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57.久保田惣一
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その看護師にまで辿り着いたのは偶然ではなく、勿論意図して探し出した結果だ。何人かいる既知の看護師に話を聞いたら、その時分でここ近辺で仕事をしていたなら恐らくここの病院とここの病院に勤めていたのではないだろうかと教えてくれたところから糸が繋がり始めた。既知の看護師に詳しく話を聞く。
「どうしてそう思うんです?」
「ああ、看護師ってね。」
聞けば大概の看護師は一番最初は看護学校の関わりのある総合病院であったり、総合病院に勤務することが多いそうなのだ。と言うのも看護師としての経験を多くの科で積まないと、その後の看護師としてのキャリアも変わるからだと言う。こればかりはその職業にいないと知らない事実というやつだ。
「つまりは先ずはオールマイティーに働けるように、大きなところに勤めるって事ですか?」
「そう言うこと。少なくとも内科と外科と整形外科は経験しとかないとね。」
大きな病院なら何処の科でも同じではないのかと問うと、内科と外科は塩と砂糖程違うという。それでは整形外科も上がったのは何故と聞けば、塩と砂糖と胡椒程に違うそうだ。相手は患者という人間でも、処置も違えば検査も違う。薬も内科と外科では全く違うし、整形外科ではギプスを巻けないとならないが他の科ではギプスは存在しないのだというから驚きだ。つまり看護師免許があればどこでも働けるが、経験ありきの面があるわけだ。しかもオールマイティーに対応出来るとは言っても、何年も働けば他の科では働けなくなるらしい。
「だってね特に特殊な科は、余計に難しくなるのよ。」
「例えば何科ですか?」
「眼科、耳鼻科、皮膚科なんかはいい例よね。」
処置が特殊すぎて話をしている彼女ですら、既に三十年も看護師をしていても対応できないのだという。そうなると逆もまた然別。
「後は小児科とか産婦人科もある意味では特殊ね。」
「そうなんですか?」
兎も角そこから小規模な病院だったりクリニックに転職したりはままあることだが、昔の看護師だったら規模の大きい病院に勤めるのが当然だったからと教えられた。だからその頃その条件に当てはまる病院を、ここ近郊で探すとだいぶ勤務先は限定されるらしい。
その一つが倉橋総合病院。
つまり今の都立総合病院だ。しかもその看護師は看護師同士の横の繋がりが強いことを教えてくれて、看護師には看護協会や看護連盟なんてものが全国だけでなく地域毎にあることまで教えてくれた。
「産婦人科に勤めてたんなら、助産師持ってたんじゃないの?助産師なんかもっと繋がりが強いわよ。」
それはかなり盲点だったが、結論としては進藤佳那子は正看護師の免許だけで助産師は持っていなかった。だが、話を聞いた看護師の友人達の中に、進藤佳那子と一緒に働き友人関係だった人物が見つかったのだ。
「進藤さんの話なんて、随分懐かしい。」
私より一回り以上年上の看護師は、今では老人介護施設で働いているという。総合病院や中規模病院では夜勤もあって体力が続かないからと笑っているが、進藤佳那子のことは死んで三十年も経つのに鮮明だった。
「進藤さんは凄く頭のいい人だったのよ。」
彼女は昔を懐かしむように口を開いた。
進藤佳那子は地方から近郊の看護学校に進学して、そのまま倉橋総合病院に勤務したという。最初は内科病棟に勤務したが、院内移動で産婦人科に変わり新生児室に勤めながら助産師ではないながらも不妊治療チームに選抜されたほど勤勉な人物だったらしい。人柄はとても穏やかで真面目、誰からも信頼される看護師として勤務していた。その彼女が突然変わったのは勤務して二年目の二十三歳の時だ。
「突然辞める事になってね、本人と話したら子供が出来てしまったんだって。」
父親の事は口にしなかったが、噂はすぐ広がってきた。当時産婦人科課長で院長の倉橋健吾の子供だと言う噂だ。確かに書籍を借りたり院長のご自宅にお招きを受けたりしていたが、友人としてはそれはただ勤勉で身内が傍に居ない彼女を院長も部下として可愛がっていただけだと彼女は感じていた。ところがその噂を進藤佳那子は否定することもなく、病院を辞めていったため噂は真実だと考えられた。
「でも、その頃院長先生は息子さんの事でそれどころじゃなかったんだけど。だから魔が差したなんてこと言う人もいてね。」
愛妻家で子煩悩と言われていた倉橋健吾。ちょうどその頃次男が交通事故を起こして逮捕され、家庭の中は騒動の最中だったらしい。家の中でゴタゴタがあって落ち着かない状況だから、純粋に勤勉な部下につい手を出した。そう噂されていたらしいが、彼女は進藤佳那子と直に話していて感じたのは別なことだったようだ。自宅に招かれていたのは事実だけれど、子供の父親は倉橋健吾ではないのではないだろうかと。
「どうしてそう思います?」
「診察を受けてたからよ。」
意図が分からず聞き返したら、進藤佳那子は胎児の診察を倉橋医師に受けていたのだと言う。産婦人科医師なのだからと思うが、そんな噂のたった病院に診察に来れる筈がない。しかも、態々特別に時間を開けて診察していたみたいだから、倉橋健吾医師の方も周囲に気を使って診察していたようなのだ。不倫の子供なら当然なのでは?と聞くと、それなら中絶すればすむことだし、他にも産婦人科クリニックもあるのに噂になる場所を避けることもしないのはおかしい。だから彼女の予想では進藤佳那子の子供の父親は、当時十九の長男か十八で事故を起こした次男ではないかと言うのだ。
「長男の方は医学部に入った秀才だったから、私は次男だと思ってたわ。院長先生は人格者だったけど、次男は最悪だったから無理やり……なんじゃないかって。」
倉橋健吾の次男・倉橋俊二が、進藤佳那子の産んだ子供の父親。倉橋俊二が十八で起こした交通事故は、どうやら轢き逃げだったらしくとったばかりの免許でスポーツカーを乗り回しての事だったらしい。倉橋健吾は子煩悩だったと言うが、長男と長女はまともに成長したが次男はそれを傘に随分我が儘に育ってしまったと言うところか。
そうして子供を産んだ後進藤佳那子と出会った時、彼女は落ち込んだ進藤佳那子から父親から認知はされなかったのと呟いたのだと言う。
どう言うこと?
血液型が合わないから、自分の子供じゃないって。
進藤佳那子はAB型で、産まれた子供もAB型だったのだと言う。様々書籍を調べたが稀にそう言うことがあると倉橋先生は話したけど、父親の方は駄目だったわと進藤佳那子は悲しそうに笑ったといったのだ。つまり倉橋健吾と子供の父親は別人なのだと、彼女にもわかったと言う。それから彼女はシングルマザーとして子供を育てながら中規模病院で働いていたのだと言うが、ある時彼女にこう話したのだという。
知らなかったわ、私、シスだったの。
シスAB?
そうなの、倉橋先生が調べてくれたのよ。シスだったら父親がOでも隆平がABはあり得るんですって。
ああ、父親と認知の問題でまだもめているのかと内心思ったのだという。だから信頼している倉橋院長が、可能性のあるものを調べてやる手はずを整えているのかとも。もしかしたら、院長は息子が悪さをして出来た子供の罪滅ぼしをしているのかもと、勝手に考えもしたと言う。子煩悩で不妊治療に心血を注ぐような人物が、自分の孫かもしれない子供を放置するとは彼女には思えなかったというのだ。
「何しろ今でもあのどら息子のために嫁まで娶らせるなんて…ある意味狂気の沙汰よね。」
「子煩悩と言うにはやりすぎですかね。」
「私もそう思うわ、倉橋先生も年を取って可笑しくなってるのかもね。しかも、多賀さんもよく承諾したわよ。」
※※※
「多賀?」
私の言葉に反応した宏太に、私は倉橋亜希子の旧姓・多賀がここで不意に明らかになったのを説明する。倉橋で調べてもどうしようもなかったが、その看護師はなんと倉橋亜希子と以前働いた事があったのだ。
多賀亜希子
そして、多賀亜希子と言う人物は、実は私も宏太にも全く知らない人物ではなかった。彼女は随分昔ここら辺近郊で看護師として働いていた事があったのだが、当時は多賀亜希子ではなかったのだ。
「彼女バツイチでね、旧姓は矢根尾亜希子だったよ、宏太。」
「はぁ?矢根尾って、………リエなのか?倉橋亜希子が。」
リエと言う名の女性が私や宏太と交流を持っていたのは、既に二十年近く前の事になる。ネットが常識的に流行り様々な相手と交流することが簡単になり始めた頃でもあって、出会い系なんて言葉が広がり始めたばかりの頃。矢根尾俊一という男と付き合うようになったリエというハンドルネームの女性が辿ったのは、厳しい人生だったのを宏太も私も知っている。
その矢根尾俊一という男は、強い加虐嗜好とコンプレックスの塊のような男だった。自分より弱い者を虐げることでしか自分の満足感を得られない男で、子供を相手にする塾の講師でありながら子供に性的な悪戯をしたり暴力を振るうような人間だったのだ。その男に何も知らずに全身全霊で尽くしたのが、田舎から出てきた純粋な彼女だった。多賀亜希子は遠距離恋愛の最中矢根尾に上京を促され、まずは独り暮らしをしていたのだが、そこで直ぐ妊娠したが矢根尾に進められて堕胎している。その後同棲したのたが職場をセクハラで辞めたり、矢根尾の身の回りの女の影にも耐えながら生きていた。結婚してからも矢根尾のメイドのように身の回りの世話をし続け、しかも奴隷扱いをされながら耐え続けた彼女は、遂にヒモになった矢根尾との生活に限界を感じて逃げ出したのだ。何故私や宏太がこれを知っているのかと言えば、殆どの暴力を躾として矢根尾がネット上で自慢気に吹聴したのと彼女の元同僚に知人がいたからだ。
可哀想に必死で尽くしてたのよ、あの子。
そう数年前に亡くなった多賀亜希子の同僚だった知人は話していた。男がろくでなしで彼女に暴力をふるっても、身の回りの全ての事と矢根尾が遊び歩く金銭を工面して寝る間もなく苦しい思いをしていた多賀亜希子。しかし、彼女は生まれ故郷に帰った筈で、何故二年も前にこの街に態々戻ってきたのだろう。彼女が逃げ出したのは十年ほど前の事だが、相手は悪いことをしたなんて露ほども思っていないのだからここいらにいる可能性は無いわけではない。実際矢根尾俊一はチンピラ紛いの奴等とつるみ、未だに塾の講師をしながらこの街で暮らし続けている。
「それが、何で倉橋なんかに嫁いでんだ?」
「彼女、よくよく調べると駅前を歩き回ってた節があるんだよね。」
何が目的かはハッキリしないが、駅前を歩き回っている理由。
「それに矢根尾の勤めてた一つ前の塾。火事で人が二人死んでるんだよね。駅前の塾でさ。」
「矢根尾は生きてるだろ?」
「まぁね、自宅で悲鳴あげたりと問題は起こしてるけどね。」
十二月の頭頃に幽霊アパートで悲鳴をあげ警察沙汰になったらしいのは、大家の伊東夫妻から困惑顔で話されたので私も知っていた。ところがここに来て倉橋亜希子が矢根尾亜希子で多賀亜希子だと知って、矢根尾の最近の状況を調べてみて初めて塾の火事に気がついた。駅前の人気大手塾の火災は、アルバイトの大学講師二名が死亡・正社員の塾講師一名が現在も重症で入院しているし、他にも何名も怪我をしている。というのも既に学生は帰った後で、表のシャッターを閉めて残業していた際に裏口の喫煙所から火災が起きたのだ。逃げ場を失った講師達は上階に逃げるしかなく、二階や三階の窓から飛び降りたのだという。しかも路地に面したビルには窓が余りなく、真っ先に飛び降りた講師の上に更に他の講師が飛び降りてしまったのだという。それで下敷きになった正社員が首の骨を折ったというから、こうなると運が悪かったとしかいいようがない。その火災の当日矢根尾俊一は、一足先に帰宅していて難を逃れた。この件がどう関係しているかはわからないが、倉橋亜希子が多賀亜希子だという話がなければ私も気がつかなかっただろう。
「倉橋亜希子の本命は矢根尾の可能性があるってことか?惣一。」
「可能性はなくはないってところかな。進藤君の小飼の会社がその塾の雑居ビルを買ったのも付け足しておくと尚更かな?宏太。」
私の言葉に宏太が微かに呻くのが分かる。進藤隆平が倉橋俊二の息子だとすれば、倉橋俊二の妻になった倉橋亜希子は確かに親戚という事。そして可能性ではあるが、三浦和希は進藤隆平の子供なのではないか。進藤が何故そんな事を仕組んだのかは分からないが、三浦夫妻の人工受精に携わったのは倉橋健吾という事になる。それも全て進藤隆平の言ったというゲームの一端なのだろうか。そんな最中宏太に電話が入って、電話口の先から息急ききった声が響いていた。
「どうしてそう思うんです?」
「ああ、看護師ってね。」
聞けば大概の看護師は一番最初は看護学校の関わりのある総合病院であったり、総合病院に勤務することが多いそうなのだ。と言うのも看護師としての経験を多くの科で積まないと、その後の看護師としてのキャリアも変わるからだと言う。こればかりはその職業にいないと知らない事実というやつだ。
「つまりは先ずはオールマイティーに働けるように、大きなところに勤めるって事ですか?」
「そう言うこと。少なくとも内科と外科と整形外科は経験しとかないとね。」
大きな病院なら何処の科でも同じではないのかと問うと、内科と外科は塩と砂糖程違うという。それでは整形外科も上がったのは何故と聞けば、塩と砂糖と胡椒程に違うそうだ。相手は患者という人間でも、処置も違えば検査も違う。薬も内科と外科では全く違うし、整形外科ではギプスを巻けないとならないが他の科ではギプスは存在しないのだというから驚きだ。つまり看護師免許があればどこでも働けるが、経験ありきの面があるわけだ。しかもオールマイティーに対応出来るとは言っても、何年も働けば他の科では働けなくなるらしい。
「だってね特に特殊な科は、余計に難しくなるのよ。」
「例えば何科ですか?」
「眼科、耳鼻科、皮膚科なんかはいい例よね。」
処置が特殊すぎて話をしている彼女ですら、既に三十年も看護師をしていても対応できないのだという。そうなると逆もまた然別。
「後は小児科とか産婦人科もある意味では特殊ね。」
「そうなんですか?」
兎も角そこから小規模な病院だったりクリニックに転職したりはままあることだが、昔の看護師だったら規模の大きい病院に勤めるのが当然だったからと教えられた。だからその頃その条件に当てはまる病院を、ここ近郊で探すとだいぶ勤務先は限定されるらしい。
その一つが倉橋総合病院。
つまり今の都立総合病院だ。しかもその看護師は看護師同士の横の繋がりが強いことを教えてくれて、看護師には看護協会や看護連盟なんてものが全国だけでなく地域毎にあることまで教えてくれた。
「産婦人科に勤めてたんなら、助産師持ってたんじゃないの?助産師なんかもっと繋がりが強いわよ。」
それはかなり盲点だったが、結論としては進藤佳那子は正看護師の免許だけで助産師は持っていなかった。だが、話を聞いた看護師の友人達の中に、進藤佳那子と一緒に働き友人関係だった人物が見つかったのだ。
「進藤さんの話なんて、随分懐かしい。」
私より一回り以上年上の看護師は、今では老人介護施設で働いているという。総合病院や中規模病院では夜勤もあって体力が続かないからと笑っているが、進藤佳那子のことは死んで三十年も経つのに鮮明だった。
「進藤さんは凄く頭のいい人だったのよ。」
彼女は昔を懐かしむように口を開いた。
進藤佳那子は地方から近郊の看護学校に進学して、そのまま倉橋総合病院に勤務したという。最初は内科病棟に勤務したが、院内移動で産婦人科に変わり新生児室に勤めながら助産師ではないながらも不妊治療チームに選抜されたほど勤勉な人物だったらしい。人柄はとても穏やかで真面目、誰からも信頼される看護師として勤務していた。その彼女が突然変わったのは勤務して二年目の二十三歳の時だ。
「突然辞める事になってね、本人と話したら子供が出来てしまったんだって。」
父親の事は口にしなかったが、噂はすぐ広がってきた。当時産婦人科課長で院長の倉橋健吾の子供だと言う噂だ。確かに書籍を借りたり院長のご自宅にお招きを受けたりしていたが、友人としてはそれはただ勤勉で身内が傍に居ない彼女を院長も部下として可愛がっていただけだと彼女は感じていた。ところがその噂を進藤佳那子は否定することもなく、病院を辞めていったため噂は真実だと考えられた。
「でも、その頃院長先生は息子さんの事でそれどころじゃなかったんだけど。だから魔が差したなんてこと言う人もいてね。」
愛妻家で子煩悩と言われていた倉橋健吾。ちょうどその頃次男が交通事故を起こして逮捕され、家庭の中は騒動の最中だったらしい。家の中でゴタゴタがあって落ち着かない状況だから、純粋に勤勉な部下につい手を出した。そう噂されていたらしいが、彼女は進藤佳那子と直に話していて感じたのは別なことだったようだ。自宅に招かれていたのは事実だけれど、子供の父親は倉橋健吾ではないのではないだろうかと。
「どうしてそう思います?」
「診察を受けてたからよ。」
意図が分からず聞き返したら、進藤佳那子は胎児の診察を倉橋医師に受けていたのだと言う。産婦人科医師なのだからと思うが、そんな噂のたった病院に診察に来れる筈がない。しかも、態々特別に時間を開けて診察していたみたいだから、倉橋健吾医師の方も周囲に気を使って診察していたようなのだ。不倫の子供なら当然なのでは?と聞くと、それなら中絶すればすむことだし、他にも産婦人科クリニックもあるのに噂になる場所を避けることもしないのはおかしい。だから彼女の予想では進藤佳那子の子供の父親は、当時十九の長男か十八で事故を起こした次男ではないかと言うのだ。
「長男の方は医学部に入った秀才だったから、私は次男だと思ってたわ。院長先生は人格者だったけど、次男は最悪だったから無理やり……なんじゃないかって。」
倉橋健吾の次男・倉橋俊二が、進藤佳那子の産んだ子供の父親。倉橋俊二が十八で起こした交通事故は、どうやら轢き逃げだったらしくとったばかりの免許でスポーツカーを乗り回しての事だったらしい。倉橋健吾は子煩悩だったと言うが、長男と長女はまともに成長したが次男はそれを傘に随分我が儘に育ってしまったと言うところか。
そうして子供を産んだ後進藤佳那子と出会った時、彼女は落ち込んだ進藤佳那子から父親から認知はされなかったのと呟いたのだと言う。
どう言うこと?
血液型が合わないから、自分の子供じゃないって。
進藤佳那子はAB型で、産まれた子供もAB型だったのだと言う。様々書籍を調べたが稀にそう言うことがあると倉橋先生は話したけど、父親の方は駄目だったわと進藤佳那子は悲しそうに笑ったといったのだ。つまり倉橋健吾と子供の父親は別人なのだと、彼女にもわかったと言う。それから彼女はシングルマザーとして子供を育てながら中規模病院で働いていたのだと言うが、ある時彼女にこう話したのだという。
知らなかったわ、私、シスだったの。
シスAB?
そうなの、倉橋先生が調べてくれたのよ。シスだったら父親がOでも隆平がABはあり得るんですって。
ああ、父親と認知の問題でまだもめているのかと内心思ったのだという。だから信頼している倉橋院長が、可能性のあるものを調べてやる手はずを整えているのかとも。もしかしたら、院長は息子が悪さをして出来た子供の罪滅ぼしをしているのかもと、勝手に考えもしたと言う。子煩悩で不妊治療に心血を注ぐような人物が、自分の孫かもしれない子供を放置するとは彼女には思えなかったというのだ。
「何しろ今でもあのどら息子のために嫁まで娶らせるなんて…ある意味狂気の沙汰よね。」
「子煩悩と言うにはやりすぎですかね。」
「私もそう思うわ、倉橋先生も年を取って可笑しくなってるのかもね。しかも、多賀さんもよく承諾したわよ。」
※※※
「多賀?」
私の言葉に反応した宏太に、私は倉橋亜希子の旧姓・多賀がここで不意に明らかになったのを説明する。倉橋で調べてもどうしようもなかったが、その看護師はなんと倉橋亜希子と以前働いた事があったのだ。
多賀亜希子
そして、多賀亜希子と言う人物は、実は私も宏太にも全く知らない人物ではなかった。彼女は随分昔ここら辺近郊で看護師として働いていた事があったのだが、当時は多賀亜希子ではなかったのだ。
「彼女バツイチでね、旧姓は矢根尾亜希子だったよ、宏太。」
「はぁ?矢根尾って、………リエなのか?倉橋亜希子が。」
リエと言う名の女性が私や宏太と交流を持っていたのは、既に二十年近く前の事になる。ネットが常識的に流行り様々な相手と交流することが簡単になり始めた頃でもあって、出会い系なんて言葉が広がり始めたばかりの頃。矢根尾俊一という男と付き合うようになったリエというハンドルネームの女性が辿ったのは、厳しい人生だったのを宏太も私も知っている。
その矢根尾俊一という男は、強い加虐嗜好とコンプレックスの塊のような男だった。自分より弱い者を虐げることでしか自分の満足感を得られない男で、子供を相手にする塾の講師でありながら子供に性的な悪戯をしたり暴力を振るうような人間だったのだ。その男に何も知らずに全身全霊で尽くしたのが、田舎から出てきた純粋な彼女だった。多賀亜希子は遠距離恋愛の最中矢根尾に上京を促され、まずは独り暮らしをしていたのだが、そこで直ぐ妊娠したが矢根尾に進められて堕胎している。その後同棲したのたが職場をセクハラで辞めたり、矢根尾の身の回りの女の影にも耐えながら生きていた。結婚してからも矢根尾のメイドのように身の回りの世話をし続け、しかも奴隷扱いをされながら耐え続けた彼女は、遂にヒモになった矢根尾との生活に限界を感じて逃げ出したのだ。何故私や宏太がこれを知っているのかと言えば、殆どの暴力を躾として矢根尾がネット上で自慢気に吹聴したのと彼女の元同僚に知人がいたからだ。
可哀想に必死で尽くしてたのよ、あの子。
そう数年前に亡くなった多賀亜希子の同僚だった知人は話していた。男がろくでなしで彼女に暴力をふるっても、身の回りの全ての事と矢根尾が遊び歩く金銭を工面して寝る間もなく苦しい思いをしていた多賀亜希子。しかし、彼女は生まれ故郷に帰った筈で、何故二年も前にこの街に態々戻ってきたのだろう。彼女が逃げ出したのは十年ほど前の事だが、相手は悪いことをしたなんて露ほども思っていないのだからここいらにいる可能性は無いわけではない。実際矢根尾俊一はチンピラ紛いの奴等とつるみ、未だに塾の講師をしながらこの街で暮らし続けている。
「それが、何で倉橋なんかに嫁いでんだ?」
「彼女、よくよく調べると駅前を歩き回ってた節があるんだよね。」
何が目的かはハッキリしないが、駅前を歩き回っている理由。
「それに矢根尾の勤めてた一つ前の塾。火事で人が二人死んでるんだよね。駅前の塾でさ。」
「矢根尾は生きてるだろ?」
「まぁね、自宅で悲鳴あげたりと問題は起こしてるけどね。」
十二月の頭頃に幽霊アパートで悲鳴をあげ警察沙汰になったらしいのは、大家の伊東夫妻から困惑顔で話されたので私も知っていた。ところがここに来て倉橋亜希子が矢根尾亜希子で多賀亜希子だと知って、矢根尾の最近の状況を調べてみて初めて塾の火事に気がついた。駅前の人気大手塾の火災は、アルバイトの大学講師二名が死亡・正社員の塾講師一名が現在も重症で入院しているし、他にも何名も怪我をしている。というのも既に学生は帰った後で、表のシャッターを閉めて残業していた際に裏口の喫煙所から火災が起きたのだ。逃げ場を失った講師達は上階に逃げるしかなく、二階や三階の窓から飛び降りたのだという。しかも路地に面したビルには窓が余りなく、真っ先に飛び降りた講師の上に更に他の講師が飛び降りてしまったのだという。それで下敷きになった正社員が首の骨を折ったというから、こうなると運が悪かったとしかいいようがない。その火災の当日矢根尾俊一は、一足先に帰宅していて難を逃れた。この件がどう関係しているかはわからないが、倉橋亜希子が多賀亜希子だという話がなければ私も気がつかなかっただろう。
「倉橋亜希子の本命は矢根尾の可能性があるってことか?惣一。」
「可能性はなくはないってところかな。進藤君の小飼の会社がその塾の雑居ビルを買ったのも付け足しておくと尚更かな?宏太。」
私の言葉に宏太が微かに呻くのが分かる。進藤隆平が倉橋俊二の息子だとすれば、倉橋俊二の妻になった倉橋亜希子は確かに親戚という事。そして可能性ではあるが、三浦和希は進藤隆平の子供なのではないか。進藤が何故そんな事を仕組んだのかは分からないが、三浦夫妻の人工受精に携わったのは倉橋健吾という事になる。それも全て進藤隆平の言ったというゲームの一端なのだろうか。そんな最中宏太に電話が入って、電話口の先から息急ききった声が響いていた。
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