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7月

73.ミニパイン

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夏休み3日目な筈の火曜日。
相変わらずの快晴の陽射しに照らされて、正直うんざりするしかない。それでも今日は最初からエアコンが入っている分ましではあるんだけど、気がついたけど何で毎日夏期講習なんだろうか。これじゃ夏休みって言っても普通に学校に通ってるのと変わりない。なんて不貞腐れながら教室の机にへばりつく。

智美君みたいな完全無欠な頭脳でもあったら、夏休みらしい夏休みが満喫できるのに…

そんな事を思いながら深い溜息をつくと、隣の早紀ちゃんがクスクスと笑う。夏期講習は同じ科目を選択すれば来た順に勝手に席に座っていいので、こうやって普段と違って早紀ちゃんと隣で座れるのが実は凄く嬉しい。塾に通ってる子達は夏期講習を受けない子もいるし、期末テストで赤点が多かった子は特別補習もある。

「溜め息ばっかりだよ、麻紀ちゃん」
「だぁって、夏休みが始まって3日目だってのに全然休みっぽくない~。」
「そうだねぇ…。」

夏休み中の選択夏期講習は7月にも8月にもあるし、部活動もある。選択してる科目が多ければ多いほど、学校に長い時間いなきゃいけないからそういう意味ではお金のかからない塾みたいだ。

こんなんじゃ何処で遊びにいったらいいかもわかんないし…

思わず溜息をもう一度ついて私はニコニコしている早紀ちゃんの横顔を眺める。その穏やかで綺麗な笑顔にあなたは完全なんて言葉がふと浮かぶ。大事に大事にしてきた彼女の気持ちは昨日また少し育ったのかな?それとも変わってないのかな?
聞いてみたいけど、私が余り首を突っ込んでいいことでもない気もする。自分の恋愛は実は何もすすまないし、雪ちゃんに関するモヤモヤもそのままだったことに気がついて私は盛大な溜め息を1つついていた。

「ねぇ、宮井さん、志賀さん。」

2人で講習が始まるのを待っていたら、2組の松尾むつきさんが私達の傍に歩み寄って前の席に座る。普段は話したことのない彼女に、私と早紀ちゃんは不思議に感じながら彼女を見つめた。

「ごめんね、急にうちのお姉からちょっと聞いて。」

その言葉に2人で眉を潜めると、松尾さんは賑やかに笑いお姉さんが『茶樹』のウエイトレスさんなんだって教えてくれた。うわぁ、毎回幾度に会うウエイトレスさんが同級生のお姉さんだったなんて、私なんかお店で泣いたり騒いだりしてるから何だか恥ずかしい。とか思っていたら松尾さんの顔が少し雲って声が小さくなる。

「ねぇ、須藤さんって宮井さんの友達でしょ?塾の先生と付き合ってるって噂になってるよね。」

ドキンと胸が大きく打つのが分かって、私は松尾さんの顔を真正面から見つめた。こんな風に松尾さんが態々声をかけてくるなんて、何かあるんだとしか思えない。早紀ちゃんも同じように感じたのが分かる。

「あの、人の事悪く言うの良くないってわかってるんだけど、あの人と早めに別れた方がいいと思うの。」

やっぱりって心の何処かが思った。香苗自身は矢根尾って人に色々な意味で巻き込まれているだけかもしれない。あの噂を聞いて半分でも本当だとしたら、何時か誰かがこういってくるんじゃないかって私は心の何処かで思っていたような気がする。でも、彼女は噂だけで態々私達に話しかけた訳じゃないようだった。

「お姉がマスターから聞いたんだけど、あの人随分前になんだけど『茶樹』でバイトしてた事があって。」

松尾さんのお姉さんは『茶樹』で働くようになって4年が経つけど、矢根尾って人が働いてたのはもう10年も前の事らしい。
矢根尾はその時は奥さんがいて、奥さんがバイトの応募をみてバイトに来ることにしたそうだ。その頃から『茶樹』は女のお客さんが多いからって言って、最初は賑やかに接客してたらしい。でも、暫くしてマスターに矢根尾からしつこく飲みに誘われて困ってるって常連のお客さんが相談してきた。その時他に女の人も一人働いていたんだけど、マスターが詳しく話を聞いてみたらしい。
その人は何度も飲みに誘われ、付き合いだって諦めて飲みに行った。そうしたら、矢根尾は今度は何処に行こうとか奢ってあげると何度も繰り返しその人を誘い、何とかホテルに連れ込もうとしたらしい。その気がないと断ると突然キレて、人気のないところに連れ込まれそうになってその人は慌てて突き飛ばして逃げた。でも、これから同じ店で働いて行くのに、矢根尾が怖いから辞めようか悩んでるって話した。マスターに直接話を聞かれた矢根尾は最初はヘラヘラ笑っていたけど、やがて不機嫌そうに奥歯を噛むような表情で吐き捨てるように言い捨てた。

ち、調教するなら、やっぱり若いのじゃないと。

その時一緒に働いていたのは30代半ばの人だったと言う。この間私達が『茶樹』で絡まれた時、マスターは矢根尾その事にしっかり気がついていたそうだ。私達が絡まれた時早紀ちゃんの叔母さん・松理さんが助けてくれたのは偶然ではなかった。マスターさんは矢根尾がまた来店した時は奥にいても直ぐ知らせるように、松尾さんのお姉さんに昔の話をして説明した。松尾さんのお姉さんは松尾さんから、矢根尾と付き合っている香苗の噂を聞いて心配してくれたらしい。

「高校生は半分子供だから、知らなくていいことも悪い大人から教えられると吸収しちゃうから危ないよって、お姉が心配してるの。」
「うん………心配してくれるのは分かる。」

私の言葉に松尾さんは言いにくそうに言葉を繋ぐ。

「本当は須藤さんに直接話そうと思ってたんだ。でも、彼女、特別補習すっぽかしてるでしょ?職員室で越前ガニが話してたの聞いちゃったの。」

木内さんも補習すっぽかしてるから誰も香苗の連絡先を知らないみたいで、松尾さんは随分迷っていたみたい。結局前に仲良くしていたのと、この間泣き出した香苗を連れて行った時の話を聞いて私達に声をかけてみる気になったみたい。勿論松尾さんは知らないふりをする事もできたけど、やっぱり心配してくれたんだと思う。でも、正直私達も香苗にそれをどう伝えたらいいか分からない。私は連絡することが出来るんだけど、すんなりそうか連絡しようって言う気持ちにもなれないって言うのがその時の気持ちだった。

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