついてたんだと香苗は、香坂の顔を眺めながら座ると頬杖をつく。香坂は何が言いたいのという顔で香苗の顔を見ているけど、この様子だと自分が好意を撒き散らしているのに気がついていないと思っているようにも見える。

「好きなのはわかるけど、あからさまだなぁって。」

香苗が呆れ半分で口にした言葉の意味が伝わったように、一瞬で智美の顔が真っ赤に変わった。ヤッパリ気がつかれてないと思ってたのかと、香苗は呆れてしまう。

「そ、そんなにあからさま?そんなふうにみえる?」

珍しい、自分で分かってないんだ。香坂でもこんな慌てた顔するのかと逆に驚いてしまう。

「私が気がつく程度にはね。」

それでも香坂には既に恋の自覚はあって、隠せていないけれど隠したつもりで意図的に行動していたのは理解できた。ただ、目の前で狼狽しているのを見ると、やっぱり少し可哀想にも思える。世の中って恋は盲目とか、結構鋭いこというんだよね。
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