Flower

文字の大きさ
上 下
561 / 591
Bonus track

おまけ6.めでたい。話②

しおりを挟む
「松理おばさん?!」

と、大声で叫んだ結果松理の氷の視線で射抜かれたのは志賀家の長男・優紀で、表立っては実に何年ぶりかに玄関の上がり框にたった松理は当然のようにただいま~と暢気な声をあげた。奥から顔を出した姉・貴和子があら珍しいと声をあげる。

「おかえりなさい、珍しいわね。松理がお客様つれて。」

そういいながらこちらも当然のようにスリッパを出して声をかける母の姿に、優紀がポカーンとしているが階段から早紀もこの気配を察して顔を覗かせた。玄関に松理と一緒にやって来たのは早紀も顔馴染み『茶樹』のマスターでもある久保田惣一、二人が内縁関係にあるのは早紀も当に知っているし、どうやら両親も知っていることのようだ。つまりここでそれを知らないのは兄の優紀だけなのだが、それは兎も角夕方過ぎにこんな風に正面切って現れるなんて。

何か起きたのね、うん。

素直にそう判断しながら早紀は部屋に戻るべきか、一緒に話を聞くべきか松理を眺める。松理の方は背後の久保田惣一が何時もと様子が違ってぎこちないのに苦笑いしながら、中に入るよう促す。

「きゅ、急にお伺いして申し訳ありません。これ、店のもので申し訳ないのですがっ。」

うん、こんなマスターさん見たことないわ。そう冷静に判断して早紀は階下に合流すると、そこてやっと早紀に気がついたように惣一が目を丸くする。恐らく一瞬姪っこだというのを失念したのだろうが、普段の穏やかで冷静な久保田を知っているとかなり珍妙な様子だ。貴和子がケーキ箱を受け取りながら、お気遣い痛み入りますなんて話をしているが『茶樹』のケーキなら早紀としても文句の付け所がない。
リビングでケーキを頂きながら待っていると、両親との話が終わったのか一足先に松理がリビングに戻ってきて、ドッカリと早紀の隣に腰かけて深々とため息をついた。

「あー、肩凝った。」
「松理ちゃん、久保田さんは?」

ケーキを取られないよう地味に警戒しながら早紀が問いかけると、義兄さんと話してるから置いてきたなんてのんきに松理は言う。あの緊張状態で両親とのところに置き去りにされて大丈夫なの?松理ちゃんって時々久保田さんの扱いが雑って言うか、サディストっていうか。呆気に取られているのは優紀も同じで、一体何事なのといいたげの顔だ。

「あ、もう隠すの飽きたから、行方不明ごっこ終りね?早紀、優紀も。」
「ご、ご、ごっこぉぉ?!」
「松理ちゃん、お兄ちゃんまだ松理ちゃんが失踪してるって思ったままなんだけど。」

そう、目の前の志賀松理は志賀家から随分昔に行方不明になったとされていた。というのは建前で、実際には本当に行方不明になっていたら、早紀も優紀も松理の顔を直に見る機会がなかったことになり。その食い違いに気がついた早紀が問いかけたら、何あんたそんな嘘信じてるのときた。何しろ志賀家は昔から警察一家で亡くなった祖父も父・優作も警察官、親戚にも多数警察官がいる。勿論兄・優紀もそっち方面の将来を目指している訳で。兎も角理由があって、一族揃ってで松理の身元を行方不明と偽装していた訳である。子供は隠すには難しいからと小さかった優紀達には詳しくは話されなかったのたが、馬鹿正直に素直に優紀は叔母は行方不明と信じていた。

「あらやだ、誰も教えてくれなかったの?早紀も教えたらいいのに。」
「え?だって、松理ちゃんが言うかなって。」
「俺だけ…………あんまりだ…………。」 

項垂れている優紀の皿の上からピョイと大きな苺を取り上げ、あっという間に口に放り込んだ松理が兎も角終わりねと笑う。こんな簡単に終わりねで済むのもどうかとは思うが、正面玄関から堂々とやって来たところを思えば何かけりがついたというところなのだろう。

「それとね、あたひ、へっこんふるから。」
「は?」

予想以上に苺が大きかったのでモゴモゴしている松理の言葉が、うまく変換されなかった。しかも今になって苺を奪われたのに気がついた優紀が、批難の声をあげたから余計に聞き取れなかったのだ。お兄ちゃん黙ってと怒鳴り付けられて、もう一回と詰め寄るとやっと苺を飲み込んだ松理はニッと笑う。

「あたし、結婚するから。惣一くんと。」
「えええ!!おめでとう!松理ちゃん!」
「あ、抱きつかないでね、あたし二ヶ月ちょいなの。」

飛び付きかけた早紀が目を丸くする。あれ?松理ちゃんは子供ができなくなったんじゃないのと早紀の目が問いかけると、今までの苦労の分神様がオマケにつけてけれたのよねーなんて松理は呑気に幸せそうに微笑んだのだった。
そんなわけで突然やって来た松理が台風のように掻き回した志賀家なのだが、どうやら挙式はする予定はなく入籍だけで、松理は妊婦で安定期まで穏やかにいつも通り過ごすからーと平然としている。姉としては写真位杜不満顔の貴和子だが、高齢出産だから大事にしないとと言われれば反論も出来ない。

それにしても久保田さんって好い人なのね……

久保田惣一は松理が昔、他の男性の子供を死産していることも、相手のことを松理がまだ心の底で想っていることも、全て知っているそうだ。知っていて、その上でその想いごと全ての志賀松理が好きなのだと言う。おまけにずっとプロポーズを蹴り続けていたのは松理の方で、結婚しようと何度も言ってきたが何度もはぐらかされ続けてきたそうだ。

結婚しようと言ったら、あんたの仕事は危険な事が多くて死んじゃいそうだから嫌って言われてねぇ

その一言で久保田は昔の仕事はキッパリと辞めて、今の喫茶店や飲食店の経営なんて事に仕事を変えたのだという。しかも一つ前のプロポーズに子供が出来ないから結婚しないなんていっていたのだというのには、松理らしいと言うかなんと言うか。

そこまでしても、一緒にいたいほど好かれて大事にされてるのね、松理ちゃんって。

訳のわからない理由でプロポーズを蹴り続けられて、でもずっと十年以上も内縁でもいいとこうして傍に居てくれたのだから、大事にしないと駄目よねと早紀は染々と思う。子供ができたんだから結婚しない理由がなくなったよ?それでもダメなら自分が婿にはいるのでいいから結婚しようなんて言ってくれるなんて、優しいというか惚れすぎというか。これで一つラブストーリーが書けてしまいそうな話だと思う。

ほんと一途なのね、久保田さんって。

なんてことを染々と思いつつ、逆に言うとあの松理の夫はそれくらいじゃないときっと勤まらないんだろうなぁなんてことを考えてしまう早紀なのだった。
しおりを挟む

処理中です...