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おまけ16.卒業式の裏側。

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今年の卒業式の後の恒例制服争奪戦では、ネクタイを死守する。

この話が何故持ち上がったか言えば、都立第三高校には伝統の行事があるからだった。それは卒業式後に卒業生の制服の一部を貰うという、長年続く伝統があるからだ。元々は先輩から御下がりの制服を貰って大学受験の験担ぎとか好きな先輩の制服を貰って交際するとか言う辺りの伝統だったようなのだけれど、これが大々的に卒業式の後に固定されたのはここ十年の事。元は個人的な交流でしか行われていなかったということなのだが、十年ほど前のとある学年で一定の生徒だけを追い回す状況に「そんなことするなら一ヶ所でそれを実行して、その場でやり取りしろ!」と卒業式の後に交換会のように始めたのが今の形。それでも既に始まって十年もすると、交換だけの意図もあった催しはは様々な付加価値がいつの間にか加味されてしまったものだと言う。
気がついたら行きたい大学に合格した先輩の制服を貰うと自分も合格できるとか、スポーツ万能な先輩の制服を貰ったら翌年スポーツで推薦がとれたとか。まあ他愛ない験担ぎだったものが、何故かいつの間にか心臓に近い部分にあるネクタイやリボンタイを手にいれると、両思いに馴れるとか行く行くは結婚できるなんてジンクスがいつの頃からか生まれていたりしている。後半のこのジンクスがわりと曲者でお陰で人気者の男子生徒なんかは追い剥ぎにあうと迄言われていたのだが、その前例を遂に覆したのが去年の有名人・学年一番のモテ男だった源川仁聖その人なのだった。

あの源川先輩がネクタイを死守して、しかもその後薬指に指輪を嵌めた!

あれほど卒業式の後に校内中の女子からネクタイを必死に強請られても、源川仁聖は誰にもそれを決して渡さなかったのだ。勿論他のベストやらジャケットやらはモノの数秒で奪われたらしくて、ワイシャツは脱がなかったがボタンは幾つか飛んでいったとかいないとか。しかも体育のジャージとかハーフパンツとか部活に関連したものも嵐のような勢いで奪われただけでなく、教科書とかも消え去ったらしく校門を出る時には殆ど荷物が残らなかったとか言う噂になっている。ある意味それはそれで本気で追い剥ぎにあっているといえるから、実際に経験するのはとても怖い。そんな状況なのに群がる女子から源川仁聖はネクタイを断固として死守して見せたわけで、その姿に下の学年の男子達は『漢』を感じたというのだ。それが数週前からの卒業式練習等で登校日にやってくる度に3年男子達の話題の中心になったのは言うまでもない。

「源川先輩、あの後婚約したらしい。」
「マジか!その人にネクタイを渡したのか?!」

歳上の黒髪の人と交際しているらしいと誰からともなく去年の春先にも噂が回ったが、源川仁聖はその後相手の人と一緒に暮らしていて幸せになったという話が最近の通説。まだ未成年だから入籍はしていないらしいとも噂されているが、今年中には入籍予定で結婚間近なのは本当のようだと誰かが何処かから聞き出してきた。

「何処から聞いたわけ?」
「いや、同じ大学に従兄弟が通ってるけど、あの人目茶苦茶目立つし。」

大学でも相変わらず目立ちまくるイケメンぶりなのに高校時代の浮き名を流していた源川仁聖とは別人で、自分は結婚してるしとキラキラした男でも悩殺されかねない笑顔で笑いかけるのだという。つまり自分から守り通したネクタイを好きな人に渡せば、逆に交際が開始されて将来に結婚するかもなんて妙な新たなジンクスが生まれ落ちたわけで。

「それじゃ、死守しておいて告白しながら渡すってのは?」
「はぁ?ヤバくね!カッコいいじゃん!」

とネクタイ死守と告白のワンセットが、青春真っ只中の若人達の心をガッシリトと鷲掴みにしたのは言うまでもない。そんな話題は当然3年1組の男子達にも広がっていて、恋人の既にいる男子だけでなく密かに誰かを好きでいるクラスメイトの胸に火を着けたのだ。

「ネクタイ死守か…………予備を持っておくってのは?」
「予備渡してて、ってなんかセコくね?」
「セコい!オンリーワンで死守してこそのジンクスだろ!」

予備案をだしたのは芸能人な上にまだ明らかな恋人がいない・しかも人の殺到しそうな五十嵐海翔なのは言うまでもないが、流石に予備で誤魔化すのは他の面々には不評だった。実は先月のバレンタインデーが前哨戦みたいなものだから不特定多数にチョコを貰った海翔は、四月に転入してきた訳で話に聞いただけの見たことのない卒業式の先が不安なのは言うまでもない。それに引き換え他の面々は一応は三度目になるわけで毎回どんな状況になるかは察してもいるから、渡したくないなら予備ですむような話じゃないのは当然知っている。

「卒業式終わったら外しておけば?渡したい子に渡すまで。」

そこに天啓のような一言を発したのは、3年1組の勇名毒舌王子・香坂智美。確かに着けたままでいないと駄目ということではないし、基本的にはつけているものを強請るというのが今までの通例。それに今迄にも確かに奪われたりする可能性もない訳ではないのだから、さっさと外して手に持つという防衛策を新たに編み出したのだ。

「流石智美。」
「はぁ?」

感嘆の声に智美の方が何でそんなのに気がつかないんだといいたげな声をあげたのをみて、近藤雄二が横にいた海翔をヘッドロックで捕獲する。転校してきたばかりの海翔は誰とも交流を持とうとしなかったのが、嘘のように今ではこうして同級生と和やかに戯れるようになったのは驚くほどの変化だ。

「海翔なんか、予備を準備だぞ。」
「わ、わるかったなぁ!」
「海翔のタイの死守は大変そうだよな。新しいドラマ四月から放送なんだろ?あのとんでもない奴。」

とんでもないというのは設定が破天荒すぎると既に噂の四月からのドラマのことで、受験真っ只中で撮影も敢行した海翔は一際校内でも有名になった訳で。しかも男女の主人公である高校生時代の男主人公を演じた海翔は、なんと監督に気に入られ後半の女性主人公が高校生になった時点の同級生役でもドラマに出ることになったのだ。その告知も既にされ始めているから、海翔の知名度は鰻登りだったりする。

「タイねぇ。」
「透は?誰かに渡すのか?」

そう雄二に何気なく問いかけられた若瀬透がそうだなと考え込んだのに周囲が目を丸くしているのは、今まで透がこの系統の話に積極的に乗ってくるのをみたことがないからだ。これまでは受験一筋だった透がついに国立の医学部にストレートに合格して新たな恋の季節かと、鈴木貴寛や木村勇も興味津々で身を乗り出す始末。

「誰に渡すんだ?透。」

そんな奇妙な盛り上がりを影で見せているとはつゆ知らず、卒業式は刻一刻と近づいているのだった。



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