random face

文字の大きさ
上 下
95 / 107

95.外崎宏太

しおりを挟む
喜一から俺に進藤の新しい証言に関連した連絡が来たのは、五月の連休も明けて何日か経とうとしていた辺りのことだった。その辺りの俺は惣一だけでなく、自分が使える限りの情報をフル活用して了が見た高校生を連れた大学生風の黒髪の女の活動範囲を絞っていた矢先。しかもうちの従業員の結城晴が、どうやら男の姿の時の三浦和希と元《random face》の前で鉢合わせたのに気がついた。結城は三浦相手で性的な事はまるでなしで、ただ会話をして俺に電話をかけてきたのだ。
偶々結城がそういう興味がなかったのと、親切とはいえ目の前で他人に電話をかけ始めた。だから三浦はさっさと姿を消したに違いないが、そういう判断はできる程度になっているし、やはり基準としては性行為があるのはブレないようだ。

《random face》がどうなったか知りたがった

つまり過去の記憶も思い出しつつあるという事なんじゃないかと、俺は薄々だが予測していた。何でかって?店は賑やかな花街の路地を入らないと全く見えないから、知らない奴でないとあの角は曲がらない。しかも潰れて二年もしたら、大概のやつは店の場所なんて忘れるもんだ。あそこら辺は毎日のように新しい店は出来るし、店の名前すら殆ど忘れ去られている。道で聞いても《random face》なんて知らない筈だが、あいつはその扉の前にいた晴に問いかけてるんだ。恐らく自分で思い出さなきゃ、あの店の前まで来ないと俺は思う。
二人の見た姿を元に調べを進めている内に、花街周辺で身辺調査を主体に営業してる調査事務所の奴等からも少しだが胡散臭い人物がいると連絡を受けていた。範囲はそれほど広くはなくどちらかと言えば《random face》を中心に半径で三キロ圏内。

『そこら辺くらいかしらねー、トノ。この間の高校生ってうちの子の同級生なのよねぇ。』
「なんだよ、万智んとこの子供もう高三か?」
『何よ?うちの天使ちゃんに粉かけないでよ?』
「ガキにゃ興味ねえ。」

どうやらついこの間の高校生が娘と同級生だったから、事務所所長の八幡万智も重い腰をあげて俺に情報提供する気になったらしい。八幡には三つ下の息子もいるから、余計に高校生が被害者となるとただでは済まされないと思ったようだ。

『それにしても、何で警察はこんなに動きが悪いわけ?お陰で花街中キナ臭いんだけど?キーチなにやってんの?』
「骨折。」
『あらやだ、んじゃ仕方ないわねぇ。一先ず得体の知れないお嬢さんとお兄さんにはセックスなしってことでいいわね?』

そんなことを言いながら電話を切った彼女は、恐らく知人の店舗のホストやホステスに注意喚起するつもりのようだ。これで高三と中三の子供がいる母親なんだが、全く開けっ広げにもほどがあると思ったりもする。とは言え街に常にいる奴等に注意喚起が通れば、三浦の対象は出会い系やナンパ相手になってくる。そうなると人に紛れるのに花街などの繁華街を利用しても、出会うとすれば駅前方面に移動する可能性が高い。
それにしても元店舗から半径三キロだとギリギリ三浦邸もはいるし、都立第三高校も入る上に都立総合病院も十分圏内だ。その中には繁華街が三つ、ホテルやウィークリーマンションも多い上に、住宅地迄が範疇になってしまう。

「……潜るにゃ簡単だよな……。」
「潜る?」

了が俺の言葉に反応して問い返すが、人間の流動性が高いんだから定住しなくても過ごせてしまう。了にしたって実際に一ヶ月近くホテル暮らししてたくらいなのだ。

「ちょっと待て、なんでそれ知ってるんだよ?宏太。」

おっと、失言、調べてあったのは話してなかったんだ。了が怒気を含んだ声で俺に説明しろと詰め寄るのに、俺は聞こえないふりを決め込んでいた。そんな中で喜一から知らされた進藤隆平が三浦和希に繰り返していた訓練、そして渡された九人分の写真の話。流石に進藤自身の写真もその中にあるってのには呆れてしまうが、もしかすると俺と久保田も含まれる可能性があるという。全く進藤も余計なとこに妙に知恵が回って、随分と妙な方法を編み出してくれたもんだ。

「後は誰か分かってんのか?」
『宇野智雪と息子、宮井麻希子、俺。』

はぁ?と思わず言いたくなったのは、宇野の義理の息子と彼女まで入っているのもだが、何で喜一もだと聞いて素直に思ったからだ。喜一は進藤と宇野智雪達は確定だと既に確信を持っていて、ついでに喜一自身も確信があるという。

「何で、お前が確信なんだよ?」
『進藤の邪魔者でも、三浦を暴行した五人でも俺は入る。』

その言葉に俺は思わず舌打ちをしてしまう。つまりは進藤の邪魔をして来た俺と久保田と喜一と風間、または三浦を暴行した石倉と喜一と他三人。どちらにせよ喜一はそれに含まれていて、そのどちらかなのだと確信を持てる会話を進藤としたということだ。俺と惣一がまだ可能性なのは、二択までは絞り込めなかったということなのだろう。もしかしたら進藤と宇野智雪と、喜一、俺、惣一、そして他三人ってこともあるのか?と問うとあり得なくはないとも言う。

「どちらかと言えば?」
『そればっかりはな、ヒントを出す気はないようだ。』

進藤の性格で考えるしかないと言うが、あの根暗の性格を考えると確かにどちらもありうるし、俺が言ったのもありうる。だが結局確定している進藤と宇野智雪と、喜一は変えようがない。

「雪には?」
『悪いが、そっちは一課でな。早々に連絡がいくと思うが。』
「信憑性がねぇなぁ。」

電話の向こうで苦笑いする声が響き、喜一も物憂げにそうかもしれんと呟く。喜一の元相棒が現在進行形で進藤と繋がっているのを見つけたのは実は俺なのだが、それを伝えられて喜一も少なからず傷つきはしたのだ。勿論署内には他にも別な情報屋と繋がっている人間もいるし、少なからず後ろ暗い関係を繋いでいる人間何人かはいる。それでも一課で長く相棒だった人間の変容は、流石の喜一だって直ぐには信じられなかったようだ。最初は本当かと何度も繰り返されたが、金を受け渡す進藤の部下との姿を上手くキャッチしたから喜一も納得するしかなかった。情報をリークして金を貰う人間は何処にでもいるって言っても、進藤と自分の旧知の人間が繋がっているのに自分の情報も進藤に流されたのだろうと理解するしかなかったんだ。

「で?他の三人の身元は?お前知ってんのか?」
『いや、石倉しか知らない。そうだ、お前石倉の手帳持ってるよな?!それに連絡先ないか?!』
「確か後ろに書いてあるらしいが、本人の名前は書いてないぞ?」

手帳に乗っている名前は喜一が遠坂ではなく縣となっていることからわかる通り、本名ではなく殺された被害者の名字だ。俺の言葉に喜一は、構わないから一先ず連絡先を教えろと言い放つ。俺は了を手招いて石倉の手帳を持ってこさせると、最後のページの電話番号を読み上げさせていた。



※※※



その後その電話番号を早速調べたようだが、結局どれも既に解約されていたという。既に半年経過して別な人間の手に渡ってしまった番号も二つあったが、一つはまだ解約から二ヶ月しか経っておらずそれを手にしていたのが被害者の家族だと何とか突き止めたらしい。
被害者の名前は松下祐也。
ある意味じゃ懐かしい名前だが、正直今ここで聞くと尚更後味が悪い。了がまだ大学生の時に《random face》に初めて連れてきて奥の部屋の虜になった男、そして他の仲間を連れ込んだ発端になった男だ。

『恐らく携帯を持ってたのは兄貴だった。』

意気消沈して暗い声の喜一がそれを過去形で呟くのに、殺されたのか?と問いかける。その問いかけに喜一は違うと溜め息混じりにいう。
松下の兄・達也は松下祐也が死んで暫くすると鬱ぎこんで、家に籠りがちになったのだと言う。元々一つしか歳が違わず双子のように仲が良かったと言うから、そうなるのも仕方がないとも思ったらしい。
たまに友人に誘われ何処かに出歩く事はあるが勤めていた仕事も辞めてしまい、両親の言葉にも全く耳を貸さない状況。一度受診を勧めたこともあるが、達也に氷のような冷ややかな目で睨まれ両親は経過を見ることにしたらしい。やがて友人以外とは全く口もきかなくなって、突然達也は二ヶ月前に首を吊ったのだという。両親は弟の無惨な死で、心を病んで縊死したのだと話した。それから知った祐也の携帯が解約されていなかったのも、兄が弟を悼んでやったのだと理解したようだ。
恐らく友人と言うのは石倉拓也のことなのだろうし、出歩いていたというのは三浦のところに行くためだろう。確かに友人とのやり取りは十月中旬で途切れて、丁度その辺りから外に出歩くことが極端に減り始めたらしい。ただ達也の縊死は自宅ではなく、近くの公園の雑木林の中だったという。直前に弟の携帯電話を使った形跡はあるが、相手は誰か分からないまま。それにしても松下祐也が店で殺されてから、その後転落するように変わっていったという達也の様子に俺自身も苦い溜め息を吐き出す。

「………どっちだ?」
『分からん、自殺として処理されてる。』

松下達也が首をつったのは、三月に喜一が怪我をする直前。
三浦和希がもし松下達也を殺すなら使うのはナイフなんじゃないかとは思うが、その辺りには宮直行が殴られ瀕死、若い男の方は切傷で死亡している。喜一も殴られて骨を折られている訳だが、三浦が写真を持っていた筈の喜一にはナイフは使われていない。ただその後の高校生には、三浦はナイフをまた使ってもいるのだ。ナイフでないから三浦ではないと考えたいところだが、直前の電話は誰にしたのかが分からないからハッキリとは答えにならない。

「電話で三浦と話した可能性は無くはないか……。」
『悪いな、せっかく聞いてて。』

残りの二人は不動が年齢層が合いそうな親族を割り出している真っ最中だが、何しろあの陰惨な事件の被害者ということで近親者が転居を繰り返していて親族も捕まえられないらしい。確かに未だに時折世紀の殺人鬼、なんてテレビ特集があれば槍玉にあげられるんだから、一処で過ごせないのは分からないでもないのだ。

生きてる方は何とか秘匿してくれても、死人までは秘匿してくれないからな

苦い思いでそんなことを考えながら、俺は一つ溜め息をつく。久々に涙の苦い味が沸きだして来たのは、結局三浦が変わる根元に俺が関わったと自覚しているからでもある。了が松下を連れてきたのは偶然だったし、奥の部屋に入ったのも偶然の流れだった。その後に店を利用する頻度が増えて奥の部屋を予約して仲間をつれてきても、そこは俺としては商売だから拒否するわけがない。だが三浦のことに関しては、俺には拒否権があった。真名かおるに誘われた時にしらを切り通して、誘いに乗らなければ今の現状はない。

とは言え、そうなると了も手に入らない。

それは俺にとっては否定しがたい答えだ。了を手に入れられないまま今も《random face》を経営している自分は、想像したくもないのだから嫌になる。気を取り直して俺は、喜一に気にかかっていることを問いかけた。進藤が目をかけた自分と似た存在になりえる男、同時に俺にしてみても何処か思考過程が俺に似ていると思う男。

「雪には連絡したみたいか?」
『悪い、たぶんまだだ。』
「………俺が忠告するぞ?」

そう考えると結果として俺と進藤隆平は、結局似た者同士なのだろう。ただ立場と傍にいる人間が違うだけ、全て憎悪して悪意で抹殺した男と目下命より大事な相手が傍にいる俺。苦い味が一度に口の中に広がるのを感じながら、俺がそう言うと喜一は悪いなと弱った声で呟いた。
それから俺は宇野智雪に連絡を取ったら、今新幹線の中でこれから帰るところだという。どうやら仕事で出張していたらしく駅前に夕方着きますからと言うから、時間をあわせて待ち合わせることに決めて俺は一つ溜め息をつく。

一つだけ幸いなのは、了の存在は進藤に知られてなかったことくらいか。

了が一緒に暮らし初めてから一ヶ月の内に、こっちはさっさと転居して、進藤は捕まった。恐らく俺が転居したこともまだ向こうには流れていない筈なのは、マンション自体を引き払っている訳じゃないし、家は何せ元は松理の所有物だ。そんなことを考えてしまうようになった自分に、苦笑いが浮かんでしまう。

「了。」
「何?どうかしたのか?」

リビングから俺が声をかけると、キッチンにいたらしい了が迷わずに駆け寄ってくる。そして何もまだ言ってないのに、心配そうに頬に触れて顔色が悪いと言う。

「何かあったか?具合悪そうだぞ?」
「いや、何ともない。少し『茶樹』まで行ってくる。」
「一緒に行こうか?」

何も話してないのに了には俺に何か起きてると既に察知した風で、心配そうに気遣ってくる。こういうのに俺は弱いな、グッと胸にきて何だか無性に抱き締めてベットに引きずり込みたくなってしまう。それは一先ず帰ってからのお楽しみにすることにして一人で行ってくると告げると、了は納得してない気配だ。

「何か怪我するようなことしない……よな?」

この間の進藤との直接対決の後、了には脛は蹴られるわ後から泣かれるわで散々だった。正直了に泣かれるのが一番今の俺には堪えるんだ。

「危ないことはしない、約束したろ?ん?」
「分かった…、気をつけてな?待ってるから。」

全く、こんな可愛いことを当然みたいに言うから参る。
とは言え目下の問題は雪にまだ誰も忠告すらしていないことで、三浦の行動範囲は雪の生活圏と完全に重なり始めているのだ。俺は少し急ぎ足で、駅前に向かって杖をつく。
時刻はそろそろ夕暮れで、木曜の街には普段と変わりない情景が広がっているに違いない。わざと駅前を回り込むようにして、なるべく早く雪に会うようにしてみたがタイミングが合わずに『茶樹』のある通りに来てしまっていた。時計が見えてるわけではないから恐らく少し早すぎたかもしれない、そう考えた瞬間背後に唐突に気配が近寄って俺は弾かれるように振り返った。

「脅かすなよ、信哉。」

足音もなく唐突に現れる人間なんて一人しか思い浮かばない。俺の声に鳥飼信哉は声かけようとしてたんですよと笑いながら言うが偶然宇野智雪と出会ってこっちに来ていたらしい。だが、信哉の姿に不意に頭に浮かんだのは澪の姿だった。

「雪、信哉、丁度いい。」

俺の固い声に二人は顔を見合わせ眉を潜めているが、俺はその場で経緯をまとめて二人に話した。何で信哉にもって?進藤隆平は俺と同じ歳で、しかも恐らく筋肉が付きにくい体質だったと思う。だから遠心力で威力を増せるカポエラなんだよ、空手やムエタイみたいな筋力も必要な蹴り方だったら恐らくもっと簡単に対応できた。重さをかけて振り下ろすようなのに筋力がついてなきゃ大したことはないし、流すのも簡単だからな。体を回して遠心力で重さを足したり、トリッキーな動きで蹴りの飛んでくる方向が掴みにくいカポエラの方が性にあったんだろう。それを全部吸収した三浦和希は薬でドーピング状態の上に、隔離からは既に七ヶ月以上で宮をのしてしまう腕力。何せまだ二十代だから、筋力も瞬発力も持久力も俺とは比較できない。

「信哉、お前古武術は幾つ納めてんだ?」
「……十種。」
「何だと?!全部か?!お前何なんだ?」

だから言いたくなかったのにといいたげだが、母親の鳥飼澪が納めていた古武術は確か七種だった筈、鳥飼家で習得できる古武術は本来十種だが他のものを学ぶ前に先代の信哉の祖父達が逝去したので澪は学べなかったと話していた。しかし、まあ十種をまだ三十前の息子が身に付けたとなったら、正直澪が生きてたら人間兵器が三浦を含めて街に三人もいるようなものだ。いや、これは兎も角信哉がこっちについてるのは何よりだ、雪の身の回りの人間を何とか保護するのに人手が欲しい。

「で?進藤がどうしたんですか?」
「進藤のやつ、捕まる前に三浦に何かさせる気だったらしい。」

進藤が未だに雪を狙い続けているのに、雪は唖然としている。山田高雄の件も信哉にも分かるように、ざっと説明するの間も雪はまだ衝撃から回復できないでいる有り様だ。そりゃそうだろう、進藤が捕まって一ヶ月もして安心しつつあっただろうから。

「正気とは思えないな。」

信哉が呆れたように口にするのも当然だ。

「あれは、そういう奴なんだろうよ。」

自分の両親だけでなく、祖父母も、伯父夫婦も、従弟も。それ以外の親戚ですら全て地獄に落として、生き残ったのは既に自分の我が子と義理の母にあたる女だけ。その男が最後に我が子である三浦にまだ何かをさせようとしている。その悪意の執念には正直うんざりだ。

「三浦はまだみつからないんですか?外崎さん。」
「困ったことにな、警察内部のゴタゴタで進まないってよ。」

そう言った瞬間、俺は思わず口をつぐむ。一瞬何かを聞き取った気がしたのだが、自分の話す声が聞き取るのを邪魔したのだ。キンとはりつめたような感覚はまるで合気道を鍛練していた時のようで、空気が凍ったように感じる。
誰かの息を飲む呼吸。後退りするような足音。それに震えるような幼い呼吸と、平坦な感情の伺えない呼気と聞き覚えのある足音。

「三浦和希!!」

思わずその足音に向かって怒鳴り付けると、一瞬向こうがこちらを振り返ったのを感じた。真っ直ぐに突き刺さる視線に、瞬間的に血の気が潮のようにひいて目眩が襲いかかる。

「まーちゃん!!!」

悲鳴のように名前を呼ぶ雪の声が遠くに聞こえて、自分が失神しかけていたのに気がつく。しかも咄嗟に目の前にいた信哉が俺を支え、雪の方が駆け出してしまっている。

「信哉!俺はいい!雪を!」

俺が手を払いのけたのに、信哉は弾かれたように一瞬で身を翻していた。そこから先のことは道にへたりこんでいた俺にはどうせ見えなかったことだが、後から信哉に聞いた話だ。
俺の声に反応した三浦は、再び目の前にいた宮井麻希子と雪の息子に向き直っていた。いち早く駆け込んだ雪がその間に割り込み二人を庇って抱きかかえた瞬間に三浦のナイフが脇腹に突き刺さっていたという。雪が割ってはいった動きのまま咄嗟に後ろ回しで蹴りを放つが、ナイフごと三浦は背後に飛びすさって蹴りの範囲から容易く逃れてしまっていた。背後に二人を庇いながら雪が三浦を睨み付けると、三浦は雪の顔をマジマジと見てから確認するように呟く。

「あんたの写真もあった……。」
「進藤がやらせてるのか?これを。」

呻くような声で言う雪に、ナイフを手で軽く拭うようにして三浦は首を傾げながら笑う。進藤がやらせているのかと言う問いに三浦は分からないけど等といいナイフで横凪ぎにする。ナイフの切っ先で左の前腕の服が裂けて血が地面に飛沫になって飛び散った。それに周囲の人混みが雪の血に気がついて甲高い悲鳴をあげるのと、信哉が飛び出したのが殆ど同時だったと言う。
空を切り弧を描いた信哉の鋭い蹴りを三浦和希が反転して腕を組むようにして受け止め、そのまま数メートル背後に反動で後退った三浦和希が空かさずナイフを信哉に向かって突き出す。互いの攻撃の空を切るような鋭い音は、人間が簡単に出せるような音ではない。人間の体の限界というリミッターを外したような三浦の動きには、流石に僅かに信哉の顔色が変わるのがわかった。

人間離れしすぎてる……。

信哉は当然だとは思っていたが、三浦の方もそれに戸惑いもなく応戦している。俺が相手になったら瞬殺だったと改めて思うが、それでもこの人混みは信哉にとっては不利だった。何しろナイフをもっている方は周囲の被害なんか全く関係ないのだから、尚更始末が悪い。

「邪魔すんな、よ!お前!」

そう考えると同時に何でか脳裏には鳥飼澪の姿が舞う。俺の知っている澪の動きは、まさに舞うと言う表現が適切だったんだ。
三浦が叫びながらギラリと鈍く光るナイフで弧閃を描くと、それをギリギリのところですり抜けて信哉の腕が三浦の腕をとって流れに巻き込むように動く。動きは一見すると合気道でもあるが、それは古武術の組討術という相手を捕縛する目的で使う技。通常ならそのまま地面に叩きつけられる筈の動きなのに、三浦はまるで軟体動物みたいに腕を力ずくで信哉の手から引き抜くと、距離をとってまたナイフを繰り出した。それを見てとった信哉はチッと小さな舌打ちをして、一気に深く踏み込んだかと思うと鋭く低く体勢を落として前に出る。そして次の瞬間、打突と呼ばれる動きで三浦の鳩尾を狙って信哉が拳を繰り出した。

信哉の奴、古武術だけじゃなく空手もやってやがるな。

長身で三浦より遥かに筋肉がある信哉の三浦の動きが読めているところを見ると、恐らく空手だけでなくカポエラも知っている。三浦和希も確かにかなりの化け物だが、実は目の前の男の方が遥かに上をいく完璧な人間兵器だったわけだ。
打突の直撃をさけるように三浦はナイフをかざしたが、バキンッと鋭い音をたててナイフが折れて砕けていた。しかも打突の一撃がそのまま三メートル程三浦の体を後ろに弾き、三浦は驚いたように折れたナイフを見下ろす。サバイバルナイフのような立派な代物が、まさか人間の拳で叩き折られるとは思わなかったのだろう。しかも次の瞬間には相手が更に自分との距離を詰めて、次の攻撃を怯むことなく繰り出してくる。

「くそっ!」

初めて苛立ちに満ちた声を溢した三浦が、一際後ろに跳びすさって信哉から大きく距離をとる。ところがそれを見逃さずに瞬時に距離を縮められた三浦は息を飲んで目の前に迫る男を見た。迷いのない一撃で容赦なく叩きのめされた三浦の体が対面の店舗の壁に撥ね飛ばされたのに、俺は安堵の吐息が溢れ落ちるのを感じていた。
しおりを挟む

処理中です...