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19.風間祥太

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日付は十月二十七日。
杉浦陽太郎を逮捕してから十七日目、三浦和希が病院から逃走して早くも六日・そして杉浦が保釈されてからは三日が経とうとしている。
一課は鑑識も一緒に必死で三浦の居場所を割り出そうとしているが、脱走直後の完璧な清掃とここ暫くの天候の変動のせいで三浦の足取りはプッツリ途絶えてしまっていた。その上直近の顔写真等を用いて聞き込みの範囲を拡げようと三課迄駆り出したら、上から何故かストップがかかって目下一課と課長が上と掛け合っている最中らしく聞き込みすらできないらしい。しかも、その余波がこっちにまで回って杉浦の動向の詳細を確認するのに、三浦の影があったかどうかの捜査が出来ないでいる。

何か後ろめたい事でもあるのか?上と病院が組んで

そんな類いのことを遠坂喜一は呟いて不意に時間を寄越せと言い出したのだった。遠坂がこんな風に時折懇意にしている情報源に会いに消えることがあるのは、長い付き合いで分かっている。余りそういうことが罷り通るのもとは思うが、遠坂はそれで幾つか結果を挙げてもいるのだ。
人間には時にそういう面が突出する場合だってあることは、この歳になれば流石に理解はできてくる。ただ、自分にはそれは出来ないと言うだけの事だ。しかも遠坂はお前はここいらで待機と言い出したのが杉浦のマンションの近隣で、まあタイミングも良かったので自分は一念発起して元同級生の鳥飼信哉の家を訪ねることにした訳だ。

『はい。』
「信哉、少し話ができるかと思って…。」
『風間か?』

相手は予想外の訪問に少し驚いた風だったが、ちょっと待ってろと告げるとオートロックを解除した。
何気なくオートロックを潜りながら、それ以外に何処から中に入れるか辺りを眺める。昨夜は先に上がっていた警官の一人が一旦降りてきて内側からオートロックを解除したが、こうして眺めると一階の通路はプラスチックボードで用意に侵入は出来なさそうだ。同時に非常階段は鉄柵の扉にオートロックになっている。勿論オートロックの非常用ボタンはあるが使用すれば警備センターに繋がるようだ。
ただ住人でもあるしオーナーの信哉の友人なら暗証番号を覚えている可能性もありえるのに気がつく。それに裏口の鉄柵は一メートル五十センチ程。越える気をすれば越えるのは容易そうだ。しかも正面ホールとエレベーターホールは防犯カメラがついているが、裏口には一つしか防犯カメラはなさそうに見える。

案外簡単に入れるんだな、これは。

最上階に上がって友人宅のドアホンを押すと、姿を表したのは予想外に家主ではなく年若い青年だった。その背後から信哉か慌てて顔を出す。

「こら、仁、勝手に出るんじゃない。」
「信哉、この人誰?」
「風間は俺の高校の同級生だよ、ほら、どけろ。」

まるでモノを知らない幼い子供に説明するように丁寧に説明してやっている鳥飼信哉に、思わず目を丸くしてしまう。自分の記憶の中の鳥飼信哉と言う男は、何時も冷静沈着で抑揚のない感情を表に出さない男だった。ところが年月が人を変えたのか、柔らかい物腰で青年の頭を撫でる様子に驚いてしまう。

「悪いな、あいつを急に預かることになって、普通より少し好奇心が強いんだ。」
「いや、こっちも急に訪ねた訳だし……。」

なんと表現したらいいか分からずに言葉に詰まると、信哉はイメージ変わるか?と苦笑いを浮かべ入れよと促す。杉浦の家とは作りが違う室内に思わず、恐縮しつつ中に入るとリビングで先程の青年が信哉に仔犬のようにまとわりついている。座っててくれと言われソファーに腰かけると、天井まで届くような蔵書の数々に思わず目を奪われた。

高校の時は喧嘩ばかりで、得体の知れない奴だと何処か思ってたが……。

この落ち着いた佇まいを見る限り今は実際は違うのかも知れないと何処かで感じながら、珈琲を差し出した同級生の姿を眺める。昨夜見た時は冷え冷えとした雰囲気に感じたが、今ここで見る分には穏やかで理知的にすら見えるから不思議だ。高校時代の信哉の意固地で融通の効かないイメージとは違って、話しているとヤッパリ柔軟と言うか大分違うのに面食らってしまう。大体にしてあの信哉が槙山忠志を頻回に家に招き入れていて、しかも高校生程の青年を預かっている事自体が既に自分のイメージと正反対なのだ。



※※※



鼻から血を流して唇を腫れ上がらせた顔が恐怖に歪むのを、ネクタイもせずワイシャツにブレザー姿の鳥飼信哉は表情も変えずに見下ろしていた。その口に緩く咥えられた煙草の先の灰が落ちて頬に当たるのを感じながら、今にもその煙草を顔に押し付けられるのではと相手が怯えているのが分かる。

「ご、ごめん、鳥飼……。」
「妾が、…何だって?悪いな、聞き逃した…、もう一回言えよ。」

周囲の同級生が呻き声をあげているのが聞こえていて、信哉に屈み込まれた合気道部の男は怯えたまま謝罪の言葉を掠れた声で繰り返す。本気だったなら骨が砕ける位のことは容易く出来そうなのは、煙草を咥えたまま反撃している上に息も乱れてないのを見れば明らかだった。

「なにやってんだよ!鳥飼!」

屋上の扉から鋭い叱責の声をかけた自分に、鳥飼信哉は舌打ちすると不意に咥えていた煙草を手にすると無造作にそれを見下ろしていた顔に向かって下ろした。不様な悲鳴を上げた男の頭の横に煙草を押し付け、コンクリートでそれを消すとそれを無造作に男のポケットに押し込む。呆気にとられている自分に向かって冷ややかな声で彼はいい放つ。

「何だよ、風間。上原なら居ないぞ。」
「そんなことより、何だよこの惨状は!」

新しく生徒会長になったばかりの風間祥太は、呆れたように何人も同級生が呻いている屋上を見渡す。自分の鋭い叱責の声に、信哉は溜め息混じりに屈みこむのをやめて立ち上がった。顔に煙草を押し付けられなかった安堵と、体の痛みに足元の男が情けない声で啜り泣くのが聞こえて信哉の顔が嘲笑う。

「泣くくらいなら最初から絡むな、ばぁーか。」

冷ややかに言い捨てて、信哉は無造作にその体を跨ぐ。その姿はまるっきり自分がしたことに躊躇いもなく、自分には理解できない。そう感じた時彼が何だか得体が知れない、うすら寒いような気配に包まれているとすら思えたのだった。



※※※



そんな過去と全くの別人に見える信哉は、不躾な自分の視線に気がついたのか苦笑いを浮かべて要件は何だ?と穏やかに問いかけた。槙山忠志の人柄を聞き出しに来たわけだが、彼について問いかけるとそういえば角の住人があいつの同級生なんだったなと信哉は以前から知っていた風に呟く。

「槙山は杉浦とは常々交流があるのか?」
「…………どうかな?同級生だとは以前話していたけど。家にはよく来てるんだが。」

迷うことのない信哉の返答には、どう贔屓目に聞いても嘘は滲まない。大体にして誤魔化す必要性もないと言う気配の話ぶり。確かに槙山は中々話が通じない上に警官に抑え込まれて、苛立ちが表に出て手に取るように分かるような性格だった。そういう人間は周到な詐欺の計画を立てるようなタイプにはならない。やはり槙山忠志は首謀者にはそぐわないなとあの時の印象を含めて思い浮かべてしまう。

「杉浦の息子は何か悪さでもしたのか?お前刑事なんだろ?」
「まあ、そんなとこなんだが。」
「しかも何で三浦和希が今さら話に上がるんだ?」

何で三浦の事と思ったが昨日の騒動の最中杉浦を取り押さえたのは目の前の男だったし、取り抑えられながら三浦じゃなかったとオイオイと泣き出していたのを思い出す。

「あいつは病院に入ったままだろ?」

信哉の予想外の言葉に俺が目を丸くすると、信哉は溜め息混じりに最後の時に取り押さえたのは俺と忠志だよと言い出した。
つまり二年前の三浦事件の最後の女性襲撃の時、槙山忠志と信哉は丁度一緒にいて、それを目撃していたのだという。最後に女性が襲われた際に三浦を女性から引き剥がしたのが信哉で、その直後自殺を図った三浦を咄嗟に止めたのが槙山だったと言う事らしい。調書に信哉の名前が乗らなかったのは槙山が自分が知り合いだと先に名乗り出たのと、現場の騒然とした状況で信哉が煙に巻いたというのが正直なところなのだろう。

「まあ、色々あってな。ちょっと杉浦が関わった事件に名前が出てるんだ。その理由を捜査中ってことなんだ。」
「ああ、成る程な。それでお前はどっちとも知り合いの忠志がどんな人間か知りたいわけだ。」

正直に全てを話すわけにはいかないが、大体のところで理由を察したらしい信哉はそう納得したようだ。

「忠志は悌順と似た男だよ。曲がったことはしないと言うか、直ぐ顔に出るから出来ない。」

悌順というのは二人にとって同級生で、鳥飼信哉にとっては幼馴染みに当たる男だ。自分もよく知っているが正義感の強い裏表のない男で、正直なところ信哉よりも考えていることは分りやすい。よく言えば素直、悪く言えば単純と言ったところ。その男と似ていると言われるような男。

「ま、あいつと一度話せば分かるだろうが、純粋なもんだ。未だに友達だからって律儀に三浦の見舞いにも行ってるしな。」

聞けば聞くほどどう考えても槙山が関わっている線は無さそうだし、かといって信哉と昔仲間の三人組が何かしでかしている感もない。この線は少なくとも保留だなと心の内で考えた途端、違う方面の疑問が口をついていた。

「お前、その年でここのオーナーってどういうこと?」

俺の質問は信哉にとっても予想外だったらしく、珍しく苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
何故か最終的に世間話をする羽目になって何気なくまたなと口にしながら辞して、マンションの入り口を潜りながら先程の信哉の家にいた年頃位の青年とオートロックですれ違う。そうか、割合こうやってすれ違う事もあるだろうなと、何気なく見送った制服がさっき脳裏に思い浮かべたばかりの母校のものなのに気がつく。

あの辺りの俺の視野は、随分狭かったのかもしれないな……

あの時屋上に上がったのは、信哉が同級生に囲まれて虐められていると誰かが伝えたからだった。ところが上がってみたら虐められている筈の信哉は無傷で、しかも咥え煙草で同級生は屍のように転がっている惨状。一人で十人近くの男子を叩きのめす能力をあの時は全く理解できなかった。後日煙草を押し付けられかけた同級生に、鳥飼信哉は近郊では有名な合気道の神童で、あれで手加減していたと密かに聞いて余計得体が知れないと感じたものだ。
今の信哉は別人のように穏やかで、話の分かる人間に感じる。そう感じるのは自分も変わったと言うことなのか、お互いに大人になったと言うことなのか。ふと気がつくと既に三十分以上は経とうとしていて、遠坂に電話をかけるとそろそろ出るからさっきの場所でと呑気に遠坂がいう。少なくとも槙山首謀者説は無理がありそうだとは報告できそうだなと考えながら歩き出した自分が、彼女を見つけたのは本当に偶然だったのだ。
待ち合わせた場所に向かう最中、植え込みの傍に屈みこんだ上原杏奈。

「杏奈?」

思わずかけた声にピクリとその頭が動く。もしかして具合でも悪いのかと心配して歩み寄ると、革靴の足音に彼女は戸惑うように視線を上げた。夕暮れの街の中で冷えた風が何処からか吹き始めていて、自分を見上げる彼女の顔は昔よく見たことのある上原杏奈と何も変わりがない。何でここにと呟く杏奈は、何かあったのか不安そうでまるで迷子になった子供みたいに見える。幼い頃戯れていた時には、よくこんな顔をしていた杏奈の手を引いて歩いた事を思い出した。杏奈の実父は小学生の低学年に病で臥せって家計を母親一人で賄う為、そこから中学迄はよく夕飯を風間家で食べたりしていたのだ。幼馴染みで何時も傍にいたし付き合う筈好きあっていたのに、何がこんなに二人の間を別つきっかけになったのだろう。

「どうした?具合でも悪いのか?」
「祥太……?」

何故ここにいるのと言いたげな彼女の顔に、一瞬彼女の事を探していたみたいな気分になってしまった。付き合っていた最中遠方の大学への進学が決まってしまった自分に、遠距離でも大丈夫と最初は笑った彼女。なのに二ヶ月後突然連絡を経って姿を消して、杏奈の母親曰く大学卒業後は各地を飛び回るバイヤーみたいな仕事をしていて帰ってこなくなった彼女。なのに十年ぶりに再会したのは警察の取調室で、源氏名を使う生活をしていると言う彼女。何が本当で何が嘘なのか知りたいが、杏奈の瞳は頑なにそれを拒否していた。

「どうしたんだ?こんなところで。」

そんな思いを忘れさせるような彼女の様子に心配しながら覗きこんだ自分を、杏奈は思い出したように頭を振ってよろめきながら立ち上がる。言い訳がましく少し貧血と弱く呟いて歩み去ろうとする彼女の腕を咄嗟にとって引き留めてしまったのは、自分でも理由はハッキリしない。

「何?」
「飯でも食いにいかないか?」
「………奢り?」

訝しげにそう呟いた杏奈に、そういえば遠坂と待ち合わせていたと思い出したのは奢ることを承諾してからの事だった。

で、結果として何故この三人で居酒屋で飲むことになったのかは、自分でもよく分からない。遠坂と一旦落ち合ったら、杏奈が外崎と言う男の事を遠坂に聞き出し初めて、何故か杏奈は遠坂と交流したがったのだ。若く可愛い杏奈にお強請りされて遠坂だって満更嫌な気分はしないだろうし、本当は仕事上署に戻る筈だったが遠坂が上手くそこを遣り繰りしてくれたこともあって(まあ、捜査を進展させようにも、上からストップがかかっていたのも過分に要因だが。)そのまま三人で飲むことになっていた。

「なんだ昔から風間は正義感の塊か?」
「そう!こいつ融通効かないし、お堅い優等生でねぇ!」
「う、上原っ余計なこというなよ!」

最初に杏奈と今度呼んだら蹴るからと言われたので仕方なしに、名字で呼んでいるが酔い始めた彼女を遠坂が上手く乗せている気がしないでもない。恥ずかしい過去を全部暴露しそうな勢いの杏奈に慌てて釘を刺す。暴露は兎も角植え込みの根本に座り込んで、心許ない様子だったのはやっと何処かに消え去った風だ。

「面倒臭いやつだったんだな、昔のトノみたいだ。」
「えー?!コータの昔って今と別人?」
「そうだな、何事も足元を固めてから動くタイプなのは今も変わらないけどな。」

トノは外崎のトノらしいが、どうやら外崎は遠坂の古くからの友人でもあるらしい。杏奈は目下その外崎がとてもお気に入りで、どうやら恋愛感情もある風で遠坂の情報が欲しい様なのだ。遠坂は確か今年四十路後半な筈だから、外崎もそれくらいな筈。そんな年上に……そう考えた自分に一瞬何考えてるんだかと自分でも呆れてしまう。元カノの恋模様に十年も過ぎて、今更嫉妬も何もあったもんじゃない。
そんな矢先だ。
突然ドンッと地面から突き上げるような振動と同時に、店内の電気が点滅して消え再び点灯するまでの女性客の悲鳴。居酒屋だから幾つもテーブルに乗っていたグラスが床に落ちて粉々になり、様々なアルコールの匂いと炭酸が弾ける音が響いている。
寸前まで酔っていた筈の遠坂の顔が一気に真顔になって、携帯が繋がらないなと呟く。遠坂のも自分のも、上原のも繋がらない。しかし、携帯の会社によっては僅かに電波が入る会社もある様子で、ガス爆発とかテロ?等という信憑性があるのかないのか分からない情報が耳に入る。どうも東側のオフィス街がある中心部、大型商業施設がある方面での何らかの事故らしい。ここまであんなに強く揺れるということは、結構大規模な事故が起きたと考えるべきだろう。立ち上がって一先ず俺と遠坂は署に戻ることにして揃って店を出たが、街の中は既にマトモな状況ではなくなりつつある。
電気は一部店舗にはついているのだが、信号機を含め区画によっては停電している。そのせいで既に交通渋滞が始まり、あちこちで接触事故が起き始めていた。街の歩道には人が溢れ始めまるで縁日でも歩いているかのように、先の見えない人波になりだしている。何処かから人がぶつかる悲鳴が上がり、次第にヒステリックなパニックが拡がり始めていた。

「こりゃ不味いな…。」
「交通機関がアウトっぽいですね。」

不安げに辺りを見渡す上原が困惑顔で、自分の腕を掴む。この状態で上原を独りで置くわけにもいかないと考えた瞬間、上原が大きな声をあげたのが分かった。

「危ない!!」

車道にまるで転がり出すように人間が飛び出し、低速とはいえ大型の車の真ん前に立ち尽くす。瞬間的にこちらを見たその人間は、自分達を見て口を開こうとしたのが分かった。恐らく鼻の骨でも折ったのか鼻血を出していて顔中血だらけにした男は、血で秋物のコートを台無しにしている。

「…。」

口を開き言葉が出る前に車のバンパーが、避けようもなくその体を撥ね飛ばした。低速とはいえ撥ね飛ばされた場所が、更に男の体に追い討ちをかけるのが分かる。車道に投げ出された体が他の車の下に消え、避けようとハンドルを切った車が他の車に当たり、結局車輪が歪に何かを踏みつけ乗り上げていく。
その撥ね飛ばされた男は、どう見ても杉浦陽太郎に見えた。
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