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3.上原秋奈

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秋の少し冷たい夜風にネオンが目に痛いくらいの光を放っているのを見上げながら、待ち合わせの合間に私は慣れた仕草でスマホを取り出す。相手が来るまで暫く余裕があるから、気分を上げるつもりで声が聞きたくなったのだ。何しろ今から会う相手の方は、少なくとも気分が盛り上がる相手ではない。しかも、相手は確実に待ち合わせの時間に、少し遅れてくる筈だ。スマホの中で呼び出し音が軽やかになって、宏太が受けた。

「私ぃ。」
『私さんってのは誰だ?ん?』

やっと取り上げた電話口の宏太は欠伸を噛み殺し、そんな素っ気ないことを言う。オレオレ詐欺じゃあるまいし、私からかかってくると思ってたくせにと内心思っている。
外崎宏太の経営コンサルタントとは完全表向き、正直やっていることはかなり際どい線の情報屋といったところだ。しかも、ここいら一帯周辺の飲食店やらホテルやらの経営者は、何故か宏太にかなり協力的。人相があれなわりに宏太の人柄がそうさせるのか、宏太が元々情報の分析能力に長けているのか。正直なところは、どちらも正解と言うところか。兎に角、街の裏側を深いとこまで知っている情報屋、これが正確な表現だと私にも分かるまでそう時間はかからなかった。
因みに私の元カレが危険人物だと知っていたのは前からで、何のことはない元カレを宏太が暫くマークしていたから。あの男ってば私は知らなかったけど裏では薬を売ったりとかして、かなり危ない橋を渡ってたみたい。もっと貢がせれば良かったって思うけど、あんな目にまた会うのは真っ平だ。まあ、そんな宏太の情報収集真っ最中に私はタイミング悪く、元カレの傍にいたっていうのか正直な話。でも、だからといって宏太が居合わせた詐欺女を助ける必要性は全く無い。それでも宏太は危ないから止めとけと、私にわざわざやって来て忠告までしてくれた。どっちかっていうと本当は一緒に警察につき出しておいた方がいいんだから、宏太の気紛れには感謝しないとならない。私は素っ気ない電話口に向かって口を尖らせた。

「何よぉ、折角、男落としたのにぃ。」

電話口で不貞腐れた声をあげる私に、宏太は可笑しそうに笑って悪い、ごくろうさんと素直に言う。さっきみたいに話を適当に煙に巻くかと思えば、こうやって素直に謝ってきたり、本当に宏太は掴めない。私が今まで出会って落として来た男の中に、こんなにも掴めない男はいなかった。
結局雇ってよぉとねだった結果、宏太から時々頼まれた男を落として話を聞き出す手伝いをして破格のバイト代を貰う生活の私。先日は妻子がある男を落としたけど、相手の結婚指輪をわざとラブホテルのマットレスに挟んでおくなぁんて可笑しな事をさせられたり。まあ、相手に奥さんがいるのに搾り取ってオッケーだなんて、ある意味美人局?とは言え、あの男の情報が何の利益になるのか、その情報がどんなものかはよく分からない。少なくとも指輪探しで奥さんとバトルにはなるかも知れないが、妻は自分に興味がないとグチグチしてたからどうなのかな。愛情があって結婚したのに子供が産まれて育ててるうちに、妻が母でしかなくなったなんて。それって男の認識もあるんじゃない?母と捉えてるのは、自分なんだしって正直なところは思うけど。まあ、私は今のところ本命はいないから、完全に分かっているとは言いがたい。
今回の男は、二十五歳の成金のボンクラ息子だ。誰かと間違って声をかけたふりで話しかけたら、意図も簡単に引っ掛かってきて相手の方から食事に誘われた。

『それで、羽振り良さそうか?』
「うん、かなりねぇ。どうする?仕込んでいくぅ?」

会話の流れで宏太の欲しい情報を話すかもしれないから、必要な時は最初からボイスレコーダーや盗聴器を仕込んでいく。大概酒を飲ませて甘えて武勇伝を聞きたがると、欲しい情報を向こうから話してくるものだったから仕込んでおいた方が早いともいうけどね。
成金のボンクラ息子が親の会社にも就職もしないで、遊び歩いて生活しているなんて。しかも、最近妙に羽振りが良くなって、親の脛以外にどこから湯水のように金を生み出しているのか。ワインバーを貸し切りにして、その費用の殆どを払うなんてざららしい。

「羽振りのいい理由を聞き出せば終了?」

大本は簡単には話さないだろうけど、尻尾は宏太の目には見えるのかもしれない。おっと、失言、聞こえるかもしれないだわ。

『まあ、そんなとこだ。羽振りが良くなる方法を伝授して貰えよ。』

どっちかっていうと良くなる方法より、羽振りのいいメンズに囲って欲しいとこなんだけどと答えると掠れた笑いが聞こえる。そりゃ頑張って探さないとなって、あんた候補に入らないのかよと突っ込んでやりたい。

『危なくないようにな。』
「危なくなったら、コールする。」

コールしたら助けに来てよねと言うと宏太は、はいはいと適当な返事をしてくる。そう適当に言ってても多分助けに来てくれると、今では宏太の事を信じてもいるけど。それでも本当のところは、任せておけ、助けにいく位の事を言って欲しい。

『秋奈。』 
「はーい?」
『無理すんなよ?』 

ちぇ、ここでそんな優しいこと言うなんて狡い。わかってまーすと呑気な声で私が返事をすると、宏太が苦笑いしたのが電話口でも分かった。



※※※



流石成金ボンクラ息子、洒落た創作料理レストランを予約してたのは流石プラスポイント。でも、知ったかぶりのワインの蘊蓄はマイナスポイント。さしすせそを繰り返してる私に気がついているのかな、さはさすがぁ、しは知らなかったぁ、すはすごぉい、せはセンスいい、そはそうなんだぁ。あ、知ってる?大概これで会話になるから、人間って可笑しなものだよね。

「赤ワインはね、肉料理にあうんだよ。」

んーベタだな。でもね、最近の女は結構ワインにも詳しいものよ?だってさ赤ワインにも肉料理によっては合わない時もあるんだよね、赤ワインでも種類があるからガッツリ肉料理に合わせるならフルボディがいいし、さっぱりした肉料理ならフルーティーなミディアムボディとかね。何でもかんでも赤ワイン=肉料理は初級者が蘊蓄したいだけなのが丸見え。下手に蘊蓄披露するよりは、お店のソムリエに然り気無く聞く方がずっとスマートで格好いい事を知ってないとね。蘊蓄を披露したいボンクラ息子のお陰で絶品の冷しゃぶにガツンとブルゴーニュのフルボディの赤ワイン。白ワインでも行けるお料理に、この強いワインはねぇ、せめてデキャンタする?ほらお店の人の苦笑いが見えてますけど?どうせなら冷しゃぶだもん、ワインじゃなく日本酒にすればいいのに。仕方がないから、私は然り気無くワインの注がれたグラスをクルクル回す。そうそう、フルボディのワインは渋くて苦手って人は、こうやってグラスに入れたワインをクルクル回してみてね。こうするのをスワリングって言うんだけど、デキャンタするのと同じで少し味がまろやかになるの。ゆっくりクルクルするのが、ポイントね。芸能人とかが格好つけてるわけじゃないのよ?私が何気無くそれを相手の目を盗んでやってるのに、お店のソムリエさんは気がついてるけどね。

「そうなんだぁ、知らなかったぁ、あんまりお酒飲まないんですよね。教えてもらわないと。」

ニコニコしながらそういうと、鼻穴を膨らませて目をギラギラさせる男。誉めるとこを探さないとならないんだけど、あんまりにもつまんない男で会話に全く集中出来ないなぁ。
宏太は味覚障害だって話していたのは実は本当の事で、宏太は甘いも酸っぱいも苦いも辛いもわからないらしい。それが何時からの事なのか宏太自身も知らないって言うけど、そこら辺は本当かどうかは謎。それにしたって何を食べても美味しいって感じないって事になる。だから宏太は放っておくと普段から総合栄養剤のブロックばっかり食べてる。勿論誘えば一緒にご飯にもいってくれるけど、何を食べても味が分からなくて面白くないから私の話ばかり聞いてる。治療しないのって聞いても原因が分からないから、治療のしようがないんだって。紙みたいな味の食いもんなんか食いたくないだろって平気な顔で笑ってる。その中でも珈琲は幾らか分かるらしくて、友達が経営してる喫茶店には時々行くみたい。それにしても食べ物が美味しいって感じられないのは、凄い可哀想な事だと思わない?

「凄い美味しいお店知ってるんですねぇ!」
「まぁね、ここら辺の店は庭みたいなものだよ。」

うん、庭みたいなって表現古くない?まあご機嫌な様だから、いいんたけどね。凄い凄いと乗せると僕に言えば大概の店には、顔パスだよとかまた古い事を言い出す。大体にして顔パスになってるのは親の七光りっしょ?そう言うのって親を見習って努力しとかないと、しっぺ返しが来ちゃうんだから。そう心の中で舌を出しながら、一先ず高級で美味しい料理には罪がないから舌鼓。

「でも、こんな高そうなお店初めて入りました。杉浦さんは何時もこんなにいいお店に来るんですか?」
「ここは普段からね。他にも上浪通りのビストロとか。」

賑やかにすごぉいを口先で繰り返して、相手のご機嫌を取る。上浪通りと言えば一食万単位は軽い。家ではケータリングらしいけど、その店も普通の家庭なら憤慨ものの金額設定で有名だ。確かに幾ら金持ちのボンクラ息子でも羽振り良すぎるな。実家暮らしでもなくて駅前の高級マンションを親からの金で住んでるのは兎も角、仕事もしないで万単位の食生活にブランド物の服。幾ら親の仕送り付きでも、流石に毎月千万単位の生活費を湯水のように使ってる事になる。

「杉浦さんって、本当凄い!どうやったらそんな生活出来るんですか?」
「簡単だよ、有るところから貰うのさ。」

親から?って思わず聞きたくなるけど、親御さんの月収入をはるかに越す浪費で借金の気配もない。確かに宏太の言うように裏側がありそうだけど、これ以上の事はこんな場所じゃ流石に話さないかな。

「エリカちゃんが、その気ならいいところに連れていってあげようか?」

あ、エリカは私上原秋奈のことね?一応こいつには笹原エリカってことにしてる。芸名みたいで気に入らないけど、相手にはお気に召したみたい。私がいいところってどんなって乗ってきたものだから、相手の杉浦陽太郎はニヤニヤしながらしめたっていう顔をした。今さらだけど、ボイスレコーダーは勿論会話の殆どは宏太に直接聞こえてる。どうやってって?スマホをただ通話状態にしておくだけの簡単盗聴。え?そんなに電話出来るのって?出来るのよ、色々詳しいことは言えないけど、最近のスマホには最長通話が二千分を越すのがあるんだから、二千分って三十三時間よ?まあ勿論長い時間になると電池切れ何てことも有りうるけど、そこは時々おトイレタイムで充電もするし。もしもの時の為に、もう一台もスタンバイしてある。通話料が高くなるって?分かってるくせに、LINEとか無料通話出来るアプリもあるじゃない。

「えー、いきたいいきたい!どこですかぁ?」
「いいとこ。」

どんなに乗せても相手も場所までは、流石にここでは話そうとはしない。あまり追いかけて疑われても困るから、大人しく食事の話に戻したりしながら餌を仕掛ける。少し酔ったふりで帰りたくなさそうな気配を浮かべて甘え声をだす。スマホの向こうの宏太が苦笑いしてるのが、何となく頭の中で浮かぶけど目の前の男には関係ない。嫌らしいニタニタ笑いがその顔に浮かぶのが分かって、しめたと内心私がニヤリとしてるなんて思いもしない筈。

「エリカちゃん、今日はこの後何か予定あるの?」
「あるわけないですよぉ、折角杉浦さんといるのにぃ。」

そっか、嬉しいなとニタニタ笑いが更に大きくなる。食事を終えネオンの光る街に出て、恋人同士みたいに腕に手を絡み付かせて体を男の腕に押し付けながら歩き出す。酔ったふりで腕にしがみつくようにしてやったら、胸に肘を押し付けて来る辺りが内心ムカつく。どうしようかな、この先を確認したい気もするけど、本命の話題よりラブホテルとかにこいつってば連れていきそう。一回位やらせても良いけど、実はあんまりその気になれそうにない。

「エリカちゃん、俺んちでゆっくり飲みなおさない?」

おおっと斜め上の発言だった。まさか家に連れ込む気だなんて、少しガードが緩すぎじゃない?って言うか、そうね、私が完璧なのよねと一人納得。人が切れたところで酔ったふりで胸を腕にわざと押し付けてやると、相手の鼻の下が無様に伸びた。

「杉浦さんって、どうしてそんなにリッチなのぉ?」
「はは、まあ一寸したオークションで儲けてるかな。」

ははぁ転売とか偽物とか?って思うけど、そう確定するにはまだ早い。まあ一回位エッチさせないと、確信が持てるような会話にはならないかもね。別に一回位はいいかなぁ、最近ご無沙汰だし、宏太は何時まで経っても私に触る気配もないし。

「オークション?私も時々使うけど全然ダメぇ、杉浦さん儲ける方法教えてぇ!」

こっちから乳を肘に押し当ててムニムニさせてやると、相手の顔が更にだらしない顔に変わる。教えてもいいかなぁなんて言ってるけど、大したことない子悪党って感じ。こんなに簡単に話すようなのに、宏太がこの男から何を知りたいのか正直なところ疑問。

「杉浦さんのお家何処ぉ?はやくぅ。」
「ああ、タクシー乗ろっか?」
「はぁーい。」

酔っ払ったふりって正直なところバカっぽいよね。分かってるけど、まあ会話的にエロ重点にならないギリギリのバカっぽさが大事。ただの尻軽じゃ相手に話しても無駄、体だけって思われるじゃない。タクシーに乗り込んでわざわざ間も開けずに座り込み、ヒソヒソと内緒話みたいに唇を寄せる。

「杉浦さん、他の女の子にもこんなに親切なの?」
「いやぁ、エリカちゃんが特別だよ?」

本当?って上目遣いに言うと、ニヤニヤした笑いでタクシーの中だというのに乳に手を当ててくる。うへぇ、やだなぁ、こういう下品な感じ。だけど無下に拒否出来ないから、やんわりと手を自分の手で包み込んで、オマケで一揉みさせてやる。

「特別って格好いい言葉ですよねぇ。」

ミラー越しに運転手がこっちを気にしてるのを知りつつ、その手を胸から太ももの上に導く。乳も揉ませるし太股に手を持っていくなんて、もうオッケーしてるとしか思えないんだろう男はデレデレと胸元を覗きこんでいる。

「そうだねぇ、俺が特別だから儲け話を持ってくる人がいるんだよね。」
「えー、それじゃあ特別って杉浦さんじゃなきゃ駄目じゃないですかぁ。」
「いやぁ特別にね、これを売るといいよってさぁ、来ちゃうんだよ、別に頼んだ訳でもないんだけどねぇ。」

そう言いながら何とかスカートの中に手を入れようと必死になるのを、笑顔で手を握りながら阻止する。そうしながら今の話に私は、キナ臭い感じを受けていた。
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