魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十一章 月の裏側で夢を見よう

何処にでも居て何処にも居ない

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思いっきり胸を鷲掴んでしまった。アルといえど今は人間の女の子、流石に怒るはずだ。どう言い訳しよう、しても無駄かな、ならもっと揉……早く手を離そう、その方が叱責も少ないはずだ。

「ご、ごめんね……わざとじゃ、ないからね」

「……何がだ?」

予想に反してアルは気にするどころか気が付いてすらいなかった。なら離さなくてもいいかな、そんな思いが浮かんでくる。

「別にどこを触っても構わん、好きにしろ」

気付いてはいたのか。なんて男気だ……逆に触る気が失せる。

「……いや、ごめん。本当にわざとじゃないから……」

「そうか? いつもは鬱陶しいくらいなのにどうしたんだ今日は。本当に体調が悪いようだな、早く上がって早く寝よう」

殴りたい。この空間でのいつもの僕を動かなくなるまで殴りたい。身に覚えのない行動に頭を抱えつつ、風呂を上がって氷菓子を食べた。

『新作だけど、どうかな』

「……美味いは美味いが、甘ったるいな」

『アルちゃんのは甘さ控えめなんだけどなぁ……』

「……味薄い」

『キミのはこれでもかってくらい練乳かけたよね?』

アルが人間になるような特異な空間なら僕の味覚を戻してくれても良かったのに。


自室、というかフェルとの共同部屋は広い。広さや家具に不満はないが、仕切りなどが無いのは気になる。僕だけならまだしもアルが居るのに。

「……何してんの?」

アルは部屋に入って一目散にベッドを目指し、枕に頬擦りをしている。

「感触を楽しんでいる、貴方の物はどれも高級品だからな」

確かに手触りはいいけれど、このアルの行動には見覚えがある。

「…………匂いつけてない?」

「な、何を言うヘル! 私は犬ではないぞ!」

狼だ! といつもなら続ける。僕にとってはどちらも同じに思える。

「枕はヘルの匂いが濃くて好きだ……」

「犬じゃん……」

「私は犬ではないぞ!」

狼だ! そう続けたい。人間の姿で枕に顔を埋めるのはやめて欲しい、そういう種類の変態にしか見えない。
僕はアルから枕を奪い返し、アルを腕枕で我慢させることに──喜んでいるな、我慢ではなさそうだ。

「ふふ、ヘールーヘールー、ヘルヘルヘールー」

「早く寝なよ……」

「眠くない!」

ガバッと起き上がるアルを引っ張り倒す。何故だろうか、人間の姿になって知能が下がっているように思える。
それとも言葉にせずに鳴いている時、こんな事を話しているのだろうか。まぁ、兄が異常に優しい空間だ、アルが多少アホでも仕方ない。

「……ヘル、私はな、こうやって貴方の心音を聞くのが好きだ」

「急に落ち着くね。ちょっと怖いんだけど」

「この音を聞いていると……眠れない! ヘルが傍に居るのに眠るなんて勿体無い!」

「寝! て! フェルもう寝てるから騒がないで!」

「寝れないよ……起きてるよ……」

向かいのベッドから迷惑そうな声。

「ご、ごめん。ほら、寝て。僕はずっと君の傍に居るから、もったいないなんて言ってたら睡眠不足で死んじゃうよ、そっちの方がもったいないでしょ」

自分で「僕と長く共に居たいだろ?」なんて言いたくないのに、そんな言葉でしかアルは納得させられない。
返事がなく腕の中のアルを見れば、僕の服にしがみついて僕の胸に顔を押し付け眠っていた。

「なんなんだよ……おやすみ」

そんな彼女の頭を抱き締めて眠る。そして思った、いつもより寒いと。
毛皮が恋しい。



この謎の空間でとうとう一日を過ごしてしまった。現実との時間は同じなのだろうか、起きた時に困るから違っていて欲しい思いや、早く戻りたいからベルゼブブ達が気付きやすいよう同じでいて欲しい思いもある。
鳴り出した時計を昨日のフェルに倣って止め、隣に居るアルを起こす──はだけている。と言うよりボタンが全て外れている。

「……なんで?」

腕を胸の前で組んで横向きに眠っているから丸見えという訳でもない。ラッキーだとか見た方が恥ずかしいだとかそんな感情は一切なく、ただただ「何故ボタンが全て外れているのか」という疑問だけを抱く。
警戒心が薄く僕に惚れている異性が隣に居るというのに、それもかなりの美少女で体型も……っと気持ち悪いな僕……とにかく、普通なら何かしらの行動を起こそうとしてしまっても不自然ではない状況であるのに、僕の心は少しも揺らがない。

「アル、起きて、起きて」

服を捲ってみようだとか、少し触ってみようだとか、こっそりキスしてみようだとか、そんな気が全く起きない。
自分の無反応さに恐怖すら覚える。

「ん……ヘル、おはよう」

アルは元気良く起き上がる──僕は素早く服を掴み、前を閉じた。

「ボタン外れてるよ。気を付けなよね」

「あぁ、済まない。暑くてな、見苦しいものを見せた」

「いやいや、むしろ見たいと思うよ?」

普通なら、の話だ。何故か全くそういう欲が出てこない。この空間の特異性の一つだろうか、現実で同じようなことがあったら冷静に話してはいられないだろうに。

「そうか」

アルはばっと前を開く。
僕はそれを素早く閉じさせた。

「お、も、う、だ、け」

「思ったんだろう?」

「普通なら見たいと思うだろうなぁと思ったんだよ、僕は見たくないよ別に」

「そうか」

「うん、あのね、早くボタン留めて?」

アルには常識が無かったのか。いや、いつもなら全裸だからむしろ服を着ている方がおかしいのか?  いやアレは毛皮を着ているなんて言い方も出来る訳で──

「着替える。このまま脱ぐ」

「もう好きにして」

僕はアルに背を向け、タンスを漁る。どうやらアルは昨晩のうちに着替えを用意していたらしい、何も持たずに来たと思っていたのだが……思い違いか?  よく泊まっているなら着替えを常備しているのかもしれない。

「ちょっとお兄ちゃん!」

「フェル、おはよ」

「うん、おはよ……じゃなくてさぁ! お姉さん普通に着替えさせるのやめてよ! お兄ちゃんそれでいいの!? 毛布の中でとか、別室でとか、お兄ちゃんが何か毛布とか広げて隠すとかぁ!」

「あ……あぁ、ごめん。ちょっと頭回らなくて」

この空間は何なのか、の考察に脳の容量をかなり奪われている。

「もういいよ……僕外で着替える」

「ごめんね? 寒いから早くした方がいいよ」

この街の気候は冬だろうか。まぁ僕や兄の年齢も若返っているし、現実との気温差なんて今更気にならない。

「ヘル、今日は学校に行けるのか?」

「え……あ、あぁ、そっか、学校か……」

「制服はこれだぞ? ほら、早く着替えろ」

学生服か……白いシャツに黒いズボン、黒に近い青の長い丈のジャケット。至って普通の服だ。

「アルはスカート? 寒くない?」

「私は丈夫だ。貴方と違ってな」

アルは黒灰赤のチェック柄のスカート、丈は膝下。シャツの方にも刺繍やレースがあって、僕の物より数段可愛らしい。

「……なんかアルの制服可愛いね」

「追加料金で少しデザインが凝った物を買える。制服を注文した時に説明されただろう、貴方は目立つのは嫌だとか言って無地にしていたな」

「そうだっけ……あはは、覚えてない。ぁ、鞄……狼柄なんだ」

アルの学生鞄には狼のシルエットが描かれている。

「鞄も追加料金で好きなものを描いてもらえる。そういえばヘルは払わなかったな」

「そ、そう……だったね」

僕が何をやっていたかの記憶は向こうにあるようだし、話は適当に合わせなければ。

「でも、アルがお金払ってお洒落するの意外かも」

見た目に気を使わないイメージがあった。身嗜みは別として。

「ああ、金は兄君が出してくれたからな。どうせならと」

「……そう。アル、狼好きなの?」

「全ての生き物の中で最も美しいと思うぞ。私は生き物の中で二番目に好きだ」

これは自己愛が強いと見ていいのだろうか。

「一番は何?」

「貴方だ」

「三番は?」

ときめきで胸が少し痛いけれど、あえて無反応でいこう。

「獅子」

「……四番」

「虎」

兄弟想いと見ていいのだろうか。

「五番は?」

「兄君だな。羽振りが良い」

好きな理由が急に不純になった。いや、食欲に忠実と見れば動物的な純粋さがある。

「……ところで、学校に行く時間が刻一刻と迫っているが?」

「もっと早く言ってよ!」

僕はアルの手を掴み、ダイニングに走った。学校を休んで街を歩いてこの空間を調べてみようなんて考えは浮かんだが、それよりも学校に行ってみたくなった。
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