魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第二十章 偽の理想郷にて嘘を兄に

一致する願望

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海中都市の中心に建つ時計塔、時を告げる鐘が三度鳴る。水中で音は地上よりも早く鮮明に聞こえる。泡の中では等速だけれど。

ターコイズブルーの光は暗い部屋でボクの目を痛めつける。ボクは頭に流れ込む情報をひたすら機械に打ち込んだ。

「はぁー……疲れる」

ボクは機械の事なんて何も分からない。
何も分からないのに、どこからかいつの間にか現れた金属を組み立ててよく分からない機械を作った。
今叩いているパネルも、打ち込んでいるプログラムも、どう動くのか全く分からない。けれど頭の中に流れ込んでくるのだ、呟く歌も、機械の育て方も、何もかもが。

「そういえば昔、シューティングゲームとかやってたような……」

今日の分の入力を終え、ボクは臨時従業員のヘルにやらせたゲームのデータを覗く。プログラムらしい意味の分からない文字の羅列と、ヘルが打ち込んだ文章が映し出される。

「……あれ?  昔っていつだ?  ボク、この街で生まれ育って……生まれ育って?  どこで生まれたんだ?  誰から生まれたんだ?  誰に育てられたんだ?」

ヘルの他愛ない回答を見ながら、ボクは自分の過去を全く覚えていない事に気がついた。
忘れたことさえ忘れていた、という事なのか?

「…………優しい人、ね。ボクがそうとは思えないけど……」

重大な問題のはずの記憶喪失は回答への興味に上書きされる。
この移り気もボクが今まで記憶喪失に気が付かなかった、あるいは気が付いても忘れていた原因の一つだろう。

「……このカフェ、自分で開いたんだっけ。いつからカフェなんてやってたんだっけ」

頭を振るって、目を閉じて、興味を無理矢理に記憶喪失の方に向ける。だが、考えたからといってすぐにどうにかなる問題でもない。何も思い出せないボクはまた目を開いた。

「……こんな質問入れたっけな。「ボクと一緒に居れたら嬉しい?」って、なんだよコレ気持ち悪いな。コレだけ妙に長いし……文字化けしてる……?」

こんな気持ち悪い質問をされて、さぞ迷惑しただろう。明日辞めるなんて言い出さなかっただけでも偉い、給料をこっそり上げておこうか。

「なんて答えたのかなっと……なになに、「嬉しい。あなたみたいな兄が欲しかった」って……兄?  あははっ、お兄さんにしたいの?  ボクを?  こんな、自分が誰かも思い出せない奴を?  ふふっ、ははっ、はははっ、あっははは!」

そんな答えをしていても、彼はあと一週間と経たずにここを去る。
兄にしたいボクを放って、ボクの知らない遠くの国へ、ボクの知らない奴に会いに、ボクを殺そうだなんて言った奴と一緒に。

「…………明日のゲーム、どんなのだったかな。面白いの作ったら、ずっと居てくれるかな」

ボクも君を弟にしたいよ、ヘル君。

「閉じ込めたいの?  あぁそうだ、そうしよう。可哀想なヘル君。両親を目の前で殺されて、何度も天使や悪魔に襲われて、愛した魔獣を二度も殺されて、人間の汚さを垣間見て……あぁ、あぁ、可哀想なヘル…………新たなる支配者様」

口が勝手に動く。
ボクは知らない。
彼の両親が死んだことも、彼の旅路も、何も知らない。
ボクが知っているのは彼が可哀想な思い込みをしてしまう子だということだけ。

「…………ボクは何なの?」

ターコイズブルーの光が満ちた暗い部屋に、独り言が反響する。

「気が付かなくてもいいことに気が付いて、一人で壊れて狂っていく。そんな可哀想な子がたまらなく好きだ、哀れな人間がたまらなく好きだ。もっともっと見たい、もっともっと狂わせたい」

邪悪な衝動の言葉を口が勝手に紡いでいく。

「……生かさず、殺さず、一生飼って、狂わせて」

ボクの知らないボクの衝動が溢れ出る。
違う、これはボクじゃない。ボクはこんなこと考えていない。
違う、違う、違う────




うだるような暑さ。今日は雲一つない晴天で、外に出るのも億劫になる。勤め先を水中にしておいてよかった。
アルは暑さに負けて空調設備が整った宿で待っているとのことだ。異形の人々への警戒はもう解いたということだろう。
ここに来てからは何もおかしなことは起こっていないのだから、ここの夏は科学の国よりも暑いのだから、今アルは冬毛なのだから、それが正解だ。

「おはよーございまーす」

「……ボクはライアーだ。このカフェの店主、ただそれだけの人間…………大丈夫、大丈夫、ボクはちゃんとボクだ」

「ライアーさん?  どうかしました?」

ライアーはカウンターの影で頭を抱えて蹲っていた。僕が声をかけると安心したように見えた──のは、自惚れだろうか。

「……ヘル君。おはよう」

「具合悪いんですか?  少し休みます?  午前は僕一人でやりましょうか?」

流石に正午は僕一人では捌ききれない。こういう日に限ってアルもベルゼブブもいない。

「……いや、大丈夫。それよりキミにはゲームをして欲しいんだ」

「でも、ライアーさん顔色悪いですよ」

「…………こんなに黒いのに顔色分かるの?  君みたいな白い肌だったら分かりやすいだろうけどさぁ」

「分かりますよ。顔色っていうか、表情っていうか、いつもと違いますもん」

「よく見てるねぇ。うん、勘のいい子は好きだよ。可哀想だから」

明るい微笑みはすっかり消えて、ライアーは疲れた表情のまま僕の頭を撫でる。

「……キミのお兄さんになりたかったなぁ」

「あ、よ、読んだんですか?」

分かっていた事も改めて認識させられると羞恥心が膨れ上がる。

「僕、兄がいるんですけど、その兄が結構酷い人で……」

兄は僕の元から去っていった、アルに最悪の置き土産を残して。けれど、僕は兄を兄として慕いたいと諦め悪く願っている。

「…………嫌いになれたら楽なのに、嫌いになれないんですよね。でも、ライアーさんみたいな人が兄だったら、そもそも嫌いになりたいなんて思わなかったんじゃないかって、そう思ったら……あんな文章、作っちゃってて」

嫌いになれなかった。そう、なれなかった。
兄弟という繋がりが邪魔をして嫌いになりきれなかった。だからといって好きにもなりきれなかった。言葉や態度は嘘で固められたけれど、自分の心は騙せなかった。
兄弟だから、家族だから、血が繋がっているから好きにならないといけないのに、なれなくて、でも嫌いにもなりきれなくて、そんな中途半端な自分だけがどんどん嫌いになっていった。

「ライアーさんは……自分が天才で、弟もそうかもって期待してたのに弟がとんでもない無能だったら……それでも、今みたいに優しく接してくれますか?」

「……可哀想な子が好きだよ。ボクはね、どうしようもないくらいに、誰にも救えないような、神からも星からも世界からも見放されたような、そんな可哀想な子がたまらなく好きなんだ」

同情……いや、少し違う。性癖と言った方が近いかもしれない。怪しくて気持ちの悪い、でもだからこそ打算も騙りもない、純粋な好意。

「そうですか。本当に、ライアーさんを兄さんって呼びたいですよ」

それが欲しかったはずなのに、僕はそれが自分に受ける権利はないと躊躇って、手を引いた。ライアーの体調をもう一度気遣って、奥の部屋へ向かう。
椅子はさらに快適な角度と弾力を演出して、不快なベルトに拘束されて、奇妙なゴーグルを渡される。
没入感が昨日のゲームとは比べ物にならない、そんな文句に期待が加速する。操作はと聞くと、考えた通りに動くからいらないと答えられる。
頭で「はい、いいえ」を考えろと?  これは昨日のようアンケートではないのだろうか。
ヘッドホンも取り付けられて、僕の視覚と聴覚は完全に機械に支配された。
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