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30.遠坂喜一

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なんだこりゃ…

デスクの上に置かれていた色気のない茶色の箱の中には一枚の紙と、箱の底に貼り付けられた銀色の鍵。隣で覗きこんでいる風間も目を丸くして、箱の大きさと全く釣り合わない小さな鍵を不思議そうに見つめる。入っていた紙には女らしい流麗な文字で『贈呈・至急』と書かれ、その下には『下3.12/2』と書き込まれていた。その数字に暫し思案している俺に、風間はそれは日付でしょうかと悪戯には見えない贈り物に眉を潜めている。日付と言えば確かに今日は十二月六日だから、相手が書いた日にちだと言えなくもない。言えなくもないが、差出人の名前も書かずにここまでするのに、態々書くのが日付とは奇妙すぎて全くもって腑に落ちない。それよりは、この鍵の使い処か使い方と言われた方が納得できる。自分でなくても、これを見たら同じように感じるだろうか。俺宛にする理由は何かあるだろうか。

下……3……?

何処か記憶に引っ掛かる数字の羅列だ。しかも恐らくだが相手はこれで俺が何を言っているか理解できると踏んでいるのだから、記憶の中に引っ掛かりがあって当然なのだとは思う。それとも俺が分からなければ、それまでの事と考えもしているだろうか。俺が分かる筈の数字。そう頭の中でもう一度考えて、書かれたものを繰り返してみる。

下…最近聞いた気がする、何か……話した気が……

ハッと何かが繋がって閃く気がして、咄嗟に風間の顔を思わず真正面から見据えてしまう。俺の視線にたじろいだ風間を他所に、俺は閃いた考えに箱の底の鍵を見下ろす。態々鍵を渡すと言うことはだ、この鍵に指紋とかがついている可能性はあるだろうか?そんな下手なドジは踏まなそうだが、テープを剥がしたり鍵をとったりした後でマトモな指紋が採れる可能性はどのくらいあるだろう。だが、至急と言うことは相手には理由があって、こう書いたのだとしたら?指紋を取りに回している間に手遅れになるのだとしたら。

………仕方がない、その時ゃ始末書だ。

徐にテープを引き剥がし箱の底から鍵を握ると、少し出るぞと風間に低く呟く。取り調べは他の奴に任せて花を持たせることにして、俺と風間は足早に恐らくソコだと思われる場所に向かい始めていた。



※※※



下町三丁目十二番地。
つい最近風間と話題にしたのは、偶然だったんだろうか。
周囲と違って少し古びた街並みとアパートには、全く人気が感じなく寂れてすらいる。確かこの間の騒動は二階の端の部谷の住人だった筈で、そこには一部屋だけ人の気配が微かにしていた。後の部屋は人の気配らしいものは感じないが、何処と無く無人ではない気配が漂っている。

安斎千奈美

その名前を名乗った女は身元が調べられないまま、行方を眩ました。年齢や身長・顔立ちからすると三浦が化けていた可能性は少なくないが、何分何処にも顔立ちが分かるようなものが残っていない。その上誰もが盲点な立ち振舞いだった。
就職が一定でない塾業界・講師は大学生のバイトから主婦までと年齢がまちまちで、しかも定期的に出社するような会社でもない。人の出入りは講師である社員だけてなくバイト講師、生徒、生徒の父兄と様々、しかも見ず知らずの人間も新規の生徒もしくはその父兄として出入りする。そこに何も悪さをするわけではなく、ただ窓口嬢のように微笑み座っている女。生徒にはこんにちはと声をかけ、社員や講師にはお疲れ様ですと声をかける。矢根尾と言う男は新しい事務員なのだと思っていたというし、他にも社員が数名来るまでの事務員だと思っていた人間もいた。同時に、誰かの家族だと思っていた講師もいる。何も余計なことを言わず、ただ座っているだけ。塾の経営者すら気がつかずに、一ヶ月近く得体の知れない茶髪の女と過ごしていたのだ。その矢根尾と言う男が夕暮れに悲鳴を上げたのが、目の前のアパートだった。
下町三丁目十二番地。
下3の12、偶然だろと思うだろうが、実はこの書き方でここいらは手紙が届く。何で知ってるかって?そりゃここの近くに俺は長く住んでたんだ、知らないわけがない。何しろこのオンボロアパートが幽霊アパートだと、最初に騒いだ世代が俺や宏太や・今じゃ会社の社長になった藤咲と言う男だったんだ。ま、そんなガキの頃の思い出話はさておき、現状でこのアパートには確か二人しか住人が居なかったと言う話だった。片方が悲鳴をあげた矢根尾と言う男で、もう一人はその時不在だったと言う話。なるべく音を立てないつもりでもギシギシと軋む錆びた階段を上がり、僅かに室内に人の気配のあるドアの前に立つ。

部屋は205。名前も矢根尾。

悲鳴をあげて助けを求めるような男は、こんな方法で俺達に何かコンタクトをとるような人間だろうか。聞いた限りではそんな印象は受けなかったし、全部試してから最後にこの部屋でも良さそうだ。それにあの文字は、見た限り女文字だったと俺は思う。だとすれば残り九室の内、どれかの鍵の可能性が高そうだ。
風間が反対端から試しますか?と目で問いかけてくる。
そうして案外スンナリと試し始めた二つ目のドアの鍵が、音をたてて開いたことに一瞬二人とも黙りこんでしまう。これで中に三浦がいたら、衝撃なんて言葉じゃすまないだろうなと内心考えながら辺りを見渡してからソッとドアノブを回す。
部屋の中は人気はなくヒンヤリと冷えきっていた。綺麗に清掃され整えられたアパートの一室、誰かが直近まで住んでいたと言われてもおかしくない埃一つない室内にソッと足を踏み入れる。家具もないし、食器もないし、荷物もない。ただの空き部屋だったかと考えかけた瞬間、奥の室内の真ん中にポツンと箱がおかれているのに気がついた。ここでもまた箱だ。味気ない色気のない茶色の箱は、デスクに置かれていたのよりはでかい。だが、それにしても大きさは二リットルペットボトルの箱程度、ミカン箱には程遠いサイズだ。ソッと開けてみると中はどう見ても紙ファイルとしか思えないものがギッシリ詰め込まれている。

ここで見て良いもんなんだろうか?至急……ねぇ。

思案しながら一冊抜き出してパラリと捲りながら、目に入った内容に俺は目を細めた。風間が同じように覗き込む前にファイルを戻すと、他に何か残っていないか室内をざっと探せと声をかける。二人で後は何もなさそうだと意見が一致すると、俺はその箱を抱えあげ一緒に来いと低い声で囁いてさっさとその場を後にしていた。
そこから徒歩で僅か五分ほど。雑然としたアパートの一室に風間を伴った俺は、戸惑いながらダンボールの箱を床に下ろす。中に入ったファイルは意図をもって分けられている風で、内一つは火災に関する調査記録だった。最初に何処から火が起こったのか、当日の天候や風向きはどうなのか、建材で燃えやすいのはなんだったか、死者が多かった場所は何処か、そこに死者が多かった理由は何か、そして生存者は何処にいたか。酷く綿密な詳細を記載された調査書には、その事故や事件の顛末についてまで書き上げられていた。ホテル火災の原因は建築の際の手抜き工事とされているが、本当に手抜きがされていたのか。他の同社の建築の細部まで調査されていて、その可能性の低さに言及してある。ところが会社の社長から従業員迄火災に巻き込まれて死亡しているから、その追求を誰も否定できない。他にも船舶事故のファイルも同じような精密な調査記録がされていて、まるで探偵か何かのように時間をかけて調べあげていたのが分かる。

こりゃ……何なんだ………誰が。

そんなのは既に分かりきっているが、思わず呻きたくなる。
竜胆貴理子。宏太が話したことなんか、氷山の一角みたいなもんで件の女はもっと遥かに手広く緻密に色々な事を調べていたのだ。しかも、どれもこれも根本の原因は不明、誰かが罪を擦り付けられていると言う結論に達する。あの女は何を知りたくてこんな綿密な調査を重ねていたのだろうか。どのファイルも時系列が分かるようにファイルの頭には年数が書き込まれているが、何年をかけてこれを調べていたのかすら判別できない。少なくとも一年やそこらでは、ここまでの調査記録にはならないだろう。警察ですら踏み込まない疑問を一つ一つ調査して潰しているのには脱帽すらしてしまうが、どうやってここまでの情報を得たのだろうか。恐らく直接自分の足で見て調べ歩いたものなのだろうが、その調査の量は尋常ではないものだったに違いない。
その中にはここ近隣での火事に関するものもあって、データに目を通しながら思わず目を細めてしまったのは仕方がない。西側の山際の住宅地にあった夫婦で経営する喫茶店の強盗放火についての調査記録に目を通していた風間の表情が、僅かに険しくなったのに気がついた。

「どうした?」
「これ……俺の………同級生の家の事です。」

他のファイルの槙山家火災やホテル火災の規模と比べると、十一年前の死亡者二名のその事件は規模としては小さい。それでも調べられた詳細はホテル火災並みに分厚く、丁寧に調査を重ねていたのがわかる。

「……遠坂さん………、進藤の名前が。」

呟くように差し出されたファイルには、ただの火災の調査とは一風変わっていた。直後の事件の急転直下の犯人逮捕に、進藤隆平の影があるとかかれているのだ。もしかしてと考えて槙山家のファイルの後半を捲ると、そこにも進藤の名前がちらついている。槙山家の土地所有の利権に絡んで影から顔を覗かせる進藤は、何故か喫茶店の強盗放火犯では捕まえる手伝いをしていた。

………片方では犯人側にいて、片方では遺族側か。

他にもと考えながら捲ると幾つかの事故に絡んで、進藤隆平の名前が存在しているのに気がつく。もしかして竜胆貴理子が調べていたのは、進藤隆平の事だったのではないかとすら考えてしまう。しかし、なんでこのファイルを俺達に至急で贈呈?何か問題が生じたのではと考えずに入られない状況だ。恐らくあの幽霊アパートに住んでいたのは、竜胆貴理子で何か問題が起こったから至急このファイルを渡すしかなかった。だが、これらの調査と三浦の事件が関わっていると言う訳では……そう考えながら捲り出したファイルの先に、俺は思わず言葉をなくしていた。
杉浦陽太郎が死んで一ヶ月と少し。警察は既に杉浦陽太郎の件は放棄している。ところがこの女は何故かそれについて調べていて、しかも杉浦陽太郎が詐欺の方法を教えられたのが三浦なのだと話していたのを聞き付けていた。そこから杉浦の交遊関係と三浦が起こした事件の被害者との合致迄詳細に調べあげている。randomfaceに関しても調べたようだが、宏太の名前だけなのを見ればそこまでは時間がなかったのか。だがそれとは打って変わって、近郊で偽ブランドを取り扱った販売業者に荷物が運び込まれた期日迄調べている。一応大手の運送会社では何かの時のために、数ヵ月単位で受け取り表を残したりはするが、それを調べるのにどんな手を使うのか。女一人でどれだけの事をしたかは分からないが、眠る時間すらないのではないかという情報収集だ。

化け物みたいな女だな……。

そこには当然進藤の名前がチラついていて、進藤の関連の店に納入されたであろう荷物が販売に流通させていないと指摘が書き込まれている。流通してない?商品を仕入れて流してない筈がない、あのビルには倉庫はあったがそれらしい在庫は何処にもなかった。直接あのビルに届けてないのかとも考えられるが、竜胆のメモにはそれらしい荷物の搬入が杉浦が詐欺を起こす以前にあったと残してある。大型ダンボール数個分の納品。なのに商品を販売してないのは、その商品をそのまま横流した?利益はどうした?薬の売人をさせるのにも、売り上げをガッチリ確認するような男だぞ?

進藤が第三者か?

だとすれば商品の横流しは理解できるが、何故三浦を巻き込んだ?三浦を巻き込む必要性は何なんだ?流石に竜胆も三浦の現状までは把握出来なかったようで、調査は途中で途切れていて同じ疑問がメモされている。

何故三浦の名前を使ったのか?何故三浦を巻き込まないとならないのか?

それは大きな疑問となって竜胆貴理子の文字で残されていた。三浦和希の身辺をもう一度調べないとならないかもしれないと考えながら、目の前の青ざめたように見える風間に視線を向ける。風間が目を通しているのは同級生の事件だと話していたものの調査記録で、そこには協力者のように暗躍している進藤の姿がチラホラしているようだ。結局進藤が遺族側に姿を見せた事件はそれ一つで、それにも違和感を感じなくもない。



※※※



結局調査記録には目を通したものの幾つも更に謎が増えたばかりで結論は竜胆貴理子に意図を問いただすしかないとなった後、近郊の高校で大きな事件が起こったのだった。高校の校舎に爆発物を持った人間が、突然乱入してきたというのだ。
所轄以外にも緊急で要請をかけて、規制線を張り近隣住人を避難させる程の大事件。ある意味で周囲の混乱は、あの十月の都市停電以上の異様な空気になっていた。日暮れは早いとは言えまだ子供が校舎に大勢いる時間帯の事件に、耳の早いマスコミは頭上を飛び回るし子供を連れ帰ろうとする親の悲鳴であの時以上の阿鼻叫喚の地獄絵図だ。抑え込まないと規制線を潜り抜け駆け出そうとする親が、止めても止めても現れるのに風間が声を張り上げている。そんな矢先ズンッと鈍い地響きが響いて、一瞬音が途絶えたような奇妙な静けさが走った。次の瞬間何かが爆発した爆風と一緒に、校舎の一部から土埃が巻き上がったのが見える。

本気で爆弾持ってんのか……。

時々こういう騒ぎになるのを面白がって、公共機関の建物に爆弾仕掛けたなんていう奴も居ないわけではない。探し回って何もなかったというオチも、世の中には掃いて捨てるほどある。だが、目の前には目下一番あってほしくない本当の爆弾を持った人間が歩き回って、母校の校舎がミシミシと音をたてていた。風間にとっても同じくここは母校なのだから、その光景には呆気にとられるのは分からなくない。規制線を拡げて爆発しても被害のない距離を保てと命令が飛んでこなければ、呆けているうちに何人か取りこぼすところだ。ジリジリと規制線を下げて校舎すら見えない位置まで、親達を追い立てると別な位置から子供達が校舎からでていると情報が周り親達は一斉に移動を始める。怪我するような事にならなきゃいいがと考えたが、目の前で校舎が爆発したのには流石にそれぞれが危険を感じたらしい。

「しかし、なんだってまた高校なんぞに爆弾だよ……。」

思わずそう呟く俺に風間も同意を示しながら、報道ヘリコプターが姿を消した頭上を見上げる。犯人を刺激しないように規制がかかったのは分かるが、機動隊なんかの動きが全くないのには正直僅かな違和感を感じていた。子供が中にいるなら尚更早く活動するべきじゃないだろうかと考えながら、辺りの少なくなった人混みを見渡す。
その後体育館の一つが爆発して、日付を跨いで事件は終息する。そうして暫くして容疑者として名前を公表されたのは、なんと竜胆貴理子という女だったのだ。
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