魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第十八章 美食家な地獄の帝王

魔法使いの神

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女の笑い声がピタリと止まる。家が揺れているところから見るに、どうやら地震のようだ。

『……うぅ、背中痛いよぉ。羽、ちぎれちゃう……』

飛行はだんだんと不安定になってきていた。襲いくる化物共も少しずつ増えている、このままでは喰われてしまう。

「が、頑張ってメル!  僕は応援しかできないけど……」

『だーりん本当に約立たずだよぉ……』

地上を走った方が化物から逃れるのも楽かもしれない。だが今地上に降りるわけにはいかない、地震ではろくに走れないし、女も攻撃を始めるかもしれない。
化物に魔物使いの力を試そうかと意識を集中していると、真下の道が……タイル張りの街道が、盛り上がった。

何かが突き上げている。僕の怯えに応えるようにメルは少し速度を上げた。
タイルが吹き飛び、街道に大穴が開く。そこから伸びるのは鋭い鉤爪を持った触腕。これから引き上げられるであろう体が穴の底に見えた。
その全てに覚えがある。兵器の国で見た、いや、ついさっき兄に庇われながら見た。ナイが変貌した……あのバケモノ。

「メル……逃げて。もう、僕置いてってもいいから!」

『そんなこと出来るわけないでしょ!?  黙って大人しく、ワタシに負担かけないように力抜いてて!』

「でも、あんな……あんなの」

ずるずると引き上げられる体、俯いたままの顔。
穴とバケモノの隙間から大量の虫が飛び出てくる。その虫は僕の元にやって来て、じっとその場に止まっていた。

『何よ、これ……気持ち悪い、ハエ?』

人の拳ほどの大きさの丸々と太った虫は僕達に背を向ける。

「この虫、確かベルゼブブの……何か、襲ってはこない、みたい?」

とうとう全貌を現したモノに女は狂喜の声を上げた。こちらを向いているはずの顔は無かった。目も鼻も口も、何も無い。到底顔と呼べるものは無かった。

『ああ、ああ、我らが神よ!  私の神よ!』

神……アレが?  あんな禍々しく気持ちの悪いものが、神だって?
あぁ、でも、何故だろうか。あの姿を見ていると心のどこかが満たされる。望郷の念に駆られて、今すぐにその腕の中に還りたくなる。

『どうかまた私に秘法をお教えください、また私をお使いください、どうか私に寵愛を』

女の言葉は早口で聞き取れない。だがアレを神と崇めているのだから、何となくは分かる。祈りの言葉だとか、讃える文言だとか、そんなところだろう。
そしてはそれに応えなかった。その体をゆっくりと透かし、消えていく。

『あ……お、お待ちください!  神よ、待って!  私の神様!  私です、ヘクセンナハトです!  ああ、待って!  待ってぇ!』

完全にその姿は見えなくなり、女はその場に崩れ落ちた。同時に女が呼び出した魔物達も消える、そして穴から巨大な虫が這い出てきた。

『かみ、さま…………私の、私…………』

虫は地上に降り立つと同時に人に化け、蹂躙された街を眺め、ため息をつく。

『ベルゼブブ様!』

メルはそう叫ぶと急降下し、僕を抱えたまま翠の髪の少女に走り寄った。

『ベルゼブブ様!  ベルゼブブ様!  ワタシは……えぇと、この国の王女を務めておりました、メロウと名乗っておりました、リリムでございます』

『ええ、知っています。ご苦労さま』

苦々しい表情で街を眺めていたベルゼブブはいとも簡単に優しい笑顔を作り、メルに向ける。表情を作るのが上手い人は羨ましい。

『先程の怪物は……そして、今までの『暴食の呪』の異常はなんだったのでしょうか』

『アレはいつの間にか傍に這い寄っている。正体を隠すことなく、本性を見せることなく、細工を施す』

ベルゼブブは呆然と座り込む女を眺めながら、独り言のように呟いた。

『…………えぇと?』

『気にしないでください、もう解決しました。しばらくは来ないでしょう』

『は……ぁ?  そう、ですか。ベルゼブブ様がそう仰るなら……』

ベルゼブブは社交的な笑みをメルに見せ、すすり泣く女に声をかける。

『お久しぶりです、ヘクセンナハト』

『……ベルゼブブ、お前も、私を、喰った!』

魔法陣を浮かび上がらせ、女は詠唱を始める……が、ベルゼブブは女の口に手を突っ込んだ。

『美味でしたよ。今も美味なのでしょうね』

ベルゼブブは指を上顎に引っ掛けて女を持ち上げ、その喉に歯を立てた。骨を砕く嫌な音が響き、女の四肢は動きを止める。

『うん、良い味…………っ!?』

三度咀嚼し、ベルゼブブは女を投げ捨て口内の肉と骨を吐き出した。吐き出された塊は黒く粘着質な液体に変わっている。

『外来種のスライムですか、全く……あぁ不味い、調理もなしに喰ってはいけませんね。あぁ…………腹が、減った』

ちらと僕を見ながら舌舐めずりをする。そんなベルゼブブの横をすり抜け、僕は溶けていく女を抱えあげた。

「にいさま!  にいさま、聞こえる?」

玉虫のように虹色の輝きを放つ純黒の液体は透き通る虹色に変わる。粘着質な液体は肉と骨の人間の体へと作り変わり、僕に良く似た美しい青年の姿をとった。

「にいさま!」

『眠っているようですね、正確には機能停止状態。放っておけばそのうち目覚めますよ』

「……そう?」

『私がヘルシャフト様に嘘を申し上げるはずがございません』

嘘くさい笑みを貼り付けたたま、屈んだベルゼブブは僕の髪を舐める。

『ん~……やはり、美味しい』

「やっ、やめてよ……気持ち悪い」

『酷いですねぇ、私は今日結構働きましたよ?  髪の一本や二本良いではありませんか』

「…………髪でいいの?  腕とかじゃなく?」

マルコシアスには家に泊めてもらっただけで血を要求されたのに、帝王は随分と小さな報酬だ。

『え?  ええ、少食なので』

「なら、いいけど」

『本当ですか!?  では、遠慮なく……!』

兄の頭を抱いた僕の隣に膝をつき、耳の上の髪を舐め、一本抜いて舌で絡め取る。それを堪能すると、もう一本同じように腹に納めた。
腕を要求してきた兄の方がまだ理解出来る、あくまでも肉なのだから。被害が少ないというのに、気持ち悪さはこちらの方が上だ。

『ご馳走様でした』

「あ、うん。ちょっと聞きたいことあるんだけど……髪もう一本あげるから、答えてくれない?」

『質疑応答程度で求められません』

「え……真面目だね、別にいいのに。まぁいらないならいいや、えっとね」

ベルゼブブは僕の肩を掴み、肌が触れ合いそうなくらいに顔を近づけている。匂いを嗅いでいる……ような、気のせいかな。

『はぁ……っ、美味しそう……』

「にいさまがおかしくなった理由と、後、ヘクセンナハトって人について」

いちいち反応していられない。いきなり噛みつかれはしないだろうし、もしそうなったら僕如きが警戒していても無駄だ。

『おかしくなった理由とやらは分かりかねます。ヘクセンナハトは魔法使いの祖でございます』

「その人が、何でにいさまに……なって?  ううん、にいさまは何でその人になったの?」

『詳細は知りませんが、まぁ生まれ変わりでしょうね。何らかの外部刺激によって記憶を呼び起こされたのでしょう』

「外部刺激……」

それは、ナイが?

「じゃあ、さっきの……あの、バケモノは何?」

ベルゼブブの顔が一瞬強ばる。面倒くさそうにため息を吐いて、仕方なしに口を開いた。
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