魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第二十三章 不定形との家族ごっこを人形の国で

女神の加護

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蔓はウィルを吹き飛ばした後、一人でに編み上がり僕の欠けた内臓を補った。破れた腹を縫い合わせ、その上からぐるぐると巻き付く。完全に止血され、僕はふらふらと立ち上がる。

「殺してやる、殺してやる、ころ、して……」

脳の回路がショートでもしたのか、痛みはもう感じていない。思考すら出来ない。ただウィルへの憎しみだけが膨れ上がった。

「……僕と、同じに」

気絶したウィルを転がして仰向けにし、彼の腹に包丁を突き立てる。そのまま縦に引いて、抜いて、また突き立てて横に引く。十字の切れ目を入れたところで、ウィルは痛みに飛び起きた。

「アル!  ほら、ご馳走……」

僕はウィルの口に手を突っ込み、噛まれるのなんて気にせずに舌を掴んだ。胸に馬乗りになって、肩に膝を置いて、口を押さえる腕に全体重をかける。足や腰を引っ掻く手なんて気にならなかった。
背後からぐちゃぐちゃと水音が聞こえ始める。振り返るとアルが僕の時と同じように腹に鼻先を突っ込んで好みの内臓を探していた。

「ふふ、ふっ、ははは…………美味しい?  アル……僕が、用意したご馳走……あはははっ」

僕の手首ほどの太さの長い塊を引き摺り出し、噛みちぎり、ワンと吠える。

「まだ、まだ死ぬなよ。まだだ……もっと、苦しめよ……」

僕の手を咥えた口の端から泡が溢れ出す。手足が痙攣を初めて、目がぐるんと上を向く。
僕の手を噛もうとする力も抜けてしまった。

「…………死んだ?  いや……まだ、かな」

呼吸も鼓動も止まってはいない。けれど意識は無くなってしまった。途端に彼に興味が無くなって、僕は彼の口から手を引き抜いて立ち上がった。
ウィルの口に突っ込んでいた手は噛まれて血が出てしまっていた。けれど、今更その程度の傷を気にする訳もなく、ふらふらと歩いて石畳に転がっていた包丁を拾う。
死体を貪るアルの背を撫でていると、ふと背の不自然な膨らみに気が付く。それは次第に大きくなって、黒い翼の形を成す。尾が伸びて毛が散って、先が分かれて蛇の頭となる。身体もどんどんと大きくなって、アルは元の姿に戻る。

『…………くぅん』

気絶させたからか瀕死だからか、現実改変の効力が失われたようだ。

「アル?」

『わん!』

「…………アル」

『わぅ!』

名前を呼ぶと返事をする。けれどまだ言葉や知性は戻っていない。

「……鳴き声ワンなんだね。狼なのに……まぁ、いいや。可愛いし。でも、僕は…………アルの低くて甘くて優しい声が好きなんだ」

僕はアルと見つめ合ったまま、ウィルの喉に包丁を突き立てた。完全に殺してしまえばアルの言葉が戻ると思ったのだ。

「アル、僕の名前は?」

『わん!』

「……まだなの?  もっと壊せばいいの?」

包丁を引き抜き、また、刺す。抜いて、刺す。グリグリと動かして、抜いて、刺す。手慰みに丁度良い。

『…………へ、る』

「アル!?  アル、戻った?  アル!」

『ヘル、ヘル……ヘル』

アルは確かめるように何度も僕の名前を呼ぶ。声の高さや抑揚を変えて、何度も何度も。なんだかこそばゆい気分になって、僕はアルから目を逸らした。

『……ヘル!  ヘル、あぁ済まない、私は何て事を……』

「戻った……?」

『腹はどうなっている!  痛みは?  傷は…………あぁ、私は貴方を喰って……あぁ、何て、何て…………そんな、ヘル……私は……』

傷?  あぁ、そういえば。アルに腹を喰い破られて、内臓が少し欠けてしまったんだった。僕は腹をなぞって不思議な感覚に服を捲り上げた。

「え……何、これ。草……?」

『済まない、ヘル。済まない……どうか、私を罰してくれ。その刃物で、私を……』

「そんなことどうでもいいよ!  何これ!  ねぇ何この草!」

『ど、どうでもいいだと……?』

僕は包丁を放り投げて上着を脱ぐ。痛みと憎しみで麻痺し、ようやく動き出したものの不可思議な現象にまた混乱した思考回路は路上で半裸になる事への抵抗を忘れさせた。

『…………蔓植物のようだ』

「何で!?  何で僕のお腹から生えてるの!?  いや、これのおかげで止血出来てるみたいだし、あんまり痛くないけど……」

『あんまり?  やはり痛いのか?  どれくらいだ、どれくらい痛い。いや、済まない。私がこの牙で裂いてしまったのだ、どれくらい等と……』

「………………お腹ずっと抓られてる感じかなぁ」

『……大した事無いな』

地面に鼻先を擦り付けていたアルは僕の喩えに顔を上げ、僕に訝しげな目を向けてそう言った。
抓られているようとだけ言ったが、実はそれに加えてヒリヒリと痺れたような感覚もある。この植物が局部麻酔でもしているかのようだ。

「うん……大した事ないよ。でも、お腹重い……」

『だろうな。蔓の腹巻きのようにも見えるぞ。中も詰まっているのか?』

「分かんないけど……多分」

『…………ふむ、神降の国を出た後、森で鹿の女神に会ったのは覚えているか?  あの時、女に刺された傷を蔦で縫い合わせられただろう』

ほんの数日前の事だが、もう何年も昔のように思える。思い出すのには時間がかかったが、僕はしっかりと頷いた。

『あの蔦はずっと貴方の腹にあったな』

「あったね……お風呂とかで気になってたけど、なんか慣れてきてた。そっか……にいさまに取ってもらえば良かった、ぁ、いや、取ってたらさっき死んでたかな」

『再び発動したのではないか?  その……治癒、のような何かが』

「んー……爪とか踵にも巻いてあるし…………でも、念の為ににいさまに後でちゃんと治してもらうよ」

編んで縫って身体の代わりになっているだけで、周囲の肉を痺れさせて痛みを誤魔化しているだけで、僕自身は少しも癒えていない。それは前から変わっていない。
そんな感覚でしかない事を話せば、アルはきっと心配するだろう。だから僕は大丈夫だと言って、上着を着て、もう一人を殺す為に地下に戻った。


僕達が入れられていた牢屋にはもう誰も居なかった。
歪んだ格子と、血溜まりと、その上で揺れる粘着質な乾留液のような物体があるだけだった。

『……ヘル! 止まれ!』

牢屋の中を調べようとしてアルに止められる。足元を見れば深い穴があった。

「…………ありがと、アル……」

『注意して動け。しかし……何だ?  この穴は』

ただでさえ薄暗い地下牢では穴がどうなっているか覗くことは出来ない。僕は腹に巻き付いた蔦を少しちぎって、穴に落とした。

「……音しないね」

『かなり深いな。落ちないよう気を付けろよ。ところで、それは千切って大丈夫なのか?』

「痛くないし、解けたりもしないし、平気だよ」

格子に掴まり、穴を避けて進む。黒いスライムのような物体に話しかける。

「にいさま?  それともフェル?」

鈴のような音を鳴らし、スライムはゆっくりと僕の形に成る。

『……残念。フェルの方だよ』

「残念なんて思ってないよ。大丈夫だった?」

血溜まりはフェルの足元にある。フェルは壁にもたれかかり、ずるずると座り込んだ。

『…………爪』

「爪?」

フェルは牢屋の端に落ちた皮剥きを拾う。刃の部分には赤いものがこびり付いていた。

『爪の先に、引っ掛けて、グイッて…………爪捲って、そのまま指先から皮を剥がされた』

皮剥きの刃を指先にあてがい、何をされたかを事細かに説明する。

『……最初は肘まで。皮膚がなくなって、肘から下が全部赤くなったらもう片方の手を。両手が終わったら今度は足、同じように膝まで剥がす。足も終わったら今度は顔。頬を剥がしたら、瞼や唇、鼻を削ぐ。次はこの横のところ……芋の芽を取ったりするところ、ここで目を潰す』

皮剥きをクルクルと回しながら、フェルは淡々と話す。僕と同じ見た目の彼がそんな目に遭っていたなんて、聞いているだけで痛みを感じてしまう。

『その時僕は本当に普通の人間だったから、いつもにいさまにされている事とは違って、本当に痛かった。僕の演技って下手だったんだなーって、痛みってこんな感じなんだなーって、思ったな。今後の参考になるかも、なんて……あははっ』

「フェル……もう、いいよ。もういい」

とてもではないが聞いていられない。僕は彼の頭を強く抱き締めた。当の本人は無理に笑顔を作ったのに、僕は勝手に泣いてしまっていた。

『……まぁ、叫ぶよね。泣き叫んでやめてって言った。だから…………ほら、僕は君の複製だろ?  見た目も一緒、声も……一緒。それで、にいさまが……』

フェルは僕の腰に腕を回し、僕と同じように腕に力を込める。

『にいさまが「ヘル!」って。にいさま……目、見えてなかったからさ、魔力も無くなってたし…………聞き分け出来なかったんだろうね。叫んでたよ?  「ヘルに触るな」って「ヘルに手を出すな」って「やめてくれ」って……僕は、ヘルじゃないのにね』

「……そっか」

『…………嬉しい?  にいさまが心配してたよ、君の為に叫んでた。良かったね』

身体を離して彼の顔を見る。僕によく似た顔で、捻くれた嘲笑を作っていた。

「…………辛かったね。ごめんね。大丈夫だよ……お兄ちゃんが復讐するから」

『……お兄ちゃん?』

「そうだよ。君は僕の双子の弟なんでしょ?  任せて、お兄ちゃんがやり返してやる」

フェルはきょとんとした顔をしていたが、少し経つとくすくすと笑い出した。捻くれていない心からの笑顔に安心して、僕は皮剥きを拾って立ち上がった。
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