魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第十三章 異界にて神々を讃えよ

ぐちゃぐちゃ

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暗い赤紫の空、極黒の雲。曇の日の昼間程度の明るさは丁度良く、この場所で唯一気に入ったところだ。

気がつくと知らない場所にいる、近頃そんなことが多い。僕はロキの家にいたはずだ。
ゆっくりと記憶を反芻すると身体中に鈍い痛みが甦った。
家が崩れて、僕は防護結界に守られて、でもそれが消えて。最後に見えたのは石片だった。
レンガか何かだろう、それは僕の上に落ちて……そこからの記憶がない。

『ねぇねぇ、お兄ちゃん暇?』

ぼうっとしていると僕の腰ほどの背の高さの女の子に話しかけられた。
お人形さんのような──とはこの子にぴったりの言葉だろう。
科学の国で着せられかけた服に似ている、フリルとレースをふんだんにあしらった可愛らしい服だ。着たくはないが。

「暇……かな、よく分かんない」

『暇ならヘルと遊んで』

くい、と裾を引かれる。薔薇模様の黒いレースの手袋が女の子の肌の白さを際立たせる。

「ヘル……って」

『ヘルはヘルだよ?』

「あ、君の名前なの?  僕もヘルっていうんだよ、あだ名だけどさ」

こんな土地で奇しくも同じ名の女の子と出会い、僕は少し気を許す。上から見ていたのでは女の子の頭に乗った小さな帽子しか見えない、髑髏の飾りのついたそれは可愛らしい女の子には不釣り合いに思えた。

「……ここがどこかはよく分からないし、少しくらいなら遊んであげられるかも」

目線を合わせるためにしゃがみこむ、それは間違いだった。
女の子の顔……薔薇の眼帯に隠れた半分。僅かな隙間からは腐りただれた肉とおぞましい色の骨が見えた。
よくよく見れば女の子の腕や足も、片方だけ骨が覗いていた。体も、なのか。女の子の半身は腐り、爛れ、生きている人間の見た目ではなかった。
僕はあまりの恐怖に叫んで、女の子の手を払った。

『……お兄ちゃん?』

「よ、寄るな……来るな、化物!」

再び伸ばされた腕、溶けた肉から骨がはみ出て服の裾からは大量の蛆が落ちた。それも払うとびちゃりと嫌な音を立てて腐った肉片が飛ぶ。
女の子の目にはじんわりと涙が浮かんでいた。

「あ、ぁ……ごめん、その、びっくりして、泣かせるつもりじゃなくて……」

『……化物って、言った』

「ごめん……君みたいな子、初めて見たから」

驚いただけだと弁明する、その間も僕は女の子の半身から目を逸らし続けていた。
元々の魔物か、それとも呪術の類で死んだ肉体を動かしているのか。どちらかは分からないが、僕はこの女の子よりも恐ろしい魔物にだって出会ってきた。
凶暴な魔物と比べれば大人しいこの子を恐れる必要など何もない。そう自分に言い聞かせる。

『ヘルが、半分崩れてるから?』

「あ……それは、その、そうだよ、ごめんね」

下手な嘘をつくよりは真実を話した方がいいだろう。せめて化物と言わずに手を払っただけならば、他に言い訳も考えられたのだが。

『そっか……でも、お兄ちゃんも同じだよ?』

「……え? 同じって、どういう意味?」

『お兄ちゃんも、お顔半分壊れてる』

「へ……?  そんなわけないじゃないか、僕は人間で……そんなことになってたら、こんなふうに話せるわけ、ないよ」

女の子が冗談を言っているようには思えない。
そっと右目のあるはずの位置に手を……無い。目が、顔が、頭が、無い。
いや、それだけじゃない。右腕の肘からしたの肉が削れている、左腕が変な方向に曲がって、骨が突き出ている。
足も穴が空いていたり、皮が剥がれていたりして、腹は破れて平べったく、潰された内臓がどろりと零れていた。

『お兄ちゃん、酷い怪我だね』

「……ま、幻かなにかだ、きっとそうだよ、こんな怪我して動いてるなんて、痛くもないなんて、おかしいよ」

凄惨な死体となってしまっている自分の身体、僕はその見た目に吐き気を覚えつつ、これは現実ではないと声に出して自分に言い聞かせた。

『おかしくないよ?  ここはヘルヘイムだもん』

「……なにそれ」

『死者の国、だからここでは痛くないの。死んでも痛いなんてお兄ちゃんも嫌でしょ?  怪我をしていても腐っていても、ここなら痛くも苦しくもないの。素敵でしょ?』

無邪気な笑顔で女の子は僕に手鏡を向けた。映るのは小さな鏡にかろうじて映った僕の頭、右上が抉れた歪な頭。

『大丈夫だよ、走ったりもちゃんと出来るから。どうしてかは分からないけど、なくなった所もあった時と同じように動くんだって。ヘルは最初からこうだったから、よく分かんない』

ああ、そうだ。左目を閉じても右目の分は見える、無いはずの目に映る景色に不備はない。
腕も足も滞りなく動く、骨が折れていても前と同じように曲がる。見た目を除けば何も変わっていない。

「……僕は、死んだの?  あ、アル……アルは!?  アルはどうしたの!?」

『ある?  だぁれ?  それ。今日ここに来たのはお兄ちゃんだけだよ』

「アルは、死んでないの?」

『ここに来てないなら、死んでないよ』

「そっ……か、良かった」

自然に笑みが零れた。そして同時に嫌な考えも浮かんだ。
アルと離れたくない、死ぬなら一緒に……本当に最低だな、僕は。口から出たのが良い方の考えでよかった、不思議そうに首を傾げた女の子を見ながらそう思う。

『お兄ちゃん、どうして死んだの?』

「……どうしてかな」

『ヘルが当ててあげる!  えーっとね、うんとね、んー、あ!  分かった!  おっきな鹿に踏まれちゃったんだ!』

「あはは……そんな覚えはないなぁ」

『えー……ハズレ?  自信あったのにぃ』

分かりやすく落ち込んで、女の子は僕に甘えるように抱きついた。子供の相手は得意ではないが、懐かれて悪い気はしない。
ただ、死因当てゲームの楽しさは僕には理解できない。

「ある人の家に泊めてもらってて、そこで寝てたら……上から何か落ちてきて、家が崩れた。そこまでかな、僕が覚えてるのは」

『じこー?』

「かな?」

『ふぅん……それよりお兄ちゃん!』

人がしんみりと落ち込んでいたのに急に話を変える。こういうところが苦手なんだ、子供というものは。

『一人なんでしょー?  ならヘルと遊ぼうよ!  ねぇねぇいいでしょ?』

「……うん、いいよ。何して遊ぶ?」

こんな地獄みたいな世界で一人きり、それこそ地獄だ。死んでしまったのなら時間はいくらでもある。いや、そもそも時間の概念などないだろう。

『えーっとね、えっと、えーと、うー……思いつかない、いっぱい遊びたいことあるの』

「どれからでもいいよ、僕はどこにも行かないから」

『……ほんと?  ヘルと一緒にいてくれる?』

「え?  あ、あぁうん、もちろん」

どうせ行けるところもないだろう、半ばヤケになった僕の考えに女の子は満面の笑みを返した。

『やったぁ!  ずっとずっと一緒だね、お兄ちゃん!  えへへー、嬉しい!  じゃあ、ヘルのおうちに来て!』

「家に?  いいよ、連れてってくれるかな」

『えへへー、こっちこっち!』

女の子は両手で僕の手を握り、引っ張った。
景色が歪み、女の子の行く先に巨大な穴ができる。
その穴に飲み込まれ、瞬きをする間に僕は全く違う場所にいた。
視界に入りきらないほどに大きく、それでいて寂れた不気味な屋敷。その門の前に立っていた。
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