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Bonus track

460.三椏

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幾らその意思が強靱であるとしても、如何ともし難い現実がここにはある。

宇野智雪はそれを日々痛感するし、実は常に不安にも感じながら生活していると言ったら驚かれるかもしれない。勿論社会人としての仕事は順当、肉親の絆とは少し違うけれど息子との関係も良好。そんな雪にとって問題視しているのは、恋人である宮井麻希子との関係だ。
宇野智雪は現在29歳で、彼女・麻希子は18歳。
この歳の差は永遠に解消されないし、どんなに足掻いても雪が麻希子に感じている程の焦燥感はない。自分が嫉妬深いのはよく分かっているつもりだし、そこはな彼女に迷惑をかけない程度にはコントロールしているつもりではいる。だから当然家族でもないのに卒業式に参加できないのは理解しているし、そこにごねる程幼くもないつもり…………それでも少しでも早く祝ってと思うのは、流石に高校の中には雪には手が届かないものが多すぎるからかもしれない。

「麻希子。」

叔母である宮井有希子は料理中だし、息子の衛は叔父・宮井浩二と春休みの予定で盛り上がっていて上に来る気配はない。つまりは少しは落ち着いて話が出来る筈だと声をかけながらドアをノックすると、中からヒョコリと顔を出した麻希子が頬を緩める。

「雪ちゃん。どうしたの?」

穏やかな笑顔。ここ最近酷く大人びてきていて、格段に綺麗になった雪の可愛いお姫様。スルリと部屋の中に通されて、なおのことこの一年で部屋の中も随分変化していると内心では思う。高校3年の変化は確かに大きく可愛らしいインテリアばかりだった麻希子の部屋が、少しシンプルな大人びた空気に変わり始めている。
そんな変化を起こしていても、それでも11年という歳の差は変わらない。

「卒業おめでとう。」
「ありがとう、雪ちゃん。」

並んでベットに腰かけて口にする言葉が、実は少しだけ仰々しい気もするのは自分がそう感じているからだと思う。勿論それを意図しているわけではないけれど、話の切っ掛けにしようとはしているから。

「それで…………あのね、麻希子。」
「うん。」

少し緊張しながらの雪の言葉に麻希子は不思議そうに首を傾げていたけれど、思い出したように立ち上がると机の方に駆け寄った。何とか自分が話したいことを話そうとしていた矢先の行動に戸惑うのだけれど、麻希子は直ぐ隣に戻ってくると少し心配そうに口を開く。

「雪ちゃん、貰っても困ると思うんだけど…………これ、貰ってくれる?」

先にそう問いかけられて差し出されたのは、麻希子が高校3年間使っていたリボンタイ。雪は元々同じ高校の卒業生だから、これが女子のつけるリボンタイなのは言わなくとも理解できる。でも大概リボンタイは卒業式の後の制服交換会でなくなるし、高校の制服は麻希子のものも御多分に漏れずブラウスシャツとスカートだけになって帰ってきたのを知っていた。

「タイ?」
「うん。」

あのね、と恥ずかしそうに話す麻希子が言うには、今の制服交換には様々自分達の時にはなかったジンクスが多々生まれているそうだ。特に男女問わずネクタイとタイを貰うと両思いになれるなんて、自分達の時にはなかったと思う。それにそれに加味して自分から意中の相手に渡すと、なんてジンクスはなおさらだけれど。

「それで…………俺に?」

思わず普段のではなく、素で驚いて目を丸くしてしまう。つまりは麻希子はこれを渡すために他の同級生や後輩からリボンタイを死守したわけで、それを恋人である雪に貰って欲しいというのだ。そう言われると机の上には男物のネクタイもある………………気がつかなければよかったと思うが、それは時既に遅し。麻希子も雪の視線に気がついてしまって、あれはねと慌てている。

「あれはね、智美君がくれたの。」
「智美が?」

香坂智美は、雪の実父・香坂智春の親戚に当たる。それは互いに知っているし最近では智美が鳥飼信哉の経営しているマンションの一室に暮らし始めて、衛もコンスタントに交流をもっているのだ。それでもそんな気配を滲ませもしないでいた智美に、雪としては油断も隙もないと内心では思う。いや、勿論智美が密かに麻希子を見る視線で気がついてもいたけれど。それでも麻希子はタイを交換もせず死守して、自分に渡そうとしてくれているのに気がついて雪は頬を緩めていた。

「ありがと、麻希子。」

そぅっと手を包み込むようにして、それを受けとると麻希子は恥ずかしそうにしながら微笑む。そしてそのリボンタイを受け取った手をとったまま、雪はその手を返すと今度は自分が渡そうとしていた物を麻希子の掌の中に置いていた。

「…………雪…………ちゃん?」
「名前。」

意図しないとまだ名前で呼ぶ事も忘れてしまう可愛いお姫様は、小さな声で恥ずかしそうに智雪と言い直して掌の上の物を見つめる。まだこの先の約束には早いから、これはその予約。間が抜けているかもしれないけれど、言うなればエンゲージの約束。だから指輪ではなく、まだネックレスなのはご愛敬だ。

「卒業のお祝い。貰ってくれるでしょ?麻希子。」

そう言うけれど、それにはダイヤモンドは少々過分かもしれないけれど、最も硬い宝石であるダイヤモンドは夫婦となる二人の固い絆の象徴とも言われていたりする。世界中で15世紀以降にプロポーズの時にはダイヤモンドのリングを贈ることが定着しているし、結婚10年目は『スイートテン』と言われ、ダイヤモンドジュエリーを贈ることも今では一般化していたりもするのだ。ネックレスのダイヤは小さくて目立たない程度だけれど、次の布石としては十分存在感がある。それに同い年の人間には絶対にこれは出来ないことでもあるから…………なんて思うのは、子供じみているだろうか。

「ありがとう、智雪。」

そんな雪の腹黒い思いなんて知るよしもない天使のような可愛い雪のお姫様は、嬉しそうに柔らかな微笑みを浮かべていたのだった。
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