魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第十三章 異界にて神々を讃えよ

生を終わらせるのは諦めと知れ

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目の前に並べられた料理はどれも見たことがないものだった。見ただけでは味どころか材料すら分からない。

『お兄ちゃん食べないのー?』

「あ、いや、ちょっとお腹いっぱいで」

嘘だ、腹は減っている。しかし死んでも腹が減るとは思わなかった、死後も案外面倒なものかもしれない。

『そっかー、じゃあヘル貰っていーい?』

「いいけど……そんなに食べられるの?」

『だいじょーぶ!』

椅子に膝立ちになって体を乗り出し、僕の前に配膳された料理を引き寄せる。あの小さな体のどこに入っているのだろうか、なんて思うほどに大食いだ。

「あ、あのさ、この料理って誰が作ったの?」

気になっていたことを聞いてみる。それとなく……と出来ればよかったのだが、生憎とそんな話術は持ち合わせていない。

『んー?  お人形さん』

「お人形さん……って、なに?」

『お人形さんはお人形さんだよ?  家事してくれてるの』

「そ、そっか」

意味のない会話。それは相手が子供だからなのか、世界そのものが曖昧だからなのか。
女の子はずっと一人だと言っていたが、お人形さんとやらは人数に数えられていないのか。
その人形では孤独は解消されないという事だろうか。食事を用意するくらいなら遊び相手にもなりそうなものだが。

『あ、そこにいるよ』

肉を頬張りながら女の子は僕の背後を指さした。
振り返ると陶磁器の人形が立っていた、ヒトガタをしただけの物体が。
顔に凹凸はなく、手や足もよくよく見れば人とは違う。機能性を追い求めたのだろうその指先は刃物よりも鋭利だった。

『お人形さんはねー、お父様に貰ったの。だけどお人形さんはお人形さんだったの、すごく残念』

「……どういう意味?」

『生きてないの、動くだけなの。毎日同じ時間に同じことするだけで、話しかけても返事してくれないし、すっごくつまんないの』

人形は食べ終えた食器を片付けている、そこに感情は介在しない。魂を持った人形というのは聞いたことがある、だが今目の前にいる人形はそういった類の物ではなく、どちらかと言えば機械に近いのだろう。

「……ヘルちゃん、君のお父さんってどこにいるの?」

『アスガルドだと思うけど、今は分かんない。よくお出かけしてるみたいなの』

父親、か。
死んだ人間に贈物が出来るものなのか?  生前に贈ったのだろうか、共に埋葬されたのだろうか、それとも供物のような……考えても仕方ない、聞いた方が早い。

「ね、ヘルちゃんっていつからここにいるの?」

『どれくらいかは覚えてないなぁ……でも、最初っからだよ。生まれた時からここに居るの』

「……何で死んだの?」

『ヘル、死んだことないよ?  初めからこうなの』

「言ってる意味がよく分からないんだけど」

生まれた時、ということは死産か?  だが今は七、八歳の女の子だ。
死後も成長するというのか?  いや、それよりも死んだことがないとはどういう意味だ。死んでいないのなら死者の国にいるはずがない。

「えっと、ヘルちゃんは、その、ここに来る前のこと覚えてないの?」

『だーかーらー、生まれた時からここにいるの。生まれてすぐにここに捨てられたの』

「捨てられた……って、殺されたとかじゃなくて?」

『ヘルヘイムに投げ込まれたの、死んでないよ?』

「その時は、赤ちゃんだったんだよね?  ここって成長……大きくなるの?」

『お兄ちゃんみたいな死んでる人はならないよ?  ヘルは死んでないもん。まぁ、お兄ちゃんより少し大きいくらいになったら止めるけど』

やはり言っている意味が理解し難い。
僕の理解力の問題なのか、女の子の説明不足なのか、この世界が異常なのか。

「止めるって?」

『不老不死になれるリンゴがあるんだ、もう少し大きくなったらそれを食べるの。アスガルドのみんなもそうしてるんだって』

「………ね、ヘルちゃんって、人間?」

『違うよ?  ヘルは神様だよ』

「かみ、さま?」

『うん!  三兄妹の末っ子なの!』

頭がこんがらがってきた、いや初めからまとまってなどいなかった。
初めから……初めから考えよう。まず僕は死んでいる、原因はいまいちはっきりしないが、おそらく家の倒壊に巻き込まれたことだろう。死んでしまいたいなんて考えていたような気もする。
そして目の前の女の子、彼女は死者の国に住む神……女神か、成長途中の女神だ。僕は女神の卵に気に入られ、彼女の家に招かれている。このままいけばずっとここで暮らすことになるだろう。

ずっと、か。
意識しないようにと考えないようにしていたの文字が重くのしかかる。
時期も、場所も、全く予想外だった。
自分の死を予想する者などそういないだろうが、あの時の僕は覚悟もしていなかった。軽々しく死にたいなんて思ってはいたが、今、死んでから改めて思う。
死にたくなかったな、と。アルと……もっと、一緒にいたかったな、と。

『お兄ちゃん?  どうしたの?』

いつの間にか女の子は二人分の食事を終えて僕の顔を覗き込んでいた。可愛らしく小首を傾げ、丸い瞳に僕を映して、どこまでも純粋な視線を向けてくる。

「なんでもない、なんでもないよ、大丈夫」

『わ、ちょ、ちょっと……お兄ちゃん』

ほとんど無意識に女の子を抱き締める。照れたような女の子の声、死体のように冷たい体。
相反する要素は僕を落ち着かせた、もう足掻いても無駄なのだと言い聞かされた気分だ。
生も、アルとの再会も、諦めよう。それ以外に選択肢はない。そう決めた瞬間、ガタガタと机が──いや、家全体が揺れだした。

「な、何!?  地震?」

地震なら落ち着くまで机の下にでも隠れなければ、そう考えつつも僕の体は頭の言う通りに動いてくれない。
女の子を安全な場所に移さなければと腐り落ちかけた腕を掴んだ。だが、女の子は微動だにせずあらぬ方向を睨んでいる。

「ヘルちゃん……?  何してるの、危ないよ」

いまいち強く言えずに、腕を引くだけに終わる。女の子はこれまでとは違った低い声で、怨恨と憤怒に満ちた言葉を零した。

『…………殺さなきゃ』

「へ、ヘルちゃん?  どうしたの、落ち着いて」

『入ってきた。でも、生きてる、まだ生きてる?  なら、殺さないと、死者じゃないと、死者にしないと』

「ヘルちゃん!  何言ってるの!  ねぇ……こっち見てよ!」

肩を掴んで無理矢理振り向かせる。女の子の瞳に僕が映り込み、僅かに目の色が冷たくなる。微かに柔らかくなった表情に安堵し、もう一度女の子の名を呼ぶ。

『お兄ちゃん。ちょっとだけ、待っててね』

子供らしくない艶っぽい笑顔で僕の唇に人差し指を添える。その直後僕の体は何かに押さえつけられる。
背後の壁に叩きつけられ、手足を拘束され口を塞がれる。吐き気を催す腐臭……これは、腐りきった肉の塊だ。

『静かに待っててね、お兄ちゃん』

視界の端に映る赤紫色の肉、血が流れていたであろう管。
その全ては僕を取り込む。
肉は僕を完全に包み込むと蠢きを止めた。身動きが取れず目も見えず、鼻も口も塞がれている。死亡理由の傷痕に潜り込むように腐肉は僕の体を締め付けていく。
鼻から口から侵入し、喉まで埋めた腐肉は嘔吐すら許さない。指先を震わすことも出来ず、僕はこのまま潰されるのだろうと他人事のように予測した。
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