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第二十六章 貪食者と界を守る魔性共

並列処理

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月の光だけが届く店の影、ドロドロと広がる黒い液体に、その上に浮いたピンク色の脳。それらはリンを叫ばせるには十分過ぎた。

『……まさか、並列処理して耐え切ろうとしてる?  数列化、言語化してからボクの力を取り込む気?  キミに死なれちゃ困るからギリギリ耐えられるような量だったけど、そんなのされちゃただのパワーアップじゃん』

エアの瞳に理知が戻る。顔を上げ、少年に不敵な笑みを見せる。
にわかに辺りが騒がしくなってきた、リンの叫び声を聞いて人が集まってきたのだろう。

『ちぇっ……仕方ない。今回は見逃してあげる……なんて言うと思った?  追加だよ!』

パァン、とエアの額を叩き、少年は夜の闇に走り去る。フェルは集まってきた住民に脳が見られないように着ていたローブをその上にかけ、人を散らす為にリンを民衆に差し出した。

「い、いや……すいませんお騒がせして、ちょっとデカい虫がいたもんで……」

手足の震えや異常発汗を気にする奴なんてそういない、リンに任せていて問題ない。フェルは自分にそう言い聞かせ、エアの方に意識を戻した。

『……にいさま?  大丈夫?』

『…………フェル?』

掻き毟って剥がれた頭皮から流れた血が額を通り、エアの顔を斑に赤く染めていた。溶けていた下半身が元に戻り、液体も脳もローブの下から失せた。

『脱いじゃダメじゃないか、危ないよ』

エアはローブを拾い、フェルに着せる。首元の紐を結ぶと刺繍された魔法陣が輝き始めた。

『……大丈夫なの?』

『…………平気。ううん、とても気分が良いんだ』

野次馬を追い返すことに成功し、胸を撫で下ろすリンの肩を叩く。

「わっ!  ぁ、あぁ、お兄さん、大丈夫?」

『……ええ、大丈夫です』

「…………雰囲気変わった?  喋り方とか…特に」

『歳上なんでしょう?  敬愛を示さなきゃ』

軽く首を傾げ、社交的な笑みを浮かべる。リンはエアの変わりようを気味悪く思いながらもこの変化は良質なものだと思考を止めた。

『……さ、そろそろ中に戻りましょう。儀式がいつ始まるか分からないんだから、日付けが変わる前に劇場の前に居るべき、そうでしょう?』

「え、ぁ、うん。俺そういうの詳しくないけど、そうなんじゃない?」

店に戻って魔物達を同じ言葉で説得し、代金を払ってまた劇場へ向かう。その足取りは軽やかだ、外での出来事を知らない者達もエアの変化に気が付いた。

『変態さん変態さん、兄君、どうしたんです?』

「……い、いや、俺にも何が何だか……でも、いい子になったって感じだし、問題無くない?」

『…………何だ、リン。貴様……臭いな』

アルは牙を見せながら不快そうに唸る。

『あらホント、加齢臭ですかね』

「たっ、煙草だよね!?  俺まだそんな歳じゃないよね!?」

『煙草……それ、兄君も吸いました?』

「あ、あぁうん、半分くらい」

エアは一本吸い終わる前に煙草を握り潰した。その時の様子を頭に思い描き、リンは背筋に冷たいものを感じた。

『……じゃあ、あれラリってるって事ですか?  変わった症状ですねぇー。その煙草下さい、常に吸わせます』

「そんな危ないもんじゃないよ!?  肉体に毒が蓄積されるだけで、精神状態にはそこまで問題ない……はず、俺も何ともないし」

『…………嗅がせろ』

箱に書かれた注意や成分表を読んでいるリンの手に黒蛇が絡む。リンは恐る恐るその蛇に煙草を咥えさせた。

『……ふん、問題無いとも言えんが、あそこまでの影響を受けるような物では無いらしいな』

「だよね!  返して、吸うから」

『吸ったら肺抉りますよ、煙嫌いです』

「今は吸わないよ。後で一人で……あ、もしかしてさ、ベルちゃんが煙嫌いなのって煙草吸ってたら蝿とか蚊とか寄ってこなかったり落ちたりするのに関係ある?」

『身体中に風穴開けて差し上げましょうか』

戯れだしたベルゼブブから離れる為にも、エアの様子を観察する為にも、アルは前を歩いエアの隣に並んだ。
エアの右腕にはフェルがしがみついており、前までとは違って鬱陶しがってもいない。

『アル君、どうかした?』

エアは左隣に並んだアルの背を撫でる。その手つきは優しいもので、アルは自然と額を彼に押し当てていた。

『……兄君、様子が変わったように見えるが何かあったのか?』

『え?  そう?  別に何も無いけどなぁ。ね、フェル?』

『……うん、何も無かったけど。にいさま、ちょっと機嫌良いみたい』

フェルは目を逸らしてエアの影に隠れる。よくある反応だが、アルは不審さを感じ取った。フェルは今嘘を吐いた、アルはそう確信した。

『…………兄君、何かあったら私に言うといい。可愛いご主人様の兄君だ、主人の次に大切にしよう』

『ふふ、ありがとうアル君。アル君も僕に頼ってね?  弟の大事な友達だもん、お兄ちゃんが守らなきゃね』

アルはエアの瞳をじっと見つめていたが、今の言葉に偽りは感じ取れなかった。自分には嘘を見破る観察眼があると信じているアルはエアを信用し、尾を彼の身体に擦り寄せた。
エアはその尾を掴み、蛇の額と自らの額を合わせる。

『よろしくね……ふふっ』

劇場が見えた頃、パッと額を離して顔を上げる。それと同時に振り返り、まだまだ賑わう劇場を背に両手を上に挙げる。

『到着だ!  さぁ敵を殲滅しよう!  この世に存在したという痕跡すら残さないように、完璧に!  我らがヘルの願い通り、敵を滅殺するんだ!』

無邪気にすら見える満面の笑みを貼り付けて、賛同を誘う。リンだけは甚だしいまでに冷めてしまったが、その他の者は酔いもあってか腕が鳴るとばかりに拳を天に突き上げる。

『……よし!  で、具体的にはどうする?  片っ端から潰していく?』

『それが一番手っ取り早いですよね』

『それやったら出入り口塞がんと』

『まずこの大っきな扉やろ?  窓は開くんかな、裏口とかもあるんやろか』

リンは今、ノコノコと着いてきたことを心の底から後悔している。だが同時に自分がここに居て良かったとも思っている。

「待って!?  みんなちょっと待って!  なんでそんなに血の気多いの!?  その教団?  だっけ?  を探すなら、まぁ封鎖は良いとしても、片っ端からはおかしいでしょ!?  無関係な人が九割九分だよ!」

家族でなければ友人でもない、越してきたばかりのリンには知人もいない。人間としての良識だとか道徳だとか、そんなものが彼を突き動かした。

「関係無い人は殺しちゃダメだし、関係有る人も無闇に殺しちゃダメ!」

だが、興奮状態は長くは続かない。強力な魔物に囲まれているという事実を再認識し、リンの気持ちは急速に萎える。

「……って、ヘル君も言うと思うなぁー。はは、あはは、は……」

乾いた笑いで誤魔化しつつ、ジリジリと後退する。

『まぁ、ヘルならそう言うだろう』

『でもヘルシャフト様はここには居ませんし』

このまま逃げ出そうと思っていたリンはそんな会話を聞いて立ち止まる。もう一息で説得出来るという思いが膨らむ。

「劇場で大虐殺なんてやったら世界中のニュースだよ、きっとヘル君の耳にも届くって。報告とかはどうするの?  嘘吐くの?  ヘル君に嘘吐くんだ、へぇー」

『……俺は別に正直に言うてええ思うけど』

『…………ヘルに嫌われるな』

『ヘルに嫌われたら君でお酒作ってやるから』

『普通に「殺すぞ」言うてーな、ほんっま怖いわぁー』

先程まで『劇場内の人間を全て殺す』で一致していた団結が崩れていく。リンはそこに突破口を見出した。

「も、もし、嘘を話して、その後この中の誰かが裏切って「自分は止めようとしたけど皆が」って感じのことを言ったとしたら……」

『抜け駆けってやつですね。まぁ私はヘルシャフト様からの好感度とかどうでもいいんですけど』

『……そこまで言うなら代案があるんだろうね』

少し機嫌を悪くしたエアに詰め寄られ、リンは再び気持ちが萎んだ。
だが、代案を出せば人が死なないと思えば萎んだ気持ちもまた膨らむ。
リンは深呼吸をして、自分の胸を撫でながら、ゆっくりと話し始めた。
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